幼い時から馴染みのあった遊園地が閉鎖されると事となった。
 不況の煽りなのか、設備が古くなって時代に取り残されたのか――きっと、両方だろう。
 僕は、この遊園地がとても好きだった。好きだったから、閉鎖される事がすごく残念だ。


 ――遊園地が閉鎖。
 それを聞きつけた友人のひとりが、「行こう」と言い出し、総勢六名で行く事になった。
 でも、ひとり、意外な人物がいた。
 ――慧だ。
 僕達と慧は、同じクラスというだけで接点というものがなかった。気が合わないとかじゃなくて、住む世界が違うというか、自分達とは違う人種なのだ、と見えない壁が慧を被っているような気がして、話かけようという事すら思いつかなかった。
 濡れた絹糸の、しっとりとした黒い髪。
 漆黒の瞳はガラス細工のように瞬いて、遊園地にあるメリーゴーランドの馬のつぶらな瞳を連想させられる。
 すっきりとした目尻とその鼻梁、朱を掃いた紅い口唇。
 白い皮膚(はだ)は、時の流れを止めたアンティークドールのようだ。
 その人形のように無表情な容貌は、一種の近寄り難い雰囲気を纏(まと)っている。
 しかし、会話を交わしてみると、その綺麗な風貌を打ち砕くかのように、よく喋り、よく笑い、今まで抱いていた印象を払拭させるものだった。遠い存在だと思っていたけど、実はとても身近に感じさせる笑顔。意外と人懐こい慧は、難なく僕達の輪に溶け込んでいった。


「――昔、この遊園地でね、面白い事があって、」
 一休みしよう、とベンチに座った僕と慧を置いて、他の皆は、何度目かのジェットコースターへ乗りに行った。
 売店で買ったジュースを並んで啜っていると、慧は前方を指差した。
「あそこで、」
 少し離れた所に、華やかな旋律にのって、創り物の馬が上下に揺れながら回っている。
「面白い事って? 馬から落ちて、奇跡的に無傷だったとか?」
「それを言うなら、最悪の出来事じゃないか、」
 くすり、と笑みを浮かべたが、すぐに「……ああ、でも、ある意味そうかも……」と訂正ともいえる言葉を吐き出して、ジュースを一口啜った。そして、続きを話してくれるかと思って、それとなく慧の横顔を見ながら待ったけど、肝心の慧は黙ったままだ。笑みが慧の顔から消えると、さっきまでの印象が、がらりと変わる。氷のように、冷たく、人を寄せ付けない横顔……。
 だけど、普段の慧がどんな奴か、知っている今では、雰囲気が変わろうと関係ない。
「何なんだよ。勿体(もったい)ぶらないで、話を続けてくれよ」
 話の先が見えないせいで、僕はすっかり興味を持ってしまった。先を施そうと、その肩に手で押しやると、慧は「痛いよ」と再び笑みを浮かべる。そして、その笑みを浮かべたまま、
「……知らない奴とキスして、結婚の約束までしちゃったんだ」
「――え?」
 幼さ故の行為とはいえ、それはある意味ショックな出来事ではないだろうか。知っている子とのキスなら、恥かしながらも微笑ましい思い出に変わるだろうけど、知らない子とだなんて気味が悪い……と思う。なのに、慧は笑みを浮かべながら、更にこう言い放った。
「付け加えると、相手は僕の事、女の子と思い込んでいたみたい」
 もう、どう返せばいいのか分からず、口篭(くちご)もる。それでも何か返さなきゃと、言葉を選びながら、
「……それって面白い事っていうより、やっぱり最悪なんじゃないの?」
「う…ん、でも、それほどでもないんだよね」
「……、」
改めて、慧の横顔を見つめる。
その綺麗な横顔は、男性的とも女性的ともいえる。今日一日付き合って分かったけど、十人中、九人は振り向いて視線を慧へ注がせていった。
羨望な視線。不躾な視線。純粋に美を褒め称える視線――。
今でさえ綺麗な容貌をしているのだから、幼少時代はどうだったかと、想像しやすい。
「あれに乗ろう」
慧は、飲み干したジュースの紙コップをゴミ箱に投げ入れ、僕の腕を掴む。
「え? でも、他の連中が……」
「小学生じゃないんだから、大丈夫さ」
そのまま、慧に引き摺られるようにして、メリーゴーランドに向かって歩き出した。


