四国八十八ヵ所《阿波の国》歩き遍路の旅
空海の史跡と自然を訪ねて

第1回 1番〜5番
 @霊山寺 A極楽寺B金泉寺・愛泉院C大日寺D地蔵寺 歩行距離 11km
  未知の世界に一歩踏み出す。
 今回は要領も得ないのでツアーに参加(新日本ツーリスト・遍路道歩き) 朝8時に湊町BTを出発、明石大橋を渡り11時に1番札所霊山寺に到着。
 参拝用品はツアー会社に注文、車内で身支度、先達の井内さん(親切で明快な女性、この方となら楽しく旅が出来そう)から参拝作法を教わりいささか緊張の面持ちで参拝。鐘楼の鐘を代表で撞かせてもらい感激。佛前勤行は全員での合掌、本堂と大師堂を参拝するので結構時間が掛かる。
 参加者全員が達者で予定の5時に本日最後の5番地蔵寺を打ち終えた。初心者ばかりで大変だっただろうが添乗員の澤さんの影となり日向となってのサポートがあっての事だろう。
 2年前に西国三十三ヵ所を満願させて貰っているが西国とは何かが違う、風土の違いだけなのか?この先が楽しみ。
写真は4番大日寺への遍路道。
第2回 6番〜12番
10月19日  E安楽寺F十楽寺G熊谷寺H法輪寺I切幡寺〜宿   歩行距離 16.5km
 初めての一人旅、湊町BT発6時55分の高速バスで徳島へ、駅前の托鉢僧に僅かな施舎で「貴方の旅は安全ですよ」に気分良く出発。  バスを乗換え東原到着10時30分E番安楽寺より順調に歩けてI番切幡寺に15時参拝。その間、自転車に小振りのリアカーを付けテント等を乗せてる青年の遍路、今夜は御所の郷温泉で泊まられるゆったり歩きの同世代と遍路も様々。うわさの潜水橋では車に注意。  今夜は吉野川を越えた所のカクマン旅館、河堤を散歩している方に旅館まで案内していただき納め札を渡す。夕食は天然鮎の塩焼きに満足、暫し女将さんと談笑。
10月20日  宿〜J藤井寺K焼山寺(宿坊泊)  歩行距離 16.7km
 宿を6時50分出発、藤井寺までにコンビニで昼食準備をと思っていたのに店は無く儘よと先を急ぐ、焼山寺への遍路ころがしと言われる難所が気がかり。
 藤井寺を8時20分に出発、気が焦って焼山寺への登り口が分からずウロウロ、最初から難所に負けてる感じ。薄く霧が漂う遍路道が趣きあり時々撮影しながらひたすら歩く、途中の長戸庵迄3.2km標高差420m迄がきつかった。先発の21才と25才の青年に追いつく、故郷の話など元気を貰う。   山道も尾根を歩いている感じで快適ハイク、歩き遍路しか貰えない柳水庵の朱印は焼山寺で頂く。一本杉庵に11時40分着、弘法大師像に一瞬木漏れ日が射して輝く、昼食はカロリーメイトとキャラメルでしのぎ先を急ぐ。標高750mから400mに下って720mに登る、これも遍路の修行と気を引締める。道傍の石仏を愛でながら13時40分にK番焼山寺山門に着く、12.9kmの山道を5時間20分で歩けた自分を褒めてやりたい。   風格漂う寺院で心を込めて参拝、15時には宿坊で風呂を頂き今日の出会いを振り返る、一人旅の心地よさが込み上がり合掌。精進料理の煮物の味付けが奥ゆかしく、ゆっくり味わって頂く。遍路ころがしを心配して友人がメールをくれる有難し。
10月21日  宿坊〜行者野バス停(L大日寺の4.5km手前)  参拝寺なし  歩行距離16.3km
 朝6時にお勤め、話し上手な住職で聞き惚れる、此れも徳の一つ。霧雨の境内を写し8時に雨装備で出発、一気に標高300mを駆け下り杖杉庵へ、杉林を抜けて鍋岩あたりで民家、架け稲残る田圃に見惚れてシャッター。標高450mの玉ケ峠の登りはキツイ、「人生即遍路」の掛け札に納得、大きな蛙に驚かされたり沢蟹を踏みそうになったりで楽しくもある峠道。8km程歩いた所、鮎喰川と山並み点在するトタン葺の民家が流れる雨煙に見え隠れ、趣きある里山風景に見惚れる。                              お孫さんだろうか眼の不自由な少年の手を引くお遍路さん、思わず「ご苦労様生憎の雨ですね、でも雨の景色も良いですね」と挨拶、はっと我を悔やむ、でもその青年ははにかみそうな笑顔で一瞬頷いた様に見えた、きっと心眼で見ているのだろうと思いたい。遍路色々、五体満足な自分に感謝し胸を熱くする。11.3km地点の駒板橋、40cm幅程度の板の橋で「バネのようで心地良いですね」と言ったら地元のお年寄りがワッハッハと大声で笑ってくれた元気そうで何より。
 行者野バス停に12時40分到着、今回は此処まで、バスで徳島駅に出て高速バスで帰宅。駅の切符売り場の女の子に聞いた天婦羅うどんに舌鼓。
 今回の一人旅で写真家の藤原新也著「日本浄土」の一節、( 歩行の速度の中でこそ失われつつある風景の中に息をひそめるように呼吸している微細な命が見え隠れする)を思い起こした、十分に理解できていないが此れからの旅で味わいたいと思う。時間を絶えず気にしながら道を間違えないようにと緊張していただろうが、旅人、土地の人々、寺院、自然、小さな動植物等との出会いは疲れを感じさせない良薬。
 次回はもっとゆっくりした遍路旅を試みたいと思う。   写真は一本杉庵

