野村泊月 (のむら はくげつ)


野村泊月は 旧姓を西山、名を勇と言い 明治15年6月23日 市島町の
造り酒屋「西山酒造」の家の次男として生まれました
(兄は 西山泊雲)
明治34年に早稲田大学の前身だった 東京専門学校に入学し 卒業後
春日町の野村家へ入り野村姓となり 妻 くに子と共に高浜虚子の主宰する
「ホトトギス」にて俳句に勤しむ一方 自ら中国上海に渡り教鞭を執って
いましたが病気のため翌年には帰国します その後 また志しを新たにし
北米に渡りました そして3年後の明治43年に帰国し 翌年の明治44年
大阪に私塾「日英学館」を開き教授しました 渡米してからは 俳句から
遠ざかっていましたが 大正3年に「ホトトギス」に復帰し俳句活動を 再開
します その後 日英学館を人に任せ 大正9年には 京都の高倉に移住し
俳句活動を続け 大正11年創刊の俳句雑誌「山茶花」では選者となりました
晩年は白内障を患い 昭和19年には郷里の丹波に疎開し 終戦の年の
昭和20年9月に 阪大病院で手術を受け その後も数回の手術を繰り返し
療養を続けていましたが経過は思わしくなくて 昭和31年には 遂に全盲と
なってしまいました 全盲となってからは 夫婦共 大阪の豊中にある 娘の
家のすぐ隣に居を構え 家族や俳人仲間に励まされながら俳句を続けました
ところが 昭和34年9月20日 今度は脳軟化症に倒れ右半身が不自由に
なってしまい 昭和36年2月13日 午前9時半 帰らぬ人となりました

「丹波Web美術館」に作品を掲載しています ⇒ こちらです

 

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