梟の詩  
  中山道を行く  
 
 
 

009号     2004/12/5(日)

 
 
 
  <鳥居本〜高宮〜愛知川>  
 
 
 

前日は雨がかなり激しく降っていて、大雨警報も出ている地方もあった。滋賀県の天気予報は、「午前中は小雨、昼ごろには雨が上がる」というもの。山に出かけるのではなく街の中を歩くのだから、傘をさして歩き始めてもいいではないかと決断して行く事に決めた。
朝5時前に起きると、案の定小雨。結局家からバス停まで傘をさしただけで、一日降られる事もなく、快適に歩く事ができた。
彦根駅で近江鉄道 に乗り換え、一つ目の鳥居本駅で下車。鳥居本宿のはずれの彦根道の追分を通過したのが、ちょうど10時だった。
小野小町出生地だという小野集落に入る。当然その血をひいている小野家があって、美人が顔を見せてくれるだろうかと期待を込め、最初の家の表札を見ると、「小野」となっていた。そうかやっぱりと次々見て行ったが、その後はあまり見られなかった。
芹川を渡ると、右手に石清水 八幡宮があり、その石段を登っていく途中、赤と黄色のもみじの木の下に能楽の扇を埋めたという扇塚があった。10分休憩。
近江鉄道の踏切を渡ると高宮宿に入った。多賀大社の大鳥居が目に飛び込んできた。鳥居の近くにある「高宮宿案内板」を読むと、ここは、本庄宿に次ぐ、中山道で2番目に大きい宿だと書いてあった。軒から大提灯を吊るす昔ながらの提灯屋は絵になる風景だ。おにぎりを食べ始めるとぱらぱらと雨が落ちてきたので、近くのお寺の境内に移った。隣の公民館では「3代交流会」というお餅つき大会をやっていた。
高宮宿のはずれは犬上川にかかる高宮橋。この橋は別名「無賃橋」といったと言う。川渡しや仮橋が有料だった江戸時代、人食い川と言うくらい洪水のたびに死人が出るのを、何とかしようと近くの何人かの豪農がお金を出し合って橋を架けたので無料の橋になったという。よく幕府から許可が出たものだ、この辺が東海道と中山道の違いかと思った。

鈴鹿山脈の山並みを左手はるかに見ながら、時々ある松並木をくぐりながらどんどん歩いていくと、「この辺が豊郷町みたい、話題になった小学校があるならみて見たい。」
地元の人にお聞きすると、「まっすぐ行けば左にあります。」しばらく行くと大学のような建物が現れた。「これかな、いや駐車場がこんなにあるから小学校である筈がない 」
と思いながら、門を見ると、豊郷図書館となっていた。やっぱりなあ、と思ったら反対側の門柱に「豊郷小学校」と彫ってあった。こんなに立派な小学校を創った昔のここの親たちはどんな思いを込めたのか?金がないとこんな立派な建物は出来ないだろうと思いながら少し先に行くと、丸紅・伊藤忠商事の創立者の生家があった。
ここから愛知川宿にかけて立派な屋敷が見られるようになった。
愛知川宿のはずれ近く、竹平楼で足を止めた。明治天皇御小休所址という石碑に玄関をのぞくと「美術作品展示、見学無料」とあった。きれいな魚の絵だった。
愛知川にかかる御幸橋をわたり左手に行くと、五個荘の常夜灯があり、ここが今日の終点だった。いつもより約30分多く歩いた。(35,000歩)