50.新春に思う

明けましておめでとうございます

 本当にめでたいかどうかは先行きを見て判断・・・ということだが、いずれにしても先ずは「めでたい新年」は明けた。例年、新しい年を迎えるにあたり「今年こそはっ!」と何か「好い事」を期待するのであるが、今年はどうもあまり期待できそうもない・・・・・。

 私は毎年、初詣は近所の由緒ある氏神さんへ詣でることにしている。奈良で有名な「春日大社」や「橿原神宮」と比べると、本当に小さく、また無名の神社であるが、木立に囲まれた「凛」とした雰囲気は負けてはいない。今年も家族4人揃ってお参りし、夫々が手を合わせて小さな幸せを願った。しかし一個人の小さな幸せはさて置いて、日本経済を担う(そんな大層なものでもないが・・・)ビジネスマンの一人として「今年の日本は如何に・・・」と考えた時、今年はどうも「好い事」は期待できそうもない。昨年一年を振り返ってみても、今年への「改善の兆し」が見えないのである・・・・・。

 我等小泉内閣も、当初は「聖域なき構造改革」を掲げ国民の期待を集めたものの、構造改革の試金石である「特殊法人改革」にしろ「道路特定財源の見直し」にしろ、本人の「自画自賛」の声ほどには効果は期待できそうにもない。それどころか「痛みを恐れずに・・・」という言葉を信じて、多少の痛みなら・・・と考えていたら、「年金」「金利」倒産」「失業」等々どれをとっても痛みを押しつけられるのは国民ばかりで、大銀行には至れり尽くせりの公的資金大盤振る舞いである。まさに「弱者には更なる痛みを」「強者には更なる利益を」の政策である。

 新年早々、過ぎ去った年への愚痴ばかり言うのも心痛いが、まさに、駿馬のように駆け抜けて、将来に対する国民の不安感を振り払ってくれる筈の「午年2002年」であったのだが・・・。本命と騒がれた「メジロコイズミ」の馬券を大枚叩いて買ったものの、思いの他脚が伸びず、対抗馬の思わぬ健闘で負けてしまい、大損してしまったようなものである(失笑)。

 「新春に思う」というテーマで書き始めたが、どちらかと言うと「昨年を振り返って」とうい内容になってしまった。最後はやはり、新春らしい明るい内容で締めなければならない。

 先ほど「改善の兆し」が見えないと書いたが、敢えて「兆し」を探すなら、国民が小泉総理の「自画自賛の構造改革」があまり内容がないことに気付き始めたこと。「どうもおかしいぞ。テレビでは格好いいこと言っているが何もよくなっていないぞ」という不信感を持ち始めたことであろうか。異常人気でスタートした小泉総理も人気が下がれば・・・・。しかし、ここにも問題はある。自画自賛の小泉総理の替わりは誰がするのか。誰が期待できる未来像を国民に示してくれるのか・・・・と考えるとやはり話が暗くなってしまう。

 ま、しかし、新年はスタートしてしまった。愚痴ばかり言っていても始まらない。新年くらいは「夢」を見たいものだ。今年は「未年」。「午」のように落馬はあるメェ。メェメェ(鳴き声)が希望を持って出来ウール(得る)ことに全力投球すれば前途はようよう(羊羊)であろう。

 書いている内に夜も更けてしまった。長い休暇も終わり明日は「仕事始め」である。ぼちぼち羊を数えながら寝るとするか・・・・・・一匹、二匹、三匹・・・・・。


49.カッコ良さへのあこがれ

 先日の電車の中での若い女性の会話である。

「この間○○君に紹介してもらった△△君、カッコいいわネェ〜。キムタクに似てたと思わな〜い?それに比べて××君ってな〜に? 私絶対に△△君がいいワァ・・・・」

 若い人たちを見ていると、どうも「カッコいい異性」に憧れる風潮があるようである。つまり、容姿に対する拘りである。容姿だけではない、人生、職業、ファッション何にでも「カッコよさ」を求めているようである。最近では、W杯のあのベッカムのヘアースタイルを意識した(真似た?)若者をよく見かけるし、携帯の待ち受け画面もベッカムが人気があるらしい。 そういう若者の姿を見ていると「何と軽薄な・・・・」とか「これで将来の日本は大丈夫なのだろうか・・・」等とつい思ってしまうのは私だけであろうか。

 大人は「人間は心だ」とか「中身が大事なんだ」等と尤もらしいこと言っている。だが確かにそうである。職場でいくらファッションのセンスがいい若者がいても仕事ができなくては何にもならない。あいつはセンスのいいスーツを着てるから今回は評価を上げようか・・・なんてことはまずあり得ない。職場での「カッコよさ」とは外見ではなく仕事の出来(能力)に比例するのである。大人(男性)の世界では、やはり人間は中身なのである。表層的な物の見方は通用しないのである。

