四国八十八ヵ所《阿波の国》歩き遍路の旅
空海の史跡と自然を訪ねて

 第1回 24番〜26番
  11月9日  JR日和佐〜(列車)〜JR牟岐〜鯖大師(泊)  歩行距離 4.6km
 高速バスの延着で乗継列車を1時間40分待ちとなり修行の道場(高知県)に入ろうとしたとたんに我慢の修行となる、四国遍路とは巧くなっている
と得心。
 お陰で妻と観賞した映画「眉山」に行けた。已む無く牟岐駅まで列車となる。牟岐駅を出ると直ぐに峠越え、昔日の難所「八坂八浜」の名残か。
 一時間程で番外札所 鯖大師 に到着、護摩供養を体験したく今夜は此処の会館でお世話になる。同宿者は東京の女性1人のみ、この方二度目の歩き遍路、それだけ魅力が有るとの事、経検談を聞かせて頂くが同感するところ多し、この先4日間、何度かお目にかかることと成る。今の自分は一度切りとの覚悟で歩こう。
   9日の歩行地図 (赤字表示)

  11月10日  宿〜古目大師〜宿  歩行距離 20.1km
 鯖大師での早朝護摩供養は友人のお勧めだけあって厳かでドラマチィク、薄暗いお堂の中、供木が燃え盛り太鼓の音に読経が胸を揺さぶる、何時の間にか般若心経を唱えている自分。
 この感動を胸に7時半出発、程なく入江でアオリイカを釣るおじさん、鹿児島を目出す自転車青年に各々「頑張って」と激励されルート55号を歩くこと14km宍喰道の駅に11時過ぎに到着、食事休憩後レンタル自転車で竹の島へ、途中の古目大師を参り阿波の松島「みとこ湾」の絶景に見惚れ、柱状節理に似て非なる化石連痕に驚く。
 本日の一番難所は638mの水床トンネル、明るいが息ぐるしさを感じて急ぎ足で通過、高知県に入る。今夜の宿は東洋町の「みちしお」さん、前の海岸でサーフィンに興じる若者多し。暫し打ち寄せる波を目で追いつつ心地よい音に打たれる。
 紺碧の空の下煌めく海原を眺め波の音を聞き潮風に触れながら遍路道を歩くこの充実感!歩く遍路の楽しさを此処でも痛感。
   10日の歩行地図 

  阿波の松島「みとこ湾」

  11月11日  宿〜東洋大師〜佛海庵〜宿  歩行距離23.1km
 冷え込んだ朝で好天気、6時に浜辺(生見海岸)へ東南の方位の空は薄っすらと朝焼け、6時33分弘法大師が呼んで下さったのか達磨大師が出現、初のお目見え思わず合掌、デジタル倍率を上げシャッターを切る。今回の旅で見たいと思っていた水平線からの日の出、まさか達磨大師が拝めるとは。ア〜嬉しい。
 7時45分に宿を出発、東洋大師では朝のお勤め中、東洋町野根で古い佇まいの民家を撮影し野根川を渡る、片側に桜並木が続く咲けば見事だろう。ルート55号に戻って11km、くじらの里室戸市に入る。
 仏海庵に11時15分着、昼食休憩後3km程先の佐喜浜港辺りで今回二人目の歩き遍路さんに会う、5km先の夫婦岩迄同行す、60歳で今回が7年振りの2回目とか、昨日の女性も2度目、不思議だ、やはり一人歩き遍路にはまっておられる。
 そびえ立つ夫婦岩、伊勢の夫婦岩は仲睦ましい感じだが室戸は、逞しく世間の荒波に立向かう太い絆の夫婦像。思い存分潮風に触れ家族の事とか色々思い巡らす。
 今夜の宿「椎名」さんに3時過ぎ到着、昨日より足の水膨れが酷い感じ、でも、夕食で元気復活、キンメタイの煮物に鮑、戻り鰹のたたき、これが大トロの味わい、遍路旅でこのような高級魚を頂けるなんて感謝・感謝!
   11日の歩行地図

