― 大体、お前は無防備すぎるのだ。
小鳥の囀りが聞こえる。
カーテンから漏れる朝の光も微かに感じる。
― そろそろ起きなきゃ・・・・
まだ瞳を閉じたまま、はもそもそとベッドサイドに手を伸ばした。
そこには目覚まし時計があり、もう間もなくけたたましい音でもって朝を告げる筈だ。
「・・・・・ん・・・・・、あれ・・・・?」
すぐ手に触れる筈の無機質な感触が、どうした事か今朝はない。
その代わりに、妙な感触を探り当てた。
温かくて柔らかい。
少なくとも目覚まし時計では断じてないその手触りに、は全く心当たりがなかった。
仕方なしに、やっとこさ重い瞼を開いてみたら。
「・・・・・え?」
そこには信じ難い光景があった。
一人の筈のベッドに、二人の人間が寝ていたのだから。
すなわち、と・・・・
「カノン!!!???」
気持ち良さそうな寝息を立てているカノン。
この二人である。
「なっ、何で、何で!?何でカノンがここに居るの!?」
起き抜けでボケた頭が一発で覚醒する。
先程触ったのはカノンの片腕のようだ。
ちなみにもう片方は、自分の首の下を通って裸の肩にかかっている。
さっきから枕の感触が妙だと思ったら、どうやら今朝の枕はカノンの腕枕だったらしい。
「え?裸??何で・・・・・???」
そう、自分の上半身は素肌が剥き出しになっている。
ついでによく触覚を研ぎ澄ませてみると、下半身にも何も着けていない事が分かった。
更に視覚も駆使してみれば、カノンも何も着ていない。
少なくとも上半身については確実である。
ややあって。
「いっ・・・・やーーーーッ!!!」
今朝は目覚ましの代わりに、の悲鳴が室内に響き渡る事となった。
「ん・・・・・、何だ・・・・・」
の悲鳴にようやく目を覚ましたカノンは、まだ眠そうな目を開いた。
「なんだ、朝っぱらから騒々しいぞ・・・・」
「何普通に喋ってんのよーー!!」
「うるさい・・・・、もう少し寝ろ・・・・」
半覚醒状態のカノンは、この状況に全く動じる事なくを抱き直し、また瞳を閉じかけた。
「何言ってんの!?取り敢えず起きなさいよ!!」
の怒鳴り声と激しい抵抗によって、ようやくカノンは起きる気になったらしい。
もぞもぞと動いた後、だるそうに瞼を開いて身体を起こした。
「やっ!!ちょっと布団捲らないでよ!!」
カノンが起き上がったせいでめくれた布団を、は猛然と奪い取って身体に押し当てた。
しかしカノンは全く平気の平左である。
「何を今更。それより何を朝から大騒ぎしているんだ。」
「何をってこの状況が分かんないの!?何でカノンが私のベッドで寝てるのよ!?」
そこまで一息で捲し立てて、ははたと気付いた。
「・・・・今、『今更』って・・・言った?」
「ああ、言った。」
「今更って・・・・どういう事?」
「どうもこうも、見たままそのものだ。」
そう言って、カノンは自分との裸の身体を指差した。
この状況が指し示す事は、一つしかないだろう。
「って・・・・、つまり・・・・、私達・・・・・」
「そういう事だ。まさか覚えていない訳ではあるまいな?」
薄く笑ったカノンは、の肩を抱き寄せてニヤリと笑った。
それは昨夜の事。
「ったく、自分のご飯ぐらい自分で作れるようになりなさいよね。」
食後の茶を出してやりながら、は遠慮なくカノンに小言をぶつけた。
「出来ないんじゃない。やる気が起きんだけだ。一人分など面倒だろうが。」
「有る物で食べる習慣はないの?」
「その『有り物』が何もなかったんだ。」
何故カノンがの家で涼やかに茶などを啜っていたのかというと。
「サガの奴め、留守にするなら食料ぐらい揃えていけと言うのだ。」
「買い物に行くのも面倒なのね。何でそんな無精なの?」
「何とでも言え。大体お前だって助かっただろうが。俺が来なければ、まだ明日一杯はカレーを食い続けなければならんところだったぞ。」
「それはそうだけど・・・・・」
要するに、カノンはサガの留守で食糧難に陥っていたのである。
そしては、前日に作った大量のカレーを消費するのに四苦八苦していた。
従って、見事需要と供給が一致した二人は、の家で夕食を共にしていたのである。
お陰でカレーは無事綺麗に無くなった。
にも関わらず小言を言うのは、二人がそういう関係だからである。
他意はなくても減らず口や憎まれ口を叩きつつ、何だかんだで気の置けない友人。
そういう事である。
「おい、酒はないのか?」
「缶ビール一本だけならあるわよ。」
「信じられん。そんな物、酒のうちにも入らんではないか。」
「嫌なら飲まなくて結構ですわよ。」
「誰も嫌とは言っていない。」
勝手知ったる何とやらとばかりに冷蔵庫を漁るカノンを見て、は満更でもない苦笑を浮かべた。
いつも二人はこうである。
互いをもはや客人扱いもしないし、一緒に居ても各々勝手にやっている。