 人間誰しも「美しい風景」に憧れるし「美味しいもの」を食べたいと思う。「瀟洒な」家に住みたいし、「小奇麗な」服も着たい。それは人間として当然の欲望である。それなのに何故か若者が「カッコいい」ものに憧れると非難めいた言い方をされるし、軽薄だと悪し様に言われる。しかしよく考えてみると、程度の差こそあれ私も若い時分は似たようなものであった。いまでこそ偉そうな事をいっているが、大概の大人もそうに違いない。

 いくら「内面」だと言っても、人間なんてつき合ってみないと内面なんて分からないし、つき合うなら取りあえず美人の方がいいに決まっている。つき合ってみて「な〜んだこんな人だったのか」と思えば別れればいいのである。そうしたことを繰り返して、「人間は外見だけではないんだ。中味も重要なんだ」ということを学習するのである。

 要はバランスなのである。美人でも中味がなければ詰まらないし、不美人(ほどほど)でも中味があればつき合うほどに味がでてくる。要は「カッコ」も求めるが「中味」も求める、この程良いバランスである。人は成長しながらこの「バランス」を身につけるのである。

 とは言うものの、やはり外見ばかりに拘っている若者を見ると「なんだこいつは・・・」「軽薄な奴め・・・」等と思ってしまう。これは、そういう機会を失ってしまった中年男のやっかみであろうか?年をとるといことはそういう淋しさもあるのである。

 なんて言いながら、道で美人とすれ違うと、つい振り向いてしまう管理人なのですが・・・。



48.奈良は「まほろば」

8月も下旬となり、先日まで珍しくエアコンも不要なくらい涼しくかつ過ごしやすい日が続いていた・・・と思ったらまたあの暑い夏に逆戻りしてしまった。

先日、仕事で奈良県庁を訪れた機会についでにふらっと屋上へ上ってみた。曇っているとは言え、やはりそこは真夏の屋上、コンクリートの輻射熱で蒸し暑い。奈良は幸か不幸か高層ビルも少なくそこからの景色を妨げる建物もほとんどない。流れ出る汗を拭きながら周囲四方を見渡してみた。東には山焼きで有名な「若草山」、北方向には京へ向かう古人が越えたであろうなだらかな「平城山(ならやま)丘陵」が連なっている。遥か西の方角には大阪との境界を為す「生駒の山々」がそびえ、南を眺めると目の前に「興福寺五重塔」が建ち、その遥か彼方に大和三山のひとつである「天の香久山」と思しき山が微かにうかがえる。

古代この土地に古人(いにしえびと)が集い、文化を育み、古代国家を繁栄させたのだ・・・私は暫らく仕事のことは忘れて古の飛鳥・平城(なら)に想いを馳せた・・・・。

以前、古代国家誕生の地である明日香村を歩いたことがある。蘇我氏の館があったという「甘樫の丘」へ登ると飛鳥(注)が一望できる。丘の麓には「飛鳥川」が流れあちこちに墳丘と思しき小山が散在している・・・・。山間部には棚田が広がり所々に民家が建ち並ぶ・・・・。そこにはまさ日本の「原風景」と呼ぶに相応しい景観が残されていた。しかしここに古代国家が繁栄したという知識がなければ、唯の懐かしい山村と見紛うのどかな風景でもある。古代国家の繁栄を偲ばせる建物といえば飛鳥寺、川原寺くらいで、あとは石舞台や古墳がそこにかつては古代国家が存在したことを示すのみである。日本の湿気の多い気候、木の文化が古人の生活の跡を消し去ってしまったのか・・・。石の文化であったならギリシャのバルテノン神殿やローマの多くの遺跡のように古代を偲ばせる遺跡が沢山残っていたであろうに・・・などと柄にもなく感慨に耽った記憶が残っている。

話は変わるが、最近奈良を訪れる観光客や修学旅行生が減少していると言う話を聞く。以前は観光シーズンともなると奈良の街は一般旅行客や修学旅行生でごった返しであったらしい。私も小学校の修学旅行(社会見学?といったか)で京都・奈良を回った記憶があるが、最近は修学旅行でも古都を訪れるより、海外へ行ったりスキーへ行ったりするケースが増えているようだ。観光客も「豊かな生活」を反映して猫も杓子も海外旅行である。またディズニーランドや最近ではユニバーサルスタジオ(私はどちらも行った事がないのだが・・・)等の大規模アミューズメント施設の出現もこの傾向に拍車をかけているようである。余暇の楽しみ方が多様化したということもあろうが、歴史に対する人々の「思い入れ」が少なくなってきたようにも感じる。奈良に住み奈良を愛する者にとっては一抹の淋しさを感じざるを得ない。

