柏原のご当地民謡

 

丹波市柏原町では 藩政時代から現在に至るまで たくさんのご当地民謡が生まれ
また消えていきました ここでは そんな柏原のご当地民謡の中でも現在まで残っている
「柏原おどり」「柏原小唄」「柏原音頭」の3つを紹介しましょう!

(人物名については 敬称を略させて頂いております)
 

柏原おどり

まずは 柏原の伝統民謡として忘れてはならない「柏原おどり」です 柏原おどりの起源に
ついてはハッキリと記録されたものはないのですが 織田藩の藩政時代から御殿の中で
藩士や女中らが 盆の供養や豊作を願って踊ったのがはじまりとも言われ また正徳4年に
柏原藩の藩邸の落成を祝って 藩士が領民と共に大太鼓ひとつで音頭取りの唄にあわせて
躍り明かしたのがはじまりとも言われています やがてそれに尺八や笛、三味線が加わり
少しずつ現在のような形に変化していったようです 歌詞も代表的な「松尽くし」に加え その
時代、時代によっていろんな歌詞が歌われてきましたが 現在は 昭和11年に野口雨情が
作詞した「柏原小唄」の歌詞が主に歌われています これは 昭和45年に「柏原おどり」が
大阪の吹田市で開かれた万国博覧会に参加することになった時に その前年に結成された
「柏原おどり保存会」の初代会長 松下軍兵が柏原の名所や名物をうまく折り込んだ この
「柏原小唄」の歌詞が柏原の町を世界にPRするには うってつけであるということに着目し
偶然にも雨情の書いた「柏原小唄」の歌詞が「柏原おどり」の曲調にピッタリと当てはまった
こともあり これが「柏原おどり」の歌詞として取り入れられ 以来 現在まで続いています

その他の代表的な歌詞は下記のとおりです

松尽くし ⇒ こちらです

松井拳堂作詞(田捨女を唄った歌詞) ⇒ こちらです

安井喜兵衛作詞 ⇒ こちらです

野口雨情作詞(柏原小唄の流用) ⇒ こちらです

その他の歌詞 ⇒ こちらです

 

 日本コロムビア (PLS−7094)

 「柏原おどり」
 
兵庫県教育委員会選定
 製作:柏原おどり保存会
 作詞:野口雨情
 編曲:雲南一広
   唄:一文字辰也

 「柏原小唄」
 
兵庫県教育委員会選定
 製作:柏原おどり保存会
 作詞:植木いわを
 作曲:谷垣譲
   唄:一文字辰也、若羽ちどり

         (昭和46年4月)

「柏原おどり」は 昭和46年4月に日本コロムビアからレコード化され 同年4月29日
には 氷上郡公会堂に於いて製作記念発表会が盛大に開催されました レコードの唄は
コロムビアの専属歌手だった一文字辰也によって歌われています B面の「柏原小唄」は
昭和29年に作られたものを演歌風に編曲し直し 一文字辰也と若羽ちどりの二人に
よって新たに吹き込みをされました

 

 日本コロムビア (SAS−6444)

 「柏原おどり」
 
社団法人日本フォークダンス連盟監修
 兵庫県教育委員会選定
 作詞:野口雨情
 編曲:雲南一広
   唄:小野田実

 「丹後ちりめん小唄」
 
社団法人日本フォークダンス連盟監修
 京都府教育委員会選定
 作詞:時雨音羽
 作曲:田村しげる
 編曲:雲南一広
   唄:松村美津江

         (昭和47年6月)

こちらのレコードは 同じコロムビアから昭和47年6月に発売されたもので 唄はコロムビアの
小野田実によって歌われています B面は松村美津江による「丹後ちりめん小唄」です

 


 