  達磨大師

 11月12日  宿〜御蔵洞〜24番最御崎寺〜25番津照寺〜宿  歩行距離 21.5km
 7時40分出発、山並みと雄大無限の太平洋との間を進む、大自然の中に我が身を置き何時しか自然に融け込んでいる自分、無心とは此の事なのか・・・
 右手山頂に真白い風車が見えゆったりとプロペラが回り、そこを旋回する鳶が一羽、長閑な風景。
 程なく白く輝く青年大師像が見えた、見えたと端に感無量、ついに来た23番薬王寺からおよそ74km3日掛かりの歩き遍路(内15kmはやむなく列車)楽しくもあり苦しくもあった道中、水膨れで痛む足、今迄の自分なら先の酷く成るのを心配して落ち込んでいたが、今は違う、歩けていることに感謝歩ける間は歩こうと前向き、自分ながら遍路を通して変わったと思う。
 威圧する様な御蔵洞、洞の中から見る青い海と空、ここで空海と名乗られた弘法大師と同じ風景を見た。海沿いの遊歩道を少し楽しんだ後24番最御崎寺へ登り始めると亜熱帯の森を行く雰囲気、ゴーゴーと海を渡る風音を聞きながら20分で山門へ。改めてよく歩いて来たなと感慨に浸る。眼下の室戸港と黒潮寄せる海岸、そして大海原をゆっくり眺める。帰り道不思議と荷が軽くなっている。室戸道の駅でお土産を買う、西国三十三ヵ所を巡拝された店の方と話が弾む。
 室津港の漁船を見て直ぐに25番津照寺、急な階段を登り参拝、今回会った3人目のお遍路さん、遍路の教授資格を間も無く得られる方に出会いこの先の宿情報を頂く。
  近くの魚屋さんでキンメタイの一夜漬けを買い今夜の宿「うらしま」さんで炙って貰い久し振りのビールで舌鼓、『この幸せ者』と大師の声が聞こえそう。
   12日の歩行地図

    室戸港

  11月13日  宿〜26番金剛頂寺〜土佐くろしお鉄道奈半利駅  歩行距離18.7km
 7時15分に出発し金剛頂寺を目指す、準備運動はしたものの直ぐの山登りはきつい。30分ほどで山門、今回最後の札所、此れ迄の感謝とこの先の無事を願い又「一粒万倍の釜」・「がん封じの椿」に各々願いを込め参拝。
 17.5km先の奈半利駅へと帰途につく、札所からの下り道は石畳・落ち葉・小石と滑りやすく要注意。途中にある吉良川町の激しい風雨から守る先人の知恵が残る伝統的建造物を楽しみ、中山峠を除いて海岸線のルート55を曇りと黄砂の影響で青くない海を眺めつつひたすら歩く、足の水膨れの痛さに加え両足の脛が痛み出す、「ぼちぼち限界ですよ」と告げている、「分かった後16kmを休憩を取りながら4時間で歩きたい頑張ってくれ」と願う。奈半利へは列車時刻の15分前に辿り着く、有難うよく頑張ってくれた。
 今回の旅は、大自然の中に融け込んだ思いが堪らない、歩き遍路を通して自分の変化も感じられた、この変化を遍路中だけでは無く今後の人生に活かしたい、この先も修行と思って歩こう。
 次回は、27〜28日友人の歩き遍路ツアーに同行する、此れも又違った楽しみが味わえる。
   13日の歩行地図