歴史は脈々と続いている。私達が生活している「現代」も古から続く歴史の延長線上にあるのである。歴史と言う「礎」の上に「現代」という建物が構築されているのである。そういう意味で、ただ西洋を追い求めるだけでなく、日本の国家発祥の地に立ち、自分の存在を見つめ直してみることも必要なのではないだろうか。
 
 そんなことを考えていると、ふと「儚い」という文字を思い出す。人の夢と書いて「儚い」。人の夢が儚いのか、人の夢の跡が儚いのか・・・・。



(注)
アスカを明日香と書くとどこか今風の感じであるが、飛鳥と同じく古代からの用字である。『古事記』『日本書紀』などは主に飛鳥を用い、万葉集は明日香の表記がだんぜん多いらしい。


47.老後へのソフトランディング

先日の日曜日、家でゴロゴロしていてもただ暑いだけなので、久しぶりに近所をぶらぁ〜と散歩した。だいたい散歩のコースは決まっており、他所の庭や畑の花を見ながら「来年は我が家の庭にもあの花を植えてみようか・・・・」とか「この花は確か故郷の実家の庭に咲いていたなぁ・・・」等ととりとめのないことを考えながら歩いている。コースの途中に公園があるのだが、暑い最中数人のお年寄りがゲートボールに興じていた。その楽しそうな話し声と玉を打つカーンという音に思わず足をとめて暫らく眺めていた。別にそこに将来の自分の姿を当てはめた訳ではないが、ふと、最近時々考えるようになった自分の老後について想いを巡らせてしまったのである。何年後かに、年老いて会社を辞めて、自分は毎日何を考え、何を楽しみ、何を生きがいにして生活しているのだろうか・・・・・。

男達は仕事を持ち、毎日毎日、何十年もの間欠かさず会社へ通う。辛いことにも耐え、多くの私事を犠牲にし、仕事最優先で、もくもくと働いている。何のためにと聞かれれば、ほとんどの男達は、先ず「家族のために」と答えるであろう(ちょっと格好良過ぎるかな?)。まぁ、多少の個人差はあるものの、そんな男達が定年を迎え、ある日突然、朝起きても会社へ行く必要が無くなったとき、一体何をすればいいのだろうか。多少の退職金と、仕事で築いた多少の人脈と、「寂寥感」と「夢」の残骸を抱えて・・・・男は一体何をすべきなんだろうか。老後の退屈な(多分そうであろう)生活にたいする備えもなく、突然膨大な「自由時間」を与えられ、何を励みに生きてくのであろうか・・・・・・・こんなことを最近時々考える。

その点主婦はどうであろうか。夫が汗を流して働いている間、スポーツジムやカルチャーセンターに通って趣味を楽しみ、友達とレストランへ行って美味しい物を食べ、気のあった友達と旅行へ行き・・・・・・亭主が一所懸命働いている間に、着々としかも楽しみながら「老後の準備」をしている。定年という急激な変化がない「主婦業?」を営んでいる主婦でさえ、着々と老後へのソフトランディングに備えているのである。(これは決して嫌味で言っているのではありません。その逞しさを羨ましく思っているのです)

私も今年で51歳を迎えた。娘も社会人として成長し、最近は家族よりも彼氏中心の生活を謳歌している。息子も東京での就職が決まり無事社会人へのスタートを切った。当分は関西へ帰ってくることもなさそうだ。もうすぐ、また夫婦二人の生活が始まるのであろう。女房と出会い、結婚し、子供を育て……そして、やがて、また二人の生活に戻る。その二人の老後を豊かなものにするためには、私もそろそろ老後に向けてのウォ−ミングアップを始めるべきではないだろうか・・・・・・。

そういう豊かな老後を楽しむためには、最低でも「三つの趣味」が必要である・・・・というような事を書いた雑誌を読んだことがある。一つ目は「自分一人で楽しむ趣味」、二つ目は「夫婦で楽しむ趣味」そして三つ目は「地域のグループで楽しむ趣味」、しかもできるだけ体を動かす趣味が理想的だそうである。さらに定年になってから趣味を始めようなどというのでは遅過ぎる、50歳を過ぎた頃から準備にとり掛かるのが理想的であるらしい。私が、数年前から趣味として始めていた「水彩画」のホームページを開設したのも、歳をとってもパソコンで頭を使えるし、絵を描くために外へ出かけるし、最近よく見かけるお年寄りの絵画グループにも入れるし・・・・というようなことを考えたのもその一因となっている。

 50歳を過ぎれば、男性も将来「産業廃棄物?」みたいな生活を送らなくてもいいように、ぼちぼちと自分の老後について真剣に考え、女性に負けずに「老後へのソフトランディング」の準備に取りかかるべきではないだろうか・・・・・と思う今日この頃である。

 しかし水彩画の他に、一体何から始めればいいのだろうか・・・・・・?


