一面に広がる白銀の世界を前に、は今、言葉も出ないほど圧倒されていた。
眩しい陽光に反射してきらめく雪は、雪というよりまるでダイヤモンドのようだ。
東京でチラチラ降る雪とは、何かが根本的に違うとしか思えない。
いや多分、きっと違うのだろう。
何故ならここは東京ではなく、ましてや地中海性気候なギリシャでもない、
日本最北の大地、北海道なのだから。
『ようこそいらっしゃいました!遠いところを恐縮でございます!』
ここに着いたのは、つい2時間ほど前の事だった。
プライベートの旅行ではなく公用、それも聖域ではなくグラード財団関係の仕事の為である。
某レジャー企業が新しく建設したリゾートホテルの完成披露パーティーに、財団総帥である沙織が招かれたのだ。
はその秘書という触れ込みで、沙織の執事の辰巳、SPという名目をつけたカミュと共に同行した。
これから2泊3日の間、この4人パーティーで社交に勤しむ事になっているのである。
『お招きありがとうございます。素敵な所ですわね。』
『有り難うございます!まあ、こう申しますと手前味噌になりますが・・・』
沙織の言う通り、ここはとても素敵な所だった。
ホテルのオーナーでもあるその企業の会長・小島氏が、クドクドと自慢するのも分かる。
空は果てしなく、大地は広く、美人の湯なる温泉もあり、そして。
『何と言いましても、”雪”が違いますからね!』
そう、雪が素晴らしかった。
ふんわりと軽くきめ細やかな、純白のパウダー・スノー。
その美しさは、思わずはしゃぎ出したくなる程だったのだが。
『それを思いっきり堪能出来ますのが、当ホテルの目玉である、プライベートゲレンデです!
ホテルに隣接し、スイートルームからは直通のエレベーターもあり、アクセス抜群!
宿泊客専用だから混雑なし!じっくりゆったりお楽しみ頂けますよ!
さあさあ、お嬢様もお付きの方々も、是非!!』
「是非!!・・・って言われても・・・・・・」
新品のレンタルウェアに身を包み、真新しいレンタルのスキー板とストックを携え、
は白銀のゲレンデを前に、途方に暮れていた。
小島氏のあの満面の笑み、断られるなど1ミリも想定していなさそうな満足顔を前に、
物申す度胸はにはなかった。
流されるがまま釣られるがまま、気がつけば装備一式をフルレンタルし、
図らずもホテルの記念すべき道具レンタル客第一号となり、このプライベートゲレンデに連れて来られていた。
しかし生憎と、はスキーとはほぼ無縁の人生を送ってきていた。
生まれも育ちも東京、現在の居住地はギリシャ。
スキーは、高校の修学旅行で一度行ったきりである。
雪は確かにはしゃぎたくなる程美しいが、の場合、それとウインタースポーツは直結しない。
雪だるまは作りたいが、スキーやスノボをやってみたいとは、正直、思わないのだ。
というか、出来ないものは出来ない。
さてどうしたものかと考えたら、自然と重たい溜息が出た。
「さん、本当に大丈夫ですか?」
沙織が隣で心配そうな顔をしているのに気付き、は慌てて笑顔を浮かべた。
「うん、全然大丈夫!」
「ですが、さんは殆どご経験がないのでしょう?」
「いや〜、弱りましたなぁ!それでは我々と一緒にという訳にはいきませんなぁ!」
沙織の隣で、辰巳が難しい顔をして唸った。
「教えて差し上げたいのは山々ですが、私はお嬢様のお側を離れる訳には参りませんし。」
「でしたらカミュ。私の事は結構ですから、貴方はさんについて初級コースの方に・・・」
「それもなりませんお嬢様!他のゲストのご婦人方から、是非カミュを連れて来て欲しいと頼まれているのですから!」
沙織は幼少の頃よりスキーを嗜んでおり、それこそ北欧やカナダのゲレンデを滑り慣れている。
辰巳は沙織の行く所、どこへでもどこまでも付いていくスーパー執事。
そしてカミュは、『水と氷の魔術師』と謳われる、水瓶座の黄金聖闘士。
つまり皆、スキー上級者なのだ。ウェアも道具も勿論、自前である。
フル装備レンタルの超初心者と一緒に滑る事は、彼等にとっては酷というものだった。
それに、これはあくまでも仕事。
