謎の乃木さんのしりとり歌

若い人ならいざ知らず、ある程度の年齢以上の日本人なら誰でも知っている歌であるにも関わらず、 いったい誰が作者なのか、本当の歌詞は何んなのか誰も知らないという謎の俗謡である。

とは言へ全く何の手掛かりもないかと言ふと左様でもなく、日本全国津々浦々で様々な節回しがあるが、 大概は日清・日露戦争が題材となっているのでそれ以降の作であることは間違ひない。

歌詞は大別して「陸軍の…」で始まる歌と、「日本の…」で始まる歌があるが、「陸軍の…」 で始まる歌の方が古いと思われ内容も短い。「…金の玉」迄は、ほぼ歌詞は同じだが、 人から人へ伝播する過程で、歌詞が変わり尾ひれがつき、長文に変化したやうであるが、 一番末尾の言葉が初発の文言に循環する構成はいづれも同じである。
「…金の玉」から「マカローフ(豆どうふ)」に進む歌は「ふんどし」につながる傾向が強く「タカジャッポ」 など字義未詳のものへ進み、「…陸軍の」へつながることが多い。 「負けて逃げるはチャンチャン坊」に進む場合は必ず「棒で叩くは犬殺し」につながり「シベリヤ鉄道」と 「バルチク艦隊」が登場し「…日本の」へつながることが多いと言ふ傾向がある。 しかし実際には両者の混在したものも多数ある。

当時の世相を反映した俗謡で、元々日露戦争直後長州(山口県下関市)あたりで歌われたものが、 全国に伝播したものらしい。Bの如く(歌詞の長いもの)は意図的かバルッチク艦隊撃破 に貢献した海軍の内容を加へ「陸軍の」という歌詞を削り「日本の」という歌詞に転換されている。 Gに至っては、歌詞が長く伸びたにも関わらず文脈は意味不明で、より謎めいたものに変化している。 また歌詞中には近代にそぐわない文言が散見する場合もあるが、 当時の文化を知る上でありのまま抄録したものであるゆへ、その段を平に平にご容赦願ひたい。



@「陸軍の乃木さんが凱旋1)す、雀、目白、ロシヤ、野蛮國2)、 クロパトキン3)、金の玉。マカローフ4)、ふんどし締めた、 高ジャッポ(帽子)。ポン屋売り、陸軍の…」


A「陸軍の乃木さんが凱旋す、雀、目白、ロシヤ、野蛮國、クラボトキン、金ダルマ。まーわーし締めた、 高シャボン。盆参り、陸軍の…」


B「陸軍の乃木さんが凱旋す、雀、目白、ロシヤ、野蛮國、クロパトキン、金の玉。 負けて逃げるはチャンチャン坊、棒で叩くは犬殺し、シベリヤ鉄道あるけれど、 土瓶の口から湯気吐けば、バルチク艦隊逃げてゆく、國を守るは陸軍の…」


C「陸軍の乃木様が凱旋す。進め、目指せ、千里の陸路。ロシヤ、ヤポンスク、クロパトキン、金の弾。 負けて逃げゆくチャンチャン坊。棒で叩くは犬殺し。シベリヤ鉄道長かれど、ドドンと大砲(おほづつ)火を吹かば、 バルチク艦隊壊滅し、死んで海底(みなも)に沈みたり…。陸軍の…」


D「日本の乃木さんが凱旋す、雀、目白、ロシヤ、野蛮國、クロパトキン、金の玉。 たまげて逃げるはチャンチャン坊5)、棒で叩けば犬殺し6)。 シベリヤ鉄道長けれど、土人の國まで撃ちませば7)、バルチク艦隊沈没し、 死んでも守るは日本の…8)


E「日本の乃木さんが凱旋す、雀、目白、ロシヤ、野蛮國、黒鳩金9)、金の玉。 真っ黒け、ケツのふんどし締めました。高シャッポ(帽子)。ポンヤラヤ、野砲兵、兵隊さん。 三勇士。シベリヤ鉄道遠ければ、婆さま御歳(おんとし)八十二。日本の…」


