暖かな春の日差しに照らされた、の笑顔。
その後ろから唸りを上げて突き進んで来る、一台の車。
フロントガラスの向こうに見える運転席では、男がハンドルを握りながら携帯片手に大笑いで電話中、こちらの事など見てはいない。
危ない、そう思った瞬間の事。
それはほんの一瞬の出来事だった。
人だかりから悲鳴が上がり、誰かが『救急車!』と叫んでいる。
車は逃げなかっただけまだマシだったが、運転席から降りてきた軽薄そうな若い男は、ただそこに呆然と突っ立っているだけだ。
これでは遠巻きに騒いでいるギャラリーの方がまだ役に立つ。
この男に一言説教してやろうと思って口を開きかけ、私は声が出ない事に気付いた。
「サガ、サガ!!」
ああ、そうだ。車に跳ねられたのは私だった。
私が咄嗟にを突き飛ばして庇ったのだ。
「・・・・・・・」
「サガ!!」
は、折角の服が汚れるのにも構わずに、私を抱き起こしてくれている。
君が無事で良かった、そう言いたかったのに、私の唇はうまく言葉を紡いではくれなかった。
如何に聖闘士といえど、生身の肉体は普通の人間のそれと同じだ。
病にも罹れば怪我もすれば、死にもする。
私はここで死ぬのだろうか。
世界で一番愛した女の腕に抱かれて。
私にはまだやらなければならない事があるというのに。
だが、そうだ。
人間、普通は死に方など選べない。
人の生き死に、生命の流れ、それは本来神の領分だからだ。
しかし、もしも選べるなら、愛する者を守って死にたい。
そんな私の我侭な願いを、神はお聞き届け下さったのだろうか。
「・・・・・・、良かった・・・・・・。怪我は・・・・・、ないな・・・・・・」
「うん、ないよ、私は大丈夫・・・・!でもサガ、サガが・・・・・!」
「泣くな、・・・・・。これで・・・・・・・、良いんだ・・・・・・・」
愛する君を守って死ねる。
本望ではないか。
私は神の御意志に従い、の腕の中でひっそりと目を閉じ・・・・・・・
「サガ!?いやーーーーっっ!!!」
・・・・・・・・・・・ようとしたが、やめだ。何故死なねばならんのだ。
何が神の領分だ、何が愛する者を守って死ねたら本望だ。
嘘をつけ、嘘を。
お前の本心を、この俺が知らないとでも思っているのか。
「ところで・・・・・・・・、俺をどう思う・・・・・・?」
「え・・・・・?」
「聞かせてくれ。お前は俺をどう思っている?」
「え、何、何なの・・・・・・?」
は突然意味不明な質問をされて面食らっているようだが、俺にとっては意味不明などではない。
何しろこの馬鹿ときたら、本当はを自分のものにしたい癖に、いつまでもチンタラチンタラとしているのだ。
こいつがいつまでもこんな調子なら、いっそこの俺がを・・・・・・・・、そう思っているからな。
「な、何言ってんの、サガ・・・・・?意味が分かんないよ・・・・・!」
「俺は・・・・・・、お前が好きだった。ずっとな・・・・・・・。」
「え・・・・・・?」
「これで最期かも知れん。冥土の土産に、お前の気持ちを聞かせて欲しい・・・・・・・。」
「サ・・・・・ガ・・・・・・・」
・・・・・・・・・・・貴様こそ嘘をつけ、嘘を!!
私に断りもなく勝手な事をペラペラと!!!
何が冥土の土産だ、死ぬ気などさらさら無い癖に!!
というか、貴様まだいたのか!?!?
おのれ、こうしてはおられん!!ええい、そこをどけ!!私の身体を返せ!!!
「済まない、忘れてくれ、・・・・・」
「え・・・・・?」
「今のはなしだ。なかった事にしてくれ。私は何も言わなかった、お前は何も聞かなかった。良いな?」
「良いなって・・・・・、え?え!?」
「要するに・・・・・アレだ。お前が無事だったのなら、私はそれで良い。これで心置きなく・・・・・死ねるというものだ・・・・・・」
「え、ちょ、サガっ・・・・・・!」
ふう、危なかった。
危うく恥を残して死ぬところだった。
何が恥か、だと?
それなら貴様は、車に轢かれて血だらけになって、大衆の面前で愛の告白をする男が格好良いとでも言うのか?
