第7版(2005.5)
つたないホームページですが、ごゆっくりご覧ください。
表示されるのもゆっくりですしねえ。
この下にあるふたつの画像が出てくるのが遅いです。
そこで、画像を飛ばして下の方へおりて「題名の由来」を先にご覧ください。
そして、もういちどここまで上がってきてください。
すみません、お手間をとらします。
数年前、退職が視野に入りだした頃、 発行していた個人通信紙「ぼちぼち」を「残日録」と改題しました。すると、読者から「さびしそうな題名ですね」、「もっと元気の出る名前の方がいいのでは」などといわれました。
そうですね、いかに退職近しとはいえ、“残る日の記録”とはねえ。
私の最愛の作家 藤沢周平さん の小説
『三屋清左衛門残日録』
(文芸春秋社・文庫版もあり)
から頂いたものです。
主人公三屋清左衛門さんは、藩主の側用人(秘書)の職を辞し、家督を息子に譲って隠居します。
おそらく53才くらいでしょう。昔は今よりもかなり隠居が早かったようです。隠居にともなう挨拶まわりとかなんやかんやで忙しい毎日を送ります。
(私も退職しましたが、大量の書類を書いたり、役所へ行ったりでけっこう繁雑な日々でした。もっとも退職の挨拶廻りはしませんでしたがね。)
清左衛門さんのその繁雑・多忙な日々も終わり、いよいよ本格的隠居生活のスタートです。殿のはからいで建てて貰った隠居部屋にいると、家督を継いだ息子の嫁の里江さんが入ったきます。
(里江は)机の上に乗っている日記にじっと眼をそそいだが、すぐにその眼を清左衛門にもどした。
「いかがですか。いくらか落ちつかれましたか」
「うむ、落ちついた」
「それは、ようございました」
と言って、里江はまた眼を机の上の日記にもどした。
「お日記でございますか」
「うむ、ぽんやりしておっても仕方がないからの。日記でも書こうかと思い立った」「でも、残日録というのはいかがでしょうね」
里江にははなれた机の上においた日記の文字が読めるらしかった。里江は眼に舅の機嫌をとるような微笑を浮かべている。
「いま少しおにぎやかなお名前でもよかったのでは、と思いますが」
祝い事の掛りの報告は口実で、嫁はわしの様子を見に来たのではないかと、清左衛門はふと思った。数日沈んだ気分でいた間は、それが外にも現われずにいなかったろう。「なに、心配はない」
と清左衛門は言った。
「日残リテ昏(ク)ルルニ末ダ遠シ
の意味でな。残る日を数えようというわけではない」「そうですか」
[いろいろとやることが出て来た。けっこうわしもいそがしくなりそうなのだ」
さて、私の「残日録」は三屋清左衛門さんの「日記」とは大ちがいなものになるでしょう。 題名が同じだけで、生き方や立場などはもう比べることもできないものです。
というわけです。勝手に題名を使わせていただいている故藤沢周平さんと故三屋清左衛門さんに申し訳ないことです。
今頃、おふたりは天国で庄内の風物の話をしているのでしょうね。
私もこの「残日録」で庄内のこともすこしですが、書かせていただくつもりです。