10.宇多田ヒカルもいいもんだ!

 最近、宇多田カル、浜崎あゆみ、小柳ユキといった若い歌手の曲をよく聴く。聴いてみると、何の抵抗もなく、意外とすんなりと耳に入ってくる。恥ずかしながら(?)CDRに録音して、通勤途上で聴いたりもする。まさかこの年になって、こんな若い世代の曲を聴くようになるとは.....。

 本来、私の音楽の趣味は「Blues」である。エリック・クラプトン、B.B.キング、バディ・ガイ等のブルース・ギターに陶酔している。泣くようなブルース・ギターの旋律が何とも言えず心に沁みる。そんな私が何故.......。

 そもそも、私が音楽に関心を持ち始めたのは、中学生の頃で、同世代の人と同じく、ビートルズ、ベンチャーズ、ウォーカーブラザーズ等の曲を聴きまくったものだ。特に、ウォーカーブラザーズが好きで、当時「フジチョコレート(?)」のCMに出ていた彼らのポスターを入手するためにチョコレートを買いまくって応募したものだ。今でも彼等の「孤独の太陽」という曲の歌詞を覚えている。

 また、当時は、ステレオ等はまだまだ贅沢品で、古い真空管式のラジオにレコードプレーヤーを接続して聴いたものだ。欲しいレコードもなかなか買えず、友達に借りたりしたものだ。

 大学時代は、先ず「フォークソング」から始まった。一時期「アメリカ民謡研究会」に所属し、京都御所でみんなで輪になってギターを弾きながらザ・ブロードサイド・フォーの「若者たち」やPPM(ピーター、ポール&マリー)の曲を歌ったものだ。それから、近くに「ロック喫茶」があったこともあり、オールマン・ブラザーズ・バンド等のアメリカ南部のロックに傾倒していき、さらにそこから、「Blues」、「Jazz」へと移っていく。会社へ入ってからは、「Blues」、「Jazz」が中心で、毎月、少ない給料からLPを3〜4枚も買っていた。彼女(今の女房)とのデートも、先ず出発点は「レコード屋」で、彼女を放って置いてお気に入りのレコードを探しまくったものだ(いまだに、思い出しては女房にこぼされる)。今でもJazzのレコードは数百枚残っているが、ステレオが壊れてしまったので棚の中に聴かれることもなく眠っている(もったいない)。(泣)

 30代後半から40代のころは、あまり音楽に没頭することはなかったが、最近になって、また「Blues」の魅力にとりつかれ、売り払ってしまったLPと同じタイトルのCDを買い漁っている(一時期Bluesのレコードを100枚程度持っていたが、Jazzのレコードを買うために下取りに出してしまったのだ。残念!)。人間の嗜好も流行と同じようにリヴァイバル?があるのか・・・・?やはり、私にはBluesのメロディーが合っているような気がする。

 話が逸れてしまったが、最近、宇多田ヒカル等の曲を何故聴き始めたか....ということだが、彼女達の曲のメロディーには、一種独特の「緊張感」というか「スリリング」な旋律があるように思う。私が、JazzやBluesを聴くのも、それらが持つ緊張感を求めているような気がする。だから、私は、音楽をBGMとして聴くのではなく、どちらかというと、他のことは何もしないで、音楽に聴き入るというスタイルだ。こじつけかも知れないが、彼女達の曲には、何か共通のものがあるような気がする。

 まあ、音楽くらいは、理屈抜きで「いいと感じた曲」を聴けばいいか....。


9.ハーモニカの音色
 黄昏時のバス停のベンチで、年老いた婦人が一人ハーモニカを吹いていた。本来なら、何も気にすることのない、どちらかと言うと微笑ましい光景のはずであるが、そのとき、私は老婆のその姿に、何か淋しくもの哀しい気配を感じてしまった。

 メロディー自体は、そんなに淋しいものではなかったが、俯き加減にハーモニカを吹くその姿が、何故か私の心の片隅に残ってしまったのである。

 ひよっとしたら、最近亡くなった息子さんの形見であろうか。それともご主人の形見であろうか。何れにしても、最近失った身近な家族を偲びながら、形見のハーモニカを吹いている.....。そんな事を連想させるもの哀しい「光景」であった。

 ハーモニカといえば、私たち(?)が子どもの頃は、小学校の音楽の授業でも必須(確かそんな気がする)であったし、学校から帰ってもポケットに入れて持ち歩き、友達と「吹きっこ」したものだ。私たちの世代には、ハーモニカにはそんな楽しい思い出が詰まっている。本来、楽器と言うのは、言葉通り気分を楽しくさせる物である。そのような「楽器」を吹く姿があんなにも淋しそうだったとは・・・・・。私の頭からあの老婆のイメージがなかなか離れなかった。