  鍋岩あたり

 
第3回 19番〜23番
10月27日  釈迦庵 〜19番立江寺 〜 宿  歩行距離15.8km
 高速バス・JR牟岐線と乗り継いであわ赤石駅着11時20分。釈迦庵迄遍路道でなく聞きまくり、此処から立江寺への遍路道3.3km13時に打ち終え山門前で薄皮饅頭2個をほう張りながら赤い白鷺橋を渡って鶴林寺へ向かう、途中ルート22号は車両の通行多く歩き辛い。「星の岩屋」に寄りたかったが片路3kmの登りは時間的に無理、後で写真を見せて頂くが一見の価値あり。15時半に今宵の宿金子やさんに着。
10月28日  宿〜20番鶴林寺 21番太龍寺 22番平等寺 〜 宿  歩行距離20.8km 阿波の三大難所の二つに挑戦
 冷たい秋雨が僅かに降っている、7時半に宿を出発、眼下にU字型に曲がる勝浦川を見ながら鶴林寺迄3kmで標高500mを登る行程、1時間15分で霧に霞む山門に到着し友人のアドバイスで白衣に鶴の朱印を頂く、39番延光寺で亀の朱印を頂く予定。納経所の美人で親切な女性に気分良くして9時20分に太龍寺に向かう。標高450mを降りて470mを登る6.7kmの行程、下り勾配きつく膝の負担にまいる。10時10分に那賀川の水井橋を渡って登りに入る、岩食む水音を聞きながら心地よい登り、お椀を伏せた形の黄色いキノコ、手のひらサイズの松ぼっくり、親指の先ほどの小さな柿等写しながらの途中女性の遍路さんに出会う、歩き遍路の経験談等話ながら2時間20分を要して太龍寺に着く。霧雨に煙る本堂を見上げながら階段を登る、「西の高野山」と呼ばれるだけあって広大な伽藍に畏敬を感じ参拝も忘れて暫し動けず、霊気を浴びそして胸一杯に吸い込む、龍天井を拝見後去り難く昼食を兼ねて休息。
 平等寺へは10.9km途中に峠越えもあり疲れも有って3時間余りを要した 。寺院の脇でコスモスが満開、疲れが癒された思い、弘法の水はミネラル豊富と検査結果が出たよし、頂いて元気を手に入れる。宿は寺の傍の山茶花さん、メリハリの利いた女将さんで気持ち良い、料理もサービスも良好、同宿5人夕食時の会話が盛上がり2時間程楽しい一時を過ごし熟睡。
10月29日  宿〜23番薬王寺   歩行距離19.7km
 平等寺の霊水を再度頂き7時半に宿を出発、傷みの酷い月夜御水庵を通過し遍路道の分起点で海岸沿いを選ぶ。阿南市小野簡易郵便局で同行二人とトイレ休憩をお願い、温かいコーヒーやチョコレート等の心のこもった接待を受ける、明るくそして綺麗な女性局長さん。
 9km地点、由岐坂峠で眼下に海が盛上がって見え海岸の近いことを知り安堵。美波町の山座峠道に俳句の小径があり入選作が木柱に書かれて有るのを目で追いながら遍路道を進む「亡き妻の励まし背負い夏遍路」に共感、恵比須浜では明日の台風に備えてか漁船が多く繋留されていた。恵比須洞を少し
覗いて先を急ぐ。
