30.自家製コーヒー

 私の家にはコーヒーの大木がある。大木とは言っても私の背丈(183cm)程であるが、コーヒーの木としては大きい方であろう。当然鉢植えである。

 コーヒーの木は姿形がよく、一年中青々とした葉をつけるので観葉植物として最適であり、我が家でも居間の片隅に置いてその緑を楽しんでいる。(楽しんでいるのは私だけで、それでなくとも狭い居間を占領するので女房は文句しきりであるが・・・・・・)

 このコーヒーの木は、12〜3年前に何かのイヴェントの粗品としてもらったもので、以来手塩にかけて育てているものである。5〜6年前の冬に4・5日家を空けた時、凍傷で枝葉のほとんどが枯れてしまい、今までの苦労が水の泡か・・・・・・と心配したが何とかまた生き返ったくれた。それが無ければ2mを超えるまさに大木になっていたであろう。

 このコーヒーの木が何年か前から、夏になると白い花を咲かせるようになった。可憐な小さな花である。しかし、花は咲くものの一向に実がつかない。初めて花が咲いたときは当然花が全て実になると期待していたのだが、一つとして実がならない。日光が少ないのではと外へ出したり、肥料をやったりしたが一向に実がつかない。テレビ等でコーヒー産地での収穫の様子を見ると、枝一杯に鈴なりに実がついているのに・・・・・・・・。やはり日本の風土にはコーヒーの木は合わないのだろうと半分諦めていたら、去年、ついに実がなった。水やりをしている時に見つけたのだが、小指の先ほどのコーヒーの実が3つなっていたのである。たった3つであるが、まさにコーヒーの実である。ここだけの話であるが、コーヒーの実を見つけた時は、感激のあまり涙したほどである。出来の悪い息子の通知簿に初めて「5」を見つけた時のような歓喜である。その実は、一つは干からびて黒くしわくちゃになってしまったが、残りの二つは立派に育って一人前の赤い実に成長してくれた。

 ここまでくると、当然次に考えるのは自家製コーヒーである。自分が育てたコーヒーの実を収穫して、豆を煎って、一人で書斎で本を読みながら、貴重なコーヒーを味わうのである。本は軽い遠藤周作のエッセイがいい、音楽も欲しい。やはりヨー・ヨー・マの「無伴奏チェロ組曲(バッハ)」か。しかし、実からコーヒーいれるとなるとを最低50個は実が生らないと……・。

 てなことを考えているのだが、9月に入ったというのに今年はいっこうに花が咲かない。外へ出すのが遅過ぎたのか。何時になったら自家製コーヒーを味わえるのやら・・・・・・・?



29.朗読を聞く

 この間、ぶら〜っと立寄った本屋で、NHKの「漢詩紀行」という雑誌が目にとまり何気なく買ってしまった。特に漢詩が好きなわけでもなく、また思い入れのある詩があるわけでもない。

 しいて言えば、随分以前にNHK教育テレビで「漢詩紀行」という番組を見たときに、朗々と読み上げられていた漢詩の響きというか旋律に惹かれたという記憶が残っているということくらいであろうか。

 朗読といえば、過日南紀へ旅行に行った時、新宮市内にある「佐藤春夫記念館」へ立寄ったのだが、その時も本人の肉声による詩の朗読のテープが流されており、その朴訥とした朗読に見学の歩を止めて聞入ったものだ。

塵まみれなる街路樹に
哀れなる五月来にけり
石だたみ都大路を歩みつつ
恋しきや何ぞわが古郷
あさもよし紀の国の・・・・・ 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
空青し山青し海青し
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  (望郷五月歌)

 多分、その声から判断すると70歳近い最晩年に近い頃の録音であろうか。その昔の人らしい、飾り気のない、かすれ気味の声が望郷の念を歌う詩の朗読にはまさにピッタリであり、私の心に何かジーンと訴えてくるものがあったのを覚えている。

