どちらかといえば、夢は見ない方だ。 だが、全く見ないというわけではない。時々は見る。 その時々見る夢は、とても妙なものばかりだ。 例えば――、 殺される夢。 虐待される夢。 裏切られる夢。 自分を殺す夢。 他人を殺す夢。 どこまでも、堕ちていく夢。 ――そう、どれもこれも、現実離れで最悪な夢。 多分、いい夢も見ていると思う。だけど、それは当たり前すぎて、そうだと気付く前に忘れてしまう。だから、最悪な夢だけが、いつまでも頭の底にこびりついているのだろう。まるで、ろ過されて残った不純物のように。 だが、最近それが無くなりつつある。 それは、ある人物のせいだった。 名を、慧(けい)という。 一言で済ませると、慧は、不思議な奴だ。 誰かとツルむ、とかいうのはなく、ただ独りでひっそりといるだけだ。普通の奴なら、人に埋もれると目立たなくなって、存在感のない人間に成り下がるようなものだが、慧の場合、全くの逆だった。ここが慧の不可解な点だ。 いや、そうじゃない。独りでいるからこそ、目立つのかも知れない。それに加えて、慧はとても綺麗な容姿をしている。男相手に「綺麗」という言葉は適切じゃないだろう。だが、本人を目の当たりにすると、まさしくその言葉は慧の為にあるかのようにさえ、思えてくる。 柔らかい乳白色の肌。 艶やかに濡れた黒い髪。 ほっそりとした四肢。 それこそ、ひっそりと咲く白百合のように控えめで、でも、芳(かぐわ)しい甘い香りでもって、その存在感を確実に際立たせている――、 皆、そう感じ取っているのではないか。だから、無闇に近付こうとせず、こうして遠巻きにしているのだろう。 この世の汚れなど知らない、潔白で無垢な存在――慧を知る人は、そう崇(あが)めているのかも知れない。 そんな綺麗な慧を、穢(けが)している。 但し、夢の中でだけど。 好きだから――とか、そんなんじゃない。ただ、綺麗なものを滅茶苦茶(めちゃくちゃ)にしてみたいだけ。 降り積もったばかりのまっさらな雪を、土足で踏み荒らす――そんなガキじみた遊戯。 その誰もが持つ、無邪気な残酷さでもって慧を穢す。 同じ姓を持つ男を犯すなんて普段じゃ思った事もないけど、どうせ夢だから、といいように解釈して、思う存分慧を凌辱(りょうじょく)する。夢の中の慧はとても従順で素直で、そして、淫らだった。 「いや……、ぁ、」 啼(な)きながら抵抗を見せるが、このような快感に弱かった。ちょっとでも突付くと、あっさり陥落(かんらく)し、最終的にはこっちの言いなりになる。その快楽に濡れる慧の姿は、普段から想像出来ない程に綺麗だった。 穢れて綺麗になっていくというのは、パラドックスのようで、奇妙な感じだった。 だが、朝になって夢から醒めると、すっきりした体と裏腹に気分は重い。 夢の中とはいえ、顔見知りの人間をいいように扱って、犯しているのだ。それを平気でいられる程、歪んだ性根の持ち主ではない。気分が悪くなるに決まっている。 ――確かに、最初は面白がっていた。冗談で済ませていた。所詮夢なんだから、と。 でも、それが一度きりではなく、何度も何度も見続けると、さすがに自己嫌悪に陥ってしまう。己の欲望は、これ程までに浅ましく貪欲なのか、と。それに、やっている事がどんどんエスカレートしていっているようで、恐かった。 そう、夢は夢でも、見るたびに内容が全く違う。慧を犯す行為に変わりはないが、その過程が毎回違っていた。おかしな事に、夢の中の慧も最初は恥じらいがあったが、最近ではそれすらもなくなっているような気がする。それを「セックスに慣れてしまった」と一言で済ませると、これはもう夢の中の出来事ではなくなってしまう。 夢なのに、時間が存在しているように、どんどん経過していっているような生々しい感覚。一体、どちらか夢で、どちらか現実か。まるで、胡蝶の夢のようだ。 今まで見てきた最悪だった夢の方が、どんなに良かったか。 これこそ、史上最悪の悪夢としかいいようがなかった。 現実の慧を見るのも、夢を見るのも恐くなり、全てのものから逃げるように、目を背けてしまうようになった。 昼間は、慧を視界の中に入れず、夜はほとんど寝なかった。 しかし、いつまでもそんな生活が続くわけがない。三日も経てば、授業中に居眠りをするようになった。教壇からの子守唄は、不思議な事に慧の夢も、他の夢も見る事なく、どろり、と眠りの海へと沈めてくれた。 