おすすめ観光 ・ 近場の見所
鈴虫寺=華厳寺
500円/9〜16時30分
075-381-3830
「幸福地蔵様」は日本で唯一、わらじを履ておられます。これは、庶民の所まで願いを叶え、手をさしのべるために、歩いて来てくださるからなのだそうです。 住職の「鈴虫説法」は心安らかになれます。秋に鳴く鈴虫の鳴き声を、季節に関係なく何時でも聞くことができます。
当館からゆっくり歩いて30分
真言宗
大覚寺派本山

500円/9〜16時30分
075-871-0071
876年嵯峨天皇(神野親王)の離宮を改めた門跡寺院で門跡寺院ならではの風格があり、代々皇族にゆかりが深く「嵯峨御所」とも呼ばれています。桃山建築の正宸殿(重文)には「紅葉の間」「竹の間」「雪の間」など12の部屋があり、見事な襖絵で飾られいます。五大堂の前からの大沢池の眺望も心休まるひと時、ごゆっくり・・・。 当館からゆっくり歩いて45分
直指庵
駆け込み寺

500円/9〜17時
075-871-1880
孟宗竹に包まれてひっそりと建つ直指庵は、悩める女性たちの駆け込み寺として知られ、「想い出草」と名づけられたノートがあり、参詣者の思いが綴られています。庵横の小さな池には、天然記念物のモリアオガエルが生息しており、別名延命小袋といい、一見すると寿命が延びる、といわれています。
当館からゆっくり歩いて35分
常寂光寺
300円/9〜16時30分
075-861-0435
『百人一首』で知られる小倉山の中腹にある常寂光寺は、日蓮宗の寺で、もとは藤原定家の山荘、時雨亭があったところと伝えられ、16世紀末に日メiにっしん)がこの地に隠棲しました。本圀寺から移築された仁王門は南北朝時代の藁葺きの門で、晩秋に、紅葉が散りかかる風情は定家の和歌の世界を思わせ、京都屈指の紅葉の名所です。楓におおわれた石段を上がると、伏見城の客殿を移築した本堂、その背後に均整のとれた美しい重文の多宝塔が建っています。当館からゆっくり歩いて35分
化野念仏寺あだしの
500円/9〜16時30分
075-861-2221
8000体余りもの石仏や石塔で知られるこの寺は浄土宗の寺で、およそ千年前、空海がここに五智山如来寺を開創し、野ざらしとなっていた遺骸を埋葬したことにはじまるといわれています。あだし野という、『徒然草』にも書かれているかつての葬送の地に建ち、境内に集められたおびただしい数の石仏が、葬送地としての過去を彷彿とさせています。本尊は阿弥陀如来、湛慶の作で、本堂は江戸時代に再興されたものでありお盆の千灯供養は有名です。
バスで清滝まで〜
滝口寺
300円/9〜17時
075-871-3929
『平家物語』ゆかりの滝口寺は浄土宗の寺で、法然の弟子の良鎮が開創した往生院の旧跡と伝えられています。悲恋、滝口入道と横笛にちなんで建てられた小堂です。説話によると、平重盛の家来であった斎藤時頼は建礼門院に仕えていた横笛に恋しましたが、受け入れられず、父の反対もあり往生院で出家し滝口入道と称しました。このことを耳にした横笛は自責の念にかられ、庵を訪れたが追い返され大堰川に身を投じたとも、出家したともいわれています。本堂には、滝口入道と横笛の木像が安置されています。
清涼寺
嵯峨釈迦堂
本堂・庭園400円/9〜16時
075-861-0343

「源氏物語」の光源氏のモデルとされる嵯峨天皇・皇子の源融(みなもととおる)の 別荘をその没後、棲霞寺と改められました。天慶8年(945)醍醐天皇・皇子の重明(しげあきら)親王が亡き妃のために新堂を建て釈迦如来を安置し、これが釈迦堂の名前の由来とせれています。本堂内には本尊、釈迦如来立像・地蔵菩薩立像(国宝)を安置されています。ご本尊のお釈迦様は、体内に五色の絹で作った五臓六腑とお経を持ち、生身(いきみ)のお釈迦様と呼ばれてきました。当館からゆっくり歩いて25分