46.主婦仕事は大変なのです

世の中では、とりわけ日本の社会では家庭における主婦の仕事は総じて軽んじられている。ひどい話ではあるが「主婦の仕事なんて亭主の仕事に比べたら楽なもんだよ・・・」というのが主婦の仕事に対する男性社会での評価の相場なのである。

私はよその家庭における主婦の実態を知らないし、正直、私を送り出した後、家内が甲斐甲斐しく働いているのか、時間を持て余しているのか・・・・実のところよく知らない(というより見えない。当たり前?)。しかし、よく考えてみれば、毎朝家族の誰よりも早く起きて、皆の朝食を作り(以前は子供の弁当も作っていた)、家族を送り出し、洗濯をして干して、その間あわただしく自分の朝食をとり、朝刊のちらしを見ながら今日は玉子がこの店で安くて豆腐はあの店が安い・・・等と決死の?大作戦を練ったうえ買物に出かけ、一人で簡単な昼食をとり、近所の奥さん連中と適当に(楽しく?)お付き合いし、夕食の準備をし・・・・と上げていくと結構忙しそうにも思える。「ん?意外とやってるんじゃないの」とも思う。私以外の世の亭主連中も冷静に考えてみれば、うちの奥さんもそこそこ頑張ってるんじゃないの・・・・・と思う筈である。

にも拘わらずどうして主婦の仕事の大変さが世の中では認められないのか。答えは一つ、亭主は会社で一生懸命汗水流して働いて(朝から晩まで窓際で新聞や雑誌を読んでいる輩もいるが)給料を稼いでいるのに、女房は金を使うばかりで一銭も稼いでないではないか・・・という「思いこみ」あるいは「習慣的思考」である。「習慣的思考」と書いたがまさに「会社」での習慣(習性)による発想である。「上位職にいる者が下位の者より給料が高いのは、その分仕事の内容も責任も重いのだから当然じゃないか。」 つまり給料=仕事のしんどさ、これが会社における賃金の法則?なのである。その論理をそのまま家庭に持ち込めば、どうしても「金を稼がない=仕事をしていない(楽である)」ということになってしまうのである。これは亭主が悪いのではなく、亭主が身を置いている「企業」という社会ではそれこそが「常識」なのである。

そこで、さらに考えを先に進めて、亭主が定年になり収入が無くなったとき、家庭における亭主の立場はどうなるか・・・と考えてみると、これも答えは火を見るよりも明らか、明々白々である。「稼ぎも無いのに、家ん中でゴロゴロされたら堪んないわヨ〜!まったくぅ!」とか「やることが無いならたまにゃ夕食を作って欲しいもんだわ。んもうっ!」・・・・ということになり、家庭における亭主の権威(あったとしたら?)は一気に失墜してしまうのである。失墜だけで済めばいいが、場合によっては立場が逆転してしまうこともあるのである。お金を稼いでくるから偉そうに言う亭主に文句も言わずに我慢していたが、稼ぎが無くなれば我慢の必要は無いのである。逆に、家庭内の仕事を仕切っている主婦の方が、立場が上になり主導権を握ってしまう確率の方が高いのである。どうしよう〜(恐)。

そいうった事態を引き起こさないためにはどうすればいいか。今からどういう手を打っておくべきか。これも答えは一つ。稼ぎがある今のうちに「お前の仕事も結構大変なんだなぁ」とか「お前が家の事をテキパキとやってくれるので、俺も安心して仕事に打ち込めるヨ」とか言って、主婦の仕事に理解を示しておくのである。そんな歯が浮くようなこと言えるかっ・・・・なんて言わないで、ここは我慢して言っておくのである。将来も家庭の中に「安住の地」を確保し続けたいなら・・・・・・。

私の場合は勿論そんな心配はないと思ってはいるのだが・・・・・




45.日本の弱腰外交−滅亡の方程式−

先日のテレビ報道で、中国瀋陽の日本総領事館における北朝鮮亡命者の生々しくかつ衝撃的な捕捉連行シーンが放映された。この逃亡を手助けした韓国のNGOが撮影したビデオであるらしいが、昨年9月のあの悪夢の一日、テロ犯に乗っ取られた飛行機がニューヨークの世界貿易センタービルへ突っ込んだ、あの映画のワンシーンと見紛うばかりの歴史的大惨事を目の当たりにした時とはまた違った、生々しくかつ陰湿な衝撃を見るものに与えた。

総領事館内へ駆け込む5人の北朝鮮人家族、敷地内まで追いかけ泣き叫ぶ彼等を取り押さえようとする中国の武装警察官、それをだまって呆然と見つめる日本総領事館員・・・・・・・・まさに日本の弱腰外交の「縮図」を見る思いであった、と同時に日本という国の「主権意識の希薄さ」を思い知らされたシーンでもあった。

