ギリシャの片隅で人目を忍ぶようにして息づく場所、聖域。
そこは昼と夜の区別もつかない程の静寂に包まれ、足を踏み入れた者に深い孤独を感じさせる・・・・、
ような場所ではなかった。
今日も今日とて、色んな所から賑やかな人の声がする。
たとえば双児宮。
「カノン、貴様ーーッ!!また経費の無駄遣いをしたな!!」
「朝っぱらから大声で怒鳴るな!!頭に響く!!」
「黙れ!!私は執務室の備品を買って来いと言ったのだぞ!!」
「だから買って来ただろうが!」
「ああそうだ!!だがな!!お前の酒も買って来いとは一言も言っておらん!!」
「釣りの小銭ぐらい構わんだろう!!手間賃だと思え!!」
「ふざけるなよ・・・・・・、ギャラクシアンエクスプロージョン!!!」
「うわっ!!!・・・・・・きっさま〜〜・・・・・」
「フン、巧くかわしたな。だが次はクリーンヒットだ。潔く死ね!!」
「その前に俺が貴様を殺してやるわ!」
たとえば闘技場。
「まだまだーーッ!どうした、誰が休んで良いと言った!?」
「ひぃぃぃ、ア、アイオリア様!後生ですから休憩を・・・・・!」
「何を言う!まだ千人組み手のたった108人目だぞ!今からそんな事でどうする!?そんな事ではいつまで経っても女神を護る聖闘士にはなれんぞ!!」
「もうなれなくて良いです・・・・・・」
「何か言ったか!」
「い、いいえ!!」
「おお、やっているかお前達!!」
「ああっ、アルデバラン様!!お願いです、どうか我らをお救い下さい!!」
「このままでは死んで・・・」
「組み手か・・・・・。よし!!久しぶりに俺が稽古をつけてやろう!貴様ら、遠慮は要らんぞ。纏めてどこからでもかかってこい!!ガッハハハ!!!」
「おお!有り難い、アルデバラン!宜しく頼むぞ!」
『頼まないでーーーッ!!』
たとえば巨蟹宮。
「暑い〜〜・・・・、ダリぃ〜・・・・・・。ん?なんだお前、何処から来た?」
『・・・・・・・・・・』
「あぁん?俺ぁカルロスなんて男じゃねえよ。人違いじゃねえか?」
『・・・・・・・・・・』
「何だって?結婚の約束?なのにお前を捨てて別の女と結婚した?俺が?知らねえなぁ。人違いだって言ってんだろ。」
『・・・・・・・・・・』
「だから違うって言ってんだろ。俺は花の独身だっつーの。」
『・・・・・・・・・・』
「・・・・・・いい加減にしとけよこのバカアマ、優しく聞いてやりゃつけあがりやがって!
俺が逝かせてやるから、亡者は亡者らしくとっとと昇天しろ!!
積尺気冥界波!!!」
双子の兄弟が仲良く技を掛け合い、
黄金聖闘士の中でも屈指の体力を誇る二人が雑兵をボロ雑巾のようにし、
あの世の案内人・蟹座の黄金聖闘士が、男に捨てられあてつけ自殺をした女の霊を、あなたの知らない世界にご招待していたその頃。
は白羊宮でのんびりとお茶などを嗜んでいた。
「あ〜あ・・・・・、またやってるね、サガとカノン。」
窓からちらりと見える双児宮から、派手派手しい星屑が飛び散る様を呆れたように眺めて、は小さく溜息をついた。
「そのようですね。そういえば、さっきは闘技場の方から幾つもの小宇宙が消える気配がしましたが。」
「えっ?ホント!?」
「・・・・・おや、まただ。今度は巨蟹宮から。」
「それも消えたの?」
「いいえ。スパークしています。機嫌でも悪いんでしょうかね。全く、何処もここも暑苦しい。」
綺麗なグラスに冷たい茶を注いで、ムウは優雅にやれやれと首を振った。
「大丈夫かな、皆?」
「心配は無用ですよ。あの人達は殺したって死にゃしませんから。お茶のお替りは如何ですか?」
「あ、ありがとう〜。」
ムウに茶の替りを注いで貰って、は盛大に息を吐き出した。
「ほ〜んと皆、何でああなの!?この暑いのに、ちょっと位じっとしてられないのかしら?」
「ふふ、には気苦労ばかり掛けますね。非常識な連中ばかりで申し訳ない。」
「そんなのじゃないけど・・・・・・」
「けど?」
ムウに訊き返されたは、言葉を選ぶように難しい顔をして答えた。
