MISSION IMPOSSIBLE
〜 偉大なる失敗 〜




それは、いつもと変わらぬある朝の事であった。



「あふ・・・・・・・」
「ふふっ、まだ眠そうだね、カノン。」
「まぁな・・・・・。誰のせいだと思ってるんだ?」
「誰って何よ。」
「昨夜は誰かに何度も強請られたからな。寝不足にもなるだろう?」
「ね・・・・!強請ってなんかないでしょー!朝っぱらからそういう事言わないでよね!」

顔を赤くして掃除に集中する振りをするに、カノンはニヤリと笑いかけた。

本来なら、今頃はまだ二人してベッドで惰眠を貪っている頃だ。
しかし今朝は仕事があった。女神像周辺の掃除当番である。
確かに面倒だが、我等が女神の象徴を清める大事な仕事とあっては、サボる訳にはいかない。
だからこうして早起きして、律儀に掃除をしにやって来たのである。
が、やはりまだ夢の続きが名残惜しい。

カノンは石畳を掃くに歩み寄ると、その髪をさらりと撫でて思わせぶりに囁いた。

「とっとと済ませて早く帰ろう。寝直したいだろう?」
「それってどういう意味?」
「色んな意味だ。」
「・・・・・・馬鹿な事言ってないで、早く掃除しちゃってよ、もう・・・・・」
「ククッ。」

大いに脈有りだ。
そう感じたカノンは、満足げに微笑んでを手伝い始めた。
掃除が済んだらもう一度の家に戻って、昨夜の続きとしゃれ込むつもりで。



それにしても、清々しい朝だ。
空は青く、風は爽やかで、太陽が神々しい光を投げ掛けている。
遥か頭上を旋回している鳥も、この素晴らしい朝を喜んで舞っているかのように見える。
白く大きな翼をはためかせ、二度・三度とくるくると。

「ん?」
「どうしたの?」
「おい、あの鳥・・・・・・」
「鳥?・・・・・・・あれ?何かこっちに向かって来てる??」
「・・・・・・・来てるどころじゃないぞ、こっちに突っ込んで来る!!」
きゃああっ!!
うわぁっ!!

それは近くで見れば、大きな大きな鳥だった。
今まで目にした事のあるどの白よりも白い翼は、確かにこの世のものとは思えない程美しい。
だが二人には、それに見惚れていられる余裕などなかった。
その鳥は旋回を止めたかと思うと、突如二人に向かって猛スピードで突進して来たのだ。
その勢いたるや、まるでこちらが捕獲されるかと恐怖する程である。
この世の条理・食物連鎖が狂ったのかと一瞬錯覚しかけたが、おいそれと捕まってやる程人間だって馬鹿じゃない。
カノンはと自分を庇い、どうにか脇に跳び退いた。

しかし、その鳥は別に、二人を捕獲しに来た訳ではないようであった。
鳥は二人のすぐ目の前まで来て動きを止めると、不思議な色の瞳で一瞬じっと二人を見つめて、その足に掴んでいたものをカノンの腕の中にポトリと落とした。


「な・・・・・・、何だこれは!?」
「これ・・・・・・、赤ちゃん!?」

そう、落とされたものは、一見すると人間の赤ん坊であった。
人間の姿をした鳥の雛でなければ、恐らくその見解は間違っていないだろう。
とにかく、そんなヤバそうなものを見ず知らずの鳥から受け取る訳にはいかない。
カノンは種族の違いを超えて、その鳥に怒鳴りつけた。

「ちょっと待て鳥!!何だこれは!?どこからこんなモン持って来た!?」
「何処の子なんだろ・・・・、今頃この子の親がきっと心配してるわよ!誘拐騒ぎになってるかも・・・・」
俺達がその誘拐犯にされるのか!?冗談じゃない!!鳥!!コイツを今すぐ元あった場所に戻して来い!!」

しかしながら、鳥はやたらに尊大だった。
ドスの効いた声で怒鳴りつけられても、平気な様子で澄ましている。
勿論、差し出された赤ん坊には見向きもしない。
引き取るつもりはないようだ。
とどめには、小馬鹿にしたような声で一声鳴く始末である。