 朗読と言えば、三國連太郎、井川比佐志、佐藤慶、江守徹、女性では岸田今日子あたりが思い浮かぶ。こうして見ると、何れも人生の「酸いも甘いも」知り尽くした、いわゆる「渋みのある」俳優さんばかりである。やはり、歌や詩あるいは名文の朗読は、人生の苦汁を味わった経験がその声に滲み出ていなければだめである。女性の甲高い声の朗読なんて興醒めである(これはちょっと言い過ぎか?)。

 そう言えば、先程のNHK教育テレビの「漢詩紀行」は、俳優の江守徹が朗読していたと記憶しているのだが、彼の漢詩朗読は実に素晴らしかった。抑揚のない声で、感情を込めて漢詩を朗読するその声を聞きたいというだけで、何故か好きでもない漢詩の番組を見ていたのだから。

   静夜思  (李白)

牀前看月光     牀前(しょうぜん)月光を看る
疑是地上霜     疑うらくは是れ 地上の霜かと
挙頭望山月     頭を挙げて山月を望み
低頭思故郷     頭を低れて故郷を思う       *牀=寝台

 この詩は、中学か高校の教科書にも載っていた有名な漢詩であるが、江守徹の声を想像しながらこの漢詩を頭の中で読み上げて頂きたい。窓から差し込んでくる、霜と見紛うばかりの冴えた月の光・・・・・・なにかそんな光景がぼぉ〜と浮かんできませんか。

 なんてことを書きながら、漢詩や朗読だのと言い始めたのもやはり年のせいか・・・・・・・・などと考えてしまうのである。

   沈思    (TAKESAN)

最近好漢詩
是老年所為
我未五十路
嗚呼淋人生

やはり私には漢詩は無理みたいです・・・・。


28.芸術の秋・・・

先日、久しぶりにM氏の水彩画の個展を見に行ってきた。

M氏は奈良在住の方で、定年退職後それまでの油絵から水彩画に転向され、以後奈良の社寺を中心に素適な淡彩画を描いておられる。現在は主婦を対象に絵画教室も開いておられるらしい。

 4〜5年前に初めて、私が勤務している会社が公開しているギャラリーで個展を拝見したのがキッカケでお知り合いになり、お言葉に甘えてご自宅のアトリエを訪問して以来、毎年個展のご案内を頂き、家内と二人で伺っている。

今回も、興福寺五重塔、二月堂、二月堂への参道、薬師寺、法起寺等奈良の社寺をM氏独特の画法で描いておられ、家内と二人で堪能させて頂いた。独特というのは、別に専売特許でも何でもないだろうが、M氏は割り箸にインクを付けてスケッチし、それに淡彩で彩色しておられるのだが、その割り箸の太く濃い線とかすれた頼りなげな線のアンバランスさが、古い社寺の雰囲気と微妙にマッチしており、何とも言えない味を醸し出している。竹ペンや葦ペンとはまた違った「味」である。

M氏によれば、上等な割り箸はインクの吸いこみも悪くまた線も堅くてダメだそうで、ス−パ−に売っている一袋に何十本も入っているような安物がいいそうである。普段は見向きもしない割り箸も意外なところで重宝されているものである。

私も素人水彩画家の端くれを自称する者であり、M氏と同じく奈良に惹かれ社寺の塔を中心に描いているのだが、同じ奈良の社寺の風景を、同じアングルで描いてもかくも異なった絵になるのか・・・と改めて痛感させられた一日であった。

同じ対象物を見て描いても、先ず、画用紙に表現した素描の線が全然違う、次に同じ屋根や樹木を彩色してもこれもまた色の捉え方が全く違う。ひょっとして、同じ風景を見ても、人の目には別々の風景が映っているのか・・・と思うほどである。

まさにこれが「個性」でありかつ「画風」なのだ。私も早く自分なりの・・・・・・・と再認識させられた。

  私も、かれこれ10年近く水彩画を描いている。しかし期間は長いが何分サラリーマンの身分なので、土日しかも気が向いた時しか筆を持つことは無く、未だに自分の画風定まらず、人の絵を見てはテクニックを吸収?している。