それは昨夜も同じで、後片付けをするの横でカノンが一人で晩酌をし、カノンがTVを観ている間にはさっさと風呂に入って寝支度を整えてしまった。
「お前、いつの間に風呂に入ったんだ?」
「さっきよ。」
すっかりパジャマに着替えたが、濡れ髪をタオルで拭きながらリビングへ戻ってきた。
そして冷たい水を一息で飲み干す。
「ふぅ、おいし。」
「おい、もう寝るのか?」
「寝るわよ。今日は執務がハードで疲れたもん。」
「全く、それしきの事でだらしない奴だ。」
「何言ってんの。今日一日休みでダラダラしてた人に言われたくないわ。」
はころころと笑って、コップをシンクに置いた。
「さーてと。じゃあ私は寝るから。後は適当にしていって。」
何気ないその言葉に、カノンの眉が一瞬ぴくりと動いた。
「ほう?じゃあ泊っていっても問題ないのだな?」
「良いけど、散らかさないでよ。」
これもまたいつもの事。
夜を共にする事を示唆しても、が心配する部分はずれている。
はカノンに対して何ら警戒を抱いていない。
信用されていると言えば聞こえは良いが、男としては少し引っ掛かるものがある。
何しろカノンは、もっと警戒されても良いぐらいの思いを密かに抱いているのだから。
「ずれた心配ばかりするな。そんな事よりもっと他に何かあるだろう。」
「何かって何よ?」
「たとえば・・・・、そうだな。俺に寝込みを襲われる事とか。」
半ば予告のつもりで告げたカノンに、は一瞬目を見開いた。
そして。
「・・・・・ぷっ、あっはははは!!」
「・・・・笑う所か?」
「だってカノンてば変な事言うんだもん〜!有り得ないわよ、そんな事!」
そこまで清々しく否定されては、腹を立てる気にもなれない。
「何故そう言い切れる?」
「だって今更よ?その気ならとっくにそうなってるでしょ。」
「・・・・なるほどな。もっともだ。」
「大体、ちゃんと分かってんだから!カノンは絶対そんな気ないって。」
「それはどうかな?お前も一応女だからな。つい魔が差すかもしれんぞ。」
「しっつれいねー!『一応』とか『魔』とか言わない!でも良いわ、差せるもんなら差してみなさいってのよ。」
あっけらかんと笑って言ってのける。
その一言が火をつけた。
― その言葉、俺への挑戦と見なすぞ・・・・!
「じゃ、おやすみ〜♪」
カノンの胸中を知る事無く、はスタスタと寝室に引き上げて行った。
「・・・・と、お前が言ったんだろうが。」
勝ち誇ったように笑うカノンに、はぐうの音も出なかった。
確かに、やれるものならやってみろと言った。
だが、まさか本当にやるとは思っていなかった。
「だからってさ、普通本当にヤる!?」
「俺の忠告を無視したのはお前だ。自業自得というものだろう。」
「なっ、何それ!!??」
そう言われて、『はいその通りです』と返せるというのだろうか。
カノンの言う事はご尤もだが、ここは逆上するしかない。
「大体ねー!寝込みを襲うなんて信じられないわ!」
「それも忠告しただろうが。」
「ぐっ・・・・、っていうか、その事そのものじゃなくて、寝てて何も覚えてない状態でそんな事するなんて卑怯って言ってるのよ!」
自分で言っていて訳が分からない。
当然だ。
カノンの言う事はいちいち理屈に適っていて、自分の言う事は混乱に任せた只の屁理屈なのだから。
まさか今になってこんな関係になるとは思っていなかった。
そんな予期せぬ状況の変化が、混乱を招いている事は間違いない。
しかしそれより大きいのは、この状況を嫌だと思わない、というよりむしろ嬉しささえ感じる事である。
こうなって初めて、今まで気付かずにいた自分の本心を悟った事が、一番の混乱の原因であった。
「なるほど。それは悪かったな。曲がりなりにも記念すべき初夜を一方的に終わらせた事は詫びよう。」
「・・・・・どうやって?」
「あれはノーカンだ。今からもう一度やり直す。」
「なっっ!!??」
硬直するを、カノンはいとも簡単に組み敷いた。
「ほっ、本気!?」
「本気だとも。せめてもの侘びに、忘れられない朝にしてやる。」
「朝って・・・・、普通それは『夜』じゃ・・・・」
「無駄口はその辺にしておけ。」
目を泳がせてはいるが、は拒む素振りを見せない。
それはすなわち、も自分と同じ気持ちであるという事である証だ。
カノンは満足そうに微笑むと、に最初のキスをした。
そう、実はこの一件、全てはカノンの芝居であった。
本当はまだ何もしていない。
よりリアルさを出す為に、服を脱がせて隣で眠ったが、それだけだ。
勝手に裸を見たのは悪いと思うが、それを目の当たりにして飛びそうになる理性を必死で繋ぎ止めただけ、自分を褒めてやりたい。
何故そんな事をしたか、それはひとえに恋故である。
― 思い知ったか、。
カノンは心の中でほくそ笑んだ。
自分の気持ちを知らしめて、かつまどろっこしい現状を打破出来たのだ。
嬉しくない訳がない。
何とも清々しい気持ちで、カノンはと共にシーツの波間に沈んでいった。