「クヮ。」
「・・・・・いい度胸だ鳥!!焼き鳥にしてビールと一緒に食ってやるからそこへ直れ!!
「クワヮ、クワッ。」
「人間語で喋れ!!というか、何でも良いからコイツをさっさと引き取れ!!」
「クーワワッ。クワーーッ!」
「おいこら、待てーー!!!」

『やーだよ』とでも言うように鳴いた後、鳥は再びその美しい翼を広げた。
そして、瞬く間に大空の彼方に飛び去っていった。
そして後に残されたのは、途方に暮れたと、怒り心頭のカノンだけであった。


「くそっ!人馬宮から射手座の聖衣を持って来い!あのふざけた鳥め、射落としてくれるわ!!」
「そんな・・・・、無理よ!もうあんなに遠いじゃない!!」
「チッ・・・・・、ん?」
「どうしたの?」
「何かあるぞ・・・・・」

カノンは首を傾げながら、眠っている赤ん坊の産着の隙間を探った。
するとそこから、一通の手紙のようなものが出てきた。
それを開いた途端、カノンの片眉が少々驚いたように吊り上がる。
何事かと訝しんでいると、は突然カノンから赤ん坊を押し付けられた。

「ちょっ・・・・、どうしたの?」
「これは・・・・・・、古代ギリシャ語だ。一体誰がこんな物・・・・」
「読めるの、カノン!?凄ーい!!」
「まぁ、一応な。」

満更でもなさそうな顔をして、カノンは手紙を朗読し始めた。



『Good Morning  女神の聖闘士諸君
先のポセイドン戦・ハーデス戦においては大儀であった。
しかし、まだ地上には無数の悪が蔓延っている。
この地上には、まだまだ諸君の力が、そして女神の力が必要なのだ。
ついては、先の戦で儚くもその命を散らした女神に代わり、新たな女神の化身を諸君に託す。
健やかに育て、全身全霊で護れ。
そして、女神と共に地上の平和を護れ。
なお、その途中如何なる困難な事態に陥っても、例によって当局は一切関知しない。
それでは、健闘を祈る。

なお、この手紙は5秒後に自動的に消滅する。』




それからきっかり5秒後、手紙は突然カノンの手の中で灰になった。



「な・・・・・・・、何なんだ、一体・・・・・」
「さ、さぁ・・・・・・・」
「・・・・・・・・ふざけるな、鳥ィィィーー!!

憎むべき対象はとっくに消え去った青空に向かって、カノンは忌々しげに叫んだ。







死ねぇッ!!!

ゴガァッ!!!


突如炸裂したギャラクシアン・エクスプロージョンが、カノンの髪を一房焦がす。
寸でのところで避ける事が出来たのは良いが、生憎そのまま無かった事にしてやる程、カノンの機嫌は良くなかった。

「殺すぞサガ!!帰って来るなりいきなり必殺技か!?この狂犬が!
「その台詞、そっくりそのまま貴様に返そう、カノン・・・・・。私が狂犬なら、貴様は盛りのついた種馬だ!!
「何だと!?この・・・・」
「問答無用、死ね!!」

しかし、サガはそれ以上だった。まるで鬼のようなオーラを纏っている。
互いに必殺技の構えを取る二人に、それまで唖然としていたは、この騒ぎの中平気で眠りこけている赤ん坊を抱いたまま、二人の間に割って入った。

「ちょ、ちょっとやめてよ二人共!!」
、どいていろ!今日という今日は、この愚弟を始末せねばならん!!」
「ほざけ!!返り討ちにしてくれるわ!!」
もー、いい加減にして!!今はそんな事してる場合じゃないでしょ!?」

に一喝されたサガは、はっと胸を打たれたように留まり、おもむろにの足元で土下座した。

「ちょ、サガ!?何してるのよ!?止めてよ!!」
「済まん、!!お前には何と詫びて良いのか・・・・!だが、全てはこの兄・サガの不徳の致すところだ!私の命に懸けても、カノンの奴には誠意を示させる!!必ず責任は取らせる!!だから・・・・」
「え?」
「責任!?何を言ってるんだ、お前!何故俺が責任など取らねばならんのだ!」
「何だと・・・・・!?貴様という奴は、貴様という奴は・・・・!」