 馬に揺られながら、慧は当時の事を話してくれた。音楽の音量が大きくて、時々聞こえない部分もあったが、内容に支障はなかった。
 メリーゴーラウンドに乗る際に、偶然、隣り合った事。
 その子と意気投合し、一緒に遊ぶとタダをごねて、両親を困らせた事。
 別れる時も両親を困らせ、最後に泣きながら、また逢おうと約束した事。
 そして、相手は未だに慧を女の子だと勘違いしているだろうと事。
 その話は、馬から降りるまで続いた。
「――その相手さ、実は男だったって判ったらショックだろうなぁ、」
 女の子に間違われた慧が可哀想というより、勝手に女の子だと間違えた相手の滑稽さに、思わず失笑してしまう。
「どうだろう?」
「――また、逢ってみたいと思う?」
 慧は、一瞬黙り込み、くるりと瞳を僕の方へ向ける。
 その精巧なガラス細工のような黒い水晶体に、己の姿が映し出される。
「……もう、逢ったよ、」
「ふーん、それで、どういう反応したの?」
「すっかり、忘れてるみたいだね」
「薄情な奴。――でも、相手は女の子だと思って――……、」
 と、いう事はどういう事だ?
 慧は、その相手と逢った、と言う。けど、相手はそれに気付かず……、
「こうして話しても、一向に思い出せないみたいだし?」
「――え?」
 背後で、再びメリーゴーランドから曲が流れる。
 幼い頃、両親が連れてくれた遊園地。
 当時、一番好きだったアトラクションは――、


メリーゴーランドだったっけ……。
上下に動きながら、ぐるぐる廻る――という単純なアトラクション。単純だからこそ、壮大な架空の世界が出来上がる。
 そう、まるでゲームの主人公になったように……。そして、主人公の隣りには心強い仲間と美しいヒロイン……。
あの時、乗り合った女の子は本当に可愛くて……あれ?

 まさか……、
「――違う……。だって……」
 だって、もし、出逢っていたなら、忘れる筈がない。人間離れした容貌を持つ慧を、そう簡単に忘れられない。仮に忘れても記憶の破片が残るだろう。それほどに、慧の印象は強烈なのだ。
 それとも……、強烈過ぎて、忘れてしまったのだろうか……?
「ううん、忘れているだけだよ。だって、あの時、互いの名前を言い合った。そして――、」
 慧の指が、僕の頬に触れる。
「この――、」
 触れられている指が、冷たい。
「目尻の黒子(ほくろ)。それが何よりの証拠、」
 そして、指が、すっと口唇を滑らして――、
「……っ、」
 口唇が触れてきた。
 キス、されたと気付いたのは、慧が離れて、じっとこちらを見つめて来た時だった。
「――ずっと忘れなかったよ。何より、あの時、一緒に遊んだ奴が気に入ったんだ」
 ――ああ、そうだ。
 ガラス細工の黒い瞳。
 どこかで見た事のある、黒い瞳。それは、メリーゴーランドの馬の瞳だと思っていた。
 違う、そうじゃなかった。
 その瞳の持ち主は、馬ではなく、今、目の前にいる人物。
 そう、あの時――、確かに、こうして口付けを――、


「……思い出した?」
 まだ、幼い記憶には深い霧が立ち込めているけれど、それも徐々に晴れ渡っていく。
「……何となく、」
 そう答えると、慧がにこりと微笑む。その頬にほんのりと紅が添えられる。
「ずっと、逢いたかったんだ……」
 手を重ね合わせる。
「だから、ここがなくなってしまう前に一緒に来たかった、」
「慧……、」
 背後で、何度目かのメリーゴーランドが廻り始めた。


そうして、再び、キスを――。


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JUL.09.2004. update



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