■天津市内観光
初めての天津。市内を写真で簡単に説明します。
■天津~薊県バスの旅、および薊県の一日目
09年5月の天津旅行の8日目、天津市薊県(けいけん)へ行った。清朝皇帝の陵墓、清東陵見学が目的だった。北京の東方に清東陵という清の皇帝の陵墓があることは知っていたが、それが、天津から行けるとは知らなかった。清東陵は、天津市の最北部、薊県の東方、天津市から河北省に入ってすぐの所、河北省遵化市にある。
5月17日、列車の天津北站近くのバスターミナル、河北客運站から薊県行きのバスに乗る。天津市街区から薊県まで125キロ、約3時間のバスの旅である。料金、25元。
バスは10分遅れの7時40分、空席を残したまま発車。客を拾いながら走るので、なかなかスピードが上がらない。それでも、やがて、補助席を含めて満席になり、荷物の上にまで客を座らせ、やっとまともに走り出す。
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天津北駅近くのバスターミナル |
私が乗った薊県行きのバス |
こんどは、遅れを取り戻そうとするのか凄いスピードで次々、前の車を追い抜いていく。およそ、交通ルールはないに等しい。一番恐いのは、センターラインオーバーである。対向車が近づいてくるのが見えているのに、センターラインを越えて前の車を追い越し、また、もとの車線に戻る。この間、数秒。これをひっきりなしに繰り返す。警笛は鳴らしっぱなし。
2時間ほど走り、トイレに行きたくなる。長距離バスは、これが一番困る。辛抱できなくなったら、バス停で泊まったとき、運転手に大きな声で「小便!」と言って、バスの影に廻って立小便ということになる。こういうとき、おかしなもので、必ず、2、3人、連れができるので心強い。そのためにも、「小便!」の声は大きいほうがよい。このときは、ちょうどうまい具合にガソリンスタンドで停車し、助かった。
10時半に薊県のバスターミナル着。まず、予約していた魚陽賓館にチェックイン。この辺りでは一番大きなホテルで外観は立派だった。でも、私の部屋は、一番安い180元の部屋だったこともあって、設備はあまりよくなかった。特に、入り口の錠に不具合があり、翌日、チェックアウトのとき、一悶着あった。
そのあと、バスターミナルへ戻って、発車時刻表で清東陵行きのバスを探す。運悪く出た後で、午後の便までずいぶん時間があった。どうしようかと思案していると、タクシーの運転手が何人も話しかけてきた。一番、気の弱そうな運転手と料金を交渉。300元というのを180元まで負けさせ、手を打つ。
薊県から、途中、天津市の市境を越えて40分、河北省遵化市清東陵着。
清東陵見学は別に記す(「5.清の東陵」を見てください)。
清東陵見学は、薊県からの往復の時間を含め、4時間近くかかった。バスターミナルへ戻ってきて、180元を渡すとき、ちょっと値切り過ぎたかなと気の毒になる。でも、運転手は、うれしそうに受け取り、明日の予定まで聞いてきた。そんなに、気にすることもなかったか。
■薊県二日目、および薊県~天津列車の旅
5月18日、薊県での二日目は、トラブルで開けた。朝、散歩から帰ってきたとき、部屋の錠にカードを差し込んでも、ドアがなかなか開かず、何度も差し込んでいるうちに、カードが折れてしまった。これはまずい!カードの紛失は100元と聞かされていた。破損も同じだろう。チェックアウトのとき、折れたカードを出すと、案の定、100元請求された。しかし、カードの破損には伏線があった。昨日、チェックインのとき、服務員が部屋まで案内してくれて、ドアを開けようとしてもなかなか開かなかったのだ。カードが折れた原因は、キーの不具合によるもので、むしろ、ホテルに責任がある。100元は大きい!私は強い口調でこのことを説明し、抵抗した。フロントの女の子は、私の中国語を理解したのか、私の剣幕に恐れをなしたのか、要求を取り下げた。
朝一番に黄崖関へ万里の長城を見学に行き、昼前に帰ってきて、列車の時間まで町の見学をした。これらについては写真だけにとどめる。
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薊県の中心街 |
薊県の中心広場 |
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薊県の中心広場前の商店 |
列車の薊県駅 |
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ここからの6枚は薊県最北部、黄崖関の万里の長城 |
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帰りは列車を利用した。薊県~天津、8元。午後2時43分薊県発、5時半に天津着。列車は安全で落ち着いて乗れる。それに、非常に安い。
途中、薊県を出てしばらく走ると、窓から、おびただしい数の綿毛が流れ込んできてびっくりした。衣服につく、お茶を飲んでいるコップに入る。初めての経験だったが、話にはよく聞いていたので、それが柳絮(りゅうじょ:柳の熟した実から飛び散る綿毛を持った種子)だとすぐに分かった。
この2枚、柳絮の写真はSearchinaのサイトから転載。
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