かぞくしんぶん「あさま」  
   007号 2002年6月27日 (木)   
 

<西国三十三ヶ所巡り>


2002年6月27日(木)の礼拝 「西国三十三ヶ所巡り」より

 今年の5月5日の子供の日に「あさま」の「ま」に運転してもらい、東舞鶴にある29番松尾寺(まつのおでら)に行き、朱印を押 してもらってきました。これで「西国三十三ヶ所巡り」のお寺を全部回ったことになります。9年かけて回りました。完成した「朱印 帖」は思い出がいっぱい詰まった宝物です。  「西国三十三ヶ所巡り」というのは、西は姫路市の27番円教寺から、東は岐阜県の33番華厳寺まで、関西にある1番〜33番ま で番号がついた寺と番外の3つの寺を巡り、朱印帖か朱印軸にお坊さんの一筆とその寺の朱印を押してもらうというものです。最近結 構人気が高く、「西国三十三ヶ所巡り」の観光バスが出ています。  ぼくがそれを始めたのは、1994年7月、阪神大震災の前の年のことです。当時ぼくは部員一人の水泳部の顧問をしていました。 生徒は高校3年生でインターハイ出場をめざしてがんばって泳いでいました。その年の近畿大会は和歌山市の市営プールで開かれてい ました。インターハイに出場する道はこの大会で決勝に残るか、または標準記録を突破するかのどちらかでした。準決勝に残った顔ぶ れはオリンピック選手もいて決勝進出は難しい。のこるは標準記録突破のみのラストチャンスでした。泳ぐ選手以上に僕は緊張しまし た。結果は100分の2秒うわまわりインターハイ出場を決める事ができました。自分のことのようにうれしかったです。  その後泊まっていたホテルに帰る途中、ふとわき道をして2番紀三井寺に寄りました。長い石段を登りきってホッとしたところに納 経所があって、「西国三十三ヶ所巡り」の案内と朱印帖を売っていました。「ちょっと買ってみるか」と言う気になったのがはじめと なりました。  この年、ぼくは病気になって10月から入院、翌年三月まで学校を休むことになってしまいました。一月のある朝、ゴーという音と ともにグラグラと家がゆれ、本が落ち自転車が倒れ植木鉢がひっくり返りました。後に阪神大震災と呼ばれる大地震です。家で寝てい るだけでしたので、毎日朝から晩までテレビを見て、「大地震の後」を追っていました。  3月末、4月からの仕事に備えて、体慣らしにと「三十三ヶ所巡り」を始めました。この1995年だけで15寺を回りました。  「三十三ヶ所巡り」に入っているお寺は、一部を除き、人里はなれた山の上にあります。  11番上醍醐寺に行ったときは雨が降り始めましたが、「ふもとの醍醐寺の奥の院だろう」ぐらいに軽く考えて、傘をさして歩き始 めました。行けども行けどもなかなか着かない。急な登りが3キロメートルもつづきへとへとになりました。「三十三ヶ所巡り」の中 の最難所の一つだったのを後で知りました。  寺町丸太町下がったところに19番革堂があります。この寺の前をよく通るのですが、住職さんが女性であることを「三十三ヶ所巡 り」のなかではじめて知りました。  1996年箕面の23番勝尾寺に行ったときのことです。並んで朱印をもらうために待っていました。となりの女性の朱印軸を見る と、なんと真っ白なので「これから始めるのですか。」とつい気楽に言ってしまったのです。その人は「実は二度目なのです。」とい う言葉から始まり、「昨年の大震災のとき、私の家は新築だったので、周りの家は全部倒れたのに、びくともしなかったのです。とこ ろが2日後に、誰かの放火で家が全焼してしまったのです。くやしくて、くやしくて、一年間何も手につかなかったのです。ようやく 落ち着いてきたので、もう一度やり直そうと、お寺参りからはじめたのです。」としみじみ話してくれました。あの大震災の中で、こ んな苦しみを味わった人もいたのだということを知りました。  次の事件がなかったらこの礼拝で話すことはなかったと思います。 今年の4月、宇治の10番三室戸寺へつつじの花を見に行ったときのことです。この寺はすでに95年に来ていましたから勝手はわ かっていました。納経所のちかくでぶらぶらしていた時、ある旅行会社の添乗員が、石段を息を切らせて上がってきて、両手いっぱい 抱えた朱印軸と背中のリュックサックをどさっとおろし、中からたくさんの朱印帖を取り出して、「お願いします。」とお坊さんに頼 みました。お坊さんはちょっと苦笑して仕事に取りかかりました。僕は驚きました。「エッ、人に頼んで朱印を押してもらう人がい る!それでお寺巡りをしたことになるの?」ぼくの常識では、目の前でお坊さんに一筆書いてもらい朱印を押してもらう、そして「あ りがとうございました。」と言って、300円払う。たったそれだけのことですが、その間に、一言か二言会話を交わす。それではじ めて朱印をおしてもらったことになると思っていました。たかが朱印帖のことですが、出来上がったものは同じでも、その中身がぜん ぜん違うということにぼくはこだわるのです。 みなさんも宝物を持っていると思います。どんな宝物でしょうか。 宝物を発見するとよく言いますが、宝物は自分で創るものだと僕 は思っています。一人一人に与えられた最高の宝物は自分の人生です。どう生きるかにこだわって生きていってほしいものです。 (最後に質問です。この話の中に、番号のついたお寺がいくつ出てきたでしょうか。)

(誠人)


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