F「日本の乃木さんが凱旋す、雀、目白、ロシヤ、野蛮國、黒畠(くろばたけ)、剣の玉。 負けてたまげるチャンチャン坊、棒で殴るは犬殺し。シベリヤ鉄道ないけれど、土民の口から吐き出せば、 バルチク艦隊撃沈し、島津の殿様十文字。地獄の沙汰も金次第、いつもの店賃払う日に、 二階の窓から逃げようか、火事場のおっさん熱かろに。日本の…」


G「日本の乃木さんが合戦10)す、雀、目白、ロシヤ、野蛮國、栗畑、剣の束。番頭さん、 三遍廻って煙草の火。火の玉。たまげて逃げてくチャンチャン坊。棒でどつけば犬殺し。 シベリヤ鉄道ないけれど、ドボンと肥溜め落ちたれば、ばあ様拝んで往生し、死んで御陀佛(おだぶつ)八十二。日本の…」


H「日本の乃木さんが凱旋す、雀、目白、ロシヤ、野蛮國、クロパトキン、金の玉。 負けて逃げるはチャンチャン坊、棒で叩くは犬殺し。シベリア鉄道長けれど、 土瓶の口から沸き立てば、バルチク艦隊全滅し、死んでも命があるように。日本の…」


I「(雀から始まる)雀、目白、ロシヤ、ヤボンコク、クラボトキン、金の玉。 負けて逃げてくチャンチャン坊、棒で叩くは犬殺し。シベリア鉄道長ければ、バルチク艦隊全滅し、 死んでも立派な、日本の乃木さんが凱旋す、雀…」


J「日本の乃木さんが凱旋す、雀、目白、ロシヤ、野蛮國、クロパトキン、金の玉。 負けて逃げたるチャンチャン坊、棒で叩くは犬殺し。シベリヤ鉄道あったれど、 土瓶の口から火を噴けば、バルチク艦隊惨敗し、島津の殿様十文字。 爺さんあの時八十二。日本の…」


K「日本の乃木さんが凱旋す、雀、目白、ロシヤ、野蛮國、クロパトキン、金の玉。 負けて逃げゆくチャンチャン坊、棒で殴るは犬殺し。シベリヤ鉄道長ければ、 バルチク艦隊降参し、島津の御紋は十文字。地獄の火の池熱かろに。日本の…」



1)日露戦争後の乃木希典大将の凱旋を歌ったもの。
2)空想上の国名。
3)「アレクセイ・ニコラヴィッチ・クロパトキン Kuropatkin, Alexei Nikolaevich(1848-1925)」は、 帝政ロシアの軍人。陸軍大臣。日露戦争時のロシア満州軍総司令官の名前。
4)「ステパン・オーシポヴィチ・マカローフ Stepan Osipovich Makarov(1848-1904)」は、 帝政ロシアの軍人。中将。日露戦争時のロシア旅順艦隊司令官。 明治37年(1904)4月13日旅順攻防を巡って東郷平八郎率いる日本艦隊と戦い、マカローフ提督の乗っていた 「ペトロハバロフスク号」が日本軍の機雷に触れて沈没し、マカローフ提督以下500人のロシア兵士が戦死した。 「マカローフ」を「豆どうふ」と歌う場合もあるが、「マカローフ」という人名が訛り、字義が未詳となって 「豆どうふ」となったものと思われる。
5)「たまげて逃ぐるはチャンチャン坊」と言う場合もある。日清戦争のことを、揶揄したものか。
6)狂犬病対策として、犬を捕まえる仕事を差す。
7)「土瓶の口が、沸き出せば…」と歌う場合もある。
8)「死んでも死な無い日本の…」や「死んでも命があるように。日本の…」と歌う場合もある。 「死んでも命が…」とは自己矛盾した言葉だが、循環するしりとり歌と同様に輪廻転生を表しているとの説もある。
9)ロシア軍人「クロパトキン」を「黒鳩金」と宛字するのは、当時の大山巌の日記に既にあり。 「黒箒(くろばたき、くろホウキ)」と訛る歌詞もある。
10)「合戦す…」とは、おそらく「凱旋す…」の訊き違いであろう。