もうそろそろやって来る頃だな。
逸る気持ちを抑えきれず、アフロディーテは私室から双魚宮の通路へと出る。
彼が待っている者は「 」。数ヶ月前からここ聖域にて教皇補佐の仕事を任されている。
女人禁制の聖域で、妙齢の女性といえば彼女だけ(女聖闘士は除くとして)、故に彼女を狙う者は多い。
ご多分にもれずアフロディーテもその一人である。
今日は自分も執務室へ呼ばれている為、彼女を引き止めてお茶に誘うことが出来ないのは残念だが、
朝の空気の中、二人っきりで歩くのも悪くはない。もちろんできるだけゆっくり歩かねばな、と
思いながら、の目につきやすいところへと移動する。
そして彼の想い人はやってきた。
いつものように資料の束を重そうに抱え、フゥフゥ言いながら宮の中へ入ってきた。
「おはよう、。」
「おはよう〜アフロ」
「フフ、今日も重そうだね」
「ええ、それはもう」
「荷物を下ろして少し休むといい。執務室に行くのだろう?私も行くところだったんだ。一緒に行こう。」
「あ、そうなんだ?ん〜、じゃあそうしよっかな。・・・よいしょ、っと!」
ドサッといういかにも重そうな音と共に、資料が床に落とされる。
「くぁ〜!!腰痛っ!!!」
が腰を押さえて仰け反る。
「毎日ご苦労様。そんな力仕事雑兵にでもやらせればいいのに。」
「そうはいかないわよ。彼らは彼らの仕事があるんだし。それに今日のコレは、私が昨日家に持って帰ってた分だから。」
「家でまで仕事かい?」
「たまたまよ。今がちょっと忙しいだけだから。いつもしてるわけじゃないわよ。」
「あまり無理はいけないよ。サガのように眉間の皺が取れなくなると困るだろう?」
「プハハッ!ひどいこと言うわねぇ〜、聞こえたら大変だよ〜?」
「確かにね、フフフ」
ひとしきり笑った後、ふとの顔を見ると、なんだかパサついて艶がないように見えた。
いかにギリシャが温暖な気候とはいえ、今は冬。それなりに寒い。冷えて血行が悪くなっているか、
乾燥した空気にやられたのだろうか。とにかく、自分が気づいたからには、捨て置くことはできない。
「、失礼なことを言うが、少し肌が荒れてるようだね。」
「ギクッ!やっぱり分かった・・・?」
「あぁ。」
「実は最近どうも調子が良くないのよね〜、手入れはいつも通りしてるんだけど。」
「ちょっと失礼。」
一言断って、アフロディーテはの頬を両手で包んで撫でる。
「う、うわ、なになに!?」
「ふむ、結構乾燥しているね。」
のわずかな抵抗も意に介さず、アフロディーテは頬、鼻、額、こめかみと触っていく。
突然のことに固まったは、顔を赤くしてされるがままになっている。
最後にアフロディーテの指がの唇をなぞり、の固まりはピークに達した。
「やはり早めに手を打ったほうが良さそうだな。」
そう言ってアフロディーテは手を離す。
「ちょっと待ってて。」
そう言い残して私室へと戻るアフロディーテを、まだ半分固まったままは見送った。
「お待たせ。これを君に。」
「なにこれ?」
手渡された小瓶にはトロリとした液体が入っている。
「秘密の美容液さ。」
「もらっていいの?」
「もちろん。薔薇から抽出した成分を加えて私が作った。もちろん原料の薔薇もだけどね。」
「すご〜い!!そんなの作れるの!?」
「あぁ。完成するまで試行錯誤を繰り返したがね。」
「うわ〜、いいの!?ありがと〜!!アフロが作ってくれたものならバッチリ効きそう!」
無邪気な笑顔で嬉しそうにはしゃぐに、心が奪われる。
これほどまでに喜んでくれるのなら、これを作るために摘み取った沢山の花たちも本望だろうと思う。
そして、この笑顔を見れるのなら、何でもしてやりたいと思う。
