「あれ、どうしたのミロ?」
に声を掛けられて、俺はそれまで口ずさんでいた鼻歌を止めた。
「凄く機嫌良さそうだけど、何か良い事でもあった?」
「フフン、まぁ、ちょっとな。」
「なぁに〜?ニヤニヤしちゃって!気になるじゃない!」
そりゃ、ニヤつきたくもなる。
「なになに、何があったのよ?教えてよ〜!」
「う〜ん・・・・・・、そうだな。ある意味じゃ、のお陰だったしな。」
「え?私のお陰?私、何かしたっけ?」
は、全く心当たりがなさそうに首を傾げている。
その仕草に、俺はふっと口元を緩めながら言った。
「が昨日着ていたスーツだよ。」
「え?あれ?」
「そう。あの黒いスーツ。」
が、『今年も一年頑張った自分へのご褒美』として買ったらしい、黒いスーツ。
既製品だと言っていたが、まるでの為に誂えたかのように良く似合っていた。
「昨夜、カノンに誘われてな。ちょっとカジノへ遊びに行って来たんだが。」
「うん。」
「そこでな。ちょっとルーレットを嗜んでみた訳だが。」
「うんうん。」
「これが何と・・・・・、大勝ちしたんだ!」
「嘘ぉ!?凄ーい!」
「まあ、元手はそう大した額じゃなかったから、大勝ちって言っても巨万の富を掴んだ訳ではないんだがな。」
ああ、今思い出しても胸が騒ぐ。
ボールがホイールの目に入ったあの瞬間。
目の前にどっと押し寄せられたチップの山。
「でも、それと私のおニューのスーツと、何の関係があるの?」
「ノワールの35に1点賭けしたんだ。」
「ノワールの35?」
「そう。の黒いスーツ、350ユーロに。」
良く似合っていると褒めたら、は『350ユーロもしたの、奮発しちゃった』と照れ臭そうに笑いながら教えてくれた。
「その『350』が何故か妙に頭に残っていたんだ。それで、黒(ノワール)の、35(350ユーロ)。」
「・・・・あっ、そういう意味ね!」
「そう。だから、のお陰という訳だ。」
「え〜、そうかなぁ?只の偶然じゃないの〜?」
「ははは、そうかもな。だから『ある意味』だ。」
と一緒に暫し笑った後、俺はふと名案を思いついた。
「そうだ、。今度の休みにでもデートしないか?」
「え?デート?」
「ほんの礼代わりに、何かプレゼントさせてくれ。」
「えぇ!?いいよそんなの!」
「良いから良いから。どうせ楽して手に入れた泡銭なんだ。自分の為より人の為に使った方が、罰が当たり難くなる気がするだろう?」
「えぇ〜・・・・・、でも・・・・・」
実は密かに、昨夜手に入れた金の使い道に悩んでいたところだった。
巨万の富とはいかないが、それでも、ちょっと戸惑ってしまう位の額だったからな。
「その殊勝な考えは結構な事だが、ギャンブルはやめておけ。嵌ると身を持ち崩すぞ。」
執務をしながら俺達の会話を横で聞いていたらしいサガが、手を止めずにチクッと釘を刺してきたが、そんな心配は無用だ。
昨夜は偶々行っただけで、俺はギャンブラーではない。ちゃんと程度を弁えた上で嗜んでいる。
「良いから良いから。よし、決まりだ!」
俺は、サガには返事をせず、に笑いかけた。
こじつけだろうが偶然だろうが、この大きな幸運をもたらしてくれたに何かプレゼントしたい。
ささやかな感謝の気持ちと、純粋な親愛の情を込めて。
後日、俺達は二人で街に繰り出した。
そして、散々遠慮して悩んだ挙句、が選んだのは。
「ど、どうかなぁ?」
「・・・・・ああ。」
鮮やかな赤い色をした、ダッフルコートだった。
その溌剌とした色が、これまたオーダーしたかのようににぴったりだった。
「可愛い。凄く良く似合う。」
「そ、そう?」
は照れ笑いをしながら、『じゃあ、これにする』と言った。
プレゼントなんだから、支払いは勿論俺だ。
「有難うございます、120ユーロです。」
俺としてはもっと高い物でも良かったのだが・・・・・、そうだな。
プレゼントの価値は値段じゃない。贈る者の気持ちだ。
それに、あの赤いコートは、に本当に良く似合っている。
我ながら良い買い物をしたと、俺は満ち足りた気持ちで支払いを済ませた。
が、更にその後日。
「っ、!!」
「ど、どうしたのミロ!?」
驚くべき事が起きた。
それを報告すべく、俺はの肩を掴んでガクガクと揺さぶりながら言った。
「凄いぞ!」
「今度は何よ!?」
「またお前のお陰だ!!」
「またって・・・・、もしかしてまた?」
「そう、その『また』だ!昨夜またカノンに誘われて行ったカジノで大勝ち!!」
「嘘っ、また!?凄ーーい!!で、今度は何に賭けたの?」
「ルージュの12に1点賭けだ!!」
「ルージュの12?」
