拝啓 聖域の皆様
お元気ですか?
私はたった今、カミュと共に東シベリアの土地に降り立ちました。
早くも死にそうです。
カミュの里帰りに、『一緒に行きたい!オーロラ見たい!』と軽はずみについて来た事を、今では酷く後悔しています。
「ふむ、ガラスも床も大丈夫だな。良かった。たまにはこうして点検しに来ないと、家の中が凍り付いて滅茶苦茶になってしまうんだ。」
「そう・・・・・」
「どうした、?」
「さむ・・・・・」
「!?」
あまりの寒さに、私は倒れ込みました。
『この時期は比較的寒さがマシだ』という、カミュの言葉を鵜呑みにした私が馬鹿でした。
この東シベリアの尋常でない寒さには、私の装備など到底及ばなかったのです。
「一着だけ残っていて良かった。これで少しはマシだろう?」
「うん、有難うカミュ。」
「しかしな、何もそこまで着膨れなくても・・・・・。そんなに寒いか?」
カミュは呆れたように私を見ています。
確かに今の私は、厚手のタイツと靴下をそれぞれ2枚重ねて履き、体中にカイロを貼って、Tシャツとトレーナーとセーターとコーデュロイのパンツを着込み、それでも足らずにカミュの替えのレッグウォーマーと、更にこの家に一揃いだけあったエスキモーコートとパンツ、及びブーツを装着しています。
マフラーとニット帽の上からコートのフードも被り、手袋も忘れていません。
さぞや奇怪な格好である事でしょう。
しかし、これは生きる為に必要な装備なのです。
私がこの極寒の地で生き抜く為の。
「寒いに決まってるでしょ!?っていうか、カミュは何でそんなに薄着なわけ!?ノースリーブなんてやめて〜〜!!見てるこっちが凍えそう!!」
「そうか?私はさして寒くもないんだが・・・・・。今日は本当に随分マシだぞ。吹雪いていないし、気温も−30℃だ。あと1ヶ月程早かったら、−40℃は堅かったな。やはり3月にして良かった。」
カミュは満足そうにこう言いますが、−30℃と−40℃に一体どれ程の差があるのでしょうか。
どっちにしたって冷凍庫より寒いのに、ノースリーブにレッグウォーマーというカミュのチョイスが、私には全く理解不能です。
「、君は運が良いぞ。」
「え、何が?」
「オーロラだ。ここ最近は安定した穏やかな天候らしいからな。今夜にでも早速見に行くとしよう。」
「本当!?」
「ああ。」
しかし、新聞を手に微笑んで請け負ってくれるカミュに、私も思わず寒さを忘れて微笑み返しました。
何故なら、そのオーロラこそが、私の旅の目的だったからです。
カミュの作ったボルシチとウォッカで身体を温め、私達は夜の雪原へと繰り出しました。
只今の気温、−40℃。
やはり差が分かりません。
これが先月だったならば、−50℃だったのでしょうか。
どっちにしても、死にそうに寒いです。
「カミュ・・・・・、私もう駄目かもしれない・・・・・」
「ふっ、何を言ってるんだ。大袈裟な。」
「大袈裟じゃない・・・・・。本当に凍え死ぬかも・・・・。もし私が死んだら、聖域の私の家の物は、皆で分けて使ってね・・・・・」
「形見分けの遺言とは随分用意が良いな、ははは。だが心配は要らん。凍え死になどしない。ほら、ウォッカだ。少し飲むと良い。」
「ありがと・・・・。うっ、きっつ・・・・・!」
のどを焼くようなウォッカの熱が、私を少しだけ温めてくれます。
純度何%なのでしょうか。
本当ならこんなきついお酒は苦手ですが、ここでは四の五の言ってられません。
これも生きる為です。
遺言など残しましたが、誰も本当に死にたくはありませんものね。
「ねぇカミュ・・・・、オーロラはいつになったら出るの?」
「もう近々出ると思うのだがな・・・・・。吹雪もないし、もう少し待ってみよう。」
