執務の帰り、を自宮に誘った。
見慣れた背中がやけに寂しく感じたからだ。
いつも通り振舞っているつもりでも、俺には分かる。
そんな寂しそうな顔をしないでくれ。
抑えられなくなるから。
ソファに座ったまま喋ろうとしないに、俺はワインを勧めた。
多少酔った方が本音を語り易いだろう。
視線でそう告げてやると、は観念したように一口飲んでやっと重い口を開いた。
「・・・・私、もう疲れちゃった。」
それだけ聞けば全てが分かる。
今のの気持ちも、その原因も、何もかも。
だが俺は敢えて口を挟まずに、無言のままで続きを促した。
「私、もう愛されていないのかな?」
「・・・・そんなことはないだろう。あいつはちゃんとお前の事を愛していると思うが。」
「だったらどうして私だけ見てくれないんだろ?私の気持ちなんか全然分かってくれない。」
「それをあいつにちゃんと言ったか?口で伝えなきゃ分からない事もあるぞ。」
「・・・・言えないよ。こんなみっともない事、言えない。」
「どこがみっともないんだ。自分だけを愛して欲しいと思うのは自然な感情だろう?」
俺の言葉に、は俯いて黙り込んでしまう。
俺は大分中身の減ったのグラスに、ワインを注ぎ足した。
それから、自分のグラスにも。
二人して、しばし無言でグラスに口をつける。
「別れようとは思わないのか?」
「まだ決心つかなくて・・・。嫌な事ばかりじゃなかったから・・・。」
「・・・そうか。」
「・・・うん。」
そんなに悲しそうな顔をしないでくれ。
諦めがつかなくなる。
あいつからお前を奪いたくなる。
「でも、向こうはもう私に飽きちゃったのかな?本当はもう別れたいから、色んな人とあんな・・・」
「あいつは良くも悪くも自分に正直なんだ。だから自分の気持ちや欲求を抑えられない。」
「愛情とは関係なしに?」
「そうだな。」
「そんなのズルい・・・・。」
「その通りだ。でもあいつはそういう人間なんだ。だから黙って耐えるだけじゃ辛いばかりだぞ。」
そう、一人で黙って耐えることなんてないんだ。
「じゃあ私はどうすればいいの?」
「・・・・そうだな、ももっと自分に素直になればいい。」
「素直に?」
「そう。心のままに行動すればいい。自分ばかり誠実に振舞うなんて馬鹿馬鹿しいと思わないか?」
「馬鹿馬鹿しいだなんて・・・・」
「あいつも好き勝手に楽しんでるんだ。もそうすればいい。」
何も考えなくていい。
ただ思うままにすればいい。
お前も、俺も。
「そんな仕返しみたいな事、私は・・・!」
「そう堅苦しく考えるな。もう一杯どうだ?」
「・・・ありがとう。」
二人とも、いつになくペースが早い。
空になったグラスに再びワインを注ぎ、一気に呷る。
飲み干した紅い熱情が、この胸を焼き尽くしていく。
その熱と共に、燻っていた想いが再び熱くなり始めるのを、俺ははっきりと感じ取っていた。
― 俺なら、お前にそんな顔はさせない。
仕返しなどと、そんな下らない事をけしかけている訳じゃない。
ただ望みを叶えたいだけ。
ワインの酔いのせいにしても構わない。
今にも消え入りそうな思い出に浸ったり、哀しげな言葉に酔っているよりも。
「忘れろ。」
「え?」
俺はを抱き寄せてキスした。
の手から、グラスが落ちる。
驚いて硬直したの体を、逃げられないようにこの腕の中に閉じ込める。
強く、強く。
「全部忘れろ。」
耳元で囁いて、もう一度唇を重ねた。
「んっ・・・!」
は苦し気な吐息を漏らすが、俺の腕から逃げない。
そう、それでいい。
その身も心も俺に委ねてくれ。
そうすれば、お前の望みは叶う。
俺ならば、あいつ以上にお前を愛せる。
だから俺を受け入れてくれ。
俺のものになってくれ。
「・・・やっ!やっぱりダメ!」
襟元から肌に触れようとした俺の手を、は拒絶した。
「ごめん、シュラ。やっぱり私には出来ない・・・・。」
は乱れた襟元をかき合せて俯く。
伏せた睫毛の下で戸惑うように揺れている瞳が歯がゆい。
忘れてしまえば、お前の望みは叶うのに。
辛いと分かっていて、それでも頼りなく燻り続ける心を持て余す事を選ぶのか。
「・・・・・分かった。悪かったな。」
「ううん、私こそごめん・・・・」
去っていくの後姿を見送って、俺は残ったワインを瓶のまま呷った。
忘れてしまう事も出来ずに、ただじりじりと燃えるような心を胸の奥に流し込んでしまうように。
、捨てきれない想いを燻らせているのはお前だけじゃない。
俺もまた、どうにもならない狂おしさに、この身も心も委ね続けるだろう。
この焼け付くような想いが、いつかお前のその透き通った瞳に映る事を望みながら。