 お婆さん、私の思い過ごしかも知れませんが、いつまでも亡くなった人のことを偲んでいないで、残り少ない人生を、明るく、愉快に過ごして下さい。そう声を掛けたくなるような印象的な姿であった・・・・・。


8「補色」の関係
 色には「補色」と言う関係がある。このような絵画関係のホームページを覗きにくる人はご存知だと思うが、例えば「赤」と「緑」、「青」と「黄」等がこの補色の関係に当る。もう少し専門的に言うと、「色相環」という基本的な色の環の向かい同志の関係にあるのが、この「補色」である。

 この「補色」の関係にある2つの色は、並べて塗ると、互いを引き立て合って鮮やかな色彩を放つ。例えば、「赤い」花を見て人々が鮮やかだと感じるのは、葉という「緑」色の背景があるからである。しかし、この2色も、パレットの上で混ぜ合わせてしまうと、今一つ冴えない「グレー」に近い色になってしまう(影の色にこの色を使うこともある)。不思議な関係であるが、何か、人間関係にも当てはまるように思える。

 人にはそれぞれ「個性」というものがある。みんなそれぞれが素晴らしい個性である。本人が自分の個性を好きであろうとなかろうと、「個性」こそ「自分自身」であり、自分の「鏡」である。そういう意味でも自分の個性というものをもっと大切にして生きたいものである。

 最近の若い人(特に、高校生くらい?)を見ていると、一昔前は「ルーズソックス」最近では「顔黒」「茶髪」と、みんな同じ格好をしている。特に「顔黒」等みんな同じ顔に見える(親でも区別が付かないのでは?)。個と個が混ざり合ってしまってる。つまり「グレー」なのである。別に、ファッション自体を悪くいうつもりはないし、ファッションだけが「個性」だとは思わないが、余りにも「自己」が無さすぎるのでは......と思ってしまう。

 私も、今年で会社勤めが約28年になるが、会社組織も同様である。社員一人一人は、素晴らしい「個性」を持って入社したはずであるが、長い間勤めている間に、それぞれの会社固有の「発想(考え方)」「仕事の仕方」が身についてしまい、それに馴染んで「グレー」になってしまう。いわゆる「社風」というものである。これは、社内にいてはなかなか分からないが、社外の人との付き合いが増えてくると見えてくるものである。最近では企業も、個人個人の「個性」を重要視する風潮が高まってきたが、長い年月を経て築かれた「社風」を変えるのはそう簡単なことではない....。

 私の周囲には、昨年入社した新入社員が数名いる。それぞれが素晴らしい「個性」を持ち、頼もしい限りである。彼らには、その「個性」をいつまでも大切にして、決して「金太郎飴」にはなってくれるな...と願う今日今頃である。


7.春眠、暁を覚えず
 桜の花もいつのまにか終わってしまった。そう言えば今年は、「花見」に行けなかった。
どうでもいいことだが、桜の花の開花期間は、他の花に比べたら短くはないだろうか。近畿地方の桜前線は何日頃だとワイワイ言っているうちに、見頃は終わって「葉桜」になってしまっている。

 もっとも、開花期間が短いからこそ、昔から、束の間の「春の到来」を楽しむために、「花見」が春の風物詩として、庶民に親しまれてきたのであろう。年から年中、桜が咲いていたら、ワザワザ花見を楽しむ必要は無いし、散った花びらの掃除が大変である。

 桜の花が終わってしまい、いよいよ本格的な「春」がきた。我が家の庭の花壇でも、水仙、チュウリップ、パンジーが春の到来を告げ、木々は新芽を芽吹き、山々の色も緑(あお)みを帯びてきた。

 春は、私達の心に、新しい、なにか素晴らしいことが起こりそうだという「予感」というか「期待感」のようなものを運んでくる。

 一方、春と言うと、「春眠、暁を覚えず」という言葉が示すように、何か「気だるい」イメージを持っている。確かに春になると、休日の朝等、ついウトウトと10時頃まで寝てしまう。10時までずっと寝ているのではなく、一旦眼が覚めてから、時間を気にすることなく、まさに「ウトウト」するのである。この「ウトウト」に意味があるのでる。寝るでもなく起きるでもなく、まさに、この束の間こそが、何物にも替えがたい至福の時なのである。会社勤めの身には、この「ウトウト」こそ、まさに「宝物」である。そんな時に、女房がお越しにきたら、折角の休日のスタートが台無しになってしまう。