  どちらかと言うと、私の水彩画は色を塗りたくるタイプらしく、素描のしっかりした淡彩画を見ると「あぁ、こんなあっさりとした絵が描けたらなぁ」等とつい思ってしまうのだが、しかし物は考えようで、淡彩指向の人もいれば濃彩(造語?)指向の人もいるのであって、それが「個性」「画風」というものではないか・・・・とか、自分の個性が定まっていない方が、色んな描き方にチャレンジできて楽しいではないか・・・・等と自分を納得させているのである。

最近、ようやく涼しくなってきて、そんなに汗をかかずに外を歩けるようになってきた。しかしこの間まで続いたあの蒸し暑さでは創作意欲も一向に湧かず、当然の結果として製作は進まず、手持ちの在庫(絵は商品じゃないぞっ!)もぼちぼちと底をつきかけてきた。このままでは、自分のギャラリーに作品をアップせずに仲間のホームページを覗いては冗談をカキコするのが精一杯である。これでは、自称水彩画家の名が廃る(そんなものあるかっ!)し、まだサイトを公表して4ケ月でのギヴアップも世間体が悪い・・・・・等と考えはじめていた矢先だけに、M氏の個展を拝見したのは、まさに絶妙なタイミングであり、改めて創作意欲を描きたてられた一日であった。

 今日も、家内の知り合いの水彩スケッチの個展を見に行ってきた。油彩もやっておられるらしく、流石に素描がしっかりとしていて、サッサと描いた鉛筆やペンの線に透明感のある水彩が上手くマッチした素適な作品であった。

 芸術の秋も直ぐそこに近づいてきた。おとぎ話のアリさんではないが、一杯描いて在庫を蓄えておかなくちゃ・・・・・・・。


27.人生とは・・・・・

 この間、本を整理していたら三木清の「人生論ノート」が出てきた。
昭和43年と記しているから高校二年か三年の時だ。
懐かしくなってページをめくってみるとこんな個所に線が引いてあった。

 「幸福について考えることはすでに一つの、おそらく最大の、不幸の兆しであるといわれるかも知れない。健全な胃をもった者が胃の存在を感じないように、幸福である者は幸福について考えないといわれるであろう。しかしながら今日の人間ははたして幸福であるために幸福について考えないのであるか。むしろわれわれの時代は人々に幸福について考える気力をさえ失わせてしまったほど不幸なのではあるまいか。 .....これが現代人の不幸を特徴づけている。」

 受験勉強の一環で読んだのか、それとも、本当に「幸福とは何ぞや」などと、ニキビを潰しながら思い悩んでいたのだろうか。しかし、こんな個所に線を引いているなんて、今思えば「青い」ですネエ。青春してますネ。

 引用した文章の意味するところとは多少違うが、私は、最近「幸福」をも含めて、この世の中で「何かいい事」なんてあまり期待しないほうがいいのではないか・・・・そんな気がしている。

 別に、世の中を「悲観的」に見ているとか「マイナス思考」だとかいうのではない。人生ってかけがえのないものだと思っている。そのうえで、人生に多くのことを望まない方が却って幸せに生きられるのではないか・・・・と思うのである。自分で言うのもおかしいが、ある意味では、すごく「現実的な考え方」ではないかとも思う。

 この厳しい世の中(現実)で、本当の意味で「夢」を実現することができるのは、余程意志が強くて、勤勉で、努力家で、かつ幸運に恵まれたごく一部の人だけではないのか。われわれ凡人には、そんな夢を実現するための、継続的な「たゆまぬ」努力なんてはなから無理なのではないか。最近、そう思う。

 プロ野球選手になろうと思っても誰でもなれるものではないし、社長になろうと思って頑張ってもなかなかなれるものではない。それを実現できるのは、ほんのごく一握りの限られた人間だけである。大半の人は、平凡な人間、いわるる「庶民」なのである。