「でも皆、やる事が派手だから。」
「派手?」
「ほら、普通は兄弟喧嘩で屋根吹き飛ばすなんて出来ないじゃない?どんなに激しくやっても、普通はいいところ窓ガラスが割れる位でしょ?」
「ああ・・・・・、そうですね。」
「サガやカノンだけじゃなくって、皆ちょっと・・・・・凄い。」
「そうですか?」
「うん。」
は大真面目な顔で頷いた。
ここに居る黄金聖闘士達は、皆やる事なす事半端じゃない。
TVで時々姿を見せるエスパーや超人の類など、てんで相手にならない程に。
何と言おうか・・・・・、そう、次元が違うのだ。
そんな彼らをTVの視聴者側、つまりごく普通の人間であるがしばしば理解出来ないのも、無理はなかった。
「とにかく、もうちょっと大人しくしててくれればね〜・・・・。暑いんだからさ。」
「それは無理な相談ですよ。彼らを説得するより、我々が動いた方が早いでしょう。」
「え、動くって?」
「避暑に行きませんか?」
ムウはにっこりとに微笑みかけると、手の中のグラスをカランと鳴らした。
思い立ったが吉日、善は急げ。
という訳で、ムウとは今、秘境の地・ジャミールへと到着した。
「うわぁ、涼しい〜!」
「でしょう。標高が高いですからね。」
が足を滑らせないように手を取っているムウは、涼しげな顔で微笑んだ。
「酸欠には気をつけて下さいね。まあ、私がついていますから、仮に高山病になったとしても心配は要りませんが。」
「う・・・・・、気をつけます。」
標高6千メートル超というのが曲者だが、山へリゾートに来たと言えばあながち間違いでもない。
長袖を羽織っていても少しひんやりする風を気持ち良さそうに受けて、はムウを急かした。
「ね、ムウの隠れ家って何処なの?早く行こうよ!」
「ふふ、隠れ家ですか。確かにそんな言い方も出来ますね。あちらですよ、行きましょう。」
ムウは心得たとばかりに頷くと、をひょいと抱え上げた。
両手に荷物(殆どがの物)がたっぷり詰まったバッグを提げているにも関わらず。
「ちょっ・・・、ムウ!?何してんの!?」
「私の館に続く道は少し険しいですから、こうした方が。」
「あ、そ、そうなの・・・・・?でも、一人で歩けるわよ?」
「さあ、それはどうでしょうね。」
ふふ、と笑ったムウは、を抱いたまま颯爽と歩を進めた。
ムウの言葉の意味、は間もなくそれを理解した。
「きっ・・・・・」
「き?」
「きゃーーーーッ!!!」
足元に累々と転がる白骨、それらを見た瞬間、はムウの首にしがみついた。
「おやおや、どうしました?」
「ほっ、ほねっ、ほねっ・・・・!」
「骨ですね。」
「ですねって・・・・、こっ、こんな所通るの止そうよ〜〜!!」
「生憎、ここしか道はないのですよ。」
「え゛〜〜〜ッ!!??」
は盛大に抗議の声を上げた。
だが真の恐怖は、正にこれからだったのだ。
『何処へ行く若造共!』
『これよりはムウ様のゾーン!カップルがいちゃいちゃピクニックに行く場所に非ず!!』
『命が惜しくば帰れ!!』
恨みがましい声を響かせて、無数の亡霊が二人を取り囲んだ。
これを見て、が平気でいられる筈はない。
「ひっ・・・・・・・!」
「、大丈夫ですよ。」
ムウの宥める声は、には聞こえていない。
首を絞めかねない程の馬鹿力でムウに抱きつき、顔を真っ青にし、カタカタと震え、涙すら流し始めている。
この当然の反応がやけに可愛らしく感じて、もっと見ていたい気もしたのだが、それは余りにが可哀相だ。
ムウは小さく苦笑すると、亡霊に向かって穏やかな声で話しかけた。
「皆さん、お勤めご苦労様です。ちょっと通りますよ。」
『何ぃ!?我らに向かって大胆不敵な!ここを何処と心得る!?』
『恐れ多くもムウ様の・・・』
「ええ、ですから通して貰いますよ。久しぶりの帰省ですからね。」
亡霊も夏の暑さでボケたりなどするのだろうか。
ともかく彼等は瞬時にハッとして沈黙し、暫くしてから・・・・
『ムムムムムウ様!?!?!』
と叫んだ。
『ははぁーーッ!!ご無礼の程、なにとぞ平に、平にぃ!!』
