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2008年から5年間で二十数曲とは少ないのかどうなのかわかりませんが、それぞれに時を得た楽曲、メンバーそれぞれの躍動する心を歌い上げたものです。

LAF 楽曲名と創作年

2008年度

百鬼夜行
テンペスト
オン・ザ・ショアー
リトル・ブルー・スカイ
ブリージング
ラフ・スパイラル

2009年度

イン・ザ・アズール
ホーム
イン・ザ・クラウド
青の彼方

2010年度

Fのプレリュード
サンセット・ターミナル

2011年度

茜色の空
そぞろウォーク
百鬼夜行、夜叉

2012年度

アウト・オブ・ザ・ブルー
海風
ファイト
流転
希望
アフタヌーン・ブレイク
下弦の月
火の鳥
飛翔
以心伝心

2013年度

ありがとう
走馬燈
時間(とき)

2019年度

沁触
ロデム

井上衛さんが参加してくれた
2010夏のライブの模様のアメブロ記事

心に触れて沁み入る音楽を

LAF これまでの歩み

2009年の夏にLAFがビバラムジカのステージで演奏をはじめて4年半、曲を創りひたすらに演奏を繰り返してきた楽しい時間とともに、ほんとうにいろんなことが起こり試練として僕たちを励ましてくれました。
いろんな人との出合い、いろんな場所でのライブ、そして僕たち自身それぞれの葛藤と苦闘。今考えると、そのすべてがぼくたちを飛躍成長させ楽曲に反映しLAFの音となっている気がします。
実際には、2008年に杉浦くんが働いていた京屋さんという会社の大スペースで音を出し始めます。
最初はただただ好き勝手にセッションを楽しみ、バンドの方向や音楽性も何も、まったくおかまいなしでした。はたしてインストでライブが出来るとも考えてもいなかったというのが本音でした。
それから1年、数曲のオリジナルが出来、2009年の夏のライブまであと1週間というところでソロをとるサックスが抜け、いまのラフが始まることとなります。
ギターとベースがメロディーとアンサンブルを奏で、ジャンルもなく、ただただ何かしらのイメージを醸し出すだけの楽曲群。どのメンバーも今までやったことのない方法で、音楽を演奏しライブをやり始めるLAFの誕生となったのです。
ここまでのとっておきの思い出は、なんといってもリハーサル場所の素晴らしい音の響きです。
ちっちゃな講堂のような場所はまるで、あのアビーロードスタジオのような大きさ、そこで自由自在に絡まる音、高み極まる響き、今となってはそのすべてを耳や体全体で捉えていたように思います。
2010年の春、ここが使えなくなるまでのおよそ2年間の間、いま思えば空間を凌駕し、外へ外へと広がるLAFの音の根みたいなものを育んでくれた場所での素晴らしい時間でした。

2年目の2010年は、新たな場所でのライブを始めた年でした。
なんど工房という陶芸ギャラリーのような場所での、3回のパーティーライブ。
この年は大いなる出合いの年になります。

今は亡き井上衛さんと、現在療養中の光森英毅さんとの出合いです。杉浦くんと共に多くのバンドで活躍してこられた両氏。本来ベースの衛さんはギターで、そして光森さんはキーボードでLAFの音楽を理解し加勢してくれました。
素晴らしい音の場所の次は、素晴らしいひととのコラボレーションから多くを学べた年、2010年はそんな精神性を育んだ年でした。

明けて2011年、あの東北の震災が起こった年は僕たちに出来る何かを探した年だった気がします。
僕たちのホームともいえる北白川にあるビバラムジカというライブハウスと飛び出し、いろんなところでのライブも演ってみたいと、この年はあの捨得にも出ようという目標も叶え、光森さんのキーボードとどこまで絡めるかみたいな、わりと静かな年だった気がします。
まだ静かな曲が多かったLAFですが、被災した人に届けとばかりに演奏していた年でした。