 休日こそ、早起きをして、自分の時間を有効に使うんだという奇特な人もいる。多分、真面目で、堅物で、融通の利かない人(?)であろう。そんな人にこそ、この「ウトウト」を味わってほしい。

 しかし、休日の朝の「ウトウト」はいいが、会社での会議中に「ウトウト」する人がいる。これはいけない。
「ウトウト」の鉄則は、春の休日の朝である。

6.打率13割の怪
 先日の通勤途上の電車の中でのこと。

 私の正面の列に座っていた中学生と思しき学生達が、開催中の高校野球について語り合っていたが、突然その中の一人が言った。

「今日の新聞に打率13割と書いてあったでエ。すごい選手がいるんやなア」
すかさずもう一人が、
「アホか。13割なんてあるはず無いやないか。」
それでも、
「そやけど、ほんまに書いてあったでぇ」
もう一度
「全部の打席でヒットを打っても10割やのに、13割なんてあるはず無いやないか。なあ」
と他の仲間に同意を求める。仲間うなずく。
これで諦めると思ったが、
「そやけど、ほんまに書いてあったで。間違いあらへんで」

思わず、噴出しそうになるのを堪えたが、この少年の「頑張り」というか「自己主張」は一体何なんだろうか。

 宇宙が地球の周りを回っていると信じられていた時代に、勇敢にも「地動説」を唱えた、コペルニクスやガリレオもこんなだったのか・・・・?(大層ナ)。

 冗談はさておき、長い会社生活の中で、つい自分の意見を曲げて上司の「言」に賛同してしまう癖がついている(われ等)ビジネスマンよ。この若者の爪のアカを煎じて飲む必要があるのでは......。

(後日)
 あの学生の頑張りは一体何だったんだろうか。私は気になって夜もなかなか眠れなかった。私は真剣に考えた。そして、ついにその理由を見出した。あの学生が見たのはきっと「打率三割」という文字、しかも新聞なら縦書きである。何と「三割」の文字の上に「十」という文字があるではないか・・・・。



5.鶯の鳴き声を聞いて....
 朝、駅へ向けて歩いている途中、公園の藪の中から聞こえる「ホーホケキョ」という鶯の鳴き声に思わず足を止めた。思えば鶯の鳴き声を聞いたのは、随分久しぶりのことのように思う。

 15年前、今の住まいに越してきた頃は、すぐ傍に小さな山があり、春になると毎年鶯の鳴き声が聞こえたし、名前は知らないが色々な小鳥が庭の木々へ飛んできたものだ。
 それが、いつの間にか、付近の山は造成されて新しい団地ができ、そしていつの間にか鶯の声も小鳥の姿も遠ざかってしまった。
 こうして、少しずつ、住まいの周りから「自然」が姿を消して行く。人間の利益・利便性の名のもとに限りある自然が少しずつ消えていく・・・。私達の心の疲れを癒してくれる緑、鳥の鳴き声、四季の草花等が私達の周りから徐々に見えなくなっている・・・。私のように、田舎の緑の中で育ち、山や河などの自然に親しんで育ってきた人間にとっては、本当に寂しい限りである。

 話が反れるが、最近では、「IT化」の掛け声のもと、中学生にまで携帯電話が普及し、家庭内にもいよいよパソコンが浸透してきた。その用途の一つが「メール」である。電車の中では、必ずメールに熱中している学生を見かけるし(電車に並んで座っている学生が、黙々とメールを打っているのは、ある種異様な光景である?)、夜も遅くまで友達同志でメールのやり取りをしている。驚いたのは、機械音痴の我が女房殿までもが友達と電子メールを始めてしまったことだ(まさに、世の中変わったぁ・・・)。
 メールの普及は、当然のことながら、顔と顔を合わせた人と人との「生(なま)」の触合いを減少させる。人間は、「自然」を失いつつあると同時に、人間対人間の「生」の繋がりをも失いつつあるかのように思える。

 確かに「文化」は進展し、人々の生活は確かに豊かになり、最近では何か「物」に不自由するということが無くなった。しかし、世界は有限である。人間の「器」にも限りがある。何かを得れば何かを無くす。当然の摂理である。この辺りで、便利さの引換えに「失っていくもの」について、私達はもう少し、じっくりと考えてみる必要があるのではないだろうか。


