梟の詩  
  中山道を行く  
 
 
 

016号     2005/10/19(水)

 
 
 
  <野尻〜三留野〜妻籠>  
 
 
 

日帰りで行けるのが終わったので、これからは一泊どまりという事になる。手始めに宿が一番とりやすいと思われる、妻籠、馬籠コースを歩く事にした。日程だけでなく、費用も日帰りなら、「青春18切符で2000円」と安く行くことも可能だったが、今度は行きだけでも新幹線を使って時間をかせぐ事にすると22000円以上かかる事になる。少し厳しいが覚悟を決め行く事にした.。
京都駅7時15分新幹線改札口に集合し、7時23分のひかりで名古屋駅まで行き、中央線は快速で中津川駅へ、ところがここでその先は一時間に一本しかない普通まで1時間も待つ事になった。妻籠の民宿「こうしんづか」に電話を入れると「あいています、泊まれます」と予約が出来一安心。街の中をぶらぶらし、10時16分発に乗ると、野尻駅に10時46分に到着。準備して11時歩き始めた。
本にしたがい木曽川沿いの路をとる。野尻宿から三留野宿までは、かって木曽路の中では最大の難所であったそうで、路を通すことができないところは桟(かけはし)を作っていたが、洪水の度に流され難儀したそうだ。(そこで野尻から山の中を通り三留野宿 へ出る路もありそれも中山道の迂回コースだというのを宿についてから教えてもらった。)今回歩いてみても、国道が橋状に走り、歩道はその脇に桟のように川にせり出していた。
11時40分線路沿いの道でおにぎり2個の昼食。食べている最中名古屋方面行きの列車がガタゴト通って行った。
熊野神社の横をぬけ、国道に降りていくと、本では「国道を渡り、線路を越える。充分注意する事」とあったが、実際は、国道と線路の下に直交して流れる川にそい網状の危なっかしい橋が架けてあって、それを渡って向こうに出られる、つまりくぐって行くようになっていた。
十二兼駅の下を通り、柿其峡(かきぞのきょう)を右手に見、羅天桟道を通過。かって最大の難所と言われただけあって、左手上方を国道と平行に走る線路は鉄橋と桟とトンネルが交互に続いていた。与川渡、金知屋集落を過ぎ、国道から分かれ、坂を上がって線路のガード下を潜っていくと、ようやく三留野宿に入る事ができホッとした。
坂道沿いに古い家が立ち並ぶ。そろそろ南木曽駅へ行って休憩しようかと思った頃、「読書小学校」の校門下を通る。「よみかき小学校とでも読むのかな。小学校の本質をずばりと表していてとても面白い名前だな」と思わず疲れを忘れさせてくれた。(この校名は二つの学校が合併した時、両方の頭文字をとってできたと宿の主人が教えてくれた。しかし、2007年4月から、南木曽小学校と名前を変えてしまうので、この名前もあとわずか1年半の寿命。寂しい事である。)
3 時「三殿森林組合」の貯木場で休憩、羊羹一本を三人でちぎって食べ、元気をつけ出発。妻籠宿への路はよく整備されている。右側が家だと左側がその家の庭になっていて、まるで立派な屋敷の中を歩いていくようなところもあった。4時すぎ妻籠宿に入る。
次々に店と民宿が並び、人で道路があふれていた。夕闇がせまって、もし人々がちょんまげでもしていたら、江戸時代そのままの風情ある景色に見えた。脇本陣が歴史資料館になっていて、5時まで見学できると聞いたので、「泊まる宿に荷物を預けてから、見学に来よう」と先を急いだ。これが間違いだった。民宿「こうしんづか」が宿はずれである事は判っていたが、15分歩いても着かない。妻籠の家並みが切れ、橋を渡ると大妻籠となり、道は山の中に入っていく。5時近く、ようやく「こうしんづか」に着いた。
風呂に入り、囲炉裏を囲んで、ビールと日本酒を飲みながら夕食。宿のご主人の楽しい語りと、いい声の「木曾節」を聞かせてもらった。眠気も出てきた頃、囲炉裏の火をどんどん焚きその脇に寝そべると、身も心も温まって来て、50年も昔おじさんの家でこうして寝そべり将来を夢見ていた頃の事を思い出した。