パウンドケーキ

 

 

パウンドケーキは1700年代の初めに現れた。北ヨーロッパ発祥のお菓子である。アメリカではパウンドケーキ、イギリスではスポンジケーキ、フランスではカトルカール、ドイツでは
アイスヴェルクーヘンと呼ばれている。フランスとアメリカ以外の国では中にレモンピール、ドライフルーツ、スパイス、エッセンスを入れる。


                                    図省略


最も古いと思われるパウンドケーキのレシピは英国の1747年刊のハナ・グラッセ(Hanna Glasse ,1708/3-1770/9/1著)のアートオブクッカリーの中にある。そのレシピは;

 

バター1ポンドを手でクリーム状になるまで混ぜ、更に卵6個、卵黄6個を混ぜる。小麦粉1ポンド、砂糖1ポンド、キャラウエイシード少量入れて、手又は木のスプーンで1時間かき混ぜる。
バターを塗ったパン(焼型)に入れて強火のオーブンで
1時間焼く。きれいに洗ったカラントを1ポンド入れても良い。

 

手でバターを混ぜ、卵を入れた生地を手で混ぜるのは何故なのだろう?

という疑問があるだろうがその理由は後で述べる。

 

  その前に、このレシピよりも少し後の時代の、あの有名なイザベラ・ビートン夫人のレシピを取り上げる。

 

バター1ポンドをかき混ぜてクリーム状にする。小麦粉を1 1/4ポンド入れて混ぜる。砂糖1ポンド、カラント1ポンド、スライスしたピー ルの砂糖漬け2オンス、ゆでてチョップした
アーモンド
1/2オンス、好みでメイス1/2オンスをいっしょに混ぜる。卵9個を解きほぐして混ぜる。20分間混ぜて丸い型に入れる。底と横にバターを塗った紙を貼り付ける
、オーブンを熱して
1時間半から2時間焼く。カラントが底に沈むようであれば卵黄と卵白を別々に混ぜる。ワインを1グラス入れても良いが、入れなくてもおいしそうに見えるので
必ずしも入れる必要はない。

 

イザベラ・ビートンは1861年に出版した『ビートン夫人の家政読本』で、ヨーロッパでその名が知られた。18581861年に『家庭画報』で、毎月ファッション、保育、畜産、毒、
使用人の管理、科学、宗教について、いわゆる
料理と家政に関する記事を掲載した。産業革命により経済が成熟したイギリス帝国の絶頂期であるヴィクトリア朝に出版された
家庭運営書である。初年度に
60,000部が、1868年までに合計2,000,000部を売り上げた。


                        
                                  図省略

読者の対象は家庭内にハウスキーパーを置き、料理人、バトラー、ヴァレット、ハウスメイドなどの使用人を置くことのできる、ごく一部の年収1,5002,000ポンドの家庭である。
当時、家庭内にハウスキーパーを置く余裕のある家庭は中流上流~上流家庭に限り、大銀行家や大貿易商であったが、
1851年にロンドンで第一回万国博覧会を開くほどの右肩上がりの社会情勢の中で、
この料理書は飛ぶように売れた。

 

パウンドケーキのレシピはビートン夫人の時代になっても大きな変化は見られない。

1931年刊の ジョイ・オブ・クッキング ロンバウアー、ベッカー著 )では;

 

バターを1ポンドクリーム状に混ぜる。砂糖3カップを数回に分けて混ぜる。卵を8個入れ、薄力粉4カップ、塩1ts、ベーキングパウダー2ts、バニラエッセンス2ts、ミルク1カップ
ブランデー2Tbs又はローズウオーター8 )入れる。バターを塗った2つの( 99インチのパン又は4 1/28インチのローフパン )に入れて焼く1時間焼く。とある。

 

1970年刊の マスターリング・ディ・アート・オブ・フレンチクッキング(ジュリア・チャイルド、サイモン・ベック著)には;

3個、砂糖1カップ、卸したレモン又はオレンジの皮をボールに入れて2倍のかさになるまでハイスピードで45分混ぜる。篩った薄力粉6オンスをすばやく、さっくりと1520秒さっくりと混ぜる。ボールをスタンドから外してゴムベラで生地をまとめバターを塗り,粉を打ったパン(4つの81 1/2インチのカップパン)に入れて、350°F176℃ )で40分間焼く。

