like or love?




近頃心身に現れた妙な現象を訴え、これは何かと問いてみると。
神はこう答えた。



コイ。





鯉、故意、濃い。
一口に『コイ』といっても様々な言葉があるが、それがまさか惚れた腫れたの『恋』であるなどとは、シャカには到底信じられなかった。
まさか、まさか。
仏道と聖闘士道に励み、他の事には脇目も振らなかった自分が。
世の凡人と同様、恋に落ちてしまうとは、と。





「ううむ・・・・・」

シャカは悩んでいた。
といっても、恋をした自分を恥じているとか、何とか元の状態に戻りたいと己の気持ちを否定している訳ではない。
最初は幾分動揺したが、それはもう解決がついた。
このまま突き進んでみる事にしたのだ。
ただ、その突き進み方が問題なのである。


取り敢えず、想いは告げてみた。
現在の家は諸事情により改築中で、は今、処女宮に住み着いている。
チャンスと時間は幾らでもあるのだから、想いを告げる事自体は容易かった。
しかし、その肝心な話が今一つ通じなかったのだ。

シャカ自身としてはなかなか良い話だと思ったのだが、話の始めを宇宙の誕生からにしてしまったのが悪かったのか、それとも実に4時間に渡る演説が悪かったのか、話を終えてふと気付くと、は気持ち良さそうに眠っていたのだ。

「やはり俗世で広く使われている方法を用いて、分かり易く言ってやらなければ通じんか・・・・。全く世話の焼ける・・・・。」

ブツブツと文句を言いながらも支度を済ませると、シャカはを呼びに行った。






長閑な田舎道を、バスがのんびりと走っていく。
シャカとは今、そのバスの中で並んで腰掛け、ほのぼのと揺られていた。

「あの、シャカ?」
「何かね?」
「何処に行くの?」
「アテネ市街だ。この近辺だとその界隈ぐらいしか洒落た所はなかろう。」
「あ、そう・・・・・」

シャカの意図が分からず、は首を傾げた。
『今から出掛けるから付き合いたまえ』の一言だけで連行されて来たが、行き先も目的も何も告げられていなかったのだ。
そして、ようやく落ち着けたところで訊いてみればこの返答。
洒落た所に連れて行って、一体何をしようとしているのだろうか。

「あの・・・・、何しに行くの?」
「予定の事かね?予定としてはレストランで夕食を摂り、アテネ市街の夜景を観る、といったところだろうか。」
夜景!?

100歩譲って夕食はともかく、夜景とは一体何事か。
夕食〜夜景などという、まるでデートの定番のようなスポットを、事もあろうにこのシャカが辿るつもりだとは、には到底信じられなかった。

「まさかね・・・・・・」
「何がかね?」
「ううん、何でもないの!気にしないで。」

つい漏れた独り言を愛想笑いで何とか誤魔化して、は内心で大いに悩んだ。


シャカはデートのつもりで誘ったのだろうか。
いやまさか。
色恋その他俗っぽい事全てに無関心そうなこのシャカに限って、女をデートに誘うなんて有り得ない。
大体もしこれがデートならば、何故袈裟を着ているのか。
お陰で服を合わせようにも皆目見当がつかず、途方に暮れた挙句に普段着同様の格好で出て来てしまった。
いや、服の事はさておき、とにかくシャカは何のつもりなのだろうか。


それからアテネに着くまでの間、は答えの出ない疑問にずっと頭を悩ませ続けた。






「では乾杯。」
「乾杯。」

細かな泡が軽やかな音を立てるグラスを合わせて、二人は何に対してでもなく乾杯した。

明らかに高級そうなフレンチレストランは内装外装共に申し分なく、目の前に並ぶ食器は全て鏡のように磨き込まれている。
店内を歩くウェイターは全員優雅な立ち振る舞いと一流のサービスを心得ており、他のテーブルに着いている客も全て上品そうな身なりで、完璧なテーブルマナーを披露している。

だからこそ、周囲の視線が痛かった。


「ねぇシャカ、何でここなの?」
「気に入らなかったかね?」
「ううん、そうじゃなくて。こんな所に来るんだったら、もっとちゃんとした格好して来なきゃいけなかったんじゃない??」

そう言って、はシャカの袈裟と自分の服を指差した。
この高級レストランにおいて、黒い袈裟姿のシャカとラフなシャツにジーンズ姿の自分は、とてつもなく浮いている。
尤も、袈裟の男と一緒では、何処に行っても目立つ事必至だが。


「言ってくれたらちゃんとドレスアップしたのに。っていうか、何でシャカは袈裟なの?」
「いけないかね?これが私の持つ衣類の中で最も高級なものなのだが。女神のお膝元である日本産の正絹で、わざわざ京都まで出向いて誂えた・・・・」
「あ、そ、そうなんだ。素敵ぃ〜・・・・・」