それを放り出して私にスキーを教えてとは、にはとても言えなかった。
沙織は主賓、辰巳とカミュはその身辺警護。それぞれに大事な役目がある。
それにカミュは、そのアンニュイな美貌ゆえに、本人の意思とは裏腹にゲストの女性陣から早くも注目されていた。
恋人が他の女性達に引っ張っていかれるというのは、確かに面白くはないが、
仕事は仕事であるし、カミュもそれで鼻の下を伸ばすような男ではない。
揃って決まりの悪そうな顔をしている三人に向かって、は明るく笑った。
「私の事は気にしないで!適当に練習してるから!ね!遊びで来てるんじゃないんだから!」
「そう・・・・ですか?」
「うん、全然大丈夫!こっちこそごめんね!来て早々、足引っ張っちゃって!」
「そんな事。私がお願いしてついて来て貰ったのですから。
私の方こそ、うまく断って差し上げられなくてごめんなさい。」
「いいのいいの!楽しんできてね!」
「いやぁ申し訳ない、さん!明日にでも時間を作って、必ずご教授させて頂きますので!」
「あはは、ありがとうございます。行ってらっしゃい。」
沙織と辰巳は済まなそうな顔をしたまま、先に歩き始めた。
その後を追う直前、ほんの束の間、カミュは心配そうな眼差しをに投げ掛けた。
「・・・・行ってくる。無理をしない程度に、適当にしていると良い。」
「うん、行ってらっしゃい!」
その気持ちだけで、には十分だった。
「・・・・・・・さてと!」
一人になったは、目的地を見据えた。
目指すは勿論、初級コースである。
ボーゲンは、何となく覚えがある。
止まり方は・・・・・、さてどうだったか。
「ま、何とかなるわよね、うん!」
怯んでいても始まらない。
ともかく行こうと一歩踏み出しかけたその時。
「ねえねえ!君!」
後ろから、軽薄そうな声が飛んできた。
振り返ると知らない若い男が、いや、顔と名前だけは知っている。ここに到着してすぐ会ったのだ。
彼は、会長子息の小島悟だった。
は咄嗟に、愛想笑いを取ってつけた。
「は、はい?」
「君、確かアレだよね。ほらあの・・・」
「あ、はい。城戸沙織の秘書をしております、です。」
「そうそう!あのロリ巨乳ちゃんの秘書のオネーサンだよね!」
そう言って屈託なく笑う悟の顔は、いかにも女受けが良さそうに整ってはいたが、
には少しも魅力的に思えなかった。それどころか、不快感さえ覚えた。
だが、社会人たる者、そこは堪えねばならない。
は顔にグッと力を込めて、愛想笑いをキープした。
「スカした外人といかついオッサンと、ロリ巨乳のお嬢様に素朴なオネーサン。
なーんかカオスなパーティーだなぁって思ってたんだよね〜。」
「あ、あはは・・・・・」
『素朴な』とは一体どういう意味なのか。
思わず問い詰めてみたくなったが、しかしはそれをも堪えた。
「ね、ちゃんて年いくつ?」
「え・・・・・・・、あの、21、です、けど・・・・・」
「21!?うっそ、俺と1コしか違わないの!?」
「え?」
「俺ハタチだもん。」
「え?そ、そうなんですか?」
「そ!大学生で〜す!」
ふざけてピースして見せる悟は、一言で言うと『ボンクラ息子』だった。
こんなチャラついたボンクラが会長の跡継ぎになどなれるのだろうかと、は他人事ながら思わず心配になった。
「凄いよね君。21でグラード財団の総帥秘書って。どんな経歴!?って感じで。」
「え、あ、あの・・・・」
その辺りを詮索されるのは、とても都合が悪い。
色々訊かれたらどう答えようかと一瞬動揺したが、ラッキーな事に、悟の方にはそれ以上の興味はないらしかった。
「ところでさ、一人なの?」
「え?は、はい。」
は思わず安堵の笑みを浮かべて、その質問に答えた。
「私、滑れないので、ついて行けなかったんです。
私は初級コースの方で練習してようかな、と・・・・。」
その答えを聞いた悟は、人懐っこい笑顔になった。
「じゃあ俺が教えてあげるよ!ちょうどヒマだったしさ!」
「えっ!?あ、ちょっと・・・・・!」
かくしては、悟によって強引にゲレンデへと連行されていったのだった。
ホテルは、優美かつ近代的な造りで、どこもかしこも豪華だった。