 金剛頂寺からの帰り道

第2回 27番〜30番
 12月4日 土佐くろしお鉄道奈半利駅〜27番 神峯寺 〜 宿   歩行距離 23.5km
 息子夫婦の祝いで新調した眼鏡を掛けての出発、何か新しい見え方があるかも?
 昨夜のバスから高知で鉄道に乗り換えて奈半利へ、車中で素晴らしい夜明けと海霧に遭遇、幸先よし。7時半に歩き出し27番神峯寺へ、途中の安田町では、多くの民家の白壁に横一線にそれが2段から5段に瓦が埋め込まれている、「水切り」と言って雨水が白壁を伝わらない工夫だと教えていただいた。
 神峯寺へは久し振りの山登り、最後は荒れた急坂を1.5km、一汗掻いて10時に山門へ、土佐の名水「神峯の水」を頂き一息ついて参拝。
 輝く大海原を眼下に降りること3.4km唐浜駅近くは多くのハウス栽培、「米なす」と言って米粒に似た形で大きく光沢のある茄子が栽培されている。駅に入り電車到着を待ってハウス畑を撮影。
 名曲「浜千鳥」公園を過ぎ約2kmの防波堤歩道を歩く、海岸に干し柿は珍しく海に山が迫る高知ならではの風物詩、五感に波音を受けると何故か幸せ感が込上げて来た。夜行バスでの寝不足や疲れは全く感じない素晴らしい一日だ。
 今宵は安芸の「山登屋旅館」先週の「龍馬伝」で放映されていた「軍鶏鍋」香ばしく又その煮汁が絶品、心地よく眠れそう。
  4日の歩行地図(赤字表示)

 車内からの夜明け

 12月5日 宿〜(安芸市〜芸西村〜香南市)〜宿  歩行距離 20.5k
 8時前に出発直ぐに西浜海岸、入江で魚が跳ねている、ボラだと聞く、雲一つ無い晴天、微風、恐ろしく静かな大海原。
 ピンポン玉大の朱色の実を一抱えも有る位付けた蘇鉄を発見、92歳のお爺さんも初めてだと、台風の恐ろしさ等伺って《お達者で》と送っていただく《お元気で》と挨拶。
 海岸・防風林・遍路道(自転車道)・高架鉄道・ルート55号が平行して続く、ふと自分の影を追っているのに気付く、心地よい孤独感 “ 影追いし 一人遍路の 落ち葉道 ”(写真) 
 桜浜では自分の足跡を波で消してみたり綺麗な小石を探したりして戯れる。琴ヶ浜では松並木が続きその根元にサボテンが覗く、浜に引き揚げられた1隻の小さな漁船、心が引かれ数カット撮影、廃船に成るのか。逆打ちで通しのお遍路さんに出会い宿情報など話し込む。
 昨日の朝、海霧を見た夜須の浜では多くの人達が思い思いに楽しむ中、ぼんやりと半時ほど過ごす、作業所で魚を捌いておられる、「鯖ふぐ」でみりん干しにされる。
  宿の近く、赤岡町では冬に夏の熱気をと賑やかに「冬の夏祭り」の最中、お接待を受けたり写真のモデルになったり大いに楽しんだ後16時半に今宵の宿「かとり」さんに到着。遍路の先輩からのお薦め、実際に電話の応対からして気持ちよく、若主人の気使いが嬉しかった。
  5日の歩行地図

 赤岡町の祭り

  12月6日 宿〜28番 大日寺〜29番 国分寺〜30番 善楽寺〜高知インター南 歩行距離22.8km
 目覚めも良く6時50分に出発、13時迄に終えたいと早足、程なく背に日の出を感じて無事を祈願。周りを見ていてうっかり遍路表示を見失い大日寺へ遠回り、急ぎたい気持ちが焦りとなって坂道を駆け上がり、心が静まらない内に参拝《本堂を先にお参りする方がいいですよ》と諭される、本堂か大師堂かも確かめない慌てよう、帰り時間を気にしての参拝なんて馬鹿なことを。納経所受付の方から「大師加持水」が美味しく10年来頂いていると聞き頂いて気を鎮め非礼を詫びて山門を後にした。
 29番国分寺へ田園風景が続く、ここもハウス栽培が盛んで「ニラ」が主力、ここで大阪のひとくち餃子「点天」の名称が聞けるなんて驚き、妻も好きでよく頂いた。
 5km地点の大師堂で休憩、其処に「甚兵衛桜」と言う桜の大木が有り3月中旬が見頃とか、農作業の方と記念写真。
 国分寺の近くで「へんろいし饅頭」名称に釣られて昼食の足しにと買う。途中の道草もあり9.2kmに2時間を要した、本堂が珍しく、こけら葺。
 30番善楽寺へ7.3km、11時に出発、少し時間の余裕があるなと思っていたら高知市の境までだらだらした登り坂(逢坂峠)に閉口、善楽寺の本山が奈良県の豊山派総本山 長谷寺、受付の方と長谷寺の四季の花など親しく話が出来、予定通り打ち終えた喜びも束の間、ここでアクシゼント、乗ろうと決めていた帰阪のバスが満席、゛まさか≠フ思い、油断した、次は1時間50分後。帰り時間を気にして遍路の修行に集中していなかった自分を改めて反省、これも「修行の道場」を旅している自分への教えと取りたい。
 50分遅れの三宮行きバスに乗車し20時過ぎに無事帰宅、疲れた。
 今回の旅も多くの出会いが五感を揺さぶり、その感度を試されたと思う、この先も感度を高める旅としたい。
 6日の歩行地図

