片山桃史 (かたやま とうし)


片山桃史は 本名を隆雄と言い 大正元年8月 春日町黒井で酒屋の次男として
生まれました 少年の頃から本を読むことが好きで 旧制柏原中学校に在学中から
俳句を始め 級友らと共に文芸誌を作り 俳句を掲載したりしていました 卒業後
大阪三和銀行に就職 その傍ら 俳句を西山泊雲に師事し自作の句を「ホトトギス」
に発表し また水原秋桜子、山口誓子、日野草城らに就いて学び 昭和10年
24歳の時 日野草城主宰「旗艦」の主要同人として参加し新興俳句運動の推進に
就くし活躍しました ところが 昭和12年7月日支事変に召集され特務兵として
中国大陸各地を転戦し その間も可能な限り軍事郵便を用いて戦地での句を「旗艦」
に送り続け 草城もまた「桃史死ぬなかれ俳句は出来ずともよし」と手紙で桃史を
励ましました そして 昭和15年3月に帰還 その間の句は 昭和15年10月15日
「北方兵団」と言う句集にまとめられ発表されました そして 昭和16年8月 再度
召集され その年の12月には 太平洋戦争が勃発し 南方を転戦の後 遂に
昭和19年1月21日 東部ニューギニアにおいて戦死されました 33歳の若さでした

 

 

句集 「北方兵団」 より

戦争以前  「珈琲の香にあふ舗道秋の空」 「さくらさく朝のスリッパひややかに」

戦場より   「旗すすむ負残兵は地にこごえ」 「歌を聞きしばらく耳の明かるかり」

 

昭和15年発行の句集「北方兵団」

 

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