孝靈天皇
Emperor Korei
(B.C.342-B.C.215)


孝靈天皇は、人皇第七代なり。人皇第六代孝安天皇の太子にして、御諱は大日本彦瓊尊。漢謚号を孝靈天皇と云ふ。 御母は天照彦國照彦押人娘 押媛君なり。

帝は、大和國黒田盧戸之宮に座して、御年十六歳にして皇太子に立ち、五十三歳にして即位す。
太歳辛未の年に細媛を立てゝ皇后と爲さしめ、在位七拾六年(BC215)の春三月に崩御す。壽百二十八歳なり。人皇八代孝安天皇六年九月、大和國片丘馬坂之陵に葬るなり。

本朝通鑑に曰ふ「帝之五年、近江國地折湖水G、同時駿河國地燃て富士山現る」と。
また大日本史に曰ふ「帝之七十二年、秦の人 徐福なる者が來て「私は『長生不死之藥』を求めて來た遣ひである。秦始皇帝より『三皇五帝之書』を大日本帝に献らん」と。
天皇は常に「大山積神」を信ず。これ「三嶋明神」なり。天皇は之を始め大和國に祭り、のちに神託を受けて第三皇子の彦狭嶋命に勅し、「汝、伊豫國に下向して、令しく大山積の神を祭れ」と。即ちこれ今の「三嶋大明神」の起源なり。


譜云「帝、大和國黒田盧戸之宮座、御年十六歳而皇太子立。五十三歳即位。太歳辛未、細媛立而爲皇后。在位七拾六年春三月崩御。壽百二十八歳。人皇八代孝安天皇六年九月、大和國葬片丘馬坂之陵也。本朝通鑑曰『帝之五年、近江國地折湖水G。同時、駿河國地燃而現富士山』。大日本史曰「帝之七十二年、秦人徐福、求而來『長生不死之藥』而秦始皇帝『五帝三王之書』贈大日本帝也。天皇、常大山積神信。是『三嶋明神』也。始、大和國於祭。後、同神託而、第三皇子勅彦狭嶋命而下伊豫國令祭大山積神是即『三嶋大明神』也」

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