普通は格好悪いだろう!
しかも、綺麗に口の端から薄らと血を滲ませているだけならともかく、鼻血も出ているのだぞ鼻血も!!
この状態で告白して、もし断られてみろ、ビジュアル的に最悪ではないか!!
私は笑いを取ってなんぼのお笑い芸人ではないのだぞ!!!
愛の告白とはTPOを弁えて行うものだ、私に余計な恥をかかせるな!!!!
「黙れこのたわけが!」
「えっ!?えっ!?たわけって私の事!?なに、なに、私何かした!?」
「それならお前は、この期に及んで鼻血の心配をしている男の方が格好良いとでも言うのか!?鼻血など拭えばそれで終いだろう!だからお前は小さい男だというのだ!!」
「えっ、何!?何なの!?!?」
ほら見ろ。お前が往生際悪く騒いだせいで、がすっかり混乱しているではないか。
そんなにグズグズ言うのなら、お前はもう引っ込んでしまえ。
あとは俺がうまくやってやる。
「済まん、こっちの事だ。それより・・・・・、どうなのだ?」
「ど、どうって・・・・・!」
「俺をどう思う?俺が嫌いか?」
「嫌い・・・・・って・・・・・・、嫌いな訳ないでしょ・・・・・・!」
「・・・・・フッ、そうか。ならば、俺の気持ちを受け入れてくれるのか?」
「サガの・・・・・気持ちを?」
大いに脈有り、だ。
お前がチンタラ地道に紳士ぶった優しさを見せ続けてきたお陰か、のお前に対する信頼は厚いからな。断る筈もないとは思っていたが。
「私・・・・・・・・、私・・・・・・・・、私もサガの事・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
まあ、お前は恥ずかしくて合わせる顔などないのだろうからな。
これからは俺がサガとして、の側に居続けてやる。
が知っている『サガ』とは少し違うがな、ククク。
そういう事だから、安心して死ね、サガ。
「いかん、騙されるな、!!」
「きゃっ!!なに、どうしたの!?!?」
「こいつの言う事に耳を傾けるな!こいつに甘い顔を見せたが最後、弄ばれて泣きを見る事になるぞ!!悪い事は言わん、やめておけ!!」
「な、何なのよ、どうしたのよサガ!!言えって言ったのサガ・・・」
「こいつはこういう奴なのだ、女と見ればすぐに品定め、眼鏡に適えば何が何でもものにする!そして飽きればさよならだ!誠意の欠片もない!!そういう最低最悪の狼みたいな男に、お前の操を奪われる訳にはいかん!!!」
「みっ、操!?!?大声でそんな事叫ばないでよ恥ずかしい!!」
ああ、私だって恥ずかしい!ギャラリーの視線が痛い!
だがな、敢えて言わせて貰うぞ!私はお前を守りたいのだ!!
大事なお前を、幾ら自分の分身とはいえ、こんな男にうかうか掻っ攫われる訳にはいかないのだからな!!!
「誤解を招くような事を言うな馬鹿者!」
「えっ!?何っ!?馬鹿者って私の事!?何で!?だってサガが変な事言うから・・・」
「、俺はこいつが言うような男ではないぞ、断じて違う。俺はお前を真剣に愛している、お前は俺が・・・・・・、初めて心から愛した女だ。初めてで・・・・・、最後の、な。」
「えぇっ・・・・・・・・?」
ふう、危なかった。
危うくこの馬鹿に折角の雰囲気をぶち壊されるところだった。
全く、お前はいつの間に人の恋路を邪魔するような野暮な男に成り下がったのだ。
邪魔だ、すっこんでいろ。
「お前も俺を・・・・・・・、愛してくれるか?」
「サ・・・・・ガ・・・・・・・・・」
が涙を落とし始めた。
一粒、二粒と、俺の頬に温かい滴が落ちてくる。
女の涙は鬱陶しいものだが、愛する女の涙はそう悪くもない。
「・・・・・・してる・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「愛してる、サガ・・・・・・・・、私だって、ずっとサガの事・・・・・・・・」
「・・・・・・そうか。」
「サガ!!死なないで!!」
ふっと息を抜いた俺の様子をどう勘違いしたのか、はボロボロと涙を零しながら俺を強く抱きしめた。
まあ、何というか・・・・・・・・・・
