閉めきったベッドルームに漂う、昨夜の香り。
久しぶりに吸った煙草と、グラスの底に少し残ったウィスキー、そして、の香水。
やけに安らぐこの柔らかな香りが、俺を眠りの淵からそっと連れ出した。
まだ日は昇っていない。
夜でもなく朝でもない、昨日と今日の間のような、不思議な時間。
浅い眠りから醒めてみれば、ここは夢よりも夢らしく、まるで現実味がない。
だが、ここが夢などではないと思わせてくれるものが、一つあった。
「ん・・・・・・・」
薄暗いこの視界におぼろげなラインで浮かんでいるのは、がシーツに包まって眠っている姿。
裸の肩を少し寒そうに竦めて、それでも心地良さそうに眠っている。
安心しきったその寝顔は、昨夜俺の下で甘く喘いでいた女とは別人かと思う程、あどけない少女の様だ。
「・・・・・・・・」
シーツを掛け直してやるついでに、そっと頬に触れた。
起こすつもりはないけれど、つい名を呼んでしまう。
お前が目覚めるのが待ち遠しい。
けれど、まだもう少し。
朝はまだ遠いから、ゆっくり眠れば良い。
その間に俺は、お前が目覚めた後の事を考えよう。
昨日までの俺達ではなくなった今日を、お前とどう過ごそうか。
お前の好きなあの場所に、二人で行ってみようか。
それとも、お前の好きなあのスローバラードを聴きながら、美味いコーヒーでも飲もうか。
ゆっくりと規則正しく上下するの胸を見つめて。
さあ、何がしたい?
UP & DOWN & UP & DOWN・・・・・・・
「ん・・・・・・、シュラ・・・・・・・・?」
俺の視線に気付いたように、が薄らと目を開けた。
まだ早いのに。
だが、申し訳なくもやはり嬉しくて、俺は苦笑を浮かべての顔を覗き込んだ。
「済まん、起こしたか?」
「ううん、何となく・・・・・。目が覚めただけ・・・・・・・。」
まだ夢見心地な瞳を薄らと微笑ませると、は僅かに掠れた声で呟いた。
「早いね、シュラ・・・・・。」
「俺も何となく目が覚めたんだ。」
「そう・・・・・・。」
小さく笑ったは、俺に倣って気だるげに上半身を起こす。
並んで隣に腰掛けたの肩を抱き寄せたら、少し冷たかった。
「・・・・・冷えてる。まだ裸で寝るには少し早かったか?」
「だって・・・・・・」
は、眠そうな顔を恥ずかしそうに顰めている。
そうだったな。
昨夜は俺もお前も、抱き合ったまま夢の中に引き摺り込まれたんだった。
「・・・・・・・何よ?」
「何だ?」
「何でニヤニヤ笑うの?」
「・・・・・・別に。ただ少し思い出してただけだ。」
「何を?」
「昨夜の事を。」
「やめてよ、恥ずかしいから・・・・・・・・」
「何故?」
俯いてしまったの頭を自分の肩にもたせ掛けて、俺は更に訊き返した。
「だって・・・・・・・、何か信じられないんだもの・・・・・」
「何がだ?」
「こんな風になるなんて・・・・・。シュラもそう思わない?」
「フッ・・・・・、言われてみればそうかもな。」
「今までずっと友達だったのにね。いきなりこんな事になっちゃったんだもん。夢でも見てるみたいで、まだ信じられない。」
は、擽ったそうにクスクスと笑っている。
明らかに照れ隠しと分かるその笑みに釣られて、俺も少し笑った。
確かに関係の発展は急だったが、気持ちは急に育った訳じゃない。
俺はずっとお前が好きで、お前も俺が好きだった。
それを昨夜、ようやく確認し合えただけの話だ。
「今更すぎて実感が湧かない、という訳か。」
「まあ、そんなところ。シュラは?」
「・・・・・・かもな。」
そうかもしれない。
今までずっとお前を見てきたが、まだお前の『女の顔』は見慣れていないのだから。
それを夢のようだというなら、俺も同感だ。
滑らかな肌も、甘い声も、昨夜初めて手に入れたものだから。
もっと見たい。俺しか知らない、お前の姿を。
ゆっくりと時間をかけて、お前の全てを。
「・・・・・・そうだな。今日の予定はこれが一番良い。」
「予定?」
首を傾げるの顎をそっともたげて、俺は昨夜の続きをその唇に落とした。
「・・・・・・シュラ、予定って・・・・・・・」
「今日はずっとこうしていよう。嫌か?」
カーテンを引いたまま、服も着ずベッドから出ず。
朝も昼も夜もなく、夢と現の間を行き来しながら、ずっとこの不思議な時に漂う。
偶にはそんな過ごし方をする日があっても良いだろう?
「・・・・・・ううん・・・・・・」
「決まり、だな・・・・・・・」
柔らかく目を細めるに微笑み返して。
その身体をゆっくりと組み敷いていきながら、俺はベッドサイドの時計を伏せた。
時を刻むものなど要らない。
今日ばかりは、この部屋に時間は存在しないのだから。
手と手を絡め、胸と胸を重ねて。
互いの呼吸を感じて。
ただゆっくりと夢に漂うように、確かめ合おう。
ほら、分かるだろう?
UP & DOWN & UP & DOWN・・・・・・・