4.日本は何処へゆく
 最近の日本の政治の動きを見ていると、この先、日本は何処へ向かって、どのように進んで行くのか...不安になってくる。そのベクトルがまったく見えない(とんでも無いことになりそうだという意味のベクトルはよく見える)。世間では森首相一人を悪くいっているが(確かに悪いことは悪い。全く良識がない)、正に自民党のスケープゴートにされているだけで、本来は、自民党の無能無策が根本原因である。

 自民党自体が、ビジョンも何も持たず、自党あるいは自派閥の利益だけを考え、政界最優先で国民の利益をも省みず、毎夜料亭(?)で密談に明け暮れている。正に「魑魅魍魎」の世界である。皆さん、今の政治家の中に、日本の将来のことを本当に真剣に考えている人物がいると思いますか。今の自民党に「自己改革」できる正義・勇気があると思いますか。考えるだけでゾッとする・・・・。それでも、とりあえずは船長不在の「日本丸」は、今のところは沈没することもなく何とか進んでいる(浮かんでいる?)。可笑しな国ではある。

 経済は一向に上向かないし、金利はどんどん下がり続けるし、年金はどうなるか分からないし、就業条件は益々厳しくなるし.......。先行きはどんどん暗くなる。我々の将来は一体どうなるのか。4〜50代以上の人間には本当に不安だらけである。

 こういった、混乱の時期を打開するには、既得権益にがんじがらめの今の自民党に頼っていてはだめである。一度、既存の、利権構造を全て切り捨てて、そこから再出発するくらいの思いきった変革を行わないと、時間が経てば経つほど状況は悪くなる一方である。何事もそうであるが傷が深過ぎれば致命傷ということもある。この当りで、足利幕府や延暦寺,一向宗等の既得権益と戦い抜いた織田信長のような政治家(?)が出てこないと.......。そう思いませんか?

 政治に頼っていてもあてにならないし、やはり、自分の将来は自分で守れということか。
 しかし、逆説的な言い方をするなら、こういう風に政治家があてにならない状況が続けば国民の自立意識が高まってくるのではないか・・・・。せめてそういう意味においてだけでも政治家には役に立って欲しいものである・・・・?

3.看板に偽りあり
 先日、外回りの途中でたまたま時間があいたので、美味しいコーヒーでも飲もうか・・・・と喫茶店を探していたら、運良く「Jazz & Coffee」という看板を見つけドアを開けた。どうせコーヒーを飲むのなら好きなJazzでも聞きながらと思ったのである。

 ところが中へ入ると、照明は明るいし、客が雑談で賑やかだし、動物模様の可愛いエプロンをした普通のオバチャンがメニューを持って注文を取りにくるし(ここまではまだ我慢できる)、そのうえ聞こえてくるJazzの音楽は、何と「有線」ではないか。これで「Jazz & Coffee」という看板を出す店主の神経は一体全体どうなっているのか。これでは私が学生時代に慣れ親しんだJazz喫茶のイメージとあまりにもかけ離れ過ぎている。

私が考える「Jazz喫茶」の条件とは
  1.店内の照明は暗い方がいい(スポットライトがあれば最高)。
  2.お客さんは黙って、ただ黙々とJazzに聞き入っている。
  3.演奏中のLPのジャケットが壁にかけてある(当然「有線」ではない)。
  4.髭を生やした、人生経験豊かそうなマスターがいて注文を聞きに来る(メニューは
    要らない。メニューを作るほどの品揃えは無いのだから)

 少なくとも看板に「Jazz」という文字を掲げるなら、最低3)の条件は守らなければならない。それがJazz喫茶の「掟」というものである(こだわり過ぎ?)。安易にJazzの有線放送をBGMとして流しているのは、普通の喫茶店が訳のわからない流行歌(古いッ!)を流しているのと何ら変わらない。Jazz喫茶では、JazzはBGMでなくあくまでも主役なのである。主役であるからには、敬意を表してLPのジャケットを壁に掲げなければならないし、私語などもってのほかである。Jazz喫茶というからには、店主にも客にもそういう「こだわり」が欲しいものである。

