梟の詩  
  中山道を行く  
 
 
 

005号     2004/5/6(木)

 
 
 
  <軽井沢〜沓掛〜信濃追分〜御代田>  
 
 
 

朝10時、軽井沢駅に降り立つ。中山道に出るため、まっすぐ歩いていくと、一軒一軒が絵になりそうなしゃれた店がならんでいる。昨日までの連休でにぎわった軽井沢銀座は、閑散として、張り紙「本日休日」「しばらく休みます」が目立つ。
旧軽井沢ロータリーから左に曲がって中山道を歩き始めた。林の中には豪華な別荘が立ち並んでいるが、中には旧式の建物のままで、何年も、何十年もほったらかしになっているのではと思われる別荘もいくつか見うけられた。

軽井沢病院前の食堂で、予定の3分の一しか来ていないが早目に昼食をとった。
沓掛宿(今は中軽井沢)から、車の行き来が激しい18号線をずっと歩いて行ったが、借宿から昔の中山道に入ると、馬頭観音や廃屋が並び古い面影が感じられた。
追分宿の入り口手前に「追分一里塚」が18号線をはさんで残っていた。
追分宿は、比較的昔の家並みの保存に努めている。美術館、文学記念館などもあるようだったが無視して先を急いだ。ところが「寿美屋」(昔は炭屋?)というお土産店をちょっとのぞくと、手ごろな面白いお土産を安く売っていて、これを買おうかあれを買おうかと、貴重な時間と若干の散財をした。「またこの店には来たい」と彼女はすっかり気に入っていた。

家並みが尽き、18号線と再び合流するところが、中山道と北国街道が分かれる分岐点、つまり信濃追分だった。「追分宿」という歌で、
         桔梗花咲く 追分あたり 唐松林に雁渡る
        小焼け夕焼け 茜の空に 遠い昔を懐かしむ
         しゃらりしゃらりは 荷馬の鈴か ここは信濃路小諸宿
と歌われているのは、北国街道をここから小諸にかけて行く途中の事であって、中山道の事だと思っていたのは間違いだったことが判った。
路を左にとり、所々畑の縁に残る唐松林 を眺めながら、どんどん下っていくと、御代田一里塚が右手畑の中に見られた。昔の中仙道はあそこを走っていたのか。
しなの鉄道の線路を潜って、しばらく行くと御代田駅に到着した。