勝龍寺城
所 在 地 | 京都府長岡京市勝龍寺 | 別 名 | ― |
遺 構 | 櫓(摸擬)、堀、石垣(いずれも再建) | 形 式 | 平城 |
築 城 者 | 細川頼春 | 築 城 年 | 暦応2年(1339) |
歴 史 | 勝龍寺城は、暦応2年(1339)に、細川頼春により築かれた。 応仁・文明の乱(1467〜1477)に際して、西軍・畠山義就の拠点となる。 明応6年(1497)、細川元有が、城を再建する。 戦国時代、松永久秀、三好三人衆の岩成友道が城主となる。 |
永禄11年(1568)、織田信長は、足利義昭を奉じて上洛し、岩成友道が籠る勝龍寺城を攻め、細川藤孝が入城する。 天正8年(1580)、細川氏は、丹波宮津城に移る。 天正10年(1582)、本能寺の変の後の、山崎の合戦に際して、明智光秀が本拠を置くが、落城する。 寛永10年(1633)、永井直清が入城する。 慶安2年(1649)、永井氏は摂津高槻に転封し、以後廃城になる。 |
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歴 代 城 主 | 細川氏、松永久秀、岩成友道、細川(長岡)藤孝、永井直清 |
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模擬隅櫓と模擬城壁 | 模擬櫓(資料館) コンクリート製 | |
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北門跡 | 沼田丸への通路 |
城の中心部は、本丸と、沼田丸とに分かれ、外郭施設として、城の北側を守るための土塁跡や、空堀跡が残る。 現在、本丸跡が、模擬城壁で囲まれた日本庭園風の公園として整備されている。 |