『アメリカから日本の経済政策に横槍をいれられても抵抗しない日本』、『ODAや湾岸戦争時のように事あれば「金」で済まそうとし世界から「口出ししない財布」と思われている日本』、『北朝鮮の日本人拉致事件についても毅然とした対応が出来ず国民の安全を守ってくれない日本』、『北朝鮮が発射したテポドンミサイルが日本上空を横断して三陸沖に着弾した事件でも米国から事前に情報を貰えなかった日本』、・・・・・・・こんな「日本」を見ていると、わが国に本当の意味での「外交」はあるのか、「世界」からなめられているのではないか・・・と疑問に思わずにはいられない。

外交とは端的に言えば自国の「国益」を守る事ではないか。国際関係の中で自国の「国益」を守るために、自国の意見を主張し、より自国に優位な関係(バランス)を構築することではないのか。どうも日本の政治家や外交官僚の言動を見ていると、他国の事情や利益ばかりを考慮して自国の利益を二の次に考えている(場合によっては国損に甘んじてしまう?)ように思えてならない。多少乱暴な言い方をすれば、北朝鮮や中国のほうが余程外交テクニックに長けていると思えるのだが・・・・・・。

日本人は市民意識・国民意識が希薄だと言われている。外国なら国民の猛反発を受けると思われるような政治家の言動に対しても国民は無関心(諦め?)だし、選挙をしても投票率は驚くほど低い。我々一人一人が「国」を構成しているんだという意識がほとんどないように思える。我々のこの「国」や「政治」に対する無関心が、引いては政治家や官僚の「国益」や「外交」への無関心に繋がっているのではないだろうか。その結果が前述した日本の外交の姿であり、機密費で私腹を肥やす外交官や外交を政治資金確保の場に利用する鈴○宗○のような政治家を生み出しているのである。

「滅亡の方程式」は我々国民一人一人の政治への無関心から始まり、政治家の国益への無関心・無策により終焉する。 

「日本」を守るためにも我々一人一人が、日本を構成する一員としての「国民意識」を持ち、無関心から脱却し、もっと政治に関心を持ちかつ参加していかなくては・・・・・と改めて考えさせられたテレビ報道であった。



44.新生活スタートの4月
 4月といえば入学、進学、入社・・・・多くの人達にとって「新生活スタート」の月である。街を歩いていても、まだスーツが身体に馴染んでいないというかスーツに着られているというか・・・いかにも「私は新入社員でありまぁす!」といった感じの若者をよく見かける。そんな若者を見ると、思わず「頑張れよっ!」と声を掛けたくなってしまう。4月というのはそんな月である。

 実は私の息子も今年から社会人として新たなスタートを切った。家から学校へ通うよりも一人で下宿生活を経験させることにより独立心を培わせようとの思いもあり、毎月の仕送りを覚悟して東京の大学へ進学させていたのだが、あれだけ就職は関西で探す・・・・と言っておきながら、結局は東京の企業へ就職してしまった。親の目から見ればまだまだ少年っぽさが抜けない何とも心配な息子だと思っていたが、これは予想外の出来事であった。その息子からこの間メールが届いた。「・・・・気分的に疲れるけど、毎日何か発見があるから、新鮮な気分や。あとは慣れの問題やろう・・・・」等と、たった1週間しかたっていないのに生意気なことを言ってやがる・・・・と思いながらも、メールを見ながら先ずは家内と二人で「ほっ」と一安心したのであった。


 
ここにもう一人この4月から新生活をスタートした者がいる。私である。昨年の12月から子会社の情報システム会社へ出向していたのだが、この4月をもって正式に移籍したのである。当社の場合、通常は54〜56歳がこの移籍のタイミングであり、51歳を迎えたばかりの私としてはまだまだ先のこと・・・・と考えもしていなかったのであるが、諸般の事情?を鑑み熟考のうえ決断したのである。案の定、恒例の記念式典では私が130人中最年少であった。

 想えば昭和48年のまさにこの4月に、今の我が息子と同じように期待と不安に胸をふくらませて関西の某電力会社に入社し、以来29年間脇目も振らず(実は多少はよそ見みした?)勤続してきたその会社を離れることになったのである。いい意味でも悪い意味でも「大きな」会社であった。社会に貢献しているという自負もあった。りっぱな上司に巡り会えたし、いい仲間も得た。大きさにもどかしさを感じたこともあった・・・・・いろいろな想いはあるが、入社後の人生の大半を会社で過ごし、会社のことを考え、夜も会社の仲間と飲み・・・・まさに会社一色であった。