 甚兵衛桜と

 
第3回31番〜36番
  12月11日 高知インター南〜31番竹林寺〜32番禅師峰寺〜33番雪蹊寺〜宿  歩行距離 17.6km
 昨夜のバスでバスセンターに5時50分到着、ここで朝食と身支度の予定がバスセンターが開いていなくて薄暗い道をコンビニまで、遍路道に合流31番竹林寺を目指す。
 7時10分、舟入川の高須橋で日の出、川面も朱色に染まって歓迎してくれる。15分程山道を登り牧野植物園を通り竹林寺に7時45分着、朝日を受けた残り紅葉と五重塔が輝いて見え清涼感の中に温もりを与えてくれている。納経所で名物の「竹林寺竹羊羹」を買う。
 32番禅師峰寺へは5.7km、途中の武市半平太の旧宅を覗き、又少しの山道を登り10時前に着く、多くの奇岩と石仏が目に付く、土佐湾を一望出来て気分良し。33番雪蹊寺への遍路道は明朝歩くこととし浦戸大橋を渡り今宵の宿「民宿坂本」さんへ、この大橋を歩くのは怖い、歩道が70cm程で海面から高く直ぐ側を車が風を起こして走る、1480mを渡りきって安堵のため息。
 宿で自転車を借り桂浜を散策、大勢な観光客、龍馬、龍馬・・・。土佐犬の闘犬ショウを見物、鳴き声の無い取っ組みは流石。
 時間に余裕があり自転車で雪蹊寺を参拝し宿へ、宿では洗濯をして頂く等心尽くしを頂き気分良く眠れた。
 11日の歩行地図(赤字表示)

  竹林寺

 12月12日 宿〜34番種間寺〜35番清滝寺〜36番青龍寺〜宿  歩行距離 32km
 朝6時半に出発し雪蹊寺の門前で挨拶し34番種間寺へ急ぐ、途中畑の唐辛子と草花が朝日で美しく輝いているのを撮影、花も少なくなったコスモス畑に雀の大群等田園風景を楽しみながら8時50分に到着、底の抜けた柄杓が子育て観音にずらりと掛かってある、納経所でお菓子の接待を受ける。
 9.8km先の清滝寺へ、途中の春野町で石造りの眼鏡橋を渡る(写真)、遍路歩きの気分を増してくれる又石畳の上の流れがとても綺麗で、流れを見ながら暫し休憩。
 山道に入って程なく胸突き八丁の登り、続いて急階段、今日は此処で一汗、厄除薬師如来の台座の下が通路、厄除けご利益が有るとのことで真黒な通路を手探り足探りで進む、闇の先が底知れぬ淵のように感じた、楼門の天井画、本堂の羅針盤と見所多いお寺、土佐湾を眺めながら昼食休憩。
 13.9km先の青龍寺へ、途中の塚地峠の登り降りは疲れた、標高は185mと僅かだが荒れ道が多く此処まで既に26kmを歩いていたこともある。今回最後の36番青龍寺も無事打ち終えて今宵の宿「山陽荘」へ美しい料理と天然温泉で心身を癒し明日に備える。
 12日の歩行地図
 