顔を上げたサガは、憚る事なく滝のような涙を流していた。
その様子に驚き慄くカノンとであったが、サガは流れる涙を拭おうともせず、カノンの胸倉を掴んで拳を振り上げた。

子まで産ませておいて、それが男の取る態度か!それが父親の態度か!!おのれ、貴様のような種馬など、父親になる資格はない!!いっそ居ない方が子供の為だ!!養育費は貴様の生命保険で払ってやる、安心して死ね!!
ちょーーっと待って!!!!
「何っ!?」
「違うのよサガ!!この子は私が産んだんじゃないの!!」
「な・・・・・」

拳を止めたまま、呆然とするサガ。
カノンは苛立ったように胸倉を掴むサガの手を払いのけ、吐き捨てるように言った。

「そうだ、このガキはの子でも俺の子でもない。全くの赤の他人だ!!」
「そうよ、早とちりしないで!」
「そ・・・・・、そうだったのか・・・・・・・」
「事情も聞かずにいきなり殺そうとしやがって。今日という今日はタダじゃおかんぞ!!」
「よ、良かった・・・・・、私はてっきりお前が・・・・・・!そうか、そうだったのか・・・・・!」

同じ涙でも、今度は安堵の涙を流すサガに毒気を抜かれて、カノンは握り締めていた拳を緩めた。
これでようやく、兄弟喧嘩は治まったようだった。




「馬鹿な。そのような事、ある筈がなかろう。」

ようやく落ち着いたサガに、二人は赤ん坊の素性を話した。
だが、サガはまるで信用しなかった。

「でもね・・・・・」
「デモもストもない。我らが女神はご健在だ。それはも知っているだろう?」
「それは・・・・・・、そうだけど・・・・・・」
「俺もそう思う。だが、それならあの手紙は何だったのだ?どう説明をつける?」
「そんな事、私が知る筈ないだろう。」

サガは疲れたように首を振ると、二人に向かってきっぱり言い放った。

「二人とも良く聞くのだ。その手紙に何と書かれてあったとしても、女神はこの地上に生きておいでだ。女神の化身は、同じ時代に二人と現れぬ。あの方を差し置いて、新しい女神の化身など降臨する筈はないのだ。」
「それはそうだけど・・・・・、じゃあこの子は一体何なの?」
「大方その馬鹿デカい鳥が、餌か何かと間違えて何処かの家から攫って来たのだろう。町の交番にでも届けておけば良い。
「しかし・・・・」
「くどいぞ、カノン。」

カノンの声を遮ると、サガは優しい顔つきで赤ん坊の寝顔を覗き込みながら呟いた。

「この赤子が女神の化身だと?フッ、馬鹿な。きっと何処か近隣の家の子供に違いない。今頃親が必死になって探しているだろう。早いところ交番へ・・・・」

その時だった。
それまで何があっても起きなかった赤ん坊が、突然火のついたように泣き出したのは。



「オギャア、オギャア、オギャア!」
しまった、泣き出した!
オギャア、オギャア、オギャア!
あ〜あ、本格的に泣いてるわよ!?
オギャア、オギャア、オギャア!
ええいやかましい!!!泣き止め!!!!

たとえ女神の化身疑惑があろうとも、赤ん坊は赤ん坊。
容赦ない泣き声につい苛立ったカノンは、思わず怒鳴ってしまった。
しかし、如何にカノンの一喝に迫力があろうとも、泣く子を黙らせる程の威力はなかったようだ。
赤ん坊はますます激しく、過激に、ダイナミックに泣き喚く。

「あ〜、よしよし、泣かないで〜!ね、良い子良い子〜!」
「何とかしろサガ!殺しかけるまでは、赤ん坊だった女神の守りをしてたんだろう!?」
そこを突くな!!大体守りなど、雑兵共に任せきりだった!私は出来ん!!」
「チッ、使えん奴だ!!」
「やかましい!!ともかく私は女神に謁見してくる!!もしかしたら何かご存知かもしれない!!その赤ん坊の事は頼んだぞ!!!」
おいコラ待て!!行くならこのガキも連れてけ!!おいサガ!!」
カノン、どこ行く気!?
「決まってるだろう!?サガを追いかけに・・・」
「何言ってんの!!そんな事より、先にこの子何とかしなきゃ!!」

