2006年11月に自身三作目となる「洗面器でヤギごはん」(実業之日本社刊)を発売された石田ゆうすけさん。
執筆、講演活動の合間に白浜に帰ってこられた時に某居酒屋でインタピューをさせてもらいました。
鍋をつつきながら石田さんもつついて行きたいと思います。
(インタビュアー 山本)

 
 

■俺なんかでいいのかな…

−−三作目の出版おめでとうございます。新作「洗面器でヤギごはん」を作るきっかけなどを教えて下さい。−−

日本農業新聞という既刊誌に毎日連載という話が来たのがきっかっけでした。
当初は新聞の連載だし、小説コーナーの後を引き継ぐかたちだったので、俺なんかでいいのかな…。と思っていました。なにより151話を毎日書いて行けるかなと…。
いざ、連載が始まるとネタはいくらでも出てくるし、どれを削ろうかと悩むくらい書いていて楽しかったです。
連載は半年の予定だったのが、2ヶ月のび、4ヶ月とのびて1年くらい続く事になりました。
この本はその連載記事をベースに一から書き下ろしたものなんです。

 

■「それはないだろ〜」と言われたんです

−−数々のエピソードが本になるまでの舞台裏や秘話などを教えて下さい。−−

全てを書き終えた時には、98話のエピソードがあったんですが、ページ数や編集の関係で25話をカットして最終的には73話になったんです。
本を作るときは、きれいに1ページに入るように表現を変えたり、削ったり足したりといろいろあるんですが、この作業が結構大変で…。
当初は1ページ当たり40字、17行だったんですが、何とかお願いして43字、17行に変更してもらったんです。
後にデザイナーからは「本の“文字組”は、スープでいえばブイヨンの部分で、それを元に全体を構成していくんだ。だから全部やり直したんだぜ。それはないだろ〜と思ったよ」と言われました。

 

■食べるという事は、旅をして行く中で重要なポイント

−−洗面器でヤギごはんは「世界の食」がテーマですが、食をテーマに選んだきっかけと、難しかった事や気を遣った事はどんなことですか?−−

日本農業新聞に連載をしていた事もありますし、食べるという事は、旅をして行く中で重要なポイントです。
食べないと次の一歩を踏み出す原動力がわいてきませんし、食を通じていろんな人との出会いがあります。
それに、食には文化が凝縮しています。その土地の風習や文化、匂い、空気感など、リアルにイメージ出来る物が書けるような気がしていました。
あと、匂いや味の力って、もともとすごいんですよね。プルースト現象というんですが、匂いや味で、過去の記憶がワァーと目の前に広がるってこと、あるでしょ。
こういったことから、「食」というテーマで紀行文を書くのはとても理にかなっていると思いました。
気を使ったことは、本のあとがきにも書いていますが、味を表現する時に「おいしい」「うまい」「まずい」という単語を使わないということですね。そうすることで作品として、作家としてより深い物になるんじゃないかなと…。
難しかったことは、「食」と「旅」と「自分」この3つのバランスをどうとるか、ですね。

 

■コピーは聞いていなかった

−−「洗面器でヤギごはん」というタイトルはどうやって決めたんですか?−−

1作目の時は編集者が決めたんです。エッセイを色んな出版社に売り込みに行ったんですけど、実業之日本社の編集者が企画書のタイトルに「行かずに死ねるか」って書いてあって、「うわ、うまい。この人とやろう」と思ったんです。
2作目は、最終候補に「世界一危険なトイレと世界一きれいな星空」と「いちばん危険なトイレといちばんの星空」が候補に挙がっていたんですけど後者の方に決定しました。
で、3作目は候補が3つあって1つ目は「最果てのごちそう」2つ目は「桃源郷のオムライス」3つ目の「洗面器でヤギごはん」だったんですけど、決まるまでかなり大変でしたね。
「最果てのごちそう」はありがちなタイトルだし俺の旅とはあっていないような気もします。
「桃源郷のオムライス」はパキスタンに滞在している時に起こった9.11のテロにまつわる話なんですよね。ネタが古すぎるので、タイトルには使えない、という事でボツになりました。
最終的に販売会議を通して、「洗面器でヤギごはん」に決まりました。インパクトの強さと、想像がいろいろふくらむということで。
出来上がった表紙を見て「オオオー」と思いましたね。
「食えば、わかる。」というコピーは聞いていなかったので。
3冊とも同じ編集者なんですけど、彼はやっぱりいいセンスしているな、と思いました。タイトルとコピーとデザインがセットになって1つの本になっているという感じで。すごく気に入っています。