 塚地峠

  12月13日 宿〜(車で船着場)巡航船〜横浪〜JR須崎駅  歩行距離 11.5km
 昨夜からの雨、7時5分の巡航船に乗りたくて宿から送ってもらう宇佐大橋を渡って程なく乗場、乗客は自分一人、気さくな航海士さんで鯛の養殖筏等説明を頂きながら海岸の集落を縫うように渡る、小学生が12人雨傘をたたみながら乗船、朝の挨拶で一気に賑やかになった、上級生が曇った船の窓を拭くお手伝い、この船が唯一の通学手段、塩間小学生が下船し次の乗場から中学生が8人挨拶を交わす、徳島県でもそうだったが会う学生・児童の殆どが挨拶をしてくれる、お遍路さんへの挨拶を勧めているんだろうか。
 浦ノ内中学生と共に横浪で下船し10km強をJR須崎駅へ、浦ノ内湾を左手に降りしきる雨の中、人一人歩いていないルート23号を合羽と遍路傘を頼りに只ひたすら歩く、歩いている内に孤の世界、生かされている、自分は今懸命に生きている、そしてこの行為を許してくれている全てに感謝しなければ、じっと奥歯を噛む。
 遍路小屋で休憩が取れた有難い、駅までの地図を頂き5km弱、1時間で歩けば予定の列車に乗れる、時間が早いので須崎市安和迄行き岩本寺へ近づくことも出来るが、この天候、無理をしないで高知駅で寛ぎ帰路につく。
 今回の旅は、人々とのふれ合いが少なかったが巡航船のお陰で思い出が出来たし、趣のある寺も参拝出来た、また雨のお陰で少しだが孤の世界に浸ることも出来た。何処でも、天候が変わろうとも歩き遍路の楽しみは変わらない。《けふもまた 心の鉦を打ちなたし 打ちならしつつ あくがれていく》 若山牧水。
 13日の歩行地図(黄色は巡航船)
 
 巡航船
 
 
 
 




 第4回 37番
 3月9日 JR須崎〜土佐久礼(宿) 歩行距離12km
 高速バスで湊町を8時に出発須崎に14時着、今夜の宿泊地土佐久礼へ12kmの歩きと成る。
 歩き出して直ぐに大きな花木が目に付き近づくと「川端シンボルロード」との看板、昔の堀川とか、花は雪割り桜で可愛い女学生と撮影。
 ルート56号を歩き全庁20mの鳥形峠トンネルを抜けると此処でも雪割り桜が海を背景に咲き誇っていた。
 JR安和駅から土讃線に沿って1km程で焼坂峠にかかる、変わり映えしない3km程の峠だが、越えると小さな満足感が得られるので峠を歩くのは好きだ。
 程なく土佐久礼の街に入り福屋旅館に17時半に着いた。近くの久礼湾へ、達磨朝日の撮影ポイントで有名なふるさと海岸を見る、散歩中の方から満月時の海の素晴らしさを聞かせていただいた。
 9日の歩行図(赤表示)

 咲き誇る雪割り桜

 3月10日 宿〜37番岩本寺(宿) 歩行距離22.5km
 5時40分にふるさと海岸へ、地元カメラマン3人との写真談義のうちに6時30分日の出、完全な達磨朝日には成らなかったが海から昇る朝日を拝して満足、珍しく名古屋コウチンが散歩中。
 宿を7時50分に出発、本日も快晴、そえみず遍路道登りの手前で「お遍路さんと」と呼ばれておばあさんに手作りの巾着袋やお菓子などの接待を受ける、何年も接待を続けて居られる様でおばあさんの元気にあやかりたく記念撮影。遍路道は高速道路工事で迂回、その迂回路が500段を超す階段できつかった、「添蚯蚓」の名は、みみずが這った跡のようにくねくね曲がっている様子から付けられたとのこと、落ち葉がふかふかと足に優しい峠道だが鳥の声一つ聞こえない静けさで淋しい。
中間地点が標高400m、久礼湾の双名島が眼下に見える、途中で猪狩のおじさん、罠を仕掛けている、背中には大きな鉈。
 弘法大師が、勿体無くて歩けない(薬草が一面に)と言った昔の官道には小さな椎縦が無数に顔を出していた。
 11時半に300余年花を咲し続けている雪椿の遍路小屋で休息、岩本寺の手前、窪川町の遍路通りでは「雛祭り」地元っ子達が描いたお雛様の板絵、家々にはお雛様が飾ってありゆっくりと見て歩く。
 旧都築家別邸では、水切り瓦付き土佐漆喰仕上げの建物、邸内には数々の雛飾りがあり見物。
 今宵の宿でもある37番岩本寺を参拝、有名な天井絵でマリリンモンローにも会えた。12人の同宿者で賑やかに食事を美味しく頂けた(精進料理でなかった)。
 10日の歩行図