二尊院
500円/9〜16時30分
075-861-0687
平安時代初期、承和年間(834〜847)に嵯峨天皇が慈覚大師を開祖として建立したのが起こりです。本堂右に釈迦如来像、左に阿弥陀如来像の二本尊(ともに平安末期の作で重文)が安置され、二尊院の名もここから名付けられました。正式には小倉山二尊教院華台寺。裏山の墓地には藤原定家が百人一首を選定したと伝えられる時雨亭跡、阪東妻三郎のお墓があります。ぐるっと一回りすると、寒い日でも汗がにじみます。
 当館からゆっくり歩いて30分
仁和寺にんなじ
境内自由/9〜16時30分
075-461-1155
仁和4年(888)宇多天皇が開いた名刹です。御室御所とも呼ばれる真言宗御室派の総本山になっています。西門を出ると御室八十八ヶ所と呼ばれる巡拝コースがあります。五重塔・千手観音や二十重部衆をまつる観音堂・袴腰式の鐘楼・御所の清涼殿の資材で建てられた御影堂(重文)、桃山時代に建てられ京都御所・紫宸殿を移築した金堂(国宝)が並んでいます。宸殿の南と北には庭園がありほっと癒されます。 
 嵐電に乗って〜
15分
正法山妙心寺
境内自由
075-461-5226
臨済宗妙心寺派の大本山であり、1237(延元2)年、開基・花園天皇の発願により、関山慧玄(無相大師)を開山として花園離宮を禅寺にあらため開創されました。桃山時代以後、武士層の崇敬を受け、諸大名が帰依しました。寺内13万坪といわれる惣門に入ると、松樹につつまれた七堂伽藍のあり格調があります。46ヵ院の山内寺院は本山とともに史跡名勝地に指定され、蔵される古文書及び絵画等の文化財は著しい数です。 
 嵐電に乗って〜
モンキーパーク
大人=500円
幼児=150円
075-872-0950
岩田山へは渡月橋南岸少し北上から入山、約20分標高180メートル、休憩所、展望台があり、京都市内一望できます。1957年、元々生息していた野生のニホンザルを餌づけしてならしたのが始まりです。現在、約170頭のニホンザルが生息しており、野生のニホンザルを人間が檻に入り、すぐ間近で観察することができます。岩田山の中腹にエサ場が作られており、売店で販売している餌をやることが出来ます。秋の紅葉も見所のひとつです。 
登り口まで5分
虚空蔵 法輪寺
境内自由
.075-861-0069
虚空蔵法輪寺は京都西山・名勝嵐山の中腹にあり、『十三まいり』のお寺とし知られています。お参りが済んだ後、後ろを振り返ると知恵が本堂に帰ってしまうというと言い伝えがあり、『渡月橋を渡りきるまで絶対に振り向かない事』せっかくいただいた知恵を返してしまう事に。 本尊虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)は嵯峨の虚空蔵さんとして古くから親しまれて、今昔物語・枕草子・平家物語などに記述され、智恵・福徳・技芸上達祈願で知られています。
当館より徒歩すぐそこ30秒
大悲閣 千光寺
400円/9時〜16時
075-861-2913
禅宗寺院で角倉了以(1554-1614)が河川開墾工事に協力した人々の菩提を弔うため、 嵯峨中院にあった、千光寺の名跡を移し、 創建したものです。大悲閣とは 観世音菩薩像を安置した仏堂をいいます。了以の像は、法衣姿で石割斧を持ち、 片膝を立てて太綱の上に座しています。境内からの展望は京都一とも言われ、眼下の保津川、仁和寺から本願寺までの京の街、比叡山から東山連峰が一望できます。

いちたにむなかた

境内自由
渡月橋の近くにあり嵐山モンキーパークへの入り口にあります。平安時代、葛野に鋳銭所(今の造幣局)があり、新しい鋳銭は必ずここに奉納せられました。松尾大社の摂社で、上位の神社であります。河海の女神で火難の守護神とされています。嵐山弁財天とよばれ 金運、縁結び、水難除けの御利益があり、嵐山来られたら是非ご参拝ください。隠れ名所です。当館より徒歩2分
祇王寺ぎおうじ
300円 /9時〜17時
075-861-3574
『平家物語』に名高い白拍子・祇王ゆかりのお寺です。平清盛の寵愛を受けていた祇王は、仏御前の出現により捨てられ、母の刀自(とじ)、妹の祇女(ぎにょ)とともに嵯峨野に庵を結び、尼となります。後に仏御前も祇王を追い、4人の女性は念仏三昧の余生を過ごしました。美しい青竹やかえでに覆われ、苔に包まれた庭園と、わら葺の庵が趣深いたたずまいがあります。ここには、祇王をはじめ、清盛の木像が安置されており、はるか昔の物語を彷彿とさせる雰囲気が漂っています。
落柿舎らくししゃ
150円/9時〜17時

