淡路島 由良湊神社|出石神社

日本書紀に「出石の刀子」という、不思議な物語が伝えられています。

垂仁天皇の御代、新羅国の王子天日鉾が八種の神宝を携えて渡来し、播磨国の宍粟邑と淡路島の出浅邑に住むことを許されますが、希んで諸国を巡ったのち、但馬国に定住し神宝を祀りました。 天日鉾命の曾孫清彦の時、天皇の求めに応じ神宝の全てを献上しますが、此の内の一つ出石の刀子のみ宝府より失せ自ずから淡路島に遣ってきました。 これを島人が神として祀ったとされます。即ち当神社の創りです。

沿革

・清和天皇貞観九年(867年)10月神階従五位上を賜る。
・漁撈海上安全守護の神として尊崇されるが慶長年間の一時期廃絶の危機にあった。
・享保20年(1735年)に再興され後修築を重ねる。

・近年では昭和62年4月に社殿を修築。旧来の宮地の山肌崩落を懸念し、改めて此所を選定して大宮地を造成し新社殿を造営、平成17年3月5日遷座祭を執行。また、生石神社周辺は公園として整備されています。

岬まつり(3月・10月)

大漁と海上安全を祈願する漁師町ならではの祭です。岬祭 宵宮には、各町の代表者らが町別の太鼓の練りとともに、提灯を片手に由良湊神社に参拝します。当日は 御神酒とかけのうお(鯛やヒラメを縄で結わえたもの)のお供えを持ち、漁船から海上をお祓いした後、出石(いずし)神社、事代主神社、厳島神社、金刀比羅神社、成山(なるやま)神社の順にお参りします。

日本書紀巻第六より

八十八年の秋七月の己酉の朔戊午に、公家衆に詔して、 「新羅の王子 天日槍(あめのひほこ)の持ってきた宝物が、但馬にあると聞いている。私は、その宝物を見たいと思う。」 と仰せられた。
天日槍の曾孫清彦は、使者から勅を受けたまわり、数々の美しい玉などをみずから献上した。 ただし、出石という名の小刀一つだけは、たやすく献上できないと考えて、袍の中に隠して自分が帯びていた。
天皇は、まだそのことをご存知無いまま、清彦を御歓待になろうと、お召しになって御所で御酒を賜った。 そのとき、小刀が袍の中から出てしまった。 天皇はそれを御覧になって、親しく清彦にお尋ねになって、 「おまえの袍の中の小刀はどういうものであるか」 と仰せられた。ここに至って清彦は、もはや隠し通せないと思い知り、 「献上いたしました神宝の類であります」 と申し上げた。そこで天皇は、 「その小刀を、どうして他の神宝と、離すことができようか」 と仰せられた。 そこで清彦は小刀も献上し、神宝はすべて宝の倉に収められた。
ところが後に倉を開いてみると、 その小刀がひとりでに無くなっていた。 そこで天皇は、人を遣って清彦に、 「おまえが献上した小刀が、急に無くなってしまった。あるいはおまえのところへ戻ったのではあるまいか」 とお尋ねになったところ、 清彦は 「昨晩、小刀は自ずから私の家に来たのですが、今朝、また無くなってしまいました」 とお答えした。 天皇は恐れ慎まれて、もはやその小刀をお探しにはならなかった。
それから後、出石の小刀は淡路島に現れ、島の人は神だと思って、その小刀のため祠を立てた。 これは今でも祀られている。

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