女に生まれたならば、誰もが一度は夢見た事があるだろう。
囚われの自分を救いに来てくれる勇者を。
だが。
「こんな切羽詰った状況じゃないのよーーー!!」
それはつい数時間程前の事。
今日の休みをどう過ごそうかと悩んだ挙句、はここ双児宮を訪れた。
密かな想い人であるカノンに会いたくて。
「確かカノンも今日は休みだったわよね。居るかな・・・・?」
少しの緊張と大きな期待に胸を高鳴らせながら、は双児宮の中を歩いていた。
もう少し行った所に、居住区へと続くドアがある。
それは目立たない場所にあるが、何度も訪れているのでもう迷う事はない、筈だったのだが。
「あれ?確かここだったわよね?何でないの?」
ある筈のものは、そこになかった。
は訝しみながらも、勘違いだったかと近辺を見渡してみた。
けれどもない。
何処にもない。
「変ねぇ、何でドアが消えてるの?」
誰にも内緒で工事でもしたというのだろうか。
そんな事は有り得ないだろう。
けれど、何にしろこのままではどうしようもない。
「仕方ないわ。ちょっと面倒だけど、サガにでも訊いて来よう。」
ひとまず事情でも訊こうかと考えたは、一旦上に上がる事にした。
即ち、獅子宮方面に向かったのだが。
「あれ!?なんで!?」
出口を出てみれば、そこはまた双児宮の前であった。
「何なのよ!?まさかこれって夢!?」
そう思って頬を抓ってみたが、痛いだけであった。
つまり、ちゃんと起きている。
「そんな事有り得ないわ!」
は勇ましく双児宮に駆け込んで行った。
そしてそのまま出口を抜ける。
だが、結果はまた同じ。
ならば金牛宮方面に戻ろうと考え、もう一度入って今度は引き返してみた。
けれど、結果はまたまた同じ。
何度繰り返しても、出口を抜けた先には、双子座のシンボルマークが施されたレリーフが見えるだけ。
「一体・・・・、何なのよーーー!!!」
進む事も戻る事も出来ず、はとうとう疲れ果ててしまった。
「誰かぁ・・・・、助けてよ〜・・・・」
すっかりくたびれ果てたは、仕方なく双児宮の通路で座り込んでいた。
抜ける事を諦めた後も散々走り回って宮内を探索したが、やっぱり何もなかった。
もうこれ以上手の打ちようがない。
残る希望は誰かが助けに来てくれる事だけなのだが、こんな日に限って黄金聖闘士達の数は少ない。
任務やら出稽古やら非番やらで出払っている者が多いのだ。
ふと脳裏に遠い日の記憶が蘇る。
幼い頃に絵本で読んだ、誰も来ない塔に閉じ込められている囚われのお姫様。
茨が十重に二十重に茂ったその中で、姫はいつか助けに来てくれる勇者を待ち侘びている。
子供心にも、そのロマンチックなシチュエーションはときめいたものだった。
そして正に今、自分はその状況に置かれている。
しかし。
「こんな切羽詰った状況じゃないのよーーー!!」
そう。
物語の中の彼女達は眠るなり何なりして待っているのだ。
今の自分のように走り回って汗を掻き、髪を振り乱してはいない。
断じて。
救いを待ってどれ程経っただろうか。
もう他愛ない空想をする余力すら残ってはいない。
「誰かぁ〜〜・・・・、お願いだから来てよ〜〜・・・・」
助けを呼ぶ声も、最早蚊の鳴くような細いものになっている。
こんな独り言のような声量では、きっと誰の耳にも届かないだろう。
「このまま死んじゃったら・・・・、どうしよう・・・・・」
誰にも見つからずに力尽きてしまう自分まで想像してしまう。
疲労と不安が重なるのは、全くもって恐ろしい事だ。
「誰かぁ〜・・・・・、カノン〜・・・・・」
こんな所で死ぬ位なら、昨日にでも気持ちを打ち明ければ良かった。
せめてもう一度だけでいいから、声が聞きたい。顔が見たい。
「こんな事なら・・・・、もっと早く・・・、好きって言えば良かった・・・・」
もうすっかり今際の際モードである。
滲んだ涙が、一つ、また一つと零れ落ちていく。
そんなの後ろから、この状況に相応しくない程愉快そうな笑いを含んだ声が聞こえてきた。
「おいどうした。人の家で何をやっている?」
「!!」
驚いたは、目を丸くして後ろを振り返った。
するとそこには。
「かかかかカノン!!??」
「変な呼び方をするな。俺の名は『カノン』であって、『かかかかカノン』じゃない。」
