「友達は神様」

彼女は静かに眠っていた。
花に囲まれて静かに眠っていた。
誰かが「ゆかちゃん冷たい」と言わなければ
また起きてきそうなほどだった。
けれど、二度と起きることはない。
彼女は神様になったからだ。

26日、ワタシと友達はカニを食べに
天橋立まで行っていた。
神社で「身代わり御守」を買って
彼女へのお土産とした。
御守が意識が戻らない彼女の身代わりになってくれるなら…
口には出さなかったけれど
友達もワタシもそう切に願っていた。
27日、大阪に戻ってきて
梅田で友達と別れた。
友達と別れて、三十分ほどしてから
彼女の名前でメールが入った。
タイトルが明るそうな感じだったから
よくなったんじゃないか…と思った。
でも、次には奈落に突き落とされた感覚だった。
彼女が亡くなったという。
メールを何度も見直したけど
何度見ても同じ事しか書いていない。
全身の力が抜けるというのはこういう事か。
すぐに別れた友達に電話をかけた。
二度かけたけれど、出なかった。
「お姉さんのメール、みた?」
メールを送った。
ぼーっとしながら、北新地まで歩いた。
その間も何度もメールを見た。
冗談でしょう?そうに決まっている。
そうでなければ困る。
そう思う気持ちに反して勝手に涙が出る。
駅の手前で立ち止まって一人涙を拭いた。
何人も振り返る人がいた。
そんなことはどうでもよかった。
彼女がいなくなってしまった。

歩きながら、お姉さんに返事をした。
「何て言ったらいいか…もしよかったらお葬式には出席させてください」
そう返した。
他の友達は何て返していいか分からないと言っていたのに
一言目にこんな事を言えるワタシは冷静すぎるのかもしれない。
頭と心がバラバラなくせに、とても冷静に考えた。
私たちは何もしていない。
もし家族だけでお葬式を出すことになってしまったら
私たちは二度と彼女に会うことは許されない。
意思表明をしておかなければならない。
何としても私たちは彼女に会っておかなければならない。
そう思った。
お姉さんが「ありがとう、ゆかちゃんきっと喜ぶと思います。
にぎやかに送ってあげてください」と返してくれた。
「みんなで行かせていただきます。
大勢でおしかける事になると思いますがよろしくお願いします。」
頭でいろんな事がグルグル回った。
友達十人に連絡して、大学関係に連絡して…
考えれば考えるほど、泣きそうになる。
我慢しなければ。やることをしなければ。
先日容態急変の連絡をしてくれた友達に
今後のことを話したいから、仕事が終わり次第連絡をしてほしいとメールをして
さっき別れた友達と家に帰ってから連絡を取り合うことを確認した。
「焦っても仕方ないし、家に帰ってから連絡しよう」
自分に言い聞かせた言葉だった。
最寄り駅までの電車の車窓からは
重苦しい冬の雲間から光がこぼれていた。
もうすぐ最寄り駅だというのに体が動かない。
何とか立ち上がって、ドアに映った自分の顔を見た。
目には涙が、顔からは気がなくなっていた。

家に着いて、部屋に上がってソファに座った瞬間に涙が溢れ出た。
私たちは何をしていたのだろう。
少なくともワタシは彼女が入院していたことを
去年の年末から知っていた。
一番近くに住んでいる友達が「元気やねんで、大丈夫やねん。」
という言葉をバカみたいに鵜呑みにしていた。
彼女自身が友達にはまだ知らせないでほしいと希望していたから
私たちは彼女がいいというまで本当に何もしなかった。
手紙の一つも書かなかった。
お姉さんから年賀状の返事でこの入院の事を知らされたときも
無神経にまたみんなでご飯を食べに行こうと伝えてほしいと言った。
彼女の怪我はそんな簡単なものじゃなかったのに。
少し調べれば、首の骨を折ったと言うことがどういう事か分かったはずなのに。
そんなことさえしなかった。
そんな自分が医療関係者なんて大バカとしかいいようがない。
他の友達は分かっていた。
首の骨を折れば、体に麻痺が出る。
車椅子生活は免れない。
元気にご飯なんてなかなか行けるものではない。
彼女が意識不明になって、どんなにか自分を恥じただろう。
でも、彼女が実際に聞けば、きっと笑って許すだろう。
彼女はそんな子だ。

彼女とは大学に入学してすぐに友達になった。
一緒にカニを食べに行った友達が、お昼を一緒に食べようと連れてきた子だった。
気がつけば仲良しグループになっていた。
ワタシは昔から性格がはっきりしていて
キツイ物言いでカナリ無神経な人間だから
たくさん彼女の心を傷つけた。
悪戯が過ぎて、彼女を怒らせてしまったことがある。
あんなに温厚な彼女を怒らせたのはきっとワタシだけだろう。
必死で泣いて謝った。
彼女も泣いて許してくれた。
その後も確か彼女に不快な思いをさせて
友達に怒られたことがある。
その友達にもっときつく自分の言い分を言って、その友達も怒らせた。
あの時その後はどうなったんだろう。
もう思い出せない。
けれど、彼女はその度に至らないワタシを許してきた。
写真を見れば、彼女は必ずワタシの横で笑っている。
お通夜の席でも、たった一度しか会っていないお母さんがワタシを覚えていた。
手を握って「まいさん」と言ってくれる。
彼女が写真を見せながら、ワタシの話をしていたのだ。
ワタシは彼女に何をしてあげたんだろう?