075-881-1953

松尾芭蕉の門人、向井去来(江戸時代前期に活躍)の草庵で、元禄4年(1691年)には芭蕉が滞在し、『嵯峨日記』を記したといわれています。江戸時代のある秋、去来が商人に庭の柿を売る契約をしたが、この夜に嵐が吹き荒れ、柿の実が全て落ちてしまったため、去来が代金を返したということからこの名前をつけたとされています。「五月雨や色紙へぎ たる壁の跡」

宝筺院ほうきょういん
400円/9時〜17時

075-861-0610
平安時代、白河天皇の勅願所として創建されました。後に室町幕府の二代将軍、足利義詮(よしあき)の菩提寺となりました。義詮の院号に因んで宝筐院と改められ、境内にはその義詮の墓と、南朝の武将、楠正行(まさつら)の敵対関係にあった二人ではあるが、並んで埋葬され、首塚が並んでいます。この宝筐院の見所は、秋の紅葉の頃、本堂の南にある回遊式庭園といえるでしょう。
野宮神社
無料

075-871-1972
平安遷都後(垂仁天皇の頃)、天皇の代理で、斎宮が伊勢神宮にお仕えする前の一年間心身を清める場所として定められものです。竹やぶの中に黒木の鳥居と小柴垣に囲まれた聖地源氏物語「賢木の巻」に娘の斎宮と共に伊勢へ下ろうとした六条御息所を追って、光源氏が野宮を訪れる様子が描かれてあります。当時の嵯峨の風景がしのばれるようです。縁結び、進学の神として人気が高く、境内の苔と周辺の竹林が美しいことでも広く知られています。 当館より徒歩15分
天竜寺
庭園500円 堂内100円
8時30〜17時30分

075-881-1235
室町幕府(1338年〜1573年)を開いた足利尊氏が建立されました。建立資金獲得のために、中国の元との公認の貿易船「天竜寺船」を運行しました。法堂天井の天竜図は直径9メートルの円の中に描かれたもので、どこから見ても目が合うことから、「八方睨み龍」と呼ばれています。嵐山と小倉山を背景にした庭園は優美で、夢想疎石(室町時代初期の高僧)の作によります。足利尊氏像や天竜寺船が持ち帰った文化財多数があります。一日ゆっくりと参拝し、歴史に触れてみてください。世界文化遺産。 当館より10分
大河内山荘
1.000円(抹茶付き)
9時00〜17時

075-872-2233
大河内傳次郎氏(1898〜1962)は、大正から昭和初期の間に活躍した時代劇俳優。小倉山の南面約2万平方メートルの荒地に映画の出演料の大半をそそぎこみ30年もの年月をかけて、創り上げた、すばらしい借景庭園です。多くの赤松や四季を彩る桜や紅葉が足元にはビロード状の苔の緑。ひっそりとたたずむ草庵風の茶室がそれぞれむかえてくれます。平成14年には、国の登録文化財に指定されています。
美空ひばり館

秘蔵品が満載
閉館
「守りたい、伝えたい、美空ひばり」 感動、涙そして生きる勇気、あなたの人生をゆさぶる、感動の「ひばり」体験です。永遠に輝くスター美空ひばり、そのすべてを展覧するプライベート・ミュージアム。そのすべてを展開するプライベートミュージアムです
保津川下り
3900円

0771−22−5846
深渕あり、激流あり、四季を映して流れる保津川の峡谷を縫って、丹波の国「亀岡」から京の名勝「嵐山」までの約16キロ、約2時間の自然と触れ合う船旅。土日、祝日は、午後から満隻によりお乗り頂けない事があります。できるだけ朝早くお越し下さい。当日の受付順でのご乗船となります。ご予約は10名以上からお受け致します。保津川下りは古く慶長11年(1606年)角倉了以が米、木材、薪炭など、丹波地方の産物を京へ送るため産業水路として開いたもので、今日では観光船に変わり「世界の名勝保津川下り」として、内外から多くの観光客を迎えています。
トロッコ列車
大人600円
(子ども300円)
075-861-7444
トロッコ列車は今は使われていない旧山陰本線の一部をトロッコ嵯峨野駅からトロッコ亀岡駅までの7.3kmを25分で結びます。四季おりおりの美しさを満喫する、嵯峨野のロマン溢れる旅へお出かけください。、春は優雅な山桜、夏は涼感の川のせせらぎとセミ時雨、秋は絢爛の紅葉、冬は情緒な雪景色と保津川渓谷の四季おりおりの美しさが満喫できます。1ヵ月前よりJR西日本で前売券販売しています。
苔寺=西芳寺
参拝冥加料3,000円〜