 
 新しい職場は、以前私が親会社でシステム関係の仕事をしていたこともあり当時からの顔見知りも多く、ややもすると新鮮味に欠けるるきらいもあるが、全く見ず知らずの会社へ出向することを思えば贅沢な悩みかもしれない。とは言うもののやはり新しい職場ではそこに存在する力関係や明文化されない暗黙のルールを見極めなければならないし、またかつての顔見知りがいるとはいうものの、やはりそれなりの新たな人間関係を構築せねばならず、それはそれである種の心地よい緊張感というか刺激もある。それよりも何よりも、この会社・職場が私のサラリーマン(ビジネスマンのほうが格好いいか?)人生第2のステージであり、今が私の「再出発」の時であるという・・・・新たな門出に際しての新鮮な期待感を久し振りに味わえたのも確かである。

 
入社29年、今私は新たなスタートを切った。60歳までとすれば後9年、長いようでもあるが最近の9年間を振り返ってみればあっという間・・・・という気もする。長いか短いかは最後に考えるとして、いずれにしても残された9年間を悔いる事のないよう充実した日々を送りたいものである。

「日日是好日」。



43.我が家の鍋料理

日一日と寒さも遠のき、直ぐそこまで来ている春の予感を感じるようになってきた今日この頃である・・・・・と思っていたら、「お父さん、今晩の夕食は中華鍋にするわよ」と家内が言う。昼間は暖かくなったとはいうものの、やはり夜になるとぐっと気温が下がり肌寒さを感じるこの3月初旬、まだまだ鍋も捨てたもんじゃない。

鍋にもいろいろあるが、我が家では最近「中華鍋」が頻繁に登場する。中華風のダシの素と醤油ベースのダシ汁に肉類は鶏肉団子だけ、あとはキャベツ、韮、モヤシ、シラタキ、薄アゲ、椎茸等をいれた到ってシンプルな鍋である。これが以外と美味しい。特に、そこそこの年齢(簡単に言えば中年だがあまり自分から使いたくない言葉だ)になった私達夫婦には野菜が多いのがいい。それと、具を食べ終わった後にいれる中華麺がこれまた美味い。鶏肉や椎茸等のダシがよく出ていて下手なラーメン屋より余程美味い。この間など、娘の彼氏がどうしても食べたいというので夕食に招待したのだが、結構評判が良く単純な家内は気をよくしている。

最近よく登場するもう一つの鍋はキムチ鍋である。確かに寒い冬にこれを食べると芯から暖まってそれはそれでいいのだが、唐辛子が苦手で、うどんやソバを食べるときも決して七味唐辛子を使わない私にとっては、あの辛さはちょっと頂けない。これも後に中華麺を入れるのだが、これはまるで激辛ラーメンである。

 こうして見ると我が家の最近の鍋は何れもダシ汁に味がついている。
 鍋には、寄せ鍋やすき焼き(私の知り合いが以前すき焼きは鍋ではない・・・といっていたが)のようにダシに味をつけるものと、河豚チリやシャブシャブのように昆布だけのダシで、後は好みの味付けのポン酢などで食する鍋の
2種類がある。

我が家では、新婚当時はすき焼きが多かったように思う。その後30代の半ばを過ぎた頃から、魚ちり、特にアンコウ鍋(河豚は一年に一度しか当らない?ので手頃なアンコウで間に合わせた?)等のアッサリ系が長期間我が家の鍋料理の王座を独占していたが、最近になって先ほどの中華鍋やキムチ鍋にその座を奪われてしまった。奪われたと言うとオーバーだが当のアッサリ系の鍋の身?になって考えてみると、あんなに喜んで食べてもらっていたのに最近とんと見向きもされなくなってしまったのである。

ここだけの話、私の家内は、こと料理に関してはワンパターンの傾向が強く、テレビや雑誌で覚えたての料理が初めて食卓に上った時、「これどう〜?」と聞かれてうかつに「これは美味いっ!」等と評しようものなら、当分は毎日その料理のお世話になることを覚悟しなくてはならない。中華鍋もそのパターンである。ついうっかり「これは意外といけるんじゃない?」等と口を滑らせたばかりに・・・・・・・。

鍋で思い出すのが、自分が子供の頃の鍋と言えば当時はすき焼きしかなかったのではないか・・・・ということである。しかも、あまりみっとも好い話ではないがすき焼きと言っても牛肉を入れるのは稀でほとんどが鶏肉、しかも自分の家で飼っている鶏をさばいた肉であった。そのせいで妹は未だに鶏肉が嫌いでどうしても食べられないようである。それはどうでもいい話で、私が言いたかったのは、昔はどの家庭でも鍋と言えばすき焼きが主流を占めていたということである。そしてすき焼きと言えば、大概の家庭では一家の亭主が、まさに「鍋奉行」よろしく味付けを仕切っていたものなのである。普段は権威のない父親もこの時ばかりはと、味付けだけでなく子供同志の肉の取り合いの裁定?まで全てを仕切れたのである。父親にとっては本当によき時代であった。ところが高度成長の波に乗って、今までは外でしか食べられなかった色々なアッサリ系の鍋が家庭へ入りこんできた。いわゆる?鍋の多様化である。しかも牛肉も今やそんなに高価なものではなくケンカしてまで奪い合う必要ががなくなってしまったのである。