彼女のお通夜は一日おいてからになった。
ワタシは最初に色々言いながら
後は全て別の友達にまかせてばかりだった。
自分が出来たことは、何人かの友達に連絡することと
彼女のゼミの友達を見つけ出すこと
連絡した方がいい人をあげるだけだった。
お通夜までの間に、本当にいろんなところに友達が連絡してくれた。
後で聞けば、みんな彼女の名前をすぐ思い出してくれたという。
彼女の人徳だと後で話していた。
お通夜までの一日、ワタシは着々と準備を進めていた。
香典袋を買う、黒いストッキングを買う。
喪服を出す、白いシャツにアイロンをかける。
その度に自分は何をしているんだろう?と思う。
彼女が死んでしまったなんて分からない。
けれども彼女を送る準備をしている。
目を閉じたままの彼女を想像してみる。
悪い冗談だ。あり得るはずがない。
そんな事を何十回も思いながら
一つ一つ準備をしていた。
メールを見直してみる。
やっぱり、亡くなったって書いてある…

お通夜の日は仕事を早く抜けさせてもらった。
前の日もお通夜の日もうまく歩けなかった。
通勤ラッシュの中をトロトロ歩いて、
何回か人にぶつかられた。
自分ではしっかり歩いているつもりなのに。
一度家に帰って、喪服に着替えた。
何で黒いストッキングを履いているんだろう。
何で黒いスーツを着ているんだろう。
自分は今からどこに行くんだろう。
頭ではよく分かっている。
自分は今から草津に行って友達のお通夜に参列する。
家を出て、京都方面に向かっているけれど
何度頭でお通夜だと思っても
やっぱり自分は今からどこに行くんだろうと思ってしまう。
乗れば電車は勝手に草津までワタシを運ぶ。
草津に近づけば近づくほど、胸が苦しくなる。
もうすぐそこに彼女がいる。
滋賀は冷たすぎる雨がこれでもかというくらい降っていた。

駅に着いたら、一人友達が待っていた。
一人二人と友達が増える。
サークルの先輩後輩も集まっている。
本当にたくさん集まってくれている。
にぎやかに送ってあげられること、それだけはうれしかった。
葬儀場に着いたら、もう会場に入りきれないくらいたくさんの人がいた。
あの人もこの人も彼女のために集まってくれている。
こんな事で集まるのでなければ
本当に楽しく色々話せるだろうに。
私たち友人一同は会場の端の方に座らせてもらった。
遺影は見えない。
ただ、会場を示す「故」とついた彼女の名前が書かれた張り紙が見える。
彼女の通夜・告別式は神式だった。
神式ではいろんな事をみんなが分かる言葉で神となった彼女に奉る。
神主の格好をした人がこんなような事を言っていた。

彼女がいなくなった事はみんな夢と思いたい。
けれど夢のような現実だ。
現実だとは分かっていても夢だと思ってしまう。
しかし現実だから別れを告げなければならない。

何てうまいこと言うんだろう。
ワタシの気持ちを知っているのか。
それとも亡くなった人を見送る人はみんなそう思うのか。
そんなことを思っている間に
自分たちが彼女に玉串を捧げる順番がやってきた。
あぁ彼女は神様になったんだ。
すぐに神様になれたんだ。
仏式だったら、49日は色々な世界を歩き続けなければならない。
ろうそくの火を頼りに、歩き続けるのはつらいと思っていた。
でも彼女は神様になった。
辛い旅路を歩まなくてもよいのだ。

彼女の顔を見せてもらえることになった。
本当に寝ているみたいだ。
きれいに化粧もしている。
顔もあまりやつれた様子もない。
いつもと変わらない様子だ。
ただ、思いの外小さな箱の中に納まっていることだけが違う。
お母さんが最後の様子を教えてくれた。
本当に辛かった時期が何回も訪れたと。
けれどその度に彼女は乗り越えて
その度に元気になったと。
もうそろそろ友達にも会いたいと言っていたそうだ。
でもあと一週間くらいしたら連絡しようか、と言っていたら
こんな事になってしまった。
お母さんも悔やんでいた。
私たちも悔やんでいた。
お母さんは何度も私たちに謝った。
こんな事でみんなを集めてしまったと。
本当にびっくりさせてしまってごめんなさいねと。
お母さんが明るく話すから
私たちの方が励まされてしまった。