ここまで2年間ほど経ち、ライブで自分たちが聴くひとに届けたいものがどんなものなのか、ということが朧げに見え始めてきた時期でもありました。また唯一無二の音を担当して3人だけの音を作り上げる責任とその困難さを痛感する中、それぞれが葛藤の闘いを続けていました。
一見静かな年にみえたこの2011年ですが、いまとなってみて、個々が目には見えない大きな成長を遂げた年でもあったのです。

2012年はそれまでの憂鬱を振り払うかのように大きな賭けにでます。
初夏6月のライブを皮切りに、月1でライブをする。しかも毎回新曲を伴って演ろうと決めたことです。いまもはっきり覚えているその日のことは、言ってはみたものの、頑張ろう!という意思表示が大事だということで、まぁ皆で勢い立ったという程度のことでした。
それから半年余り、12月納めの6回目のライブまでに11曲を創り演奏したことは誰よりも自分たちが1番驚いた結果となりました。
それまでの4年間で14曲だったのが、半年余りでほぼ倍増したわけで、LAFとしても新たな新境地的な楽曲の登場もみたわけです。世間的によくいうところの、限界を決めているのは自分自身という言葉がありますが、文字通りそのことを痛感し大きく歩を進められた心地良さに胸を張ったものでした。

はじめのころ、自分たちにとってどんなライブが理想的なのかと語り合ったとき、その時期や気候もさることながら、演る場所の印象を鑑み楽曲を選び、見てくれてる人たちの心に届けたい。
そして聴くひとそれぞれの喜怒哀楽の感覚を呼び覚ましたいというのがあって、インストだからこそ出来る、聴くひとの心象とのコラボレーションが願いでもありました。

そんな2012年は、またいろんな場所でのライブと素敵な人との出合いもありました。
ライブハウスを飛び出し、商店街での演奏や歌い手さんとのコラボなど、いつも同じ曲を同じ音量で演るのではなく、その場所に合わせたりカバーやセッションなど、いつものLAFとは違うことを演るなかで、逆にどこで何を演奏してもLAFなんだと教えられ学べた年になりました。
2013年もそれは続きますが、きっと、いままで僕たちが真摯に音に対し、イメージ豊かに演りたいと志してきたこと、そして一緒に音を出す人を3人の中に取り込もうとする思いが、演るひとを駆り立て、聴くひとにまで届く結果となっているのだと思います。

2013年はそんなたくさんの人たちとのコラボレーションで始まりました。
まったくジャンルの違うひとから、昔から僕たちを見聴きしてくれたひと、そしてもう一度音楽をと立ち上がったひと。はじめの頃、誰とでもコラボレーション出来るバンドになろう!との思いがまたひとつ叶うこととなりました。

2013年は忘れられないことも起こりました。井上衛さんが亡くなられたことです。
LAFの恩師でもありベースの岩田淳の師匠、そしてドラム、杉浦くんの盟友だった衛さん。
11月の捨得での追悼ライブでは、最後に参加したバンドとして感謝と追悼を心のかぎり音に尽くしました。居並ぶ大先輩の前での演奏でしたが、ただただその場にいる不思議と、自分たちの音の響きを誇らしく思えたことが最大の出来事としてこの先忘れることのない原点になった気がします。

LAFが始まって4年余り、僕たちが出合い育んできたひととの絆や思い、そしてそのなかで創り上げてきた曲の数々。その年々に掛け替えのない素晴らしいものを手に入れながらやってこれたのも、ただただ笑顔がみたい笑顔でいたいという思いであり、なによりも、心を解き放ち開き交わるための音楽が演りたいというのがLAF(laughの俗語)の願いです。

これからも新たな人との出合いに心を躍らせ、それに呼応した楽曲を創りながら、一歩一歩進んでいきたいと思います。


今はもう無いLAF発祥の地、LAFの音世界を育んでくれたルーツ的空間でした。
.... again from the beginning



2012年の7月、桑名正博さんと同じ病気で倒れた療養中の三森英毅さん、奇跡的に回復してリハビリ中だったのですが、2018年の7月に永眠しました。 もういちど一緒に演奏をと頑張っていただけに本当に残念ですが、井上衛さんと共に僕たちLAFの音の中で生き続ける大切なメンバーです。


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