 別に努力することを否定している訳ではない。自分自身を「磨く」ための努力は惜しまずするべきである。一日を振り返って「今日はよくやったな」とか、人生の節目節目で「これだけ頑張ったのだからいいじゃないか」と思える程度の努力は必要である。簡単に言えば、「自分」という人間の「力量」を認識し、「分相応」の生き方をするしかないということである。「分」等と言うと、古い人間とかこの自由な時代に時代錯誤ではないかと言う人がいるかも知れないが、人間が人との係わり合いの中で生きていく上で一番大切なものだと言ってもいいのではないだろうか・・・・・

 さらに、逆説的な言い方をすれば、この世の中、分不相応な夢を追わず、張りきり過ぎず、現実はそんなに甘いものではないんだと悟り、世の中こんなものだと認識したうえで生きているほうが、かえって「生きていることの素晴らしさ」を実感できるような気がする。

 思いもよらぬ他人の親切に合って「まだこんな奇特な人がいるんだなア」とか、職場での上司との関係に「まだまだ人と人の触合いは期待できるんだなア」とか、新聞記事を見て「まだ世の中捨てたもんではないんだ」と感動しているほうが、人生を素晴らしいものだと実感できるし楽しく生きられるような気がする・・・・・・。

 そう思いませんか。



26.蝉とキリギリス

 蝉とキリギリス…・・何も童話を書こうという訳ではない。

 蝉もキリギリスも夏の風物詩(音?)である。この暑さにへこたれることなく、木々の梢で草むらの中でその鳴き声を競い合っている。それらの鳴き声を聞いていると、網と虫かごを持って近くの神社の境内を駆け回った子供時代を懐かしく思い出す。いずれの鳴き声も聞く者の心にほのかな郷愁を誘うが、私はどちらかと言うと蝉よりもキリギリスの鳴き声に心惹かれる。

 蝉の鳴き声はにぎやかである。一匹ならまだしも蝉の大群の鳴き声は「風物」「風流」を通り越して、もう「喧噪」そのものである。つい最近も蝉の鳴き声で折角の休日の朝のうたた寝を醒まされたことがある。

 この暑い日中に蝉の鳴き声を聞いていると、それだけで気温が2〜3度くらい高く感じられていけない……が、長い間地上へ出ることを夢見てひたすら土の中で堪え忍び、ようやく地上へ出ても僅か数日の命なのだから、朝から晩まで寸時を惜しんで泣き叫びたい気持ちも分からないわけでもないが…・。

 昔から、蝉の寿命の短さは、人の命の儚さに喩えられるが、その儚いイメージと賑やかな鳴き声がどうもピッタリ来ない。もっと悲しそうに鳴いた方が聞く者の気を引いて同情を受けるれるのに・・・・・・などと思ってしまう。。

 その点、キリギリスの鳴き声はどこか余裕がある。「スウイッ――チョン」。鳴き声が途絶え、もうボチボチかなあ〜それとももう終わったのかなぁ〜と思った時に、また「スウイッ――チョン」。この「間」が絶妙のタイミングである。日本的である。しかしこのキリギリスの鳴き声は、どのように羽根を擦り合わせたら出るのか、特に「…チョン…」の音は人間の頭では想像がつかない。自然の「不思議」である。

 人の世界にも「蝉」と「キリギリス」はいる。

 会議中、他人のことなどお構いなしに自分の意見だけを喋りまくる人、絶妙のタイミングで人を唸らせる発言をする人。私は人の世界でも「キリギリス」が好きである。

最後に虫の鳴き声に因んで一句

   泡沫の 命惜しんで
 鳴く蝉や せめて覚ますな うたた寝の朝

   
道すがら 草むらに聞く 虫の声 姿求めて ふと歩を止める


25.なら燈花会を見て

 お盆だというのに、肌をジリジリと焼くような強い陽射しの日が続いている。
この凄まじいばかりの暑さから逃れて、少しばかり涼をとろうと、家内と二人で「なら燈花会」へ出かけた。