とりわけスイートルームは、『贅の限りを尽くした』という言葉が正にぴったりな部屋だった。
その部屋の、二つあるベッドのうちの一つに、は大の字で寝転がっていた。
「は〜っ!疲れた・・・・・・!」
数時間みっちりと、押し売りのようなレクチャーを受け、は疲れ果てていた。
出来る事なら、ここのゴージャスな浴室でシャワーでも浴びたい、
いやあわよくば、美人の湯に浸かりに行きたい。
だが、出来ない。
あと2時間後の午後7時には、どうせまたゲレンデに行かねばならないのだから。
「あ〜あ・・・・・、気が重いなぁ・・・・・・」
スキーが全く楽しくなかった訳ではない。
やったらやったで、それなりの楽しさは見出せた。
だが、寸暇を惜しんで滑りたいと思う程には、まだハマっていない。
何より、悟の強引さが悩みの種だった。
ナイターに行こう、7時にゲレンデで、と一方的に約束を取り付けてきた彼の、
自信に満ち溢れた笑顔を思い出して溜息を吐いたその時、沙織が部屋に戻ってきた。
「あら、さん。もう戻っていらしたのね。」
「あっ、お帰りなさい、沙織ちゃん。お疲れさま。」
「ふふ、お疲れ様です。」
は起き上がると、ゲレンデ帰りの沙織の為に、チェストからタオルを出して差し出した。
「有り難うございます。それで、練習はどうでした?お一人で大丈夫でしたか?」
「あ〜・・・・、うん。それがね、一人じゃなかったの。」
「え?」
「会長の息子さんの悟さんがコーチしてくれて。」
「そうでしたの。」
「・・・それでね」
は一瞬躊躇ってから、再び口を開いた。
「この後、ナイターに行こうって誘われたの。7時から。」
「7時・・・・・・」
ホテルの完成披露パーティーも、7時開始となっていた。
今夜のパーティーは、今回のレセプションのメインイベントである。
ひいては、それに出席する沙織の介添えをするのが、の一番重要な任務でもあったのだ。
「・・・・・分かりました。」
だが、ビジネスだからこそ、会長子息の誘いを無下に断る事は出来ない。
「こちらの事は心配要りません。気をつけて行って来て下さい。」
介添え役と会長子息の接待、どちらを優先するべきか、それを誰よりも分かっているのは沙織だった。
「きゃあっ!」
盛大に滑って転んで雪まみれ、という事を、もう何度繰り返しただろうか。
そろそろの身に限界が迫ってきていた。
年の頃は同じだが、向こうは運動神経の良さそうな男、こちらはどちらかというと運痴な女。
基礎体力にも身体能力にも差がありすぎて、同じようには付き合えない。
その辺を全く考慮に入れてくれないのは、鈍感だからか、それともお坊ちゃん育ちだからか。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・・・・!」
「あはは、大丈夫?疲れちゃった?ちょっと無理させすぎちゃったかな?」
「え、ええ、いえ・・・・・」
は悟の手を借りて、どうにか立ち上がった。
また雪まみれになったウェアを叩いていると、悟が腕時計を見て言った。
「8時か。ちょっと休憩しようか。」
その言葉には一瞬喜びかけたが、『休憩』という事は、『続き』があるという解釈が出来る。
どう反応するべきか考えあぐねていると、悟がまたあの自信に満ちた笑みを見せた。
「そこ下っていった所に、ロッジがあるんだ。
管理小屋なんだけど、なかなか良い雰囲気なんだよ。」
「へぇ〜・・・・・、素敵ですね。」
「ストーブあるし、非常用っていうの?万が一、客が遭難とかした時用に、
食べ物とか飲み物も置いてあるんだよ。ま、水とカップラーメン位だけど。」
カップラーメンと聞いて、思わずお腹が鳴りそうになったその時、不意に悟の吐息が耳元に触れた。
「・・・・良い感じでしょ?」
「っ・・・・・・!」
悟の目的が分かった。分かりたくもなかったが。
しかし、下手な態度は取れない。
は目一杯の愛想笑いを張り付けて、スッと身を引いた。
「と・・・、とっても素敵ですけど、でもそれは又の機会にするとして、そろそろホテルの方に戻りませんか?