これはこれで悪くない。
「・・・・・・・フッ、泣くな、。」
「嫌だよ、サガ・・・・・!折角気持ち通じ合ったのに、こんなのやだよ・・・・・!」
「馬鹿な・・・・・・・、俺が死ぬ訳ないだろう・・・・・・」
・・・・・・・ああ、少し意識が遠くなってきた気がする。
血を流しすぎたせいか、それともこの馬鹿と大声でやり合ったせいか。
全く、お前という男は、つくづく俺の邪魔をしてくれる。
お前さえ大人しくしてくれていたら、今頃はの唇ぐらい奪えていたのに。
「少し・・・・・・・・、休憩するだけだ・・・・・・・・」
「駄目、目を閉じないで、サガ!!起きて、起きてよ!!」
「少しだけだ、すぐに・・・・・・、目を覚ます・・・・・・・・」
「嫌、嫌よ、死なないで、サガ・・・・・・・!」
「死ぬ・・・・・・・・ものか・・・・・・・・。俺は・・・・・、惚れた女を一度も抱かずに死ぬような・・・・・・、だらしのない男では・・・・・・・・・」
「サガ!!!」
「次に目覚めたら・・・・・・・・・、俺はお前を・・・・・・抱く・・・・・・。良いな・・・・・?」
「サ・・・・・・・ガ・・・・・・・・」
「何を抜かすか貴様ぁ!!!」
「ぎゃあっ!!吃驚したぁ!!」
「うっ・・・・・・」
「って、サガ!?!?サガってば!!!!」
いかん、最後の力を振り絞りすぎた。今ので血の気が益々引いた。
しかし、それもこれもこの愚か者のせいだ。
何が『お前を抱く』だ。
公衆の面前で恥ずかしい宣言を堂々としくさりおって。
物事には何でも順序があるのだ、すぐに身体を求めるような不埒な男には、やはりを渡せん。
、お前はこの私が守ってやるからな。
愛しい、お前だけは必ず・・・・・・・・・
「貴様が何を抜かしているんだ。こんな道端で何をしている。」
その時、突如誰かの声と共に、『ゴン』という鈍い音が頭の中に響いた。
この声の主は一体誰だ、この音は一体何の音だ。
それを確かめる事叶わず、私の意識は途切れて消えた。
「う・・・・・・・・・・」
「・・・・・ガ、サガ!?」
「ううっ・・・・・・・」
「サガ!!」
が私を呼ぶ声が聞こえた気がして、私は目を開けてみた。
「ようやく気付いたか、この薄らたわけが。」
「な・・・・・・」
一瞬が言ったのかと思ったが、それにしては声が野太い。
おかしいと思ってよく目を凝らしてみれば、私に憎まれ口を叩いたのは、私にそっくりな男だった。
「カノン・・・・・・・・」
「あんな道端で何を騒いでいたのだ、恥ずかしい奴め。通行人が不審がっていたぞ。」
「え、あ、ああ・・・・・・・、それより、ここは?」
「ここは女神のお屋敷だ。通りかかった俺が、恥ずかしい事をわめいていたお前を黙らせてここまで担いで来た。」
ああなるほど、それで合点がいった。
あの時聞いた『ゴン』という音は、こいつが私の頭を殴った音だったのだな。
「全く、馬鹿な男だ。この日本へは遊びに来たのではないのだぞ。女神の御用で来ているのだ。その最中に車に轢かれるとは、少々気がたるんでいるんじゃないか。」
「・・・・・面目ない。」
悔しいが、今度ばかりは弟・カノンの胸倉を掴んでやる事が出来ない。
こいつの言う事の方が正しいからだ。
「違うの、カノン!サガは私を庇ってくれたの!」
やはりの声がする。最初聞いたのは幻聴かと思っていたが、どうやら違っていたようだ。
ふと見れば、はカノンの隣で、私を庇おうとするかのように奴に向かって弁明を始めていたところだった。
「本当は私が轢かれるところだったの、それをサガが・・・・。だから、サガがボーっとしてたんじゃないの。悪いのは私なの、ごめんなさい・・・・・・」
「・・・・・・別にが謝る事はない。黄金聖闘士ともあろう者が、たかが車如き避けられないでどうするというのだ。末代までの恥だぞ、恥。」
「面目ない・・・・・・・。」
「おまけに、大通りで『操』だの『お前を抱く』だの何だの。お前が何をしようが勝手だが、俺と同じ顔でたわけた事をほざいていたら承知せんぞ。俺が恥をかくだろうが。」
「・・・・・・面目次第もない。」
