梟の詩  
  中山道を行く  
 
 
 

013号     2005/3/13(日)

 
 
 
  <伏見〜太田〜鵜沼>  
 
 
 

今回は木曽川日本ラインに沿って歩くのがメインだ。姪と二人で歩く事になった。
青春18切符で太多線可児駅まで行き、名鉄に乗り換え、明智駅に着いたのが10時32分。準備をして、42分出発歩き始めた。坂を登り21号線に出たところの右手が伏見宿の本陣跡だったが、北西から雪雲がどんどんせまってくるので、それを見ず、左に曲がりひたすら今は21号線に重なっている中仙道を歩いていった。50分ほど歩くと雪が降り出し、すぐ風も激しくなり、吹雪の状態になった。「これがこのまま続くようなら、今日は近くの駅まで歩き、どこか温泉に入って帰ろう。喫茶店に入って天気の様子を見よう。」と語り合っていると、《中山道踏切》を越え少し行ったところで、《ミロ》という名の喫茶店が開いていた。服についた雪を叩き落としながら駆け込んだ。席に着き、コーヒーを注文して、ホッとし外を見ると、雪は止み、薄日が射し始めた。あっという間の変化だった。暖かいコーヒーを飲みながら持ってきたおにぎりを食べ、12時15分しっかり身支度をして出発した。
木曽川に架かる太田橋に着く。見ると太田橋の幅が狭く、2台の自動車がすれちがうと人が歩く隙間もない。拡張工事をしている人に、「この橋は人が歩いても大丈夫ですか」と聞くと、「いや、わたしはなんとも言えません」とそっけない返事。どうも責任がかかるのを恐れている感じがした。
太田橋を渡った右手が、日本ライン船下りの発着所だが、今は季節外で船は一艘もつながれていなかった。左手をしばらく木曽川堤防を行き、太田宿に入って行った。古い家には俳句入りの灯篭が入口に下っていて趣がある。しかしそれらが飛び飛びになっているので、宿全体の印象が薄くなっているのが残念だ。 真ん中辺に、鮎の甘露煮を売っている店があった。大きな鍋に何十匹という鮎をいっぺんに炊いてあり、そこから一匹300円で5匹包んでもらった。(頭の先から尻尾まだ全部食べられ、味も良かった。)
宿を抜け、再び木曽川の堤防に戻ると、対岸は岩が続いていて、船に乗って下るときはその岩沿いに行ったら爽快だろうと思った。「今は水量が少ないから穏やかな流れだが、水量が多いと激しい流れになって、ラフティングをやったら面白うだろうな。インドネシアのバリ島でやったラフティングは楽しかった。」など話しながら堤防が切れてからは、21号線を歩いた。
そろそろ鵜沼宿に行く「うそう峠越え」の路の入口の筈だがと、さがすがわからない。隣を走る高山線の線路に登ってみてわかった。線路と反対側の木曽川に石段を下り、小川沿い幅30センチほどの道を通り、線路の下をくぐると、峠越えの道に出られるようになっていた。中山道もここでは幅30センチになってしまったかと考えるとおかしかった。峠の上に出て、さあ下りかと思ったら大きな団地が始まり、そのまま鵜沼駅まで続いた。駅に4時5分前に着き、携帯を見ると、メールが入っていた。「こちらは雪が激しく降っているが、そちらは大丈夫か。」メールの発信時刻は3時ごろだった。そういえばその頃はうそう峠に入った頃でちょっと雹のような雪があったかな、ぐらいだった。ここが京都から離れている事を実感。(32000歩)