「フフ、どういたしまして。でも判断は使ってみてから、ね。極力刺激のないように作ってはいるが、
肌に合わないということもないとは言い切れないから。」
「そんなことないよ〜!私そんなに敏感な方じゃないし!」
「そうかい?大丈夫だといいんだが、もし合わなかったら気にしないでいいから使うのを止めるんだよ。
ひどくなっては意味がないからね。」
「そんな、もったいない!」
「君の肌の方がもったいないよ。」
「うぅ・・・」
「さぁ、そろそろ執務室へ行こうか。あまり遅くなるとうるさいのにドヤされるからね。」
「ハッ、そうだった!」
当然のごとく床の資料を抱え、アフロディーテが歩き出す。
後を追っても歩き出す。
荷物を持つと聞かないと、持たせまいとするアフロディーテの小競り合いは、執務室まで続いた。
その夜。
比較的早く帰宅できたは、夕食を済ませ風呂に入り、ドレッサーの前に座って今朝もらった
美容液で肌の手入れを始めた。
「うわ、スゴい・・・・。よく伸びるし、ベタベタしないのにすごいしっとりする・・・・。
ホントにこんなのどうやって作るんだろう〜、買ったらきっとすごく高いわよね・・・」
なんともせちがらいことを呟きながら、肌の手入れを進めていく。
「うわ〜、いい匂い〜。ハァ〜なんだか幸せな気分〜。」
せっかくの美容液の効果を寝不足で台無しにしてはいけないと思い、早々にベッドへ入る。
「明日の朝が楽しみだな〜。アフロに何かお礼しなきゃね・・・・。」
翌朝。
昨日と同じ場所でアフロディーテが待っていた。
「おはよう、。」
「おはよう〜!!見て見て見て〜!!!すごい効き目よ、ありがとうアフロ!!」
「フフ、どういたしまして。その様子だととりあえずは効いたみたいだね。」
「とりあえずどころか!!全然違うのよ、洗顔した後もパサパサしないし、化粧のノリも全然違うし!!」
「それは良かった。お姫様のお気に召したようで何よりでございます。」
優雅な一礼をしてみせるアフロディーテ。
「ホントにありがとね!!今度何かお礼させてよ。」
「気を使わないでくれ。そんなつもりであげたんじゃないんだから。」
「それじゃ私の気が済まないの!イヤって言ってもするからね!」
「フフフ、じゃあお言葉に甘えようかな。」
「甘えて下さい。」
「そうだな、何をしてもらおうか・・・・」
ひどく妖艶な微笑を浮かべてじっと見つめてくるアフロディーテに、は思わずたじろぐ。
「あ、あの、でも私の出来る範囲のことでお願いしたいんですけど・・・」
「ならば、次の休みにでもちょっと付き合ってくれないか?」
「?買い物とか?」
「まぁそんなとこかな。このところゆっくり街を歩くこともなかったんでね。」
無理難題でも言われるかと身構えていたは、ホッとした。
「そんなことでいいんならお安い御用よ〜!!お供しますわ♪」
「ありがとう。楽しみにしてるよ。」
「私も楽しみ〜。よく考えてみれば、アフロと二人で街へ行くなんてこと、なかったわよね?
じゃあその時に何か奢るわ。おいしい店探しとく!何かリクエストがあったら言ってね!」
「楽しみだね。」
「おっともうこんな時間!私行かなきゃ!じゃあまたね、行ってきま〜す!!」
「行ってらっしゃい。」
軽やかに小走りで駆けていくを見送って、微笑を浮かべる。
― そう、二人で街を歩いたことなんてなかったんだよ。だからまずは一歩前進。
焦るつもりはない。折角の楽しい片思いを慌しく終わらせるなんて勿体無い。
ゆっくりと彼女を手に入れたいと思う。
― とりあえず当日のデートプランを立てなくては。
早くも約束の日を指折り数えて待つ彼が、当日までうわの空で執務どころでなかったのは
言うまでもない。