【長谷川英信流伝系図】

【始祖】林崎甚助源重信  【派祖】長谷川主税助英信

【世系】始祖・林崎甚助源重信、天文12年(1543)に生まる。出羽國の人にて、刀剣の術は神霊の宿りたるが 如き妙技なり。彼詠みて云ふ「千早振る神の勲功我受けて、萬代迄も傳へ殘さむ」と。 第二代田宮平兵衛業正は、田宮流居合の開祖と成り、第三代長野無樂入道槿露齋は、無樂流居合の開祖となれり。 第四代百々軍兵衛光重が繼ぎ、第五代蟻川正左衛門宗續が繼げり。蟻川宗續の技を第六代萬野團右衛門尉信定が 跡を繼げり。 派祖長谷川主税助英信は、200石取の讃岐藩士たりしが、寛永17年(1640)生駒騒動により浪人となり、 在府して宗家第6代・萬野團右衛門尉信定の業を會得して、第7代宗家を繼承せり。 抑も長谷川氏は、伊勢長谷川城の主たりとて氏とす。中古より尾張國一宮に住し織田右府、 次で豊太閤の家臣たりて朝鮮征伐両度出陣せる勇士なり。 長谷川英信、その技古今に冠絶し精妙神技を以て始祖以來の達人たれば、古傳の技に独創を加へて改善するに、 大成せば、以來この流派を無雙直傳英信流と云ふ。第八代・荒井勢哲清信は信州へ分派す。

【歴史】 第九代・林六太夫守政は、もと大森流の剣士・大森六郎左衛門正光に學ぶも後、 荒井勢哲に長谷川流を學ぶ。故に茲に大森流、長谷川流合致して大成するに、土佐藩主これを見て この技を他國へ流出するを禁じ「御留流」とて庇護す。即ち秘傳として江戸で道場を開くを禁じ、 国許に召して藩士に傳ふ。第十一代大黒元右衛門清勝の弟子猛者二人有り。 一曰く林益之丞政誠、次曰く松吉貞助久盛と。林政誠宗家を繼て技を傳ふ。これ今、無雙直傳英信流と云ふ又谷村派とも云へり。 松吉久盛も猛者たれば、技を繼ぐにこれ今、無雙神傳英信流と云ふ。 久盛の傳系より幕末に下村茂市定政あり。技に秀で山内容堂の御意に叶ふ處、藩校致道館で之を教授す。故にこれを下村派と云ふ。 板垣退助、山内容堂の御用人たれば之を會得す。然れど、當時谷村派、下村派に形の差異は殆ど有らず。 退助祖母の弟は、宗流第十五代谷村亀之丞自雄(谷村派)なり。 退助初妻・林益之丞政護妹なりしが、英信流の傳系第十二代に林益之丞政誠の名を見ゆるが如く、彼も谷村派の使ひ手なり。

然れど、明治維新以降「廃刀令」あらば、剣道及び居合は衰微の危機にあれり。 時に明治25、6年頃、大日本武コ會創設前にて、殊に真剣を打振う居合の如き武道は 五藤孫兵衛正亮(谷村派)、谷村樵夫自庸(谷村派)、細川善馬義昌(下村派)等の 達人ありて此技を繼承したると雖も、萎微沈滞して殆ど之を執心修業せんとする者は無く、 又、之等の先生も偏へに餘技として死蔵せるに止り、或は神職として、或は政界の人として時勢に 從ひたるのみ。

即ち明治26年(1893)、板垣伯の盡力に依て、高知市新堀(材木町)にありし竹村與右衛門氏邸内に道場「武學館」が建設せられ、 五藤正亮先生が居合の師として聘せられ、教授の任に当られたり。夫れが因となり五藤先生は当時の第一中学校 (現 高知城東中學校)の校長にして居合を好む澁谷寛といふ人に委嘱せられて後、同校の居合教師となり、 尚、他中學校にも招聘せらるゝ事となれり。

明治31年(1898)、五藤先生の歿せらるゝや、谷村樵夫先生が之に代り、同36年(1903)、谷村先生の歿後、 大江正路先生が之に代はらるゝ事となれり。大江正路先生はもと下村派に學びたるも衰退の事を憂ひ 谷村派を學んで、無雙直傳英信流第十七代宗家を継承し、口傳で各々に傳承せられたる技を整理し、 今の無雙直傳英信流の形(初傳11本、中傳10本、奥傳21本)に纏められたると。