「面倒事になるのが嫌で、とお前を連れてさっさと立ち去って来たが、やはり病院に行って頭の検査をして貰った方が良いか?お前が前よりもっと手に負えん馬鹿になったら困るしな。」
「・・・・・・・・・・いや、大丈夫だ。」
カノン得意の嫌味ですら、私は甘んじて受けねばならない状況だった。
こいつの言う事が正論だからだ。
「フン、まあそうだろうな。左大腿骨とアバラ3本の骨折、軽い脳震盪及び全身打撲程度で病院に行くなど大袈裟だ。」
「ちょ、それって大怪我じゃないの!?」
「大丈夫だ。アルデバランのグレートホーンを一撃喰らっても、これ位簡単にいく。こんな傷など唾でもつけて放っておけばその内治るから気にするな、。」
言いたい事だけをポンポン言って、カノンの奴は出て行った。
心配する素振りなど欠片もない。
我が弟ながら何という奴だと毒付いてやりたくなったが、悔しいがそれも奴の言う通りだった。
良く考えてみればこの程度の怪我、我々聖闘士にとっては日常茶飯事だ。
だが確かに、病院などへ行った事はなかった。少なくとも我々黄金聖闘士は。
どんな怪我でも、小宇宙と気合とド根性で治していたようなものだ。
物心ついた時から今時の幼児虐待など比にもならない過酷な修行を積んできたから、病院などという場所は大気圏外にしか存在しない、位に思っていたな、そういえば。
・・・・・ううむ、これでは私達聖闘士が、脳みそまで筋肉の激烈体力馬鹿のようではないか。
とにかく、今更これ位で死ぬ訳もないのに、死ぬかも知れないなどと大袈裟に思い込んだ自分が恥ずかしかった。
いや、これはあくまで私達聖闘士の常識であって、一般人ならば別に大袈裟ではなかったのだろうが。
「本当に・・・・・、大丈夫?」
「・・・・・・・ああ。」
二人きりになって、はようやく私の側へ来てくれた。
「本当に病院に行かなくても良いの?」
「ああ。大丈夫だ。カノンの言う通り、こんな怪我など放っておけば治る。」
「何言ってんのよ、もう・・・・・・。大怪我してる癖に・・・・・・」
安堵したような、しかし今にも泣き出しそうなの笑顔を見て、私は穴があったら入りたいような心境に陥った。
「その、・・・・・・・・」
「なぁに?」
「さっきはその・・・・・・、悪かった。意味不明な事をベラベラと・・・・・・」
「あぁ、あれ・・・・・・・」
「あれは私が言ったのではないのだ・・・・・、いや、私も喋っていたのだが、不埒な発言の方は全部あの男が・・・・・、いや、だからと言って奴も私である事には変わりないのだが、いやその何だ・・・・・・、はは、これでは余計に意味が分からんな・・・・・・」
言えば言う程、自分でも訳が分からなくなる。
私がもしなら、この時点で間違いなく苛立っているだろうな。
もしくは気味悪がるか。
だがは、そのどちらの様子も見せはしなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
が取った行動は・・・・・・・・、何故だろう。
私に口付けた事だけだった。
「、何故・・・・・・・・・・」
「私」
「・・・・・?」
「私・・・・・・・・・、一応期待して待ってるから。」
言いながら、はふいと私から顔を背けた。
「サガは、惚れた女を一度も抱かずに死ぬようなだらしない男じゃないん・・・・でしょ?」
「・・・・・・・・・」
「だから・・・・・・・・、早く治してね。」
どんな表情で言ったのか、それを私に見せてくれないまま、はそそくさと逃げるように部屋を出て行ってしまった。
しかし、の発言の意味、それは即ち・・・・・・・・
そういう事、のようだった。
「・・・・・・・・ああ、すぐに治してみせる。」
が出て行った扉に向かって、私はそう誓った。
との約束を早く果たす為にまず一眠りしよう。
ダメージの回復には休息が何よりの薬だからな。
だが、待て。
は一体、どちらの私とそうなる事を期待しているのだろうか?
ふと湧いた疑問は、眠る前の一時に考えてみるには余りにも深く複雑で、とてもではないがそう簡単には眠れそうになかった。