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熊本城 大天守と小天守 この写真を見て、ちょっと見るだけでは被害を受けて ないかのように見えますが、よく見ると大天守の屋根に ある鯱がない、手前の石垣が崩れているのがわかりま す。 訪問したときは、震災当時のままでしたが、数日後に 大天守の最上階に鉄骨が入りました。その後シートを かけ2020年修復完了をめざすそうです。 |
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宇土櫓(左)と小天守そして大天守。 |
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飯田丸五階櫓と同じように石垣の崩れた戌亥櫓。 |
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大分県竹田市 岡城跡 |
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岡城跡にある瀧廉太郎像 滝廉太郎の代表作「荒城の月」を作曲するとき、12 歳から2年6ヶ月住んだ竹田市にある岡城跡へ行った 時の思い作曲したとされています。 「荒城の月」の原曲は、土井晩翠が作詞して、滝廉太 郎が曲をつけたもので、本来は伴奏なしの歌曲でした が、瀧の死後、山田耕筰が編曲して、ピアノ伴奏曲と なりました。 |
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瀧廉太郎記念館 瀧家は、代々現在の大分県の日出藩(別府市から由 布市あたり)の家老職の家柄で、明治に入って廉太郎 の父吉弘は、明治政府の官僚となり、最初大蔵省に 勤めた後、内務省勤めとなって、東京から神奈川県、 富山県、そしてこの竹田市と転勤となった父と共に、 12歳の時に引っ越してきました。その時に住んでいた 屋敷が記念館として残っています。 |
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瀧廉太郎がの部屋がある建物。約2年6ヶ月住み ました。 |
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滝廉太郎の部屋 上の白壁の建物の2階にあります。本屋とは別の建物 です。 |
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