 「なら燈花会」は、奈良の新しい風物詩として
3年前に始められた奈良のお盆を飾るイベントであるが、私も家内も今回が初めてである。

 「なら燈花会」は奈良公園内の四つのエリアで、竹灯り、舟灯り、ろうそく等それぞれ特徴のある無数のろうそくの灯りが燈される。人々は、それぞれの灯りを楽しみながらその四ケ所を巡るという訳である。

 私達夫婦は、毎年暑さもそろそろ納まりかける9月頃、ライトアップされた奈良公園内の東大寺や興福寺五重塔あるいは浮見堂等を見に出かけるのを楽しみにしているのだが、今回は「なら燈花会」とライトアップ鑑賞を兼ねて、例年よりも早い時期に出かけた。

 いつもライトアップを見に来た時に立ち寄る天婦羅屋さんで夕食をとり、「いざ行かん!」と立ち上がったが、ビールを中ジョッキ2杯しか飲んでいない家内が今日に限ってどう言うわけか酔っ払ってしまい、止む無く手を引いて歩く破目になってしまった・・・・・。

 初めて見る「なら燈花会」は、確かに一面に無数のろうそくの灯りがゆらめき、見るものを幻想の世界に引き込む。湖面に映る舟に燈された灯り、川の流れのように配された灯り・・・・・。同じ「灯り」でも、五重塔等の古い建物のライトアップとはまた異なった趣を味わう事ができた。

 しかし、何か心に引っかかるものが残る。それは一体何だろうと考えてみた。

 それは、このイベントが、その美しさとは裏腹に、何か人工的なもの、更に言えば主催者側の「意図」を感じてしまうのである。

 そもそも、普段は公園の原っぱであるところに何千本ものろうそくの灯りを、しかもガラスの器に入れて燈もすこと自体何か人工的であり作り物という感を否めない。これが、歴史のない普通の街なら兎も角、奈良という歴史ある街には、こういった新しい祭りというのは何か馴染まないような気がする。やはり、古都の祭りは、昔から守り続けられている寺社の行事とか民衆の間に伝えられている伝統行事など「歴史」を感じさせるものでなければ・・・・と思ってしまう。

これは私の勝手な感慨であろうか・・・・?

   ライト浴び 闇に浮かびし 五重塔 燈火連ねて 霊を慰む

もう一句

   暗闇に 燈火流れし 浅芽ケ原に 妻と浸りし 幻想の世界 
 



24.父親への恋心

 この間、時々飲みに行っている小料理屋へ久しぶりに顔を出した。

 やはり奈良も世間並みに不景気なのか、暖簾をくぐると女将さんが一人ぽつんとカウンターに腰を掛けていた。 他愛もない雑談を交わしながらしばらくビールを飲んでいたが、話が途切れて一瞬静寂が戻ったとき女将さんが世間話でもするかのようにふと呟いた。

「私には今年92歳になる父親がいて・・・・・この間九州の老人ホームへ1年ぶりに会いに行って来たんだけど、私、父親の顔を見るたびに鼓動が聞こえるほど胸がときめくのよ。きっと父親に惚れているんだわ…・・」

 娘が父親に惚れる…・本来なら、世間常識から言えば肉親に対するそういった感情は何か不潔なものとして忌み嫌われるものだが、その時は何か高貴な話を聞いたかのように皆シーンと静まりかえってしまった。

 私はふと、自分が年老いたとき娘は一体自分に対してどんな感情を持つのだろうか…・・と思いを馳せたが、多分娘は私に対して、尊敬はしても(それも期待できない?)そんな感情を抱くことはないだろうし、また抱いて欲しくもない…・・と思いながらも、一抹の寂しさを感じてしまった。

 この女将さんは、15歳の時に芸妓になって以来、ずっとその厳しい世界に身をおいて今まで生きてこられた。以前、芸妓になって初めて撮ったという写真を見せてもらったことがあったが、セピア色に色褪せた写真に、髪を結って不安げにカメラに向かう一人の「少女」が映っていた。