 ふるさと海岸の日の出

 3月11日 宿〜黒潮町有井川(宿) 歩行距離27km
 住職が不在で朝のお勤めが無く残念、7時過ぎに出発、市野瀬遍路道の山道を除いて殆どがルート56号、あけびの花や川沿いのネコヤナギなど春の季節を感じながら同宿者6人の同行旅、10回目のベテラン男性、5回目の女性、この方は70番札所本山寺近くにお住まいで、70番に来たら連絡をと納札を頂いた。21km地点の佐賀公園は太平洋に面した良く手入れされた広く美しい公園で眺めも素晴らしい。≪ 海は広いな大きいな・・・ ≫静かな大海原を眺めながらゆったりと歩く、このゆったり感が何とも気持いい。
 320メートルの井の岬トンネルを抜けると皆さんとお別れ、宿の裏手の浜で小石を除いてアサリを採っておられて暫し談笑、小振りだが味は保障付とのこと、折りしも津波警報のサイレン、急ぎ「民宿たかはま」さんへ、新鮮なお造り等美味しく頂きながらM9.0の大震災情報に吃驚。
 11日の歩行図

 アサリ採り

 3月12日 宿〜土佐くろしお鉄道中村駅  歩行距離18km
 同宿の方が千葉、心配で帰宅方策を模索、自分は予定通り中村に向かって7時半に出発、砂浜が続く浮鞭海岸を左手にルート56号を進む、7kmを越えら辺りから国道を離れ塩害防止用の松林を進む(入野松原)気分爽快な道で空気を一杯吸い込みながらゆっくりと歩く、地元の散歩されている方々と挨拶、何方も笑顔、綺麗な砂浜に出たので津波も気になるが少しだけ足跡を残す、流木に止まっている鳶とも挨拶、次回に目指す足摺岬が見える。
 後川を渡り中村駅に12時着、列車、バス全てが運休、予約の夜行バスも不明。
 レンタサイクルで四万十川沿いのサイクルロードを走る、柳原生林では菜の花が一面に咲いている、正しく四万十川の春景色、弁当を広げていると夜行バス運休の連絡有り、ホテル確保の為急ぎ駅前に戻る。
 この大震災では、自分のアクシゼントはほんの小さなもの、帰れない時間を逆に楽しもうと四万十河口の下田港近くの「四万十いやしの里」で宿泊、自転車で40分、途中緑色したアオサノリ網が川面に多数、業者の方が心配そうに窺っておられた(億単位の損害が津波で発生したよし)。
 ホテルは見晴らしの素晴らしい高台にあり接客も行き届いていた、温泉につかり疲れを癒す、今宵もご馳走だ。
 久し振りの一人旅、最後に大震災の影響を受けたが予定のコースを完歩出来た、見るもの聞くもの全てが新鮮で自分の心を豊かにしていてくれる。一機一会の出合いも頂いた。歩いてきた道程を列車で戻りながら旅日記を綴っていたら有り難涙が出てきそうに・・・感謝!
 ≪あなうれし 行くも帰るも とどまるも われは大師と二人づれなり ≫古目大師堂
 東日本大震災には心が痛む、驚き、不安、寒さに震えておられる多くの被災者の方々へ支援の輪が迅速に、大きく広がることを願う。
 12日の歩行図

