ギリシャきっての一等リゾート地、そこに一際大きくそびえ立つ白亜の館。
夜も更けたというのに、そこからは賑やかな音楽と人の声が絶え間なく流れてくる。
軽快なバイオリンの音。
上品で洗練された会話。
女性達の香水や煙草の香りが漂う大広間。
賑やかで華やかな世界だが、正直疲れる。
「。」
名を呼ばれて、は後ろを振り返った。
そこに居た黒いスーツの男の、少し癖の強い愛嬌のある金髪を見て、の笑顔は本物になる。
「ミロ。」
「はは、疲れた顔してるな。」
「そんな事ないよ〜!・・・・って事もないかな。ちょっと疲れたかも。」
こういう上流階級のパーティーには、何度連れて来られても慣れない。
慣れない服を着て、慣れない相手と慣れない会話をし、慣れない物を食べて、宴が終わるまで笑顔を貼り付けている。
決して楽しくない訳ではないのだが、宴もたけなわになってくると、いつも帰る事ばかり考えてしまうのだ。
「沙織ちゃんは?」
「さっき部屋にお戻りになった。後は俺達も適当にしていて良いそうだ。」
「そう。」
「という訳で、抜け出さないか?」
「え?でも・・・・・」
「女神はお休みだし、俺達の仕事はもう終わりだ。」
軽くウインクしてみせるミロに、は嬉しそうな微笑を見せた。
本当は嬉しかった。
シャンパンと華やかな笑い声で薔薇色に濁った海から連れ出してくれるのが。
人の目を盗むようにして外に出た二人は、館から少し離れた浜辺へとやって来た。
夜の海は誰の気配もなく、只黒く光る海に丸い月が浮かんで揺れているだけ。
先程まで濁った空気でべたついていた身体が、爽やかな夜の潮風で清められるようだ。
「うわぁ、真っ暗!」
「、慌てて歩くと危ない・・・」
「きゃあっ!!」
「・・・・って遅かったな、ははは!」
ピンヒールの踵を砂に取られて転んだに、ミロは笑いつつもすぐに駆け寄った。
抱き起こすと、も楽しそうに声を上げて笑う。
「大丈夫か、?」
「大丈夫大丈夫!あっははは!も〜〜、だからピンヒールって嫌!!」
は華奢なピンヒールを脱いでしまうと、その辺に投げ捨てた。
ついでに羽織っていたオーガンジーのストールも、邪魔だとばかりにひらりと放り出す。
「あ〜あ!折角似合ってたのに!」
「良いの!」
「・・・・よし、じゃあ俺も!」
口の端を吊り上げたミロは、に倣って上着とネクタイを放り出し、靴も脱いで素足になった。
「ふ〜〜ッ!生き返るな!やっと息が出来た!」
「ほ〜んと!スッとするね!」
「どうもパーティーってやつは好かんな。俺の性に合わん。」
「ふふっ、私も〜。」
「だろうな。だって、今の方が断然生き生きしてる。」
ミロは眩しそうに目を細めて、を見つめた。
身構えなければいけない社交の場では、の魅力は霞んでしまう。
どんなにゴージャスなドレスやアクセサリーでも、屈託のない笑顔には勝てないのだから。
「ね、ミロ。ちょっと水触ってみない?」
「ああ。」
身軽になったは、淡いベージュのスリップドレス一枚の姿で波打ち際に向かって歩いていく。
その後ろをついて歩きながら、ミロは小さく微笑んだ。
「あ、冷たくて気持ち良い・・・・・。」
波打ち際にしゃがんで水面に手を触れたは、その清涼な水の感触にうっとりと呟いた。
「水着があったら泳ぎたいところだったね。」
「そうだな。今は夏だし、夜でも泳げるだろう。」
「だから、水着があったらね。」
苦笑するに微笑み返すと、ミロはおもむろにシャツのボタンを外し始めた。
「えっ!?ちょ、ちょっと!」
「どうせ誰も見てやしないんだ。構わないだろう?」
「でも・・・・・・!」
が困惑している内に、ミロは引き締まった鋼のような肉体を波に浸し始めた。
月明かりが浮かび上がらせたそのラインは決してエロティックという訳ではなく、むしろ芸術品のような神々しさを帯びていて、もう何度も見ている身体だというのに、は思わず目を奪われてしまった。
「ん・・・・・、大丈夫だ。も来いよ。」
「・・・・え、えぇッ!?でも・・・・」
「大丈夫、どうせ誰も見てやしないって!」
「・・・・・本当?」
「こんな時間に海なんて、誰も来る訳ないだろう?・・・・・・俺達以外は。」
「もう・・・・・・」
無邪気で意味深なミロの笑みに惹かれるようにして、はゆっくりとドレスに手をかけた。
夜の闇が隠してくれるとはいえ、こんな場所で裸になるのは正直言って恥ずかしい。
慌てて隠してしまうように水の中に入ると、ミロが抱きとめてくれた。
「やっ・・・・・、冷たい冷たい!」
「ははは!すぐ慣れるさ!」
ひんやりとした海の水が、肌を刺すように纏わりついてくる。
暫く身を固くしながらも、はじっとその刺激が和らぐのを待った。
「あっ・・・・・・、本当だ・・・・・。冷たいけど、気持ち良いね。」
「だろう?掴まってろよ、あっちの方まで進んでみよう。」
「足が着くところまでにしてよ!」
「了解了解!」
ミロはウインクを一つ投げると、を片腕に抱いたまま、ゆっくりと沖に向かって歩き始めた。
寄せては返す波の高さがの胸の辺りに来た所で、ミロは足を止めた。
「どうだ、この辺なら平気だろう?」
「うん!」
「最っ高に良い気分だな・・・・・!」
水に濡れた髪を掻き上げると、ミロは満足げに呟いた。
「静かだし、水は気持ち良いし。」
「うん。」
「はこうして側に居るし。」
ミロは腕の中のを見下ろして、微かに微笑んだ。
「・・・・・・・そうだね。私もそう思う。」
「俺達さ、今最高に贅沢な時間を過ごしてるぞ。」
「え?」
「見ろよ、この海。この海は誰の物でもない。今日のホストも相当な資産家だと聞いたけど、そいつですら海をものにする事は出来ないんだ。女神だって。」
ミロは快活に光る瞳で、に語りかけた。
「でも今だけは、この海は俺達二人のものだ。他には誰も居ない。」
「ミロ・・・・・・・」
「これ以上の贅沢ってあるか?」
少年のような瞳で笑ったミロの胸に、は微笑を浮かべてそっと頬を寄せた。
「・・・・・・ない。」
「だろう?」
ミロはの顎をもたげると、柔らかいキスを落とした。
「・・・・・・・・ふふっ、帰りたくなくなっちゃうね?」
「帰らなきゃいいさ。むしろ帰さない。だって今の・・・・・」
「何?」
ミロは不意にの髪に顔を埋めると、耳元に囁きかけた。
最高に綺麗だ、と。
誰も居ない夜の海で、重い飾りを全て捨てて。
愛する人と二人、波に揺れてこの海のような深いキスを。
これ以上の贅沢など、きっと何処を探しても無い。