 

■新しい町へ来たと実感できるのは食事をした時でした

−−この本を夜読んでいるとめっちゃハラが減ったんです。夜中にラーメンを作った事もありました(笑)
食についてはどう思われますか?−−

日本に帰って来たら、どの町を走っていても同じ顔をしているように思ったんです。
コンビニ・ファミレス・ファーストフード・チェーン居酒屋…。
土地の色や匂い、風景がみんな同じに見えました。
南米やアジアを旅している時、新しい町へ来たと実感できるのは食事をした時でした。
その土地で収穫される食物の違いもあると思うんですけど、同じ素材を使っていても、味付けが違ったり、焼き方が違ったりと。
最近は「食」についての連載もあって味というものが少しずつ分かってきた気がします。
うまいか、まずいかだけじゃなく、気持ちのこもっていない料理は食べられない体質に…。
「食べる」という行為は生き物が生きて行くうえで、無くてはならない重要な事です。
食べ物や食事はもっともっと大事にするべきじゃないかなと思いますね。

−−僕もコンビニ弁当やファーストフードで夕食にするとかたまにするんですが、毎日になるとちょっとつらいですね〜−−


−−石田さんにとって旅とはなんですか?−−

月並みですけど、たくさんの価値観を自分に叩き込む機会ですね。それに近い意味ですが、体験という財産を蓄える機会、という言い方もできると思います。

 

■本当にやりたかった今の仕事

−−こだわりや男のロマンなどはどんなことですか?−−

こだわりは、自分を客観視して、かっこ良いか、かっこ悪いか、ですね。
男のロマンは、仕事ですね。どうやって食っていくのか。それが一生のうちの大きな部分を占めます。だから本当にやりたかった今の仕事を思いっきりやりたいです。

■新しい事にチャレンジ出来る

−−自然に恵まれていて近くに温泉もある白浜で執筆したほうがいいようなイメージがありますが、なぜ東京を選んだんですか?また住み心地はどうですか?−−

東京に住む事によって新しい事にチャレンジ出来ると思っていましたし、色んな刺激を与えられると思っていました。
ライターとして食って行く為にも東京を選びました。
あと仕事的にも原稿の打ち合わせや会議等で東京に住んでいる方が便利な点が多いですからね。「ちょっとここ確認して」と言われてもすぐに行けますから。
今住んでいる阿佐ヶ谷は祭りも多いし人情も厚い。住みやすい場所ですごく気に入っています。
じっくり選んだ甲斐がありました。
この前なんか街角でいちじくをざるに入れて「これもって行って下さい」って書いてあったんです。
白浜でも無人のみかん売場はありますけど、「もって行って下さい」は無いですよね〜。
だけど、空気や水は白浜の方がいいですね。

 

■広がりを求めて行きたい

−−今後はどういった執筆活動を目指すんですか?−−

そうですね。世界一周チャリの旅で、まさか3冊も本を書くとは思っていませんでした。読んでくださったみなさんには本当に感謝しています。
今後は世界一周のチャリ旅にとらわれずに新しい作品にもチャレンジして広がりを求めて行きたいです。
もともと小説が好きなので、創作ものを書いて行きたいですね。
じつは旅をしながら、小説を書いていました。それをまずは完成させたいです。内容は秘密です(笑)。


−−最後にファンのみなさんに一言お願いします−−

これからもさまざまな形で作品を書き続けていこうと思っています。読む前と読んだあとでは、景色が変わって見えるような、そんな作品を生み出していきたいですね。これからも応援よろしくお願いします。

<了>


石田さんが白浜へ帰って来た時は、居酒屋で料理をつつきながら近況など面白い話をいっぱい聞かせてもらうんですが、今回はインタビューだったので緊張しました。
普段、インタビューをすることがないので、記事をまとめるに時間がかかってしまい、掲載までに時間が経過してしまいました。石田さんすみません…。