今なら急いで支度すれば、パーティーに出席出来ますよ。
悟さんは会長のご子息なんですから、やっぱり少しだけでも出席なさった方が良いと思うんですけど・・・・。」
「いいよ、退屈なだけだし。それよりロッジの方に行こうよ。」
「あ、ちょっ・・・・・!」
悟は、聞く耳を持たなかった。
半ば無理矢理ストックを握らされ、やんわりと背中を押されて、は狼狽した。
「いやあの、ちょ、ちょっと待って・・・・・!」
「大丈夫大丈夫!斜面がちょっと急だけど、少し滑り下りたらすぐ着くから!」
「ま、待って下さい、あの・・・・」
スキー超初心者が、他人と一緒に、それも上級者にペースを合わせて急斜面を滑れる訳がない。
はあっという間にバランスを崩し、そして、最悪の事態が起きた。
「あ・・・・・!」
身体の中で、ザァッと血の気の引く感じがした。
その時には、もう遅かった。
抗い難い強い力がを捕え、暗闇の中へと引きずり込んで行った。
助けを求める余裕も、叫び声を上げる暇さえなかった。
その一部始終の様子を、悟は見ていた。
「・・・・・やべっ・・・・・・・!」
そして、が完全に闇の中に消えてしまうと、青ざめた顔で一目散に駆け出して行った。
― 8時半、か・・・・・・
腕時計を見て、カミュは小さく溜息を吐いた。
窓の外に目を向けると、夜のゲレンデを照らすライトの眩しい光が見える。
だが、ゲレンデにいる人の姿までは見えない。
それがまた、カミュの不安を煽り立てた。
パーティーが始まる前に、は会長子息のお供でナイターに行ったと聞かされてから、
カミュはの事しか考えていなかった。
まだ滑っているのだろうか、慣れない事で無理をして怪我などしていないだろうか、
そして、あの遊び慣れていそうなお坊ちゃまに誘われたりなどしていないだろうか。
そんな事を延々と考えては、自ら不安を煽り立てていた。
そんな自分を客観的に顧みて、これがいわゆる嫉妬というものだろうか、
それとも心配性なだけだろうかと思わなくもないのだが、しかし、多分そうではなかった。
その証拠に、沙織も同じように、時計ばかり見ていた。
を連れ出したのが、もっと紳士的で分別のある感じの青年なら、多分、恐らく、ここまで不安には思わなかっただろう。
だが小島悟は、浮ついた感じのする、軽薄そうな若者だった。
分別のある男なら、そもそも大事なパーティーをすっぽかして、ゲストの秘書を連れ出してナイターなんて行く訳がない。
つまり彼は、率直にいえば・・・・・
「おお、悟君!やっと来たか!」
「ナイトは遅れて登場ね、オホホ!」
そんな話し声や笑い声が聞こえて、カミュは声の聞こえた方を向いた。
見れば、タキシードを着た悟が、ゲスト達に囲まれて苦笑いをしていた。
だが、その隣には居なかった。
テーブルにも、壁際にも、何処にも。
沙織がおもむろに、悟に歩み寄って行った。カミュもすぐにその後をついて行った。
「こんばんは、悟さん。ナイターはどうでした?」
「え?ええ。楽しかったですよ。」
沙織が話し掛けると、悟は人懐っこい笑顔を浮かべて答えた。
「明日は沙織さんもご一緒にどうですか?」
「そうですわね。ところで、うちのは?」
「え!?」
「まあ、エスコートして下さいませんでしたの?」
沙織は少し咎めるような、チクリと小さな棘を刺すような口調でそう尋ねた。
すると悟は、慌てた様子で弁解を始めた。
「あ、ああ、すみません・・・・・!
でもあの、彼女とはその、ゲレンデで解散したので・・・・」
「どういう事ですの?」
「いやあの、彼女、ずっとパーティーの事を気に掛けてて。
僕はそんなに気にしなくてもって言ったんですけど、彼女はやっぱり出席しなきゃって、
一人で先に帰っちゃったんですよ。」
「・・・・・そうですか。」
「今頃、身支度でもしてるんじゃないかな。ほら、女の人って、男と違って支度が大変でしょ?