「魚ちり」や「しゃぶしゃぶ」を思い起こして頂きたい。それらのどこに亭主が仕切る余地があるであろうか。魚ちりやしゃぶしゃぶに、好き焼きのように、亭主が砂糖と醤油とお酒で「我が家の味」を作り上げ、家族全員から「流石、おとうさんネ」と尊敬されるような余地がどこにあるであろうか。

最近の父親の権威喪失は、意外とこの辺りに原因があるのかも知れない・・・。



42.富士は日本一の山・・・

今日の朝日新聞に「近代日本画の巨匠横山大観が残した幻の名画が約60年ぶりに見つかった・・・作品は<龍躍る>。霊気みなぎる富士山と湧いて巻くような雲を墨で描き、右下の雲の間に龍を配する・・・・」というような記事であった。写真も掲載されていたが、まさに威風堂々とした「霊気」みなぎる富士の姿である。

横山大観の他にも富士山を好んで描く画家は多いが、私は富士山と言えば、江戸時代末期の浮世絵師葛飾北斎によって描かれた「富嶽三六景」の中の一つ「赤富士」を思い浮かべる。青い樹海から聳え立つ赤い富士山とこれまた青い空に浮かぶ筋状の雲・・・ただそれだけの単純な構図なのだが、教科書か何かで見ただけだと思うが未だにその印象が鮮明に記憶に残っている・・・・。

先週仕事で東京へ出張していたのだが、その帰りの新幹線で、恥ずかしながら初めてまともな?富士山の姿を見ることができた。まともなという言い方も変であるが、要は「裾野から頂上までのほぼ完璧な姿」という意味合いである。もちろん名誉回復のために言っておくが、今までに何十回も新幹線には乗っている。、しかも指定席は出来るだけ「E席(富士山側の窓側の席)」を取るようにしている。また止むを得ない場合を除いて、できるだけ明るい時間帯にその当りを通過できるようにも苦心しているのである。しかしながら、このような涙ぐましい努力も何故か報われず、今までは裾野だけが見えて上は雲の中・・・・というケースがほとんどであり、数回、頂上だけが見えるというのがあったのみである。ところが今回、本当に初めて富士山のほぼ全景を見るという、私にとってはまさに「幸運」を得ることができたのである。しかも先ほどの「赤富士」ほどではないが、夕陽を受けて山肌が薄赤く染まった幻想的な富士山なのである。私は、感動のあまり、東京駅で買った駅弁を開くのも忘れて、富士山の姿が見えなくなるまで、まるで集団就職で故郷を離れていく若者のように、窓に顏を押し付けて名残りを惜しんだものある・・・・・・。

このようなことを描くと何をたかが富士山で・・・と言われるかもしれないし、その日も女房に話したら「私なんか、たまにしか東京へは行かないけど何時でも見えてるわヨ。常日頃の行いが・・・・」なんて、富士山が見えないのは私の行いの所為にされてしまう。これではたまったものではない・・・・・。

富士山といえば、いろんな地方に「○○富士」とうい富士の名前を冠した山がいくつもある。昔、富士山を見た人が、その雄姿、感動を忘れられなくて、姿形が似た地元の山に富士の名を付けて親しんできたのであろう。私が生まれ育った舞鶴にも「若狭富士」(青葉山)という山がある。確かに姿形は富士山に似てはいるが、残念ながらそのスケール、凄みは実物と比べる由もない。

しかし、富士山は本当に偉大な山である。昔から見る人(見てない人も)を惹きつけ続けてきた、言わば日本人の「心の故郷」みたいな山なのである。何と言っても「姿形」がいい。あの稜線が描く安定した端正な三角形の雄姿、この角度、直線が何ともいいのである。ずうーっと見ていても、何時まで経っても飽きがこないし心が落ちついてくる。先程の大観の絵の解説ではないが、富士山は何かそんな「霊気」みたいなものを持っているのかも知れない。ひょっとしたら見た人々の「感動」を吸収しているのだろうか・・・・・。富士山は人をそんな気にさせる「神々しい山」である。



41.神からの警告

21世紀幕開けの年も終わり、2002年の新年を迎えた。昨年は、社会・経済両面ともで暗い気が滅入る出来事が多く、また先行きの不透明感による「不安感」にかられた1年でもあった。