 今は63歳になるこの女将さん(女将さんというよりお姐さんと言った方が似合っている)は、美空ひばりに似た「粋き」で「気丈」で、気に入らない客がいたら追い返してしまうような「竹を割ったような性格」の持ち主で、以前実際に、男性二人と正体を無くすほど酔っぱらった一人の女性客が来た時も、あなたに飲ませるような酒は無いワ・・・・と言って追い返したことがあった。多分女将さんが生きてきた世界では、女性がそこまで酔い潰れるということは許されなかったのであろう。そういう厳しい世界を生き抜いて来たのであろう・・・・・・。

 15歳で親元を離れ、厳しい芸妓の世界に身をおいていれば、きっと私達の常識を越えた辛いことや悲しいことが一杯あったであろう。そんな時、遠くにいる両親を想い浮かべながら涙を流し、自分を奮い立たせて生きて来たのであろう。そんな親への想いが先ほどの「…胸がときめく…」という感情を育んだのであろうか。

 その後、これからスナックへ行くという私達に、どういう風の吹き回しか、珍しく「私もカラオケへ行きたいワ。何年ぶりかしら。」と言いだし、そそくさと店を閉めてしまった。

 スナックでの女将さんは、芸妓時代に戻ったかのように、張りのあるきれい声で、美空ひばりや神楽坂はん子の歌を歌っっていた。懐かしそうに歌う女将さんの横顔をふと見ると、目になにかキラリと光るものがあった。私にはそれが「涙」に見えた……。


23.下ネタの特権?

 私の友人に、50才になった今も週に1回は夜「何」をいたすと豪語する友人がいる。勿論奥さんとである。彼は、敢えて「奥さんと・・・・・」とは言わなかったが、どう見ても外でいたせる程女性にもてるとは思えないし、それだけ子金を持っている筈は無い(友人なので収入は想像がつく)。私など「元気だのう〜」などと、多少軽蔑(?)の意味を込めたように冷やかすのだが、勿論本心ではない。やっかみ半分である。本心では彼の元気さが羨ましいのである。日本人はどうも、「性」イコール「陰湿なもの」「羞恥」という意識が強過ぎていけない。

 何かの雑誌で、「週何回いたすか?」と聞くと、日本人は大概実際の半分の回数を申告(?)すると書いてあった。さすると彼の場合は・・・・・。私などは全く・・・(拙いッ!もう少しでついうっかりと書いてしまうところだった。このHPは、女房の友人や娘の友人にもPRしているのだった。ヤバイヤバイ)。

 最近「あれの続き」(著者:島村洋子)という文庫本買った。島村洋子なる作家が何歳くらいの女性で、他にどんな本を書いているのかは知らなかった(無知でスミマセン)が、ただ、本のストックが無くなったので書店でブラ〜と本を眺めていて、そのちょっと意味深なタイトルに惹かれて買ってしまったのだ。

 内容は、簡単に言えば、女性による「下ネタ集」というか「下ネタ自伝」である。例えば、風呂上りに素裸で胡座をかいて、「あそこ」に見つけたばかりの白髪を抜いた話とか、何をいたす時に男性が使う(本来は使わなくてすむ方が好ましい)避妊用具のサイズには「S」[M]「L」とあるが、男は絶対に「S」は買わない(買えない)はずだ・・・・といった類の、他愛の無い正に「下ネタ」がほとんどである。読んで解ったのだが、彼女は何と「何々賞」とかいう賞も貰っているようであり、他にも「せずには帰れない」とか「へるもんじゃなし」などという同類の本を書いているようでもある。また、これも読んで解ったのだが、なんと彼女は人妻でしかも美人であるらしい。そんなことはどうでもいいのだが「下ネタ」は実に楽しい。そして、この本も実に楽しい。