暫時高知縣に於いて五藤、谷村、大江の三先生に依りて居合の命脈を繼ぎたりしも、殆ど伝授者も中學卒業者に 限られていた如くにして、換言すらば中學生によって居合が保持されたるかの観あり。 縣外よりは第一人者たる中山博道先生も此の五藤先生の門下たる森本兔久身(谷村派)先生に手解を受けられ、 更に細川先生に就て修得されたり。尤も細川先生は高知縣内では殆ど教授せられず、 當時衆議院議員として滞京中、板垣伯の斡旋にて中山博道先生に傳授せらるゝに至りし。

爾来、中央に在りては中山博道先生、高知縣下に在りては大江正路先生の盡力に依りて此の居合が漸次全國的に 普及進展し、今日の隆昌を見るに至れると。危機を救ふて此の基礎を固めて呉れた恩は板垣伯にあり。 實に板垣退助伯は、舌端火を吐いて「自由民権」を提唱され、高知縣をして「自由」發祥の地たらしめられたが、 更に不言黙々の裡に此の居合を廣く世に紹介し、高知縣をして、又此の居合は「自由の神」としての板垣伯を 知る人に尚此の土佐居合の恩人たるは板垣伯に有る事を忘却しては成らずと。


   ∴林崎数馬
(59)重康(  -  )
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   |@林崎甚助
(60)重信(1543-1617)
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   |A田宮平兵衛業正
  業正(  -  )田宮流開祖
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(61) |B長野無樂入道
  槿露齋(  -  )無樂流開祖
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   |C百々軍兵衛
  光重(  -  )
(62) |
   |D蟻川正左衛門
  宗續(  -  )
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   |E萬野團右衛門尉
(63)信定(  -  )
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   |F長谷川主税助
  英信(  -1719)讃岐藩士
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(64) |G荒井勢哲
  清信(  -  )
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   |H林六太夫
(65)守政(1675-1732)
   |土佐藩士
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   |I林安太夫
(66)政翻(1702-1776)
   |土佐藩士
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   |J大黒元右衛門
(67)清勝(1742-1790)
   |土佐藩士
   +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+
   |(谷村派)  +―+      +―+                          |(下村派)
   |K林益之丞 | |L依田萬蔵 | |M林弥太夫                     |12松吉貞助
(68)政誠(1779-1815)| 敬勝(  -1809)| 政敬(1785-1823)                    久盛(  -1822)
   |土佐藩士  | |土佐藩士  | |土佐藩士                      |土佐藩士
   +――――――+ +――――――+ |                          |
                     |N谷村亀之丞                    |13山川久蔵
(69)                  自雄(  -1862)                    幸雅(  -1848)
                     |土佐藩士                      |土佐藩士
                     +―――――――――――――――――+        |
                     |O五藤孫兵衛           |楠目繁次    |14下村茂市
(70)                  正亮(  -1898)           成榮(  -  )  定政(1826-1877)
                     |土佐藩士             |        |土佐藩士
                     +――――――――+        |        |
                     |P大江子敬   |森本兔久身   |谷村樵一郎(樵夫)|15細川善馬
(71)                  正路(1852-1927)  兔久身(  -  ) 自庸(  -1903)  義昌(1849-1923)
                     |蘆洲      |                 |衆議院議員
   +――――――+ +――――――+ |        |                 +――――――――+
   |S河野百錬 | |R福井鉄骨 | |Q穂岐山    |中山               |16植田平太郎  |中山
(72) 稔 (1898-1974)| 春政(1884-1971)| 波雄(1891-1935)  博道(1872-1958)           竹生(1877-1949)  博道(1872-1958)
   |      | |      | |        ↓                 |        ↓
   |      +―+      +―+                          |
   |21福井聖山                                       |17尾形貫心
(73)虎雄(1915-2000)                                      郷一(  -  )
   |                                            ↓
   |
   |22池田聖昂
(74) 隆 (  -  )
   ↓


『無雙直傳英信流傳系譜』
『無雙神傳英信流傳系譜』
『御侍中先祖書系圖牒』旧土佐藩主 山内侯所蔵(高知縣立圖書館寄託文書)
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