特に経済面では、昨年秋頃に、松下、富士通、日立…・等の大企業が大規模なリストラ策を打ち出し、それでなくとも「リストラ」という言葉に過敏になっていたサラリーマンの「不安」に、更に拍車を掛けた感があった。IT化の進展がバブル崩壊で疲弊した経済の活性化に寄与するのでは…・・という期待のもと、各メーカーが生産設備やエンジニアの増強を図ったが、結果は思うように需要が伸びずに余剰設備、余剰人員を抱えてしまったのである。今度はITバブルの崩壊である。

IT化といえば前世紀末における職場への情報機器の普及は目覚ましいものがあった。約30年前に私が入社したころには、勿論パソコンなんてなかったし、電卓でさえまだ出たばかりで1台数万円もしていたと覚えている。パソコンが初めて職場に導入されたのは、確か20年ほど前のことで、しかも各職場に1台程度の配備で、限られたごく一部のひとがワープロや表計算に活用していたものだ。勿論私など自分で使う事はなく、止む無く自分でワープロを使い始めたのはほんの7〜8年前のことだが・・・・。しかしその後の普及は凄まじく、オンラインによりネットワーク化されると、あっという間に今のように一人1台まで行き渡ってしまった。

 こうしたパソコンの普及によって、職場の様々な業務の効率化が図られた。文書作成の簡素化、計算・集約業務の効率化・・・・・・パソコンのお陰で、我等のオフィス業務は以前に比べ格段に改善された。しかし、その急激な普及の陰で、長い年月をかけて営々として築き上げてきた「権威」と「自身」をパソコンの出現により失ってしまった人達がいたのである。それは、機械音痴?の中高年サラリーマンである。パソコンの出現と職場への普及により、今までは多少の尊厳を保っていた(と思っていたのは本人だけ?)部下の女性から、「こんなことも出来ないの?」「こんな簡単なことも覚えられないの?」と馬鹿にされるようになり、あげくは「私がこれまで過ごしてきた何十年の会社生活は一体何だったのだ・・・・」と自信喪失した中高年サラリーマンは意外と多かったはずである。

 今では、彼等の涙ぐましい努力の結果?そういう「悲しい中高年」も職場から姿を消しつつあるが、こうしてある人にとっては「文明の利器」であるパソコンも、他の人にとっては「文明の悪器」となるのである。

多少面白おかしく書いたが、私が言いたいのは「物事には必ず二面性がある」ということである。喜ぶ人がいればその陰で泣く人がおり、何かを得れば必ず何かを失っている・・・という「裏腹」の関係である。

 文頭のバブル崩壊の話題に戻るが、戦後日本は敗戦からの復興を目指して、「国」と「国民」と「企業」が一丸となって、正に必死になって頑張ってきた。家庭を犠牲にし、自分の時間も仕事の事を考え・・・・・その結果として、日本経済は高度成長の波に乗り、国は豊かになり、我々の生活も「物」で溢れ、「豊か」だと実感するようになった。しかし、本当の意味で我々の生活は豊かになったのであろうか。犠牲にしたのは「過去の」家庭や自分の時間だけだったのだろうか。物質面での豊かさを得た見かえりに「何か大事なもの」「失ってはならないもの」を失ってしまったのではないか・・・・・・。
 経済最優先の「御旗」のもと、飽くなき自動化・効率化だけを文明の発展と同一視して、盲目的に猪突邁進してきた結果、我々は「物の豊かさ」ばかりに気を取られ、大事な「精神の豊かさ」を見失ってしまったのではないか。物質面で豊かになれば、心も豊かになる・・・という思い上がり、その結果が、バブルの崩壊ではなかったのか。

 一向に回復の兆しを見せない不況、今までは想像もできなかった若者による残酷な事件・・・・・。これらを見ていると、「物ばかりを追いかけるのはよしたらどうだ。もっと大事なものがあるではないか・・・・・」という、神から人間への警告に思えてくるのだが・・・・・。

 今年もこのような先行き不透明な状況が回復することはあまり期待できないし、逆に更に悪化するのではという予想も聞くが、せめて政府には、決まり文句の「構造改革」ばかりでなく、「人民の、人民lこよる、人民のための政治を・・・・・」 というリンカーンの演説を思い起こして、一度政治の原点に立ち返って、21世紀には、国民がこのように豊かな生活をはおくるために国としてこんなことをやっていくんだ・・・というビジョンを示して欲しいし、そうすれば国民の先行きに対する不安も幾らかは解消され、経済も多少は上向くのでは・・・・・と思う今年の年頭ではある。

 ・・・・・なんて、新年早々、明るくない話題になってしまった。しかし、真面目な話、今年こそ、せめて回復に向けた明るい「兆し」ぐらいは示して欲しいと思うのは私だけだろうか。