ジージー・・・・最近騒々しい蝉の鳴き声に眼を覚まされる。先日の台風の朝以外は毎朝である。蝉時雨などという風流な言葉もあるがこれではまるで蝉豪雨である。病室の横に小さな木立がありどうも元凶はそこらしい。散歩がてらに行ってみたら大きな樹の幹といわず小枝の先まで蝉だらけである。葉にまでぶら下がっているしぶとい奴もいる。一本の樹に100匹以上はいるだろう。そんな樹が10本以上もある。それらが一斉に鳴くのだからうるさい筈である。うるさいだけならまだしも暑苦しくて堪らない。しかもどうもよく見るとクマゼミのようである。そう言えば体が大きく黒っぽい。子供の頃に田舎で聞いた蝉の鳴き声に比べるとどうも大阪の蝉の鳴き声は品が無くていけない・・・・・。
当時の夏休みの子供の遊びと言えば先ずこの蝉採りが思い浮かぶ。庭の大きな柿木や神社へ行ってよく蝉採りをしたものだ。蝉も賢いものでなかなか幹の低いところには止まらず、柄の長い蝉採り用の網にさらに棒を結わえ付けて高い幹にいる蝉を狙うのだが、長いために思うように扱えず、小便をかけられて逃げられたものだ。私が育ったのは舞鶴であるが、思い起こしてみると、当時はニイニイゼミかアブラゼミが殆どで、たまにツクツクボウシの泣き声が聞こえようものなら宿題を放っぽり出して採りにいったものである。ところが今住んでいる奈良でニイニイゼミの姿を見つけることは全くない。そんなに注意して見ている訳ではないが見かけるのは殆どがアブラゼニである。あの小柄で木肌のような羽模様をもつ、まるで忍者のようなニイニイゼミはどこへ行ったのか。見た目にあまり華やかさがなく、どちらかと言うと「田舎者」と言う感じの脇役的存在ではあったが、なんだか寂しい思いがする。同じ関西でも生態系がちがうのか。それとも、宅地化の影響であの蛍のように絶滅化の道を歩んでいるのか・・・・。
芭蕉の有名な句(奥の細道)に「閑(しずか)さや 岩にしみ入 蝉の声」という句がある。芭蕉が当時の山形領(県)にある奇岩・洞窟の中に建つ立石寺(山寺)に立ち寄った際の句である。暑さを忘れさせる趣のある句である。昔の蝉はどうも岩にしみいるような控えめな声?で鳴いていたらしいが、最近の蝉は泣き声も大きくなってきたのか・・・・・?世の中が騒がしくなってきた分蝉も大きな声で鳴かないとその存在を主張できなくなったのかも知れない。
先ほどの芭蕉の句の蝉は「ニイニイゼミ」だというのが定説?であるらしいが、その蝉の鳴き声を巡って「蝉の声論争」というのがあったらしい。昭和の初期に斎藤茂吉があれは「アブラゼミ」だと主張し仲間と論争になり何でも現地調査までしたらしいが、結局はやはり「ニイニイゼミ」であるということで落ち着いたらしい。別に蝉の種類なんてどうでもいいような気もするが、そこはやはりプロのこだわり(?)か。しかし、いったい現地に赴いて何を調査したのか?蝉の分布を調べたのか?でも、今現地で鳴いている蝉が元禄時代にもそこで鳴いていたとは限らない。ひょとしたら江戸のアブラゼミが暑さに耐えられなくなって避暑がてらに山形まで出かけて行かなかったとは言いきれない…。(それはないか)いずれにしても昭和初期の歌壇もよほどヒマ、失礼優雅であったのであろう。
この芭蕉の句は実は発案は「山寺や石にしみつく蝉の声」という句で推敲を経て「さびしさや岩にしみ込む蝉の声」最後に「閑さや岩にしみ入る蝉の声」に落ち着いたらしい。俳句の名人も実は一発勝負ではなかったのである。多少「なぁ〜んだ」という気がしないでもないし、それなら素人の自分が短歌を詠むのに何度も弄くり回しているのも当たり前なんだと安心もする。それにしてもやはり芭蕉は名人である。素人の私なら蝉の声が「岩にしみ入(いる)」なんて思いもつかない。私がよめば「岩に響き渡る」である。
入院で時間を持て余しながらこんな下らない事を考えている・・・・。
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