 

ジュリア・チャイルド著の“フレンチクッキング”でパウンドケーキは、カトルカール(Le quatre quarts) として紹介されており、副題にパウンドケーキ-イエローバターケーキという名が付いている。
彼女は、『このケーキには四つの材料;卵、砂糖、小麦粉、バターをそれぞれ
1/4パウンドずつ使うことからカトルカールのフランス名が付いていると述べ、イギリス人はあらゆることに“パウンド”
という言葉を使う。ケーキも
パウンドと呼び、しかもこの作り方を好む。それ故にフランスでいうカトルカールはイギリスのパウンドケーキである。』と述べている。ジュリア・チャイルドは
フランスで料理を学び、アメリカ人がフランス料理を簡単に作れるように尽力した。しかもジュリア・チャイルドの時代には、彼女と時を同じくして、フランス料理をアメリカに紹介した料理家が
大勢いた。フランスのカトルカールをアメリカに既にあったパウンドケーキとして紹介したのである。この時期にパウンドケーキを知った人達はパウンドケーキをカトルカールと思いこんでいる。

       

1796年にアメリカで初めて出版された料理書、アメリカン・クッカリィ(アメリア・サイモン著)に当時のパウンドケーキの様子が記されている。            

               

パウンドケーキ

              

砂糖1ポンド、バター1ポンド、小麦粉1ポンド、卵1ポンド又は卵10個、ローズウオーター140ml、 好みのスパイスを適量;弱火で15分間焼く。

 

              

                             図省略

 

 

American Cookery,” 1796 by Amelia Simmons.

 

ジュリア・チャイルドがフランスで教えを請うたオーギュスト・エスコフィエ著、1930年のガイド キュリナリエの中にカトルカールのレシピはない。


                             図省略

 

1900年頃からパウンドケーキの作り方が大きく代わったのは1891年にベーキングパウダーが売り出されたこととミキサーが使われるようなったことが大きく関わっている。手動式ハンドミキサーは
1870年に、電動式ハンドミキサーは1908年に発明された。ビートンの時代にはまだ手動式のミキサーもなかったのでひたすら手で混ぜていた。1919年にはスタンドミキサーが一般家庭に売り出され、1936年には軽量になってテーブルの上に置けるようになった。現在のパウンドケーキ(クラシック)のレシピは;

 

バター1ポンド、砂糖1ポンド、卵6個、卵黄6個、バニラエッセンス2ts、塩1ts、薄力粉(400g1ポンド)を順にスタンドミキサーのボールの中に入れて攪拌し、ローフパンに入れて焼く。
が基本になっている。しっかりと卵を泡立てることができるようになり、ベーキングパウダーは必要ではなくなり、卵の量も少なくてすむようになった。

 

ベーキングパウダー、電動ミキサーの発明は後のケーキ作りに大きな変化をもたらした

 

                                                                              

次に挙げるのは1954年に第一版が刊行された、東京ユニオンチャーチ婦人会編の料理書” Buy it and try it”である。

戦後の日本に進駐した進駐軍と共にキリスト教伝道の為にやってきたアメリカ夫人が出した料理書である。

アメリカ国内とは異なる食環境の中で、日本で手に入る材料を使って、できうる限り本来の味に近い料理を作ろうと

出版された。写真は1963年版である。第一回編集版は英文で195419591963年に、邦訳は195919611963年に3版ずつ出された。

 

バター1ポンド、砂糖1ポンド、卵6個、小麦粉4カップ、バニラエッセンス1ts

全ての材料を泡立てた卵の中に混ぜて粉を打ったパンに入れて325°Fで1時間焼く。


                                   図省略

 

             Buy It 'N Try It: Hints on Cooking and Living in Japan (Third English Edition) Spiral-bound – 1963

 

パウンドケーキの中に何も入れないレシピは主としてアメリカ経由のレシピである。

 

 

参考文献

Hanna Glasse, The Art of Cookery 1747

Ameria Simmon, American Cookery 1796

Buy it and try it 1963

Julia Child, Louisette Bertholle, Simone Beck, Mastering the Art of French Cooking 1979

Isabella Beeton, The Book of Household Management 1861