 しかし、世の中変わったものである。下ネタは男の特権だとばかり思っていた・・・・。

(追記)
このエッセイを始めて、一度でいいからどうしても「下ネタ」を書いて見たかったのだが、やっとここに実現した。飲みに行っても、盛り上がるのは「上司の悪口」と「下ネタ」と相場は決まっている。今は「しらふ」であるが、その楽しみを秘めておくのが勿体無くて・・・・・等と言いつつ、このHPの品位を下げたのではないか・・・と本人は心配頻り・・・である (~_~;)。


22.四畳半一間の下宿

 7月14日の朝日新聞の「声」欄に「隣人が見える四畳半の下宿」という23歳の学生の投稿があり、興味深く読ませてもらった。その一部を紹介する。

 「・・・(略)・・・私の下宿は、木造2階建て、四畳半の部屋に、共同のトイレ、ふろ、台所などがある。・・・(略)・・・私は友人のマンションに何度か遊びにいったことがある。なるほど、私の住んでいる所よりも、新しくきれいで、何よりもプライバシーが保障されている。隣の声が筒抜けの下宿とはえらい違いだ。だけど隣にだれが住んでいるのか分からない。私のところは、どこにだれが住んでいるのか分かっているし、顔を合わせれば挨拶もする。・・・(略)・・・下宿は社会に出るまでの、人付き合いを学ぶ場所としてとてもいい場所である。これから社会に出れば、様々な人間とかかわりを持つことになるのだ。その練習だ。大学だけでなく、この下宿も私にとっては大切な学びの場のひとつである。」

 偉いッ!今時の若者には珍しく、大勢に流されず、きちんとした自己主張を持ち、しかも、前向きである。実に感心な学生である。

 私が、この記事を読んで関心を持ったのは、ひとつには、今も言ったように、この学生が奢侈に惑わされず、質実な生活を送りながらも、それを引け目に感じず逆に社会勉強として捉えているその姿勢であり、もうひとつは、今はもう「懐メロ」になってしまった「神田川」に代表されるあの「四畳半の世界」(ただし「神田川」では三畳一間であった・・・南こうせつは相当酷い生活を送っていたようだ・・・?)が、未だに存在するのか・・・というノスタルジックな驚きである。

 しかし、最近の学生は皆、当時に比べれば夢のようなワンルームマンションに住んでいるものとばかり思っていた。東京で下宿している息子にこの記事を見せなくては・・・・・。

 私が30数年前、京都で学生生活を送っていたのも「四畳半一間の下宿」であった。勿論、トイレ、台所は共同で、風呂は近所の風呂屋へ通っていた。当時はこれが「相場」であり、マンションに住んでいるのは社長か医者の息子に限られていた。私が下宿していたのは「一乗寺」という町であったが、学生向けの下宿や飯屋(めしや)が沢山あって、学生には大変住み安くまた大事にしてくれた町でもあった。そう言えば、トイレ・バス付きの下宿が普及するにつれて風呂屋も姿を見かけなくなってきた・・・。

 風呂屋といえば、当時の私は、面倒くさくて一週間に一度位しか風呂屋へ行かなくても我慢できるくせせに、夜遅く行くとお湯が汚れているような気がして、4時(?)頃の「一番風呂」をねらって行くという非常に清潔好きな(どこか矛盾していないだろうか?)青年であった。面白いもので、4月頃は、今までの「家族風呂」から誰が入った後か分からない「公衆風呂」への環境変化に適応できずに、近所の新入生達がこの「一番風呂」を狙って我先にと競い合っていたが、不思議なもので、数ケ月たてば、彼等の姿を見かけなくなったものだ。

 当時の私の生活パターンは、月の前半、小遣いがあるうちは近所の飯屋で外食。今も覚えているが、「寄せ鍋定食」というのがあって、アルミの薄鍋に、具は豚肉、魚、エビ、野菜、蒲鉾二切れ、最後に玉子でとじてあるという実に栄養バランスに優れた健康的なメニューがあり、値段もそこそこ安かったので、夏冬を問わずしょっちゅう食べていた。今思うとあまり衛生的な店ではなかったが、当時は「安くて美味い」というのが唯一の必要不可欠条件であった。そして小遣いが無くなる月後半は、家から送ってもらった米を炊いて、小遣いがあるうちに買い貯めしておいた缶詰をオカズにして食べる・・・・そういう生活を送っていた。月末になると、鼻のいい連中が集まってきて、サンマの蒲焼の缶詰一つを4〜5人で囲んで、丼めしを鱈腹食ったものだ。