この時程、睡眠の大事さを感じた事がないんじゃないだろうか、というくらい深く深く意識は堕ちて――、 「……あ、やぁ……、」 暗闇に浮かぶ白い裸体が、小さく震える。 ――まずい。例の夢だ。 どうしてなんだ? どうして、この夢を見る? 夢を自覚して途惑う自分。だが、夢の中の自分は、そんな自分を無視して、慧の体を蝕(むしば)んでいた。 口唇(くちびる)で肌を噛み、指で肌を撫でまわす。 組み敷かれた慧の手が抵抗の動きを見せるが、それはとても弱々しく、体全部が快楽に酔いしれているのが丸分かりだった。欲情に濡れた昂ぶりに指を絡ませ、少しきつめに握り締めると、慧の腰がびくっ、と跳ね上がる。 「いやっ、あ……、ん、」 「……いやって言ってるわりには、ちゃっかり感じてるじゃないか、」 言葉で、慧を弄(なぶ)る。 「やらしいの、こんなに流して、」 「ん……っ、」 ――本当はこんな夢、見たくないのに、醒めて欲しいのに、慧の痴態を目の当たりにすると、その決断の砦はいともあっさりと崩壊する。 快楽で火照った体が打ち震える姿は、残酷な程そそられる。そうとも知らずに慧は、益々体を震わせた。 「やっ……、違っ……う、」 「違わないだろう?」 更にきつく握って擦ってやると、慧は体を強張らせ、そして、あっけなく白い液体を吐き出した。 ぐったりとなって、浅く呼吸を繰り返す慧に、 「ほら、今度はオレを愉しませてくれよ、」 ぐいっ、と両の脚を割り開く。その奥に硬く閉じられた秘部に、精液で濡れた指を突き入れると、まるで別の生き物のように、指に絡み付いてくる。そして、幾分ほぐれたのを確認すると、欲望にいきり立った己を侵略させた。 「あっ、ああぁっ……っ」 夢の中で何度もしているのに、慧は貫かれる衝撃に慣れる様子はなく、いつも体を硬くする。それを無視して、強引に奥へ突き進む。慧の震える振動が直に伝わって、それが、とてつもなく気持ち好い。 萎えてしまった慧の自身に触れ、擦り上げると、更に体を硬くし、繋がった部分を締め付けてくる。 「んん……あっ、やっ、」 掌で包んだ、そこが再び固く勃起していくのを認めると、ゆるり、と腰を動かし始める。抜き出す時に切なげに締めてくるが、一瞬、体が弛む隙がある。それを逃さず、再び奥へと突き挿す。 「やぁ――っ、ああっ、」 慧は、悲鳴を上げるが、それを何度も繰り返すと、次第にか細い喘ぎに変わっていく。そうなってくると、慧の理性は完全になくなり、逆に全てを飲み込もうかというくらい、快楽に貪欲になる。 「あ……、もっと、奥まで……、ああ、ん」 その声を背景に、腰を掴んで更に奥へと穿(うが)つと、もっと、とねだるように、慧の腕が背中に回される。ぴたり、とこれ以上ないくらいに重なり合って、慧のぬくもりを捉えた。 しっとりと滑らかに吸い付いてくる肌が、心地好い。うっすらと流れる汗は、甘美な蜜となって口唇を誘う。 「ん……、あぁ、」 首筋に舌を這わすと、一際(ひときわ)甘い喘ぎを洩らした。そして、 「……どう、して……、」 震える声音(こわね)が、耳を掠める。 「――え?」 「どうして、こんなコトを……?」 慧がはっきりと言葉を発するのは、この夢を見てから初めての事だ。思わず体を放して、慧の顔を正面から見下ろす。慧も潤ませた瞳を真っ向からこちらを見上げている。 濡れた瞳は、黒く、鈍く煌(きらめ)く黒曜石のように、引き込まれる程に綺麗だった。 目を合わせるなんて初めてだし、どう答えたらいいのか分からず、それでもどうにか「厭(いや)、なのか?」と訊き返した。 よくよく考えれば、夢の中でそんな事を訊くのは変だな、と思う。これは自分が見ている夢であって、都合のいいようになっているものなのに。これじゃあ、現実で交わす会話とそう変わらない。 もしかして、自分の罪悪感からきているのかも知れない。だから、こんな会話が成立するんだ。きっと、そうだ。 「……厭じゃないけど、嫌なんだ、」 そっ、と慧は己の胸に手を滑らせ、 「ここが淋しい。――こうして、繋がって……、体は熱くても、ここが寒いから……嫌、」 「――、」 「……僕を、」 慧は躊躇(ためら)いがちに、でも、はっきりと、 「僕を、見て……。ちゃんと、見て、欲しい……、」 ――そして、夢から醒めた。 気が付くと、チャイムが鳴り終わり、授業が終っていた。 