「う・・・・・ん・・・・・」
「寒い寒いと思っていると、余計寒くなるぞ?そうだ、少し身体を動かすと良い。私も付き合おう。」
「身体を動かすって何するの?まさか聖闘士の特訓とか言わないよね!?」
「まさか。他愛ない雪遊びだ。やった事があるだろう?雪玉をぶつけ合う遊びだ。」
「ああ、雪合戦?」
「日本ではそう言うのか。そう、それだ。」
やった事があるといっても、それは随分昔の事で、しかもほんの数回の話です。
私の生まれ育った東京には、積もる程の大雪はそんなに降った例がありません。
東シベリアとは違うのです。
ついでに言うと、今の私は着膨れてダルマ状態。
日頃より遥かに重い身体で、相変わらずノースリーブにレッグウォーマーな軽装のカミュとやり合って、勝てる筈もございません。
しかしこのままじっと死を、いえ、オーロラを待つよりは、負け戦でもやった方がマシというもの。
私はカミュの誘いを受ける事に致しました。
「先攻はだ。さあ、かかって来るが良い。」
「よ〜し・・・・・、えいっ!」
私が渾身の力を込めて投げた雪玉を、カミュは難なく避けます。
「どうした。そんな引けた腰では全然当たらないぞ。」
「腰が引けてんじゃなくて、身体が重い・・・・・・のっ!!」
『のっ!!』で投げた二球目も、カミュはひょいと避けました。
「ならコートだけでも脱いだらどうだ?動き易くなるぞ。」
「冗談・・・・・ポイよっ!!」
『ポイよっ!!』で投げた三球目も、掠りもしませんでした。
悔しいです。
ここが聖域であったなら、もう少し身軽に動いて納得のいく戦が出来たものを。
何処でやったって当たりゃしないと小馬鹿にするのは、この際私の気持ちを察してどうかご容赦下さいね。
ともかく私は、たったの三球でへたばってしまいました。
最初はハンデだと言って、私の気が済むまで一切反撃しないと快く申し出てくれたカミュでしたが、ここからはやり返してくるようです。
折角のチャンスを早くも見事棒に振った私を、根性無しとせせら笑うならどうぞ笑って下さい。
「本当にもう良いのか?私も反撃するぞ?」
「ど・・・・、どうぞ・・・・・、かかってらっしゃいよ・・・・!」
どうせ負けは最初から見えていた事です。
今更命に未練はありません。
けれど散り際だけは潔くと、私はカミュに啖呵をきりました。
一方、カミュはそんな私の様子が可笑しかったのか、小さく吹き出すと、握った雪玉を私に向かって投げ始めました。
「きゃーーっ!!冷た!!!」
「ふっ、どうした。何故避けん?」
「よっ、避けてるつもりだけど、身体が動かな・・・・、いやーーっ!!」
カミュは限りなく手を抜いてくれています。
お陰で雪玉が当たった所は、全然痛くありません。
でも冷たいのです。
当たって砕けた雪玉の欠片が、フードの隙間から首筋に入ると、それはもうある種の拷問です。
私は覚束ない足取りで右往左往するしかありません。
着込んだ服が重いのもさる事ながら、このブーツが足に合わないのです。
男物はやはり私には大きいみたいです。
そんなこんなで、私はあっという間に全身雪まみれになりました。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・・・!」
「もう降参か、?」
「なんの・・・・・!」
「しかしかなり息が上がっているぞ?そろそろお終いにしよう。ああ、雪まみれだ。悪かったな。大丈夫か?」
カミュは優しく私を気遣ってくれました。
が、その時の私は、飲んだウォッカの酔いもあったのか、大層興奮しておりました。
「情けは要らないわ!!とどめを刺しなさいよ!!」
何を思ったか、カミュに向かってこう叫んでしまったのです。
皆さん、私を愚かと思うでしょう?
