梟の詩  
  中山道を行く  
 
 
 

003号     2004/5/3(月)

 
 
 
  <日本橋〜板橋>  
 
 
 

中山道の出発点は日本橋である。まず事をなすには出発点を確認しておかなくっちゃと、連休の後半の三日、人ごみをさけて出かけた。
東京駅から荷物を抱えたまま日本橋へむかう。休日で閑散としたビルディング街をぬけると、広い大通りに出て、立派な橋があり、それに交差する高速道路が走っていた。その橋が日本橋だった。京都の三条大橋の真上に高速道路が走っているようなもので、京都ではありえない光景だと思った。橋の真ん中、自動車が行き来するのでそこまで行って確かめることはできなかったが,マンホールの蓋のような「道路元標」をみることができて、この地点が中山道に限らず、日本の道路の原点かと思うと、ちょっと厳粛な気持ちになった。


さてここから中山道はどちら向きに歩き始めたらいいのか。橋のたもとでティシュを配っていた若い女の子に聞いてみた。 「中山道?何ですかそれは」と、何も知らない様子。
ぐるりと見渡すと三越の建物が見えたので、これを左手に見る道路を行けば神田駅のガード下に出るはず、それが中山道だと見当をつけて歩き始めた。間違いなく一キロごとに、「日本橋まで何キロ」または「日本橋から何キロ」の標識がついていたので安心して歩く事ができた。
本郷の坂を上った角にある、学生むきの食堂「けんさん亭」で昼食をとった。
しばらく行くと、赤い門の前で十人ぐらいの若者が写真を取り合っていた。これが有名な「東大の赤門」かと、 写真を撮った後そこから中に入り、構内をしばらく歩くと銀杏並木があり、その向こうに時計台が見えた。思っていたよりいずれも貧弱に見えたのは、まわりが大きくなりすぎたせいか、僕の期待がおおきすぎたせいか。農学部の正門前を直角に曲がると、本郷追分跡、この近くに「日本橋から最初の一里塚あり」の標識があった。
文京区の住宅街をしばらく行くと、山手線巣鴨駅を越えた。荷物を下げたままの歩きはくたびれる、今日の歩きはここで終わりに しようかと思ったが、息子との待ち合わせ時間までだいぶ時間があるので、埼京線にぶつかるまでもう少しがんばろうかと、甘いドーナッツを食べコーヒーを飲んで元気をつけ歩き始めた。
17号線から 巣鴨の地蔵商店街に入ったが、人並みが急に増えて歩きにくくなった 。右を見ても左を見ても魅力的な商品が並び、これがまさに東京の下町商店街なのかなと思った。
高岩寺の とげぬき地蔵にやっと到着すると、以前新聞のコラムで読んでいた「日本一高い耳かき」を売っている店を見つけた。世代が変わって若い職人さんが、「これで合いますか」と耳かきの角を削って売ってくれた。とげぬき地蔵の前には行列が出来ていて、水タオルで地蔵を洗い清めていた。並んで順番待ちしていたら何時になるかわからないので、その様子を写真にとっただけにして先を急いだ。
埼京線の板橋駅で今日の終点とした。平尾の一里塚跡は見落とした。