田艇吉 (でん ていきち)


田艇吉は 嘉永5年9月6日 柏原町下小倉の田 文平季胤の長男として生まれ
諱を季剛、号を楓軒、松鶴と称しました 8歳の時 村医だった長沢順方に就いて
読み書きを学び その後 12歳の時に小島省斎に入門し 18歳の頃には 既に
村の政治に参加していたそうで 明治5年 21歳の時には 豊岡県福知山支庁に
勤務しました そして 明治12年 28歳の時 第一期県会議員に当選し その後
氷上郡書記、氷上郡長などを歴任の後 衆議院議員となりました この間 鐘ヶ坂
隧道の開通や阪鶴鉄道の開通などにも奔走し 明治37年には 阪鶴鉄道株式会社
取締役社長に就任しました また これとは別に 艇吉は 趣味人としても知られ
謡曲のほか南画や俳句も嗜みました 特に南画は 大正元年頃から 近藤翠石に
就いて学び その後 昭和元年頃からは 氷上町の安田鴨波に、そして鴨波亡き
後は 子息の安田栗郷に学ぶなどして その腕前はプロ級でした 今も「松鶴」と
号の入った艇吉の作品が柏原や 近隣の町にたくさん残っています 艇吉は
このように多くの功績を残し  昭和13年11月17日 午前7時 脳溢血で
亡くなりました 87歳でした

 

田 艇吉

 

艇吉が亡くなる一年前の昭和12年6月6日に柏原町の有志らによって  艇吉の
銅像が建立され柏原八幡神社下の東市庭で除幕式が執り行われました ところが
この像は 戦時中の金属供出により取り壊されて しまいます しかし 戦後になって
昭和41年11月3日 新しい銅像が建立 されました この像は現在 JR福知山線
柏原駅の前に設置されています

「丹波Web美術館」 に作品を掲載しています ⇒ こちらです

 

メニューヘ戻る

ホームヘ戻る