 四万十川の春

 第5回  38番〜39番
 3月27日 土佐くろしお鉄道中村駅〜土佐清水市久百々(宿)  歩行距離19.5km
 昨夜に湊町を発った夜行バスが中村駅に7時過ぎ到着、前回サイクリングした後川左岸を春の芽吹きを見ながらゆっくりと歩く、冷え込んではいるが好天、遍路2回目の方と暫し同行、8時半、四万十大橋のたもとでみかんの接待を受ける。
 川辺を撮影しながら歩を進め、川と別れて321号線へ、500年前に京都から中村に下向した関白一条が京の都にちなんで始めた大文字を過ぎ、全長1620mの伊豆田トンネル内で土佐清水市に入る、トンネルを過ぎて直ぐの真念庵を訪ねる、四国遍路隆盛の基礎を作った真念法師が建立した庵で、落ち椿の石段を登る小さな庵だが歴史を感じる雰囲気、今回はデジタル一眼を持参したので久し振りに撮影感覚を味わう。
 ルート321号に戻りドライブイン水車で昼食、鮎が産卵する市野瀬川を過ぎ水量豊かな下ノ加江川沿いの足摺サニーロードを歩く、桜並木は2〜3分先、桜木の根元の対の石仏ももう直ぐ花見が出来そう。
 海亀が産卵する下ノ加江海岸でゆっくり休息し今宵の宿「いさりび」さんに3時半着、新しい桧風呂が気持良かったし「土佐清水さば」のお造りは油がよく乗っているのにねちっこく無く少し甘みが有り美味しく頂いた。同宿者のお遍路さん4名、北海道や静岡の方々、春は出会うお遍路さんが多く賑やかでいい。
 27日の歩行図(赤表示)

 真念庵へ

 3月28日 宿〜38番 金剛福寺(宿)  歩行距離20.7km
 5時30分部屋の窓を開けて日の出を待つ、日の出を見るのが好きで拝すると新しい活力が漲ってくる、それが部屋の中から見れるのはすこぶる贅沢。海のブルー、水平線の白、赤から青へのグラデーションが美しい空、そして水平線の雲間から淡い紅の太陽を拝することが出来た。
 宿で頂いた弁当を背に7時半に出発、約1時間で大岐の浜に到着、砂浜が遍路道(写真)、砂浜をなめる様に打ち寄せる白波の音を聞き、日光を浴び砂の感覚を確かめながらもくもくと歩く。歩き遍路の醍醐味。
 以布利港でシマガツオを捌いておられるおじいさんと立ち話、又、10数人が作業中なので覘いてみると沢山な10cm程の赤黒い干し魚、宗田カツオ(メジカ)で蕎麦やうどんの出汁に使われる宗田ぶしに加工されると聞かせて貰った。
 12時に窪津魚港の見える高台で弁当を頂く、この陽気、景色も上等だが一人ではなんとなく淋しい。
 足摺岬に向けてひたすら歩く、途中で歩き遍路9回目の73歳男性に追いつかれる、軽やかな足取りで経験談もユニーク、お陰で疲れも感じずに2時半に足摺岬の金剛福寺前に着く。
 岬展望台、天狗の鼻、白山洞門を見学し38番金剛福寺を参拝、経内はお堂や塔、仏像が多く池も配し庭石も立派。小学生二人を伴った一家四人の参拝姿には感動、休みを利用しての遍路で5年目になるとの事ただ頭の下がる思い、宿坊で同宿となる。
 本堂でお札を納めると其処に錦のお札が ・・・ 納経所の方にお伺いした上で頂く、大事にしたい。
 37番岩本寺から80.7km、札所間の間隔が一番長い所,しかも我が家から一番遠い所だが、室戸岬で青年大師像を目にした時の、良く何処こまで歩いてきたという感動は無い、歩き慣れたということか?明朝にもう一度岬展望台に立ってみよう。
 28日の歩行図(赤表示)