 「海がめ博物館」は是非立ち寄りたかったので入館し赤海がめにえさを与えて楽しむ。薬王寺に急いでいると休息して行きませんかと呼び止めていただいたが帰りの時間が気になって丁重に辞退した。大きな草鞋の山門が迎えてくれた薬王寺、途中の道草もあって6時間半掛かった、恵比須浜からの2km程度が重い足取りとなる。今回は薬王寺で打ち止め。近くの日和佐駅で女性遍路さんに再会、同じ高速バスで帰阪、二人とも遍路にハマッテいて車中で話が弾む、今回の遍路旅の満足感と振動が軽い睡眠を誘ってくれた。
 四国遍路は一人旅が多いが「歩き遍路」というキーワードを共有しているので道中で会えば遍路への思いや経験、時には人生経験まで話すことが出来る、楽しくて仕方が無いまさに一期一会だが歩き遍路の魅力と痛感した。焼山寺住職の「自分の足元だけを見て歩くだけで無く広く深く五感を研ぎ澄まして歩かれよ」との講話を思い起こす。   写真は22番平等寺
     27日の歩行地図  (赤色表示)

 
   28日の歩行地図

   29日の歩行地図

 
   太龍寺境内

 
   太龍寺への道すがら

 

第4回 13番〜16番
 平成23年2月2日 徳島県神山町 岩の鼻淵〜13番大日寺〜14番常楽寺〜15番国分寺〜16番観音寺〜17番井戸寺門前   歩行距離11.7km
 今回は、飛ばしていた5箇所の札所を日帰りのツアーに参加。湊町をツアーバスで8時に出発、歩き始めたのが11時半、先ず4kmで13番大日寺「宿りし夢をむすびし大日寺 うつつに大師を拝みまつらむ」栄次。宿坊でお世話になってお大師さんを夢見してみたいもの。
 14番常楽寺迄2.3kmの田園を歩く、途中に明治27年建立の遍路石を先達さんに教えて貰い、眺め回して撮影、境内に入って目に入るのがイチイ(アララギ)の木と自然の大岩盤で出来た「流水岩の庭」そしてお接待の方々、毎日参拝者にお接待をされている、にこやかな記念写真を撮らして頂いた(写真)
 15番国分寺へは0.8km、聖武天皇の命で各国に建てられた国分寺、四国にも4ヵ寺あり全てが札所と先達さん。重層入母屋造りの本堂は見応えあり。
 16番観音寺へ1.8km、立派な鐘楼門の左右に寄進額を彫り込んだ石柱がずらり、これが道路との境界になっている。この寺の宝蔵物で弘法大師の御筆跡を刻した光明真言の印版があり、お遍路の先輩に教えてもらっていたので笈摺の衿に木版で光明真言を刷り込んで頂いた。笈摺には20番鶴林寺で鶴の朱印を頂いており、あと39番延光寺で亀の朱印を頂く予定。
 今回はここで打ち止め、17番井戸寺迄歩くも17時を過ぎ参拝は次回にとなる。参加者が40名と多く歩行距離は11.7mkだが5時間で5ヶ所を参拝するのは大変、飽き飽きするほどお経を唱えている感じの一日だった。この受けた感じからすると自分は参拝に性根が入ってないと言うべきだろう。一人歩きに比べ物足りない点もあるが、でも楽しかった、感じたその場で会話出来るし一人で無い気楽さも、色々教えてくださる先達さん、御世話頂く添乗員さんとも親しくして頂けたし収穫収穫。昨日までとは打って変わって暖かい好天に感謝。
  2日の歩行地図