「構いませんよ。もう下がって宜しい。彼女が怖がりますからね。」
『ははぁーーッ!!』
ペコペコポコポコと頭を下げ、亡霊達は霞のように掻き消えていった。
「、もう大丈夫ですよ。」
「うう・・・・・嘘・・・・・・!」
「嘘ではありません。目を開けてご覧なさい。」
ムウに促されたは、渋々固く閉じていた瞼を開けてみた。
確かに何もない。
いや、遥か下の谷底には相変わらず骨が累々と転がっているのだが、先程の亡霊達は影形も見当たらなかった。
「・・・・・・ホントだ・・・・・・」
「さあ、行きましょうか。」
「う、うん・・・・・・」
「一人で歩けますか?」
「・・・・・・ムウの意地悪・・・・・・」
「ふふふ、それは失礼。しかし出来ればもう少し、腕の力を抜いて下さると有り難いのですが。」
「あ、ご、ごめん・・・・!」
は慌ててムウの首を絞めていた腕を解いた。
そんな苦難を乗り越えて辿り着いたにしては、ムウの館は質素だった。
簡素な造りの塔のような建物、そこがムウの館らしい。
それでも大きく立派な建物には違いないのだが。
「ここね!」
「ええ。ようこそ、我が『隠れ家』へ。」
の言い回しを借りたムウは、ふわりと微笑んでを地に下ろした。
「うわ〜、凄い景色!!山のてっぺんがズラーッと見えるのね!」
「お気に召して頂けましたか?」
「うん!あ〜・・・・、良い風・・・・・・。」
が清涼な風をうっとりと堪能していると、何処かから声が聞こえた。
「あ〜っ!やっぱりお姉ちゃんだ!!」
「あれ、その声は・・・・・、貴鬼!?何処なの!?」
「こっちだよ〜!!」
声のする方を見上げてみれば、塔の最上階の窓から顔を出した貴鬼が、無邪気な笑顔で『お〜い』と手を振っていた。
それを目に留めたも、笑顔を浮かべて手を振り返す。
そんな二人のやりとりを微笑ましく見守りながら、ムウがに声を掛けようとしたその瞬間。
「うわぁぁぁーーーッ!!!」
「どうしたの、貴鬼!?」
「うわっ、うわわわ、どうしよう!?きゃーーっ!!」
それまで笑顔だった貴鬼が、突如怯えた顔でうろたえ出したのである。
「どうしました、貴鬼?」
「ムウ様どうしよう!?パンドラボックスから変なのが出て来たよ〜〜!!」
「何っ!?勝手に開けたのですか!?」
「ごめんなさいムウ様!ムウ様に内緒で聖衣の修復を練習してたんだけど・・・・・!」
「全く・・・・・、お前にはまだ早いと言ったでしょう。」
「うわ〜〜んごめんなさい!!助けてムウ様ぁ〜〜!!」
最上階の窓から身を乗り出して泣く貴鬼に、は誰よりもオロオロと動転し始めた。
「ムウ、早く行ってあげて!!」
「ええ。全く・・・・・、仕方のない弟子です。」
余裕のある口調で優雅に首など振ってはいるが、この時ムウはムウなりに緊迫していたのだ。
でなければ、こんな事は言わなかったであろう。
「、済みませんが適当に入って寛いでおいて下さい。」
「私の事は良いから早く!」
「ええ、ではまた後程。」
言うが早いか、ムウはその場からテレポーテーションで姿を消した。
を入口のない館の前に一人置き去りにして。
ムウがその事に気付いたのは、パンドラボックスの中身をどうにか鎮圧して一通り貴鬼に説教をした後、一息ついてやれやれと肩の力を抜き、さあそろそろ夕飯の支度でも、と動き始めた時だった。
慌てて迎えに出てみれば、はすっかり暮れた辺りの闇に溶け込むようにして、精根尽き果てたようにしゃがみ込んでいた。
「あ、ムウ・・・・・・・・」
「・・・・・、す、済みませんでした、すっかり失念していまして・・・・・。」
「棒高跳びの真似までしたけど、私には無理だったわ・・・・・・・。」
「も、申し訳ない・・・・・・。」
「酷いよムウ・・・・・・、ドアぐらいつけておいてよ・・・・・・」
「っ!?」
恨み言を言い残し、は力尽きてパタリと倒れた。
後にはそんなを抱きかかえて、珍しく右往左往するムウが居たとか居なかったとか。
そして、やっぱり聖闘士なんて皆同じと思ったが居たとか居なかったとか。