三栖閘門(京都市)
江戸時代、大阪と京都の間の物流は、京都から角倉了以によって拓かれた高瀬川を通り、伏見を経て、淀川経由大阪に行く水運が主力であった。しかし、明治になり伏見で、淀川の河川工事があり、このため濠川と淀川の水位の差が大きくなった。そこで、1929年に完成したのが、三栖閘門である。
三栖閘門 2007年8月 F8
川は宇治川(淀川)で、この絵からも伏見の濠川との水位差がわかる。
三栖閘門ー2 2007年4月 F8
これは濠川側から描いたものです。閘門の役目は終わり、いまでは伏見をめぐる観光船の乗り場となっている。