柏原小唄と柏原音頭

昭和29年の春 柏原町の商工会が「街の観光に力を注ぎ より一層盛り上げて行こう!」
との思いで「柏原小唄」と「柏原音頭」を製作することとなり その歌詞を一般公募しました
応募には30数点の作品が寄せられ その中から「柏原小唄」の作詞には 短歌結社
「アララギ」でも活躍し「和田音頭」「山南町歌」「柏原町青年団歌」など各地のご当地ソングの
作詞をたくさん手がけた山南町小畑の植木いわをの作品が選ばれ 「柏原音頭」の作詞には
春日町池尾で短歌や俳句、自作の詩などに親しみ雑誌などに投稿するなどしていた実力派の
中井健治の作品が選ばれました そして「柏原小唄」の作曲には 戦前から戦後にかけて
プロ歌手として活躍し 後に黒田庄中学校の音楽教師となった谷垣譲が担当し 編曲は
当時「日本マーキュリー」の専属として藤島桓夫や松山恵子などを育てた西脇稔和が担当
 タンゴ調のモダンな曲に仕上がりました 一方「柏原音頭」の作曲には 当時 柏原高校の
音楽教師で「青垣小唄」や「春日町青年団歌
(作詞は中井健治)などを作曲した橋本喬雄が
担当し 編曲は「柏原小唄」同様 西脇稔和が担当 こちらは民謡調のやさしい曲に
仕上がりました 唄はと言うと 二曲とも柏原で畳店を経営する傍ら NHKのど自慢や地元の
有志で作った「楽団柏洋」の専属歌手として活躍していた片山英夫と柏原高校3年生の時に
県の高校声楽コンクールで2位をとったという実力派の吉竹喜美子の二人が務め
レコーディングの伴奏も「楽団柏洋」が担当しました

日本マーキュリー (M1482)
「柏原小唄」
唄、片山英夫・吉竹喜美子
日本マーキュリー (M1482)
「柏原音頭」
唄、片山英夫・吉竹喜美子

「柏原小唄」の歌詞はこちらです    「柏原音頭」の歌詞はこちらです

 

昭和29年9月3日 待ちに待った完成発表会が氷上郡公会堂で行われ 司会には まだ
役者として本格的にデビューする前の藤田まことが務め 更に当時 日本マーキュリーの
専属で人気の若手歌手だった藤島桓夫と野村雪子も迎えて会場は超満員となりました

「柏原小唄」「柏原音頭」の完成発表会の様子です

 

この昭和29年に作られた「柏原小唄」より以前に 柏原には「柏原小唄」と称するものが他に
もう二つありました 少しややこしくなりますが こちらも紹介しておきます

最初の「柏原小唄」は 柏原の郷土史研究家だった安井冨治(故人)が 昭和63年の「広報
かいばら 3月号」の記事に その歌詞を残されているのですが 野口雨情の「柏原小唄」より
以前に存在していたものだそうで 「柏原藩主は織田氏の血統〜」ではじまる五節の歌詞です
年代も作者も曲がついていたのかどうかも分からないのですが 歌詞だけが残っています
歌詞は
こちらです

二つ目の「柏原小唄」は「柏原おどり」の項で述べた話の繰り返しになりますが 昭和11年に
童謡詩人の野口雨情が柏原を訪れて書いた十二節の詞からなる「柏原小唄」です こちらの
詞には どういう訳か曲がつけられず長きに亘り“まぼろしの小唄”となってしまっていたの
ですが 昭和45年に「柏原おどり」が大阪の万国博覧会に参加することになり 柏原の名所や
名物をおり込んだ雨情の書いた詞が柏原の町を世界に紹介するには うってっけであったのと
この歌詞が偶然にも「柏原おどり」の曲調にピッタリとはまったこともあり 以来「柏原おどり」の
歌詞として取り入れられ レコード化もされて現在まで歌い継がれています 歌詞は
こちらです

昭和11年5月19日 柏原を訪れた際に藩邸前で撮られた雨情の写真です

 

「柏原小唄」と称するものが過去から現在にかけて三つもあり おまけにその中の一つは
「柏原おどり」の歌詞として流用されいてるという 非常にややこしい話ですがお分かり
いただけましたでしょうか? どの曲も大事に後世まで伝えていきたい柏原の宝物です

 

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