 また、下宿の近くにオールナイトのポルノ映画館があり、よくお世話になったものだ。当時は日活ロマンポルノ全盛の頃で、片桐夕子、白川和子、宮下順子等が活躍していた(我ながらよく憶えているものだ)。土曜日の夜など無聊を慰めるため、よく仲間と徹夜で見に行ったものだ。「団地妻」なんて言葉が流行ったのも確かこの頃であった(そんなことはどうでもいい!ごもっとも)。

投稿記事のお陰で、30数年前の学生時代の生活を懐かしくかつほろ苦く思い出してしまった・・・・。

 親元から離れて下宿生活送ることによる、誰からも監視されることのない自由な生活の謳歌、新しい物事・経験への挑戦、放っておけばどこまでも堕落していきそうなルーズな生活に対する不安、・・・・・・・・。

 ただし、「神田川」のように、風呂屋の前で彼女と待ち合わせをするような洒落た場面には恵まれなかったが・・・・・・・。


21.梅雨にはアジサイが似合う

 今年は大した雨も降らないうちに「梅雨」が明けそうである。

 我等サラリーマンのように毎日出掛ける者にとっては、雨が少ないのはありがたい事であるが、お百姓さんにとっては「ありがたい」なんて言っておられない事態であろう。多分今年も、真夏になれば、あちらこちらで「水不足」の話題で持ちきりになるのであろうか・・・・・・。

 梅雨といえば何と言っても「アジサイ」である。「富士」には「月見草」が似合うように、やはり「アジサイ」には「梅雨」がよく合う。梅雨に濡れて、庭の片隅で色鮮やかに咲くアジサイ、しかも障子を開けて濡れ縁越しに眺める梅雨のアジサイが一番である。

 我が家の庭には、一本のガクアジサイと白と紫のアジサイがそれぞれ一本づつ咲いている。今年もまだ次から次へと大輪の花を咲かせ続けているが、雨が少ないせいか、心なしか花の色の鮮やかさも今一つのようである。

 アジサイといえば、大学四年生のちょうど今頃、一人で九州一周の卒業旅行を旅した時、長崎のオランダ坂の近くで、アジサイの大木を見た記憶が残っている。これがアジサイか・・・・と思うほど見事な大木で、色鮮やかな青い花を木一杯に咲かせていた。別に此れと言って特別な景色ではないのだが、何故かその印象が強く残っており、今も目を瞑ればオランダ坂の麓に咲くそのアジサイの大木を思い浮かべることができる。

 アジサイでもう一つ思い起こすのは「カタツムリ」である。子供の頃にはアジサイの木には沢山のカタツムリがいたものであるが、どういう訳か、最近はカタツムリの姿を見かけない。アジサイの葉の上で、頭から二本の角(?)を出し、束の間の梅雨を静かに楽しんでいたあのカタツムリが姿を消してしまった・・・・・・。カタツムリだけでなく、最近は蛍も姿を消したし、ザリガニもあまり見かけなくなった。子供の頃遊んだ虫をほとんど見かけなくなってしまった・・・。

 私達は「豊さを」求めてきた。冷蔵庫、テレビ、車、エアコン、パソコン・・・こう言った文明の利器のお陰で、私達の生活は確かに豊かになった。子供の頃の生活に比べればその便利さは雲泥の差がある。しかし一方で、子供の頃親しんだ、自然のままの山や川や海は、どこへ行っても見つけることは難しくなってきた。
 失ったものを懐かしく想うのは単なる「郷愁」であろうか・・・・・。

今日、喫茶店で、グラスに挿した一輪の「緑色」のアジサイを見た。