ま、もう少ししたら顔出すんじゃないですかね、ははは。」
軽い口調でそう言って笑って、他のゲスト達との歓談へ逃げていく悟の姿は、
カミュの目には酷く疑わしく映った。
多分、この男はに何か良からぬ事をした、そう思えてならなかった。
だが、それが何なのかも分からない上に、何の証拠もなしで、彼に言い掛かりをつけていく事は出来ない。
それはグラード財団総帥の沙織にしても、いや、彼女の立場だからこそ同じだった。
「・・・・女神、どうか私にお任せ下さい。」
しかし、カミュはもう限界だった。
もうこれ以上、下手な社交の真似事をしながら、じっとの帰りを待っている事など出来なかった。
「頼みましたよ。」
幸いな事に、その気持ちは沙織も十分理解してくれていた。
カミュは小さく頭を下げると、足早にパーティー会場を出て行った。
は、まだ部屋には戻っていなかった。
ホテルの従業員に尋ねても、が戻ってきた形跡はなかった。
最初はホテル内の一室に連れ込まれた可能性も考えていたが、やはり違うようだった。
は、きっとまだ外にいる。
そう確信したカミュは、まず、急いで自分の部屋に戻った。
着慣れていないタキシードは、動き難い事この上ない。
それに、万が一、この悪い予感が当たってしまっていたら、タキシードの上着など何の役にも立たない。
カミュはいつもの『普段着』の上にスキーウェアを着込み、フロントで借りた懐中電灯を携えて外に飛び出して行った。
「!!どこだ!?」
白い闇の中を、カミュは一人、を捜し続けた。
吹雪いてきた上に、夜の9時を回ってナイターは終わってしまい、照明が消されてしまったので、2〜3歩先の様子も分からない位だ。
こんな状態で、懐中電灯の灯りだけを頼りに一人で捜索など、常人にはまず不可能である。
だが生憎と、水と氷に関しては、カミュは『常人』ではなかった。
この程度の吹雪は、カミュの認識では吹雪ではなかった。寒いとも思わない。
しかし、はそうではない。
もしもまだ、この雪原の何処かにいるとしたら、それは即ち、に死の危険が迫っているという事になる。
さっきの悟の言動が、カミュにその最悪の予感を抱かせたのだった。
ナイターを口実にを部屋に連れ込んだだけならば、あんな風に動揺するのは考え難い。
己の立場も自覚していない、如何にも遊び好きそうなあの青年ならば尚の事。
大体、わざわざ途中からパーティーに顔を出す必要もないだろう。
沙織のいるパーティー会場に下手に出てきて藪蛇にならずとも、ずっと部屋にいれば済む話だ。
それにも、きっと何事もなかった風を装ってパーティーに出てきた筈だ。そういう性分だから。
「・・・・・・」
恐怖が吐き気のように胸にせり上がってくる。
吹雪の冷たさも、白い闇も、全く怖くはないが、を失うかもしれないという恐怖は、カミュを凍りつかせた。
「!!!どこだ、!!」
雪を蹴立てて、カミュは雪原を駆け回った。
頼むから見つかってくれと、心の中で念じ続けながら。
すると、ようやく視界の先に、塊が見えた。
「!!!」
大きな木の根元に、不自然な形でこんもりと盛り上がっている雪の塊が。
日本人のサービス精神は世界に誇れるというが、全くもってその通りだ。
ストーブの前で熱いコーヒーを飲みながら、カミュは思わず感心していた。
尤もそんな呑気な事を考えていられるのも、が無事だったからこそ、なのだが。
雪の中に蹲っていたを見つけ、抱え上げて、急いでホテルへ戻ろうとしたその瞬間、見つけたのがこのロッジだった。
電気もあり、電話もあり、ストーブもあり、緊急時の対策をあれこれと書いた紙まで貼ってある。
どうやら緊急用の避難場所のようなものらしかったが、ホテルがまだオープンしていない為か、電気と電話は使えなかった。
だが、プロパンガスのストーブはつける事が出来た。
飲料水とチョコレートやインスタントの食品、毛布、ヤカンや紙コップや割り箸も見つけた。
その中に、ご丁寧にインスタントコーヒーまであるのを見た時は、至れり尽くせりすぎて笑えた程だった。
同じ雪原でも、シベリアとは余りの違いである。
ここならばきっと氷河は育たなかっただろうな、などと思いながら隣に座っているにチラリと目を向けると、
毛布に包まってコーヒーを飲んでいるが、まだ幾分弱々しいながらも、微笑みを返してきた。
「少しは落ち着いたか?」
「うん・・・・・。カミュのお陰よ。ありがとう。」
「・・・・本当に良かった。無事で。」
幸いにも、は足首の捻挫程度の軽傷で済んでいた。
大木の太い幹が吹雪を遮ってくれたから、凍傷や凍死は免れたのだ。
「女神も、それはそれは安心なさっていた。くれぐれもお大事に、と仰っていたぞ。」
電話が使えなくても、カミュと沙織にとっては何の問題もない。
現在の状況は、テレパシーで報告しておいた。
寒さに震えるの唇から語られた、『事故』の顛末も。
その事について、沙織は何も言わなかった。
カミュもまた何も言わなかった。沙織に対しても、に対しても。
「・・・・・何か私、今回ホントに駄目ね。皆に迷惑かけてばっかりで・・・・・。」
今ここでそれを騒ぎ立てたところで、何の意味もない。