この日は友達の家に泊めてもらった。
最初に連絡を取り合った、一番近くに住む友達のところに
一緒にカニを食べに行った友達と一緒にお世話になった。
車で友達の家に向かいながら思い出話をした。
無理矢理思い出話に花を咲かせたみたいだった。
いつも彼女は私たちを困らせた。
彼女はいつも大学に提出するレポートが期限ぎりぎりまでできない。
ぎりぎりなんてもんじゃない。
提出期限の時間と同時に事務室に駆け込んで
「何とか出せたぁ〜」って言う。
みんなで「もう、何でもっとはよやれへんの!」って叱っても
「ゴメンな〜」って言われるとみんなそれ以上は叱らなかった。
一緒に泊まれば、寝相が悪くて
いつも誰か蹴られたり殴られたり、布団を取られたりしてた。
朝起きたらみんな文句を浴びせる。
またいつもの顔で「ゴメンな〜」って言う。
おいしいものを見つけると顔が勝手にゆがんできたり
人が食べてるものを物欲しそうに眺めたりして
「んじゃ…食べる?」って人に言わせては
「いいよ」って言うくせに、また眺めるから
結局みんな彼女のペースにはまってしまう。
そんな事ばっかり話しながら、車を走らせた。
車を運転している友達が、泣いているみたいに笑っていた。
夜も弔辞を考えながら、脱線しては思い出ばかり話していた。
勝手にそうなってしまうのもあるけれど
別れの言葉なんて、この三人じゃとても考えられそうになかったからかもしれない。
結局大して言葉も決まらないまま、寝てしまった。
明日には彼女の体は消えて亡くなる。
そんなことを考えているのはどうやらワタシだけみたいだった。

次の日、会場に向かう車の中で平井堅のCDがかかっていた。
昨日もかかっていたけれど、話をしていたからあまり気にならなかった。
彼はいい歌を歌いすぎる。
こんな時にはいい歌過ぎて泣いてしまいそうだ。

君がさびしいときはいつだって飛んでくよ
うまくことばがみつからないけれど
僕の声が君のこころを癒すなら
ただあいづちをうつだけでもいいかい?
──君がいないと僕は本当に困る
つまりそういうことだ君はぼくのともだち
Ken Hirai"キミはともだち"

困ったな、彼女が寂しいときにはどこへ行ったらいいんだろう?

お葬式は半分ぼーっとしていた。
数時間後には彼女が完全に「なくなって」しまうと思っていたからかもしれない。
友達を迎えに行く前に、一緒に旅行に行った友達にこんなような事を言った。
「じいちゃんが死んだときも、じいちゃんは寝てるみたいやったけど
何か死んでしまったじいちゃんを見て
死んでしまったら、じいちゃんの魂は体から抜けて
科学的には、そこにあるのはじいちゃんの形をしたタンパク質の固まりやんか。
でも、今回はどうしてもそんな風には思えへん。
でも、もう何時間かしたら灰になってしまうんやなぁ」
友達は「そんなこと考えもせんかった」と返事した。
いろんな事を考えたけれど、哀しいという気持ちは心から出て行かない。
昨日と同じように神主の格好をした人が祝詞(のりと)を読み上げる。
それまでぼーっとしていたけれど、
一つの言葉で涙が止まらなくなった。
「…友の励ましを受け…」
私たちは何もしなかったのに。
そう思ってるでしょう?薄情な友達だと思ったでしょう?って
もちろん友達は私たちだけじゃない。
幼なじみ、高校の友達、たくさんいた。
けれど心に突き刺さって苦しかった。
最後のお別れの時も結局「何も出来なくてごめんな」としか言えなかった。
何度も「ごめん」と言って謝ったけれど
彼女はもっと違う言葉が欲しかったかもしれない。
けれど、名前を泣き叫ぶお母さんの声は聞きたくなかっただろうな。
とうとう、出棺になってしまった。
彼女が行ってしまう。
神様に連れて行かないでと心で言ってみたけれど
結構非情に車は出て行ってしまった。
朝はあんなにいい天気だったのに
また重苦しい雲が出てきて、冷たい風が私たちに突き刺さるようだった。

しばらくしてから、友達とご飯を食べた。
ちょっと彼女の話をしてみたり
自分たちのことを話したり
すぐに何時間も経ってしまった。
たぶん、みんな一人になったら泣いてしまうから
少しでも長く友達と話していたかったんだろう。
帰ってからみんなにメールしながら彼女の写真を見た。
神様になった彼女の写真なら少し笑って見れた。

彼女の人生はたった26年と2ヶ月で終わってしまった。
けれども、これからは神として何年も何十年も
ちょっと遠い別のところで過ごし続ける。
私たちは神様の友達を得た。
ちょっと自慢も出来そうだ。
彼女なら何の神様がいいだろう?
次にみんなに会ったらみんなで相談しよう。
たぶん、睡眠か食欲の神様になるだろうけど。