 昇陽の海


 3月29日 38番 金剛福寺〜土佐清水市久百々(宿)  歩行距離27.7km
 朝5時に展望台へ、満天の星空、東南の上空には下弦の三日月、暗闇を想像していたが湾曲している水平線が僅かに見える。灯台の明かりが水平線の僅か上と我を規則正しく照らしていく、海面には月光が走り多くの漁火が灯っている。波の音のみの静かな世界を眺めながら、この岬から小船に乗って船出して行った捕陀落渡海の人々の信じる力の偉大さを計りかねる。
 夜明けを待ちたかったが朝の勤行に遅れるので急ぎ戻る。勤行では孤独と慈愛について話された。
 7時半に打ち戻しに出発、途中の昨日より咲いている桜を愛でたり鰹節工場を見学したりしながらも同じ道は足取りも速く今宵の宿「久百々」さんに1時半到着、早過ぎるので荷物を置き明朝歩く予定の市野瀬まで8kmを歩き宿のご親切で迎えに来て貰い明日朝にはこの地点まで送って頂くことに。
 夕食はお遍路さん5人、金剛福寺への行き帰りで顔見知りの方もあり皆さん打ち解けてユニークな経験談など話が弾む、宿の女将がサッパリしてしかも気配り上手。
  29日の歩行図(赤表示)

 鰹節工場

 3月30日 宿〜39番 延光寺〜宿毛市平田(宿)  歩行距離19.3km
 お接待といって「久百々」さんに頂いたお弁当は、おにぎり、果物、飲み物、お菓子と至れり尽くせりに感謝し同宿の女性と昨日歩いた市野瀬まで送って頂く、7時20分から歩き出し今宵の宿まで約20kmなので今日もゆっくりペースで女性との二人旅となった。途中で顔見知りになったお遍路さんとも合流したり賑やかな道中、桜、コブシ、桃の花など咲き出した田園をゆっくり歩く。
 9時40分には上長谷集会所、文旦を頂き一息、傍の天満宮には珍しく双対の狛犬が鳥居に陣取っている。三原村展示館で地元出身の写真家「野町和嘉」の写真展を見、美味しそうなので「ゆず茶」をお土産に。
 2時半には宿「鶴の屋」さんに、時間が早いので自転車を借り3.8km先の39番延光寺へ明日歩くが参拝しておけば落ち着いて帰路につける。多くのお遍路さんで賑わっている、心を落ち着け集中させて心身健全を旅の安全をそして妻の菩提を願う。
 経内で9人の顔見知りお遍路さんと挨拶を交わしたり納札を交換したりして、互いの旅の無事を願い合い宿に戻る。
 30日の歩行図(赤表示)

 延光寺

 3月31日 宿〜39番延光寺〜土佐くろしお鉄道宿毛駅  歩行距離11.6km
 宿「鶴の屋」さんに4畳半の大きな祝い凧、長男誕生の祝いで今も風習として宿毛に根付いている。「寿」と書かれた特別な土佐和紙と竹の手作り、2000メートルの魚網糸で作ったロープを使い20人掛かりで春3月頃に揚げられる(田植えが始まる前)。
 7時過ぎに出発、昨日自転車で参拝した39番延光寺へ、遍路道を歩き門前で、此れまで数々の修行を積ませてもらった修行の道場への別れとお礼に心を込めた。此処までの修行がどれだけ自分の身に着いているかは判らないが、変わったなと意識できることがある、今迄は何事にも先を急ぎ追い越すことに快感を得ていたが今は、人に出会えば道を譲りにこやかに挨拶をし、ゆったりリズムに心地良さを感じている自分に気が付いた。
 この四国を遍路道を歩く事で自然と身に着いてきたのではないか。少しは我慢強く成ったとも思う。
 延光寺から遍路道を歩み宿毛駅まで7.8km、時間に余裕が有ったので宿毛歴史館を見学、縄文時代から明治維新に至る宿毛の歴史を学んだ。
 此れにて土佐の国「修行の道場」16札所、約384kmを打ち終えることが出来た。18泊(車中3泊)20日間を5回に区切った旅であった。高知の自然や風土は自分の五感を揺さぶり、結果として心を豊かにしてくれた、大自然に融け込み弧の世界に浸ることも出来た。次回はいよいよ菩提の道場に入る。
  31日の歩行図(赤表示)

 土佐しまんと鉄道



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