小島悟という男の人間性に対してどうこう思う事も、時間の無駄でしかない。
「本当にごめんなさ・・」
「もういい。」
カミュは飲みかけのコーヒーをその場に置くと、を抱き寄せた。
「が無事だったのだから、それでいい。」
「・・・・・カミュ・・・・・・」
今はただ、失わずに済んだ温もりを抱きしめていたかった。
「雪・・・・・、明日の朝にはやむかなぁ?」
「どうだろうな。だが多分、ホテルに帰れる位には落ち着いているだろう。
昼の天気予報を見た限りでは、そう悪天候にはならない筈だぞ。」
「そっか。じゃあ安心ね。」
腕の中で、が笑っている。
さっきまでは青白い顔をしていたが、甘い物やコーヒーを口に入れつつ
取りとめのない会話をしている内に、どんどん回復してきたようだ。
この様子ならもう大丈夫だろう。
安心したら、急に色々な感情が、カミュの胸の中に込み上げてきた。
「・・・・・・」
カミュは、ストーブの橙色の灯りに照らされてほんのりと薔薇色に色付いているの頬に、そっと口付けた。
は擽ったそうに、少しだけ目を細めた。
「あ・・・・・・・」
カミュはをゆっくりと床に横たえ、その身体を包んでいる毛布を肌蹴た。
するとは、泣き出しそうな顔で『寒い・・・・』と呟いた。
「フッ、まだ寒いのか?スキーウェアも着たままなのに?」
「だって・・・・・・。カミュは寒くないの?」
「全然。」
カミュは、重いスキーウェアなどとうに脱いでいた。
寒いどころか、むしろストーブの熱が暑すぎる位だとさえ思っていた。
そんなカミュを、は未知の生物を見るような驚愕の目で見上げてくる。
その眼差しに、一瞬、苦笑いせずにはいられなかった。
「大丈夫、ほんの一時の辛抱だ。じきに寒いどころか『熱く』なる。」
「で、でも・・・・・」
カミュはの言葉をキスで遮った。
「・・・私がそうさせる。」
「っ・・・・・・・!」
似合わない台詞を吐いたという自覚はある。
きっとも、自分の耳を疑っているだろう。
だがカミュには、撤回する気はなかった。
「あ・・・・、あん・・・・・・・・・」
のしなやかな白い肢体を、カミュはいつもよりゆっくりと愛撫していた。
は自分のものだと、確かめたくて。
「や・・・・・・・」
緩慢な愛撫にゆっくりと刺激されたの胸の頂が、健気に立ち上がっている。
そこを唇で甘く噛み、舌先で擽ると、は切なげに身を捩った。
「あ・・・・・、んっ・・・・・、あっ・・・・・・・・!」
もしもが足を滑らせて転げ落ちていなければ、今頃ここでこうして
を抱いていたのは、自分ではなくてあの男だっただろう。
それを思ったら、胸が焼け付くように苦しい。
そう、これは嫉妬だった。
安心して、気が緩んだ途端、今頃になって嫉妬の念に駆られているのだ。
我ながら何と鈍いのかと、カミュは呆れずにはいられなかった。
「やっ・・・・!あんっ・・・・ぁっ・・・・、はぁっ・・・・・・」
の息が荒くなってきた。
絶え間なく与え続けられる愛撫に翻弄されて、もう寒さも気にならないようだった。
舌で執拗に転がし続けた胸の頂は、かわいそうな位に固くしこっているが、
しかしカミュは、尚もそこを刺激し続けた。
「あぁんっ・・・・・!やっ・・・・・、あぁっ・・・・・・!」
そもそも、無防備にあんな男と二人きりにさせた事自体が間違いだったのだ。
それも今更ながらに後悔していた。
小島悟は、最初から信用ならない印象の男だったのに。
二人でナイターに行ったと聞かされた時から、内心は不安で仕方がなかったのに。
その不安をもっと真剣に捉えておくべきだったと、悔やまれてならなかった。
だが同時に、こうして後悔出来るだけ幸せなのだという事も、カミュは自覚していた。
もしも万が一、本当に最悪の結果になっていたら、それすらも無駄だったのだから。
「カミュ・・・・・・!」
今、腕の中に抱きしめているこの温もりは、あって当たり前のものではない。
その事を最近、少し忘れかけていた。
平穏な日々に、疑う余地もない程まっすぐなの愛に、自分でも気付かぬ内に甘え過ぎていたのかも知れない。
はいつも、いつまでも、ずっと側にいると。
「・・・・・・」
「んっ・・・・・、うぅっ・・・・・!」
自らの愚かさとへの想いを噛み締めるように、カミュはに深く口付けた。
「んっ、んんっ・・・・・!」
舌を絡ませながら敏感な花芽を指先で苛むと、はビクビクと身体を震わせ始めた。
「んんんぅっ・・・・・・・!」
逃げるように引けていく腰を片腕でしっかりと抱き寄せて弄り続けると、
程なくして、は呆気なく達してしまった。
「はぁ・・・・っ、ぁ・・・・・・・」
カミュは指先にトロリと絡みついている熱い蜜を舐め取ると、の両脚を大きく開き、
秘部に顔を近付けた。
「あっ、やっ、駄目っ・・・・・・・・!」
「暴れるな。足首の捻挫が酷くなるぞ。」
「でも、あんっ・・・・・・・!」
駄目と言われても、やめられる訳がない。
艶めかしい桃色に色づいて、誘うように開いている其処に、カミュは舌を這わせた。
「だ、めぇっ・・・・、カ・・・ミュ・・・・!あっ・・・・・!