は、シャカの話を僅かに引き攣った笑みで遮った。

全く意図が分からない。
彼なりにドレスアップして高級レストランに自分を連れて来る理由が、皆目分からない。
だからは、ひとまず食べる事に専念しようと決めた。
何か目的があるのなら、いずれシャカから何か言い出すだろうと考えて。




「うん、美味しい!」
「そうかね。それは何より。」

幸せそうに料理を口に運ぶを見守りつつ、シャカは薄らと口元を綻ばせた。
そして、改めて愕然とした。

こんな事だけで妙に嬉しい気分になり、顔の筋肉まで緩むのだからもう末期だ。
まさか自分がこんな状態に陥る事になるとは。
しかし、それはもう考えっこ無しと決めたのだ。
己に嘘をついて生きる事は出来ないのだから。

とにかく、折角ミロの部屋から拝借した情報誌で色々調べて、こんな所まで連れ出して来たのだ。
今夜中には何とか成功させたい。
しかし、このレストランで肝心の話をする事は無理なようだった。
シャカ自身は気にならないが、物珍しげにこちらをちらちらと見てくる他の客の視線を、は気にしている。


「とすれば、話は食事の後だな。」
「え?話?何か話があるの?」
「いや、何でもない。とにかく食事を済ませてしまおう。」
「?うん・・・・・・」

首を捻ると周囲の客に見守られる中、シャカはナイフとフォークを取って淡々と食事を始めた。






「では、改めて乾杯。」
「は〜い、乾杯。」

カチリとグラスを鳴らして、二人は改めて乾杯した。

街の灯りが、宝石のように眼下で煌いている。
一流ホテルの最上階にあるバーから観る夜景が気に入ったのか、は晴れやかな顔をしてその景色を見つめている。
他の客も少なく、人の視線もない今が話し時だと踏んだシャカは、の顔をじっと見据えた。


、今日は楽しんだかね?」
「うん!すっごく楽しかった!ありがとうね、シャカ。」
「それならば良い。私も満足だ。」
「でもちょっと吃驚したけどね。急にあんな凄い所に連れて行くんだもん。どうしたの?」
「別に行きたくて行った訳ではない。君に分かり易いようにと思っただけだ。」
「分かり易いって何が?」
「全く・・・・・、先日といい今日といい、これだから愚鈍な娘は困る。
「愚・・・・・・・、悪かったわねぇ。」

憮然とするを全く意に介さず、シャカは僅かに身を乗り出した。

「そもそも、何故私がわざわざこのような場所に君を連れて来たと思うかね?」
いや、それは私が訊きたいと思ってたんだけど・・・・
少しは頭を働かせたまえよ。いいかね、よく聞きたまえ。まず、私は好ましく思わない者と顔を突き合わせる趣味はない。」
「はい。」
「つまり、わざわざこうして私が君を連れ立って、こんな所までやって来たという事は?」

シャカの口調が、言い含めるようにゆっくりと速度を落とす。

「私は、君を?」
「え・・・・・と、好ましく思っていない、事は・・・・ない?」
「そうだ。もう一度全部通して言ってみたまえ。」
「シャカは、私を、好ましく思っていない事はない。」

通して言葉にしてみたら、これはこれで何かが違う気がする。
これではまるで、『君の事は嫌いではない』という程度ではないか。
シャカは項垂れて暫し眉間を揉み解してから、再度顔を上げた。


「言葉が悪いようだ。言い方を変えてみよう。否定ではなく肯定にするのだ。」
「っていうと?」
「『私は、君を、好ましく思っている。』つまりこういう事だ。これで私が君をここに連れて来た理由は分かったかね?」
「うん。私の事を好ましいと思ってくれてるから、だよね?」
「うむ、その通りだ。」

今度はなかなか上手く伝わったようだ。が嬉しそうに微笑んでいる。
シャカはようやく一安心した。

「有難う〜。私もシャカの事は好きだよ。」
「ほう、そうかね?」
「うん。こういう風にね、時々分かんない事言ったりしたりする所とか、面白くて好きよ!でも何か悪かったね、凄い所でご馳走になっちゃって。もっと砕けた所でも構わなかったのに!今度は私が何か奢るね!」
「・・・・・・・・・」

通じていたようで、微妙に通じていなかったらしい。
再び振り出しに戻った気がして、シャカは重い溜息をついた。
これは、『好ましい』の意味を理解させる必要があるだろう。