075-391−3631
西芳寺は、暦応2年(1339)、藤原親秀が夢窓疎石を招いて再建した寺です。有名な西芳寺庭園は夢窓疎石の作庭。約120種の苔が境内を覆い、緑のじゅうたんを敷きつめたような美しさから苔寺とも呼ばれいます。史跡、特別名勝に指定されており、上下二段構えです。上の枯山水と、下は池泉回遊式で黄金池は「心」の字を描いている。拝観申込制。

申込方法:往復はがきに希望日、人数、代表者の指名・連絡先を明記の上、2ヶ月〜1週間前(必着)に申し込む
桂離宮
要予約
ネットまたははがき
桂離宮内写真 桂離宮は後陽成天皇の弟君・智仁親王が造営した八条宮家の別 荘です。京都の西の郊外を流れる桂川の西岸、急丹波街道に通じる桂川大橋を渡った北西にあります。桂川河畔に造営されたこの桂離宮は、桂川から水を引き、細流や苑池、大小の築山を気づいて人工的に自然景観を現出した、庭園様式としては最初に完成された廻遊式庭園です。 桂離宮は簡素を旨としながらも意匠を凝らした建築群と、深山幽谷、あるいは海辺や田園の風景を効果 的に配することによって、至上の美の空間を追求した庭園であり、人と自然がかかわりあう絶妙の間を具現した小宇宙だと、高く評価されています。
梅宮大社
400円

「酒解神・酒解子」(さけとけのかみ・さけとけのみこ)を主神とした、松尾大社と同様お酒の神をまつる神社です。もとは綴喜郡井手町にあった橘氏の氏神を平安遷都とともに現地に移したとされてます。嵯峨天皇の皇后が子供がないことを悲しみ、古くから伝わる2つの丸い石(またげ石)に祈願したところ、仁明天皇が生まれたという伝えから、子宝・安産の神社としても信仰を集めています。

月読神社
境内参拝自由
「延喜式神名帳(延喜5年「905」に編集)にもこの名があり、大社の格を有していました。祭神は月読命で、後に伊邪那岐、伊邪那美の2神を配祀したと社記にあります。鎌倉時代の始めに、源頼朝から神馬の献上があったとも伝えています。明治維新の折には、鳥羽伏見の戦いを避けるため、石清水八幡宮が一時遷座されご神宮が薬師堂に安置されました。この社殿は、明治26年(1893年)に建立されたものです。
松尾大社
庭園・宝物館大人500円

嵐山の南にある松尾大社は、渡来人秦氏が701年に一族の氏神として祀った氏社が起こりとされる。平安京遷都ののちは、王城鎮護の神として崇められた。松尾山を背景に室町時代に建造された松尾造りと呼ばれる本殿(重文)のほか、拝殿、釣殿などの社殿が建ち並び、古くから水の神、醸造の神とし信仰を集めていることから、酒造家から寄進された薦被りが並ぶ。

金閣寺
400円/9時〜17時
応永4年(1397)に将軍職を義持に譲った足利3代将軍義満が、西園寺公経の山荘の跡に「北山殿」と呼ぶ別邸を造って隠棲しました。応永15年義満が没するまで政治の中心となりますが、彼の死後、その子義持により禅刹に改められ、義満の法号にちなんで「鹿苑寺」と号するようになりました。
竜安寺りゅうあんじ
500円/8時〜17時
15個の石と白砂だけで形作られている。不要なものを省いた簡潔美の極致といえ、禅の精神の表現ともいわれている。また、訪れる人もこの石庭が計算され作られていることに気付く。しかし、はっきりした 作意については諸説があり、訪れる人が各々に解釈する楽しみもある。作者についても相阿弥との説があるが定かでないところが興味深い。この竜安寺は、宝徳2年(1450)に建立された禅寺。細川勝元が徳大寺家別荘を譲り受け禅寺とした。寺域内の鏡客池のまわりをめぐり景色を楽しむ人も多い。藤原時代の姿を残す弁天島や鏡客池に映る衣笠山の姿も美しい。  嵐電に乗って〜
渡月橋 仁明天皇の承和年間(834〜48年)の平安初期に道昌僧正が現在の渡月橋より二百米程上流の辺に橋を架けた。当時この橋を葛野橋とか法輪寺橋とも云われていた。当時この橋を天竜寺十景の一つに数えられ、橋は朱丹に塗られ東北河畔より嵐山一角の風光を眺望する、すぐれた景勝を展開していたのです。
それから四百数十年后、亀山上皇が月が渡るのをみて渡月橋と名付けられた。
当館より徒歩1分
嵐山公園 ガイドブックにはない、少しお得気分な、近場観光案内致しております。

お待ち致しております。

入館料などが変更している場合もございます。

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