きた、ない・・・・から・・・・・・・!」
は多分、本気で気にしているのだろう。
だが生憎と、切実であろうその訴えを聞き入れる気は、カミュの方にはなかった。
「あっ、あんっ、あっ・・・・・!んんっ・・・・・・・・!」
吸えば吸う程、熱い蜜はどんどん溢れ出てくる。
中まで舌を挿し込んで吸い出すが、それでも吸い取りきれない分が、床に零れて小さな水溜りを成していく。
痛めている足首には触れないように、しかし逃がさないように、
の膝をやんわりと押し広げて、カミュは激しく攻め立てていった。
「あ、あ・・・・、やぁぁっ・・・・・・!」
いつしかの啜り泣くような喘ぎ声と、淫らな舌使いの音しか聞こえなくなっている。
今が何時なのかも、外の様子がどうなっているのかも、気にならない。
と一つに溶け合う事しか、今は考えられなかった。
「あ、も・・・・、あ、あぁぁっ・・・・・!」
をもう一度絶頂に押し上げると、カミュは自らも全てを脱ぎ捨てた。
そして、何度も快感の波に翻弄されて息も絶え絶えなの上に、そっと覆い被さった。
「は・・・・・・っ・・・・、ぅ・・・・ん・・・・・・」
「・・・・・・・、愛してる・・・・・・・・・」
キスをして、心のままに囁くと、は黒く潤んだ瞳を嬉しそうに細めた。
「私も・・・・・・、愛してる・・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「ぁ・・・・・・、んんっ・・・・・・・・・!」
一つになるその刹那、強く抱き締めたの身体は、まるで陽だまりのように温かかった。
「カミュ・・・・・・、あ、あぁんっ・・・・!」
「ああ・・・・・・・、・・・・・・・!」
じんわりと柔らかな橙色の灯りに二人して染まりながら、カミュとは、深く、強く、抱き合った。
翌朝は、昨夜の吹雪が嘘のように穏やかな晴天となった。
朝日を浴びてキラキラと輝く雪原を、カミュは確かな足取りで、ホテルに向かってまっすぐに歩いていた。
白雪を踏み締める足がいつもより少しだけ(?)重いのは、スキーウェアを二重に着込んだを背負っている為だ。
だが、苦にはならなかった。
この程度で苦になるようでは、氷の聖闘士は名乗れない。
カミュは道を間違える事もなく、まっすぐに最短のルートを行き、あっという間にホテルへと帰り着いた。
「・・・・ただ今戻りました。」
ホテルの前では、沙織が二人の帰りを今か今かと待ち侘びていた。
無事な様子の二人を見た途端、安堵の微笑みを浮かべた沙織に、カミュは頭を下げた。
背中に負ぶさっていたも、下りて地面に足を着け、沙織や、辰巳や、集まっていた人々に向かって深々と頭を下げた。
「皆様、ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。」
「いやあ、良かった良かったさん!ご無事で何よりです!!
丁度今から捜索隊が出るところだったんですよ!いやホント、良かった良かった!!」
真っ先に大きな声を張り上げたのは、オーナーの小島氏だった。
「この度はうちの倅がとんだ失礼をいたしまして!
倅が一緒だったらば、こんな事故は起きずに済みましたものを!
いやしかし、大事に至らなくて良かった良かった、ワッハッハ!」
「本当にお恥ずかしいですわ、まだまだ子供で・・・・・!