「っっ・・・・・!」
普段のなら、『そんなつまらない揚げ足を取るな』とでも突っ込んだであろう。
カノンも幾分そのつもりをしていた。
しかし、の精神状態はかなりギリギリだったのだ。
「・・・・カノン〜〜ッ!!!」
「・・・・おい・・・・」
見る見る内に涙を零して抱きついてくるを、カノンは若干呆気に取られながら受け止めた。
様子から見て大方の察しはついていたが、これ程不安がっていたとは思わなかったのだ。
「どうした?何をそんなに号泣して・・・・」
「だって〜〜!!来て、くれ・・・・って、思わなっ・・・・・」
「とにかく落ち着け。」
「あのね!ドアがなくて!それで・・・・、行っても行っても、ここばっかりで・・・・!」
大粒の涙を零しながら、必死で訳の分からない事を訴える。
「良いから落ち着け。」
カノンは皆まで聞かぬまま、その大きな手での涙を拭った。
一緒に通路に座り込みながら、カノンはの気を落ち着かせていた。
カノンの手が、の肩を緩やかに規則正しく叩いている。
「落ち着いたか?」
「うん・・・・、ごめん・・・・」
それによって、も随分落ち着きを取り戻してきていた。
「ねぇ、ここどうなってるの?戻る事も進む事も出来なくて、私ずっと閉じ込められていたのよ。」
「それはそうだろう。今ここは迷宮になっている。」
「迷宮?」
「本来は侵入者を排除する為の技なんだがな。恐らくサガの奴、俺への制裁のつもりで張りやがったのだろう。昨夜は久々に派手な喧嘩をしたからな。」
「サガの仕業なの!?っていうか知ってたの!?」
「ああ。入った時にすぐ気付いた。が俺より先に引っ掛かっていたのには多少驚いたがな。」
「嘘っ!?いつから居たの!?」
「ん?お前が俺の名を呼んでいた辺り、かな。」
口の端を吊り上げるカノンを見て、の顔色が青ざめた。
そこから居たという事は、その直後の独り言も聞かれていたという事だ。
つまり、不本意な形がらも気持ちを打ち明けてしまったと、そういう事になる。
「そ・・・こから・・・、居たの・・・・」
「ああ。本当はすぐ声を掛けようと思ったんだが、お前が俺の名を呼んだのでな。何を言うか少し様子を見ていた。」
「・・・って事は・・・・、もしかしなくても・・・・、聞いてた?」
「何をだ?」
「何をって・・・・、その・・・・・」
青かった顔色が、今度は赤くなる。
カノン一人が、その変化を面白そうに見ていた。
「・・・・感じ悪い。聞いてたくせに・・・・」
「随分だな。好きだと言った直後に悪口か。」
「っ!やっぱり聞いてたんじゃない!!」
恥ずかしさの余り、カノンの投げ出された腿をバンバンと叩く。
カノンは憚る事なく笑いながら、しばらくされるがままになっていたが、不意にその手を掴んで止めた。
「何にしろ災難だったな。巻き込んで悪かった。」
「・・・・良いよ。こうして助けて貰えたから。」
「しかしお前は自分の立場を分かっていない。」
「え?」
「助けられた姫が先に愛を告白してどうする。それは男の専売特許だ。」
「あ・・・・・」
一瞬、カノンが何を言っているのか分からなかった。
そして、その意味が分かりかけた時には、既にカノンの唇が自分の唇に重なっていた。
「・・・・・分かったか?」
「・・・・・分かった・・・・」
唇が離れた直後に聞こえてきたカノンの楽しげな声に、は呆然と頷いたのであった。
「ねぇ、助けに来てくれたんだったら、早くここから出ようよ・・・・」
「出ても良いが、少々きついぞ。今日の迷宮は殊更複雑になっているからな。お前に耐えられるか?」
「う・・・・、自信ない・・・・」
「ならサガが何とかするのを待て。俺だけならまだしも、お前が居なくなってる事に気付けばすぐに解除するだろう。」
「本当なのかな・・・・」
「果報は寝て待て、だ。助けが来るまでの間、この時間を有効に使った方が得策だろう。こういう関係になったからには、互いの事をもっと良く知らなくてはな・・・・・」
「あっ・・・、ちょっと・・・・!」
子供の頃に読んだ絵本とは、途中の筋書きが随分違うけれど。
『勇者に助けられた姫は、彼の愛を受けていつまでも幸せに暮らしました。』
それでも最後は同じ、ハッピーエンド・・・・・