目を吊り上げたに首根っこをひっ捕まえられ、カノンはズルズルと引き摺られて行った。






「最悪だ・・・・・・」

未だ泣き止まない赤ん坊を渋々抱いてあやしながら、カノンはぐったりと瞼を閉じた。

何故自分達だけが、朝っぱらからこんな目に遭わなければならないのか。
女神には悪いが、こんな事なら掃除などサボれば良かったと悔やんでみても、後の祭り。
ともかく今は、さっさとこの赤ん坊を泣き止ませたい。

赤ん坊を揺すりつつ、カノンはキッチンでミルクを作っているに声を掛けた。

「おい!ミルクはまだか!」
「もうちょっとー!もう少し待っててー!!」

返って来たのは、何ともつれない返事であった。
何でも良いから早いところこの苦痛を共有して欲しいものであるが、かといって自分はミルクの作り方など知らないのだから、子守役を引き受けるしか仕方がない。

「おい、チビ。いい加減泣き止め。余計に腹が減るぞ?」
「ウギャアァァ、オギャアア!!」
「何て体力だ;」

カノンは呆れて閉口した。
それもその筈、赤ん坊はもうずっと泣きっ放しなのだ。
どの位かと言うと、サガが出て行った前後から始まり、にさしあたり必要な育児用品を買いに行かされ、それらを買って帰って来た今に至るまでである。

お前、女神より聖闘士に向いてるんじゃないか?
「な〜に言ってんのよ。」

思わず思った事を呟いたカノンに、赤ん坊が返事をした。
と思ったら、それはの声だった。・・・・・・当然といえば当然だが。

「なんだ、か。」
「はい、ミルク出来たよ。」
「俺はもう疲れた。お前がやってくれ。」
「ふふっ、何よー、だらしないわね。良いわ、貸して。」

はカノンの腕から赤ん坊を抱き取り、妙に慣れた手つきで赤ん坊にミルクを飲ませ始めた。
孤児院育ちのならば、この程度の世話は日常茶飯事であっただろうと容易に想像出来るが、それにしても大したものだ。あっという間に赤ん坊が泣き止んだ。

「やれやれ・・・・・、ようやく治まったな。」
「そうね〜。ん〜よしよし、ゆっくり飲みなさ〜い・・・・」
「今日一日の体力を使い果たした気分だ。」
「ふふっ、ご苦労様。買い物疲れたでしょ?」
気分的にな。行く店行く店で変な顔をされて、堪ったものじゃなかった。しかもまさか赤ん坊のミルクだのオムツだのの為に、光速移動まで使わされる破目になるとはな。聖闘士として屈辱極まりない。
「あ、むせちゃった。カノン、そこのガーゼ取って。」
「俺の話を聞いてるか?」

カノンはやや憮然とした顔で、テーブルの上のガーゼを取ってやった。
はそれを受け取り、赤ん坊が噴き零したミルクを拭ってやりながら笑った。

「聞いてる聞いてる。でもさ、仕方ないじゃない。急ぎだったんだから。能力は出し惜しみしないで使うものよ。」
「そういう問題か?全く・・・・・」

本当なら今頃は、二人してしっぽりと濡れていた頃なのに。
よりにもよって子守とは、ついてないにも程がある。

仏頂面をして黙り込んだカノンは、退屈そうに二人の姿を見つめた。





それから二人は、育児に奮闘した。
サガはああ言っていたが、万が一の事を考えて警察に届ける事は保留にしたのだ。
サガが戻るまで精々1〜2日、それまでは下手に動かない方が良いだろう。
そう他の黄金聖闘士達も口を揃えて言った。

しかしその彼ら、激励こそしてくれたものの、育児に加わってくれる事はなかった。
しかし、『事情が事情だから、問題が解決するまで』と執務の当番を代わってくれた事だけでも、まだ有り難い方であろう。
従って二人は、心置きなく育児に励まざるを得ない環境に置かれたのである。
その日からは双児宮に泊り込み、かくして双児宮は只の若夫婦の所帯と化した。