現地集合・現地解散だなんてねぇまぁ、学校の部活動じゃあるまいし。
女性はきちんとエスコートするものですよと、常日頃教えているんですけれども、オホホ・・・・」
オーナーの小島夫妻は、平身低頭で謝りながらも、どこか呑気で無責任だった。
他の人々も皆、同じような感じだった。
どうやら、誰も『事故』の真相を知らないようだった。
が一人で勝手に遭難したと、皆そう思っているのだ。
ふと見れば、小島悟は、人に調子を合わせるような薄笑いを浮かべて、視線を逸らしている。
この男の吐いた嘘を、皆信じているのだ。或いは分かっていて庇っているのか。
どちらにせよ許せない。そう思った瞬間、沙織が静かに口を開いた。
「さん。」
沙織は一言、に呼び掛けただけだった。
だが、そのたった一言で、その場が静まり返った。
皆が固唾を飲んで見守る中、沙織は厳しい表情でを見つめて、ゆっくりと頷いた。
もまた、真剣な表情で沙織の視線を受け止め、頷き返した。
そのやり取りに、一体どんな意味があるのだろうか。
さっぱり理解出来ず、カミュもまた、他の人々と同じように見守る事しか出来なかった。
「・・・・・・・」
やがては、悟の方に向かってヒョコヒョコと歩き出した。
そして、無言のまま悟の真正面に立つと。
「な、何・・・・・?ぶべっ!!!」
面食らっている彼に向かって、不意に猛烈なビンタを喰らわせた。
その瞬間、誰もがあっと声を上げて驚いた。
だが、それで終わりではなかった。
今度は沙織がツカツカと悟に歩み寄って行くと、が打ったのとは反対側の頬に強烈なビンタをお見舞いした。
「ぶえっ・・・!!」
突然のハプニングに、その場の誰もが絶句していた。
辰巳も、あんぐりと口を開けて、呆けた顔で沙織を凝視している。
それを見ている自分の口も開いている事に気付いたカミュは、慌てて唇を固く引き結んだ。
「帰りますよ、辰巳。支度をしなさい。」
「・・・はっ、はいっ!」
「カミュ、さん、行きましょう。大丈夫ですか?肩をお貸ししますわ。」
「ありがとうございます、お嬢様。でも大丈夫です、一人で歩けますから。」
並んでホテルへと戻っていく沙織と、そしてその後を小走りに追う辰巳を、皆、唖然と見送っている。
その様子を見て、カミュは小さく苦笑した。
本当は自分の手で氷漬けにしてオホーツク海に沈めてやりたかったところだが、
女性二人のビンタの方がダメージは大きいだろう。色んな意味で。
今回の件を報告したら、聖域で待つ連中には『お前がついていながらどういう事だ!』と
怒鳴り散らされるだろうが、このオチを聞いたら皆笑うだろうなと思いつつ、カミュも三人の後を追おうとした。
「いや〜、しっかしアンタ、大したもんだねぇ〜!」
「あの吹雪の中、たった一人でよく捜索に出られたもんだ!」
だがそれを、我に返った地元の捜索隊らしきおじさん達が呼び止めて阻んだ。
「二人とも無事だったから良かったけんども、若ぇからってあんま無茶すんじゃねぇぞ〜!」
「んだんだ!自分が死んじまったら元も子もねぇんだからな!捜索の鉄則だぞ!?」
「以後気をつけます。では失礼。」
カミュは言葉少なに答えて小さく頭を下げ、今度こそ三人の後を追おうとした。
が。
「つーかアンタ」
「はい?」
「何ちゅーカッコしとるんだべ!?」
おじさんの一人が上げた素っ頓狂な大声に、その場の誰もがカミュを見た。
ノースリーブにレッグウォーマーという、『普段着』姿のカミュを。
「アンタもしかして、そのカッコでここまで帰って来たんか!?」
「幾らオネーチャン一人背負ってたって、そこまで暑くなんねーべさ!?」
「寒くねぇんかいアンタ!?」
おじさん達も、野次馬達も、未知の生物を見るような驚愕の目で凝視してくる。
皆して何故そんな目で見るのだろうか。そんなに変だろうか。
少し気になったが、しかし、これが一番動き易い服装なのだから仕方がない。
「全然。」
カミュは平然とそう答えて、ホテルに向かって歩き始めた。
「・・・・・ま、待ってくれアンタ!」
「うちの捜索隊に入ってくれねーべか!?」
「いやっ、アンタは是が非にも入んなきゃなんねぇ!」
「それがアンタの使命だ!」
「そうだそうだ!」
「アンタは捜索の申し子だ!」
「何ならうちの娘と結婚して、婿養子に入ってオラの跡さ継げ!」
「隊長アンタどさくさに紛れて何言ってんだべ!?」
更にその後を、おじさん達がゾロゾロと追いかけて行った。
その長蛇の列は、沙織の自家用ジェットが飛び立つまで途切れる事なく、カミュを心身共に疲弊させたのだった。