 私が学生時代を過ごした京都には、「ブルーノート」「シャンクレール」「ビッグボーイ」等々、沢山のJazz喫茶があったが、どれも1)〜3)は該当していたと思う。

 最近は、Jazz喫茶へ入ることも少なくなったが、懐かしい京都のJazz喫茶はどうなっているのだろうか。


2.50歳を迎えて....
 この1月末で「50歳」を迎えた。「遂に・・・」と言うか「とうとう・・・」と言うか・・・。

 50歳というと、同じ「区切り」でも30歳や40歳とは違う、何か特別な「感慨」を持って誕生日を迎えるのかと思っていたが、いざその日を迎えてみると、何も特別な感動に浸ったわけでもないし、「長い人生だったなア」などとしみじみと過去を懐かしく振り返えることも特になかった。何時も通りの誕生日である。それよりも最近では、自分の誕生日など全く関心が無く、今回も家内に言われるまで気がつかなかった始末である。いよいよ記憶力が衰えてきた。これが50歳の宿命か・・・・・。

 しかし変わった点が一つある。今までは、自分では若い若いと、あたかも「青年」気取りでいたし、他人に歳を聞かれても「まだ40代なんですよ」といって、如何にもそれが自慢できることのように答えていたが、「50歳」を迎えた途端に、急に「年寄り」の仲間に入ったようで、何と言っても、それが一番寂しくかつ辛い。「50の手習い」等、50才を年寄り扱いする言葉があるのも気に入らない。まだまだ若者にはまけないぞー!

 しかし、自分では、まだまだ若いつもりでるが、外見はそうもいかない。白髪も増えてきたし、お腹も出てきた(ただ肥満?)。若い頃に比べると動作も緩慢になってきた。また健康診断の検査結果にもぼちぼち異常値が出始めた・・・・・。やはりそんな歳になったのだろうか・・・・?

 昔は「人生50年」と言った。信長の言葉にも「人生50年、夢まぼろしの如くなり・・・・」という句がある。長寿化が進んだ現在、この言葉は「人生70年」あるいは「人生80年」に置き換わった。そういう意味では、まだ20〜30年も余生は残されている。社会へ出てから28年になるが、ある意味では、まだ人生の「折り返し地点」ということだ。

そう思うと、幾分か気分が晴れてくる。
さア、仕事に趣味に、もう一花も二花も咲かせるぞ!

人生、まだまだ余熱あり。


1.私が住む町、「奈良」
 「青丹(あをに)よし 寧楽の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり」
奈良と言えば、多くの人が「万葉集」のこの歌を思い出す。
奈良は、万葉の人々の「心の故郷(ふるさと)」であったのと同じように、何故か、現代に住む私達の心にも郷愁を呼び起こす・・・。
 
 「青山四方にめぐれる国」大和・・・・。私が奈良に住んで約16年になる。
特に「奈良」に格別の思い入れがあった訳でもなく、また人から薦められた・・・・という訳でもないが、多少歴史に関心があり、何となく歴史ある古い町には憧れていた。こうして住んでみると、「奈良」はやはり思っていた通りとてもいい「町」だ。

 奈良の魅力は何と言っても、「古都奈良」の歴史的資産である多くの寺社が残されていることである。奈良公園近辺には、東大寺、興福寺、春日大社、斑鳩には法隆寺、法起寺、法輪寺、そして西の京には、唐招提寺、薬師寺等々数え上げたらきりが無い。また歴史を伝える古い街並みや村が残されているのも魅力の一つである。少し歩けば緑があるのもいい。興味のある人にとっては、散策コースには事欠かない「町」である。また大阪、京都へ近く通勤が便利なのも、ビジネスマンである私にとっては何よりも大きな魅力である。

 私自身は、東大寺の裏手にある「二月堂」への裏参道付近が好きであり、よく夫婦で歩く。正面である南大門に比べると人通りも少ないし、何といっても、参道の麓から見上げる二月堂の屋根、そして石畳の道の両側の朽ちかけた土壁が絵になる。休日にもなると、何人もの人がスケッチブックやキャンバスに向かって無心に絵を描いているが、それを覗くのも楽しみの一つである。

 私は、自分では特に古い人間だとは思わないが、どうしてか、古寺の中に佇んでいると俗世間の憂さを忘れて妙に心が落ち着いてくる。歴史が持つ「重み」がそうさせるのか、人々の血に脈々と「歴史」が流れているのか・・・・。奈良とはそういうことを考えさせる町でもある。

 かっこいい事を言っているが、私もそんなに頻繁に古寺を散策している訳ではない。近くに住んでいると、いつでも行けるというある種の安心感が芽生え、かえって、奈良以外に住んでいる人よりも訪れる回数は少ないかも知れない。最近になって漸く、夫婦二人であちこちを散策しつつ「奈良の魅力」を満喫している今日この頃である・・・・。