「やれば出来るじゃない!上手い上手い!」
「こんな事褒められても嬉しくない・・・・・」
「まあまあ、そう言わないで。後はテープを止めて、それで出来上が・・・」
「フギャアアーー!!」
っておい!!
「あらら、今度は大きい方しちゃったの!?」
今替えたばかりだろうが!何で大と小を交互にするんだ!?」

とか、

「あっ、ほら笑ったよ!カノン見て笑ってる!」
「・・・・・・・ふ、ふん、そうやって機嫌が良いと、満更悪くもないんだがな・・・・」
「プッ、素直じゃないんだから〜!ね〜、オジちゃん意地っ張りだね〜♪
「・・・・・・オジちゃんって言うな

とか。

実に賑やかで幸せそうな会話が、温かい空気と共に絶え間なく流れていた。
あの不気味な迷宮で知られる双児宮が、変われば変わるものである。
実はこの出来上がった空気が、他の聖闘士達を寄せ付けない最大の理由だったりしたのだが、生憎と二人はそれに気付かず、ただひたすら育児に没頭したのであった。

そして一日経ち、二日経ち。
三日目が過ぎる頃には、二人はすっかりどっぷり赤ん坊との暮らしに浸っていた。





真夜中過ぎ、今夜も散々愚図って泣き喚いた赤ん坊は、今ようやく落ち着きだしていた。
ミルクを飲ませ、オムツを替え、交互に抱いて延々あやし、今ようやくである。


「通りゃんせ通りゃんせ、ここはどこの細道じゃ・・・・・・」
「なんだその歌は?」

赤ん坊を抱いて軽く揺すりながら、聞き慣れない歌を歌い始めたに、カノンは首を傾げて尋ねた。

「え、これ?日本の童謡だけど。」
「いかにもジャパニーズな音程だな。『ワビサビ』と言うのか。悪くはないが・・・・しかし些か暗い。」
「え、そう?この歌、孤児院の子供達に結構人気だったんだけどな。」
「子守歌のつもりなら、もっと明るい歌を歌え。」
「じゃあカノンが歌ってよ。」
「俺!?俺は・・・・・・、歌は苦手だ。」
「何で〜?良いじゃない、歌ってよ!ね?」

赤ん坊にかぶりつきで聴かせるように、はソファに座っているカノンの隣に腰掛けた。
時々しゃくり上げながらも、今にも落ちそうな瞼をしている赤ん坊の愛らしさと、期待に輝いているの瞳に根負けして、カノンは諦めたように咳払いを一つした。
そして、低い声で静かに歌い出した。


「夢路よりかえりて 星の光仰げや  さわがしき真昼の 業も今は終りぬ・・・・・・・」
「あ・・・・・、聞いた事ある・・・・・」
「・・・・・有名だからな。」

一旦歌を止めて小さく笑ったカノンは、また続きを歌い始めた。


「夢見るはわが君 聞かずや 我が調べを・・・・・・・」

歌に合わせてゆっくりと揺れながら、自らもじっと歌に聞き入る
時折小さく身じろぎしながら、ゆっくりと、ゆっくりと、瞼を閉じていく赤ん坊。
今まで、こんな優しく温かい空気に包まれるのには慣れていなかったが。

