西山泊雲 (にしやま はくうん)


西山泊雲は 本名を亮三と言い 明治10年4月3日 市島町の西山酒造の 長男
として生まれました 少年時代には「山東義塾」「山西義塾」などで 漢詩を習い
文学少年でしたが 長男として稼業を継がなければならないと言う 宿命と自分の
夢のギャプとの間で悩み 三度に渡って家出を繰り返します まず最初は14歳の時
この時は神戸に行き 西洋人のボーイになって一生懸命働き その仕事ぶりを
見込まれてアメリカかイギリスに渡ろうと企みましたが14〜15日して探しに来た父に
見つかり連れ帰られたそうです 二度目は16歳の時に今度は京都へ家出 そして
三度目は17歳の時 太平洋の無人島で宝島を探しに行くと言う人物に付いて33トンの
小船に乗り込みましたが脚気のために断念します この頃から泊雲は だんだんと
神経衰弱に陥り 自殺まで考えるようになりました そんな泊雲を救ったのは 弟で
ホトトギスの俳人でもあった野村泊月でした 明治36年に泊月の紹介で高浜虚子に
会い その後 俳句に没頭することで少しずつ立ち直り 遂には弟の泊月と並び
「丹波二泊」と称されるまでになりました 家業も明治45年頃に一度は破産の
憂き目に遭いますが 大正3年に 元々西山酒造の銘酒だった「國の礎」と言う
酒を虚子が「小鼓」と銘々して 平福百穂の揮毛レッテルでホトトギスの発行所を
通じて全国に売り出し 家を再興しました その後も泊雲は虚子に指導を仰ぎ
稼業を疎かにすることなく俳句の道に没頭し 昭和19年9月15日 68歳で
亡くなりました 西山小鼓子は泊雲の子息

 

 

「丹波Web美術館」 に作品を掲載しています ⇒ こちらです

 

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