周りが騒がしく、短い休み時間の間に次の授業の準備をしたり、お喋りや悪ふざけに花を咲かせている。 いつもと変わらない情景にぼんやりしていると、その肩を友人に小突かれたり、「今の授業退屈すぎ」と話しかけられたりしたが、そんなものに興じる事なんか出来なかった。反応を返さなかったせいか、「寝ぼけているのか」とからかわれても、何も返事をしないでいると、肩を竦めて行ってしまった。 今まで、授業中に居眠りしても夢など見た事なかった。だから、安心して睡眠を摂る事が出来た。なのに――、 最後の砦が崩れたような気がした。 学校という場所が、理性の最後の砦であり、唯一現実の慧と接点を持つ世界。なのに、まるで現実の慧までも辱(はずかし)めいたような気がして、気分が悪い。 せめてもの救いは、夢精をしなくて済んだ事か。だが、意識を下半身にやった途端、血がそこに集中してくるのが、あからさまに分かって、意識をそこから振り払うように頭を乱暴に振る。 不意に、視線を背中に感じた。 気のせいかと思った。でも、確かにこちらを見ている何かがある。 振り向いてはいけない、と直感的に思った。振り向いたら、そこで何かが終ると思った。思ったけど――、 「――あ、」 肩越しに振り向いた視線の先に、慧がいた。 瞳が、こちらを見ている――。 その瞳は、先程の夢で見た鈍く煌く黒曜石と同じで、微かに潤んでいるように見える。まるで、夢の中で自分がしてきた事を知られたようで、ばつが悪い。 でも、その瞳から逃れようにも、逃れなくて――、 ――僕を見て、 まさか? 椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり、慧の方へ向かう。その音に驚いた周りの連中は、動きを止め、伺うようにこちらを見やるが、そんな視線など気にもしてられない。そして、慧の前で立ち止まり、 「……知ってた、のか?」 その短い言葉に、慧は、コクン、と頷いた。 チャイムが遠くで鳴っている感じがするくらい、世界から切り離されている。 全ての感覚が慧に向かっていた。 ――あの後、突然、周りの突き刺すような視線に居たたまれなくなって、慧の手を掴んで、人気のない裏庭まで逃げ出してしまった。 「――たまに、他人同士の夢が繋がる時があるって、聞いた事ある、」 慧は、静かにそう言った。 それで、全て納得する。 徐々に欲情に濡れて、綺麗になっていく様に。 恥らいながらも健気に応え、開いてくる体に。 そして、あの言葉――。 夢の中だけど、でもどこがで繋がって、抱き合っていた。 なんだか、妙な気分だった。 「――ちゃんと、こっちを見て、」 切なげに揺れる、慧の瞳。黒曜石のように煌く瞳が、暗く沈んでいる。それは、木陰の作り出す闇のせいではなく、慧の心情の顕(あらわ)れだろうか。 「夢の中でなく、こっちを見て欲しい、」 そのどろりとした、暗い瞳を、明るい光に照らしてやりたい、と切に思った。だけど、それは、あまりにも勝手が過ぎないだろうか。夢の中だとはいえ、散々いいように扱ってきた自分に、そんな資格があるのだろうか。 高山に咲く、高嶺(たかね)の白百合。その花を、手折(たお)っていいのだろうか? ――ああ、そうか。 恐かったんだ。純真無垢で綺麗な慧を、己の欲望で溺れさせたくなかった。いつまでも綺麗なままでいて欲しかった。でも、それと反対に、穢したかった。この手で、快楽に堕したかった。 なんて幼稚で、勝手な願望なんだろう。 そして、その影に潜んでいたものは――、 「ごめん、」 慧に向かって、頭を下げる。 ――花を折りたかったんじゃない。愛(め)でてやりたかったんだ。 頬に手を添えると、ひそやかな息遣いを感じる。 「ごめん、ちゃんと見るよ。ちゃんと、現実の慧を――、」 そうして、口唇にキスを落とす。包み込む口唇は、しっとりとして柔らかく、得難い感触だった。 「う、ん……、」 これが現実の慧なんだな、と改めて実感した。 「――そう言えば、夢ん中で、キスするなんてなかったな、」 今更ながら、そんな事に気が付いて、おかしさが滲み出る。慧もつられて「そうだね、」と微笑んだ。 その瞳は、いつも以上に煌めいて、とても綺麗だった。 |
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