― 悪くない。

歌いながら、カノンは穏やかに微笑んだ。




「歌・・・・・・、上手じゃない。素敵だったよ。」
「・・・・・・フン」
「ふふっ、照れちゃって。」

ベッドの上に赤ん坊を挟んで横たわりながら、二人は小声で囁きあった。

「ねえ、カノンってさ。」
「ん?」
「案外良いパパになりそうね?」
「・・・・・・・フッ。嬉しくないな。」
「ふふふっ、照れちゃって。」
「うるさい。」

憎まれ口を叩きながらも、カノンの顔は満更でもない笑みを形作っていた。

もしも、この子が何者であったとしても。
親と呼べる者が居ないのであれば、このままと二人で育てても良い。

自分でもどうかしていると思うが、そんな風に思いさえしていた。






だが、その時は突然にやってきた。


― 聞け、女神の聖闘士よ・・・・・、我の声を聞け・・・・・・・・


何処かから、厳かな声が聞こえる。
何度も呼びかけてくるその声に気付いて、カノンは薄らと瞳を開けた。

「誰だ・・・・・、俺を呼ぶのは・・・・・?」
「カノン・・・・・」
・・・・・・」
「ねえ、今声がしなかった・・・・・・?」
「お前も聞いたのか?」

ほぼ同時に起きたと顔を見合わせて、カノンは低く呟いた。

「誰だ。どこに隠れている。返事をしろ。」
『我はここにあり。』
「!!」

声のした方向に目を向けてみれば、そこにはいつかの鳥がいた。
外側の窓枠を止まり木にして、じっとこちらを見つめている。

喋った・・・・!?
「鳥・・・・・!貴様か!?

驚きと怒りで声を荒げながら、カノンは勢いよく窓を開け放った。
すると鳥は、その優雅な翼を僅かに広げ、ふわりと室内に降り立った。

「貴様よくも今更ノコノコと現れたな!!今度こそ焼き鳥にしてやる!!
シーッ、カノン!!声が大きい!!起きちゃうでしょ!?」
『案ずるな、娘よ。』

カノンにその長い首を絞められながらも、鳥は尊大な声でを制した。
そして、翼を一振りさせただけで、カノンをもあっさりと振り解いてしまった。

「嘘・・・・・・」
「な・・・・・、この俺が・・・・・、鳥如きに・・・・・・・」

二人は一瞬何が起きたか分からず、ただ呆然とその場に硬直した。

『汝らのこれまでの働きに免じて、無礼は許す。』
っ何を〜〜!?!?鳥の分際で偉そうにほざくな!!」
『此度の事、大儀であった。まずは礼を言う。』
人の話を聞け!!!
しっ、カノン!黙って!!

怒鳴るカノンを制止して、は不安そうに鳥を見つめた。



『されど、神は唯一無二の存在である。』
「・・・・・・・・つまり何だ?手っ取り早く平たく言え。」
『間違えた。』

今に限って素直にカノンの言う通りにした鳥は、いともあっさり簡単に、そう言ってのけた。

「え・・・・・?間違え・・・・・って?」
「鳥・・・・・、覚悟して答えろ。返答次第によっては本当に焼き鳥にするぞ。
『問うてみよ。』
「その間違いというのは・・・・・、まさかあの赤ん坊の事か?」
『然り。』

今ならサガでさえ本気で慄くであろう程の怒りを湛えているカノンに、鳥はあっさりと答えた。

『この地上は、既に女神の恩恵を受けておる。世に女神の化身は二人と要らぬ。』
「じゃあこの子は何者なの!?」
『其は女神の化身。他の何者でもない。その姿は現世に於ける形代。代々の女神と同様に。』
「・・・・・ならどうするつもりだ?」
『今暫しの眠りを。』

鳥は連れて来た時と同じように赤ん坊をその足で掴み、ゆっくりと窓の外へ羽ばたいていった。
二人はなす術もなく見守っていたが、やがて鳥が完全に窓の外へ出ると、呪縛が解けたかのように窓へ駆け寄った。


「待って!待って!!どうしても連れていくの!?」
「そうだ、不要だと言うなら何故連れていく!?」
『我は万物の主にして父。此に於いてもまた然り。』
「でも、女神としての役目を果たさなくても良くなったんなら、その子は只の人間じゃないの!?」
『此は女神の化身。他の何者でもない。美しきオリンポスの園にて、次の世を待つ。』

そう告げると、鳥はその翼を全開した。
夜の闇に、白よりも白い翼が眩く浮かび上がる。
もう行ってしまうのだ。

そう思った瞬間、は堪えきれずに思いきり手を伸ばして赤ん坊に触れた。
触れた指先には、確かに温もりも存在感もあった。


『・・・・・暫しの別れだ。悲しむな、娘よ。』
「え・・・・・・?」
『汝らの愛が不変のものとなれば、再び此は汝らが前に現れるであろう。女神を宿せし形代ではなく、汝らと同じ人の子として。其が我等父娘の、汝らに対する償いと褒美なれば。』
「な・・・・・・!?」
『神の恩恵は万人に与えられる。なれど、此は異数の計らい。其を授かるに相応しき者であれ。』
「人の子として私達の前に・・・・・ってどういう意味!?
お、おい待て、鳥!それはどういう意味だ!?