  国分寺


  
第5回  17番〜18番
 平成23年3月2日 17番井戸寺〜地蔵院〜18番恩山寺  歩行距離 16.8km
 徳島県の最終の旅、前回同様日帰りツアーに参加、出発予定の8時を少し遅れて湊町からバスで出発、恩山寺の参拝が遅くなって出来ない可能性を説明され苦慮、途中から単独行動も ? 結果は皆の頑張りと先達さんの計らいと恩山寺の温情があり無事に参拝が終えられた。
 9時頃に車中から六甲の山並みに虹が架かるのが見え先行きが良いかも。11時半に17番井戸寺を参拝、山門横に春を告げる菜の花畑( 写真)弘法大師が自ら掘られた「面影の井戸」に自分の姿を映し納得。
 次の地蔵院まで4.2km、何時ものツアーより歩く速度が早い、帰りの車中で先達さんが最終参拝時刻17時を考慮し「ピッチを上げたら皆さんが着いてきたのでこの組は健脚揃いかと」 。
 地蔵院でのお参りもそこそこに先を急ぐ、直ぐに眉山の裾野を行く地蔵峠越え、雨がぱらぱら降り出し合羽を着込む、約1時間の登り下りで体が温まる。峠の頂近くに願えば足腰が強くなるお地蔵さんが一体、皆さん手を合わせて下る。程なく園瀬川に沿って歩き短い沈下橋を渡りJR牟岐線を2度超えて小松島市に入る。
 雨は降ったり止んだり、コンビニやバス停をトイレ休憩に、そして参加者の顔色を見ながら時間を気にした道中に先達さんは気苦労された、一人遍路旅では己の判断が全て、ツアーの気楽さを痛感。
 恩山寺まで2kmを切った所で虹が架かって迎えてくれる、少々へばっていたが頑張れそう、朝と夕の両方に出現した虹、弘法大師さんの特別の計らいか、同行二人を意識。
 地蔵院から12.6kmを約4時間掛けて恩山寺に17時10分に到着、今にも崩れ落ちそうな特大の草鞋が両脇に掛けてある歴史を感じさせる山門が迎えてくれた。弘法大師の母が此処で剃髪し出家されたという、母子の情愛を思いながら自分にとって発心の道場最後となる札所を入念に参拝した。
 振り返れば、阿波の国「発心の道場」23札所 約220kmを日帰り3回、2泊3日を2回の旅であった。不安な気持ちで出発した遍路旅も、山川、田園、街と色んな風景を新鮮な気持ちで見ることが出来、懸命に生きている小さな生き物や人々との出会い、其処で受けた温情、教えが私を夢中にさせてくれた。
こんな楽しい遍路旅を続けられる環境に置いてもらっている自分に感謝しつつ旅を続けたい。

 3月2日の歩行図(赤字色表示)

 井戸寺山門




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