私も思います。
ところがカミュは、僅かに目を真剣な様子に光らせた後、真摯な表情でこっくりと頷いたのです。
「・・・・・良く言った、。君のサムライ魂、このカミュ、確かに受け取った。」
「・・・・・ふっ、武士に情けは無用よ。」
この時の私達は、ちょっと別の世界に旅立っていたのでしょうか。
落ち着いた微笑を湛えたカミュが特大の雪玉を構えるのを、私もまた両腕を広げて微笑んで見つめていました。
そして、その雪玉はカミュの手元を離れ、あろう事か私の顔面にクリーンヒットしたのでございます。
「ぶっ・・・・!」
「!済まん、胸を狙ったつもりだったんだが・・・・・!」
雪玉が顔に当たった拍子に、私は仰向けに倒れ込みました。
そんな私に気付いたカミュが我に返り、慌てて私の側へ駆け寄って来ました。
「大丈夫か!?済まなかった・・・・・!」
「あぁ、平気平気!はぁ〜〜ッ、疲れた!!あはは、久しぶりに楽しかった〜!」
顔についている雪を払って、私は笑い転げました。
動き回ったり興奮したりしたせいか、もうさほど寒くはありません。
笑う私を見て、カミュも安心したように笑っています。
その時、私はふと上を見て気付きました。
「あ・・・・・・」
「ん?」
「オーロラ・・・・・」
そう、そこには。
真っ黒なビロードの空に、真珠のような光沢を帯びたオーロラがくっきりと浮かび上がっていたのです。
何と美しい光景でしょうか。
私は一生この景色を忘れまいと、ただ無言で空を見つめていました。
巨大な白熊に襲われるまでは。
「ぎゃーーーッ!!!カミュ、助けて!!!」
「大丈夫だ、。そのままじっとしていろ。動くんじゃないぞ。」
カミュの冷たい闘気を纏った一睨みで、白熊は恐れをなして逃げて行き、私は何とか命拾いをしましたが、白熊に睨み下ろされた時は、生きた心地がいたしませんでした。
「もう大丈夫だ、。立ち上がっても良いぞ。」
「上が・・・・れない・・・・・。カミュ、起こして・・・・・」
「・・・・・フッ、仕様がないな。」
起き上がれないのは、何も白熊に怯えて腰が抜けたせいだけじゃないのです。
身体が重すぎて、自分で起き上がる事が出来なかったのです。
ともかく私はカミュに手を引っ張って貰ってどうにか立ち上がり、ヨタヨタと帰途につきました。
「あっ、くっ・・・・・!」
「どうした、!?」
「コート脱げない・・・・!あ〜〜〜もう!!助けてカミュ!!」
「やれやれ、全く・・・・・・」
それから以降も、私は何度もカミュの手を煩わせる事になりました。
特に着替えの面で。
何しろ着込みすぎて隙間がなくなり、一人では装備の着脱が難しいのです。
そのうち面倒がられて、雪原に放り出されるかもしれません。
そうならないように日々色々気を遣って、用心してはおりますが。
とにかく無事帰りの列車が到着する日まで、何としてでも生き抜く所存でございます。
唯一つ、皆様に言わせて頂けると致しましたらば。
あれ程誘っても誰一人として同行しなかったのは、皆様この東シベリアの環境を良くご存知だったという事ですね。
だったら誰かお一人ぐらい、私を止めてくれても良かったのではと、少々哀しく思います。
尤も、お陰様で素晴らしいオーロラを見る事が出来たのではありますが。
それでは皆様、また会う日まで。
皆様のご尊顔を、生きて再び拝見出来る日を心より楽しみにしております。
東シベリアより
敬具
P.S.
もし私が生きて戻る事叶わなかった場合は、どうか私の亡骸ぐらいはせめて温かい場所に埋めて下さいませ。
「おい、お前達。から何やら悲痛な手紙が届いているぞ。」
「ん?どれどれ・・・・・」