「いいかね、よく聞きたまえ。」
「はい。」
「理由は概ねさっき言った通りだが、君は二つ大きな勘違いをしている。」
「何?」
「まず一つ。私は何もデスマスクやミロのように、『メシ食いに行こうぜ!』といった能天気な気分で君を誘った訳ではない。」
「?・・・・・はい。」
「そして二つめ。これが最も重要だ。これが理解出来れば、私がどういう意図で君を誘ったのかが自ずと分かる筈だ。『好ましい』という言葉の意味、君はこれを理解していない。物への好みと人への好みの違い、同性に対する感情と異性に対する感情の違い、平たく言えば『like』と『love』だ。ここまでは理解出来たかね?」
「はい。」
「よし。ならば分かるだろう。私が君に抱いている感情は『like』と『love』、どちらに近いと思うかね?」

余りにも事も無げに言ってのけるシャカに、は一瞬瞬きも忘れて呆然とした。

「どうしたさては理解した振りをしていたのかね?
「いや、そうじゃなくて・・・・・・」
「では何かね?」
「いや、まさかね・・・・・。」

いやまさか。
このシャカに限って、『love』などである筈がない。
しかしこの話の流れと今日の行動から言うと、『love』と答えるしかないような気もする。
いやでもまさか。

言葉に出来ない葛藤を心の中で何度も繰り返した後、は恐る恐るシャカを見つめた。


「・・・・・何で急にそんな話をするの?」
「急ではない。先日も君に話しただろう。」
「先日?」
「尤も、君は途中から眠りこけていたようだが。」
「あ・・・・・・」

確かに先日、処女宮の蓮の台座の前に正座をさせられた。
何かの説法にしか聞こえなかった上に、眠気に勝てずついうとうとしてしまったが、あの時の話もこの話だったというのか。
は決まりの悪そうな顔をして、シャカに詫びた。

「ご、ごめんなさい・・・・・・」
「済んだ事はもう良い。それより早く答えたまえ。」
「えっと・・・・・・、ラ・・・・・・イク?」

シャカの片眉がぴくりと吊り上がる。
不機嫌そうなその様子を見て、は慌てて訂正した。

「じゃなくて!・・・・・・まさか、『ブ』?」
「うむ、正解だ。」
嘘ーーー!!??

思わず大声で叫んでしまったは、周囲の視線を一身に浴びてはっと口を噤んだ。


「・・・・・本気?」
「私はこの手の嘘はつかん。」
「・・・・・何で?」
「理由は私も知らん。恥を忍んで一つ訊くが、恋は理由がないとしてはいけないものなのかね?」
「いや、そんな事はないと・・・・思うけど・・・・・」
「ならば理由は不要だろう。ともかく話を纏めると、私は君を好意的に思っている。そしてそのニュアンスは、『like』よりも『love』の方が適切なものだ。それを君に告げておきたかった。以上だ。」

淡々と、実に淡々と、シャカは言った。
愛の告白には違いないのだろうが、あまりそう聞こえないのは気のせいだろうか。
面食らったは、リアクションも忘れてきょとんとシャカを見つめた。


「何を鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしているのかね。」
「ちょっと・・・・、吃驚しすぎて・・・・・・」
「さもあろう。何しろこの私が一番驚いているのだ。君に平気でいられては私の立つ瀬がない。ああそれから、一応尋ねておきたいのだが、君は私がこのような感情を寄せている事を不快に思うかね?」
「い、いいえ・・・・・」
「そうか、それは良かった。では帰るとしよう。」
「はい・・・・・・」

シャカに手を取られて引っ張って行かれながら、は暫く呆然としていたが、やがてクスクスと小さく笑い始めた。


こんな前衛的な告白は初めて聞いた。
やはりシャカは少し、いやかなり変わっている。
だが、嫌な気はしない。
吃驚した、面白い、という感情が、次第に擽ったい嬉しさへと変わっていくのが分かる。


「どうした?」
「ううん、別に何も。さ、早く帰ろう!」
「うむ。」

シャカの手を握り返して歩きながら、はシャカに対して抱いていた気持ちが、そう遠くない内に別のものに変化する予感を感じていた。


つまり、好意(like)から恋(love)へと変化する予感を。




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後書き

『初めての恋に戸惑うシャカが告白してラブラブ』というリクエストを頂いて書きました。
連載ドリーム『お家がない!?』の処女宮編をお気に召して下さっているとの事でしたので、
あの作品を意識して、表編と裏編の境目に当たる、つまり恋人関係になる辺りの話にしてみました。
しかしな、どうでしょうな(笑)。
こう説明しないと分かり難いような話でスミマセン(汗)。
リクエスト下さったアミ様、有難うございました!
粗品で失礼致しました(謝)!