僅かに頬を染めながら、戸惑うように詰め寄った二人に、鳥は一瞬慈愛に満ちた眼差しを向けて。



「・・・・・・・クヮ。」

と鳴いた。
肝心なところで、人間語を話すのを止めたようだ。
しかも目が、また小馬鹿にしたような感じに戻っている。
二人はそれぞれに、脱力やら怒りやらを感じずにはいられなかった。

「鳥ぃ・・・・・、やはり今ここで焼き鳥にしてくれるわ!!
ちょ、ちょっとカノン!!必殺技は駄目だってば!!」
いっっ・・・・!!拳で殴る奴があるか!」
そんな物騒なモノぶっ放したら、あの子が死んじゃうでしょー!?
「クーワワーーッ!!!」

二人が騒ぐのを愉快そうに一瞥し、『やーいやーい』とはやし立てでもするかのように一声鳴いた後、鳥は漆黒の夜空に向かって羽ばたいていった。

待てーーッ!!戻って来ーーい!!!








「来ーーい・・・・・・って・・・・・あ?」
「夢・・・・・・・?」

ほぼ同時に飛び起きた二人は、ベッドの上で呆然と互いの顔を見合わせた。

「おい、まさかお前も同じ・・・・」
「あっ!!あの子は!?」

は弾かれるようにして、視線を下に投げ掛けた。
だが、そこに居た筈の赤ん坊は、まるで跡形もなく消えていた。

「夢じゃ・・・・・・、なかったんだ・・・・・・・」
「・・・・・・万物の主、全知全能の神、か・・・・・・。フッ、してやられたな。」
「あ・・・・・・・、みてほら。」
「ん?」

が枕元から拾い上げて差し出したものは、白い白い羽根であった。
赤ん坊の使っていた物とこの羽根が、あの一件が幻ではなかった事を告げている。

「・・・・・あの子また来るって・・・・、言ってたよね?」
「・・・・・ああ。しかも俺達の子として・・・・、な。少なくとも、俺にはそう聞こえた。」
「・・・・・ふふっ、本当にそうなるのかな?」
「さぁな。全く、神だか何だか知らんが、偉そうな鳥だったな。ドジを踏んだ詫びのつもりなら、赤ん坊なんて面倒なものでなく、もっと良いものを寄越せというのだ。」
「あれ〜?その割には嬉しそうな顔してない?」
「うるさい。」

カノンが緩む口元を無理矢理引き締めた時だった。


「おお、お前達!!待たせたな!!」
「サガ!おっそーーい!!」
「貴様、今まで何処で何をしてた!今頃ノコノコ帰ってきやがって!」
「済まん、女神となかなかお会い出来なくてな、昨夜ようやく・・・・。というか、貴様こそ私の留守にこの双児宮で如何わしい振る舞いをしなかっただろうな?
「馬鹿言え。赤ん坊の世話でクタクタで、それどころではなかったわ。」
「おお、そうだ。その赤ん坊の件だがな、やはりあれは・・・・」
「もう良い。もう解決がついたところだ。な、。」
「・・・・うん。」


二人が意味深な笑みを交し合ったその時。

人を小馬鹿にしたような鳥の鳴き声が、何処かで聞こえた気がした。




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後書き

『カノンとヒロインの元に、ある日突然赤ん坊が運ばれて来る』というリクエストで
お送り致しました。
ちょっと長くなりましたが、如何でしたでしょうか?
ちなみに、タイトル及び事の発端は、例の映画を意識して、というかパロって書いております(笑)。
今作の私的ポイントはそこと、子守歌を歌うカノン、でしょうか。
童謡って著作権の切れているものが多いから、歌詞を引用したい時は有り難い限りですね。
ちなみにカノンが歌った歌は『夢路より』、フォスターのあの名曲ですね。
いい曲です。管理人は大好きです。この曲のオルゴールとか、凄く素敵ですよね。
リクエスト下さったKUSAKA様、どうも有難うございました!