「この間のコートだよ!赤いダッフル、120ユーロ!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて、ミロ!」
そりゃ、興奮もする。
黒(ノワール)の35(350ユーロ)に、ルージュ(赤)の12(120ユーロ)。
にまつわるものが、偶然2度も来るなんて。
いや、こんな偶然が2度もあるものか。
「今確信した!は俺の幸運の女神だ!!」
「そっ、そんな大袈裟な!」
「いーや、大袈裟なんかじゃない!有難う、!本当にのお陰だ!」
「・・・・あっ!!言っときますけど、もうお礼は要らないんだからね!?」
「何だ、遠慮しなくても良いじゃないか!」
「遠慮するわよ!だって、私別に何もしていないもの!そんなの絶対偶然だって!」
「そうかぁ?」
「そうよ!」
「ふーむ・・・・・」
この間は何とか受け取らせたが、この様子じゃ今回は無理そうだ。
ささやかな感謝の気持ちと、純粋な親愛の情と、そして、3度目の幸運に対する望みを込めて、今回も何かプレゼントしたかったのだが。
「なら、また何か買ったら報告してくれ。絶対だぞ?」
「う、うん。分かった。」
「ミロ。前にも言ったと思うが、ギャンブルはやめておけ。嵌ると身の破滅だぞ。」
またサガが、書類にペンを走らせながらチクッと釘を刺してきたが、俺は聞かなかった振りをした。
何故なら、俺は別にギャンブルにハマってなどいないからだ。
あくまでも嗜み程度に遊ぶだけ、ちゃんと程度は弁えている。
ただ、立て続けに2度も面白いように勝つと、3度目にも期待してしまうのは、人として無理からぬ事だろう?それだけの話だ。
実際、俺はそれ以来、カジノへ行っていない。
がまた何か新しい物を身に着けて来るのを密かに待ってはいるが、あくまでも待っているだけだ。
無理矢理何かプレゼントしたり、何か新調してくれなどと頼み込んだりはしていない。
そうして2週間程過ぎたある日。
遂に待ち望んだ日は来た。
「おはよ〜!」
朝、元気良く出勤して来たを見て、それまで半分寝ぼけていた俺の目は完全に覚めた。
「・・・・ちょっと良いか?。」
「なぁに、ミロ?」
俺は、きょとんとしているの顎を、ついと軽く持ち上げた。
「なっ、何よ!?何する気!?」
「良いから、じっとしていろ。」
確かに、キスでも迫っているような仕草だが、そんなつもりでやったのではない。
いや、しても良いのなら是非ともさせて頂きたいところなのだが、それはまた今度、もっと良い雰囲気の時に。
ほんのりと朱に染まったの顔を穴が開く程見つめてから、俺はを解放した。
「・・・・・口紅変えたか?」
「え・・・・、何で分かったの?」
「そりゃ、俺はいつもを見ているからな。」
「な、何言ってんのよもう、朝っぱらから・・・・・」
冗談交じりに軽くウインクしてみせると、は恥ずかし紛れに膨れ面を浮かべた。
その少し尖らせた唇には、朝露に濡れた紅薔薇のような綺麗な色のルージュが引かれている。
普段、落ち着いた色を好んでつけているにしては珍しい華やかな色だったが、似合わないという事はなく、むしろぐっと女っぽさが増しているように見えた。
と、こんな些細な変化が分かるようになったのも、このところ、毎日密かにの全身をチェックしていたりするからなのだが。
「良く似合ってるじゃないか。偶にはそんな色も良いな。」
「そう?有難う〜。」
「で?」
「へ?」
「『へ?』じゃなくて。」
どうやらは、もう完全にあの約束を忘れていたらしい。
俺は苦笑しながら、『報告してくれって頼んだだろう?』と言った。
「・・・・・あ!ああ!そうだったわね!ごめん、すっかり忘れてた!」
「いやいや、良いんだ。不躾な事を聞いて悪いな。」
「ううん、全然。」
にこやかに首を振ったは、嬉しそうに報告してくれた。
「あのね、これはこの間、沙織ちゃんに貰ったの。」
「そうなのか?」
「うん。沙織ちゃんがいつも贔屓にしているブランドから、新色のルージュを何本か貰ったんだって。お得意様へのサービスみたいね。それで、1本お裾分けして貰ったの。だからタダ。ふふっ、ラッキーでしょ?」
なるほど、貰い物か。
とすると、次はつまり・・・・・
俺はその日の夜、早速カジノへ足を運んだ。
「あれ、どうしたのミロ?」
に声を掛けられて、俺は顔を上げた。
「ああ、・・・・・」
どうもこうもない。
「・・・・・・・来なかったんだ・・・・・・」
「え、何が?」
「0も、ルージュの1も・・・・・」
最初は0(タダ)に賭けた。いつもの如く、1点賭けで。
それが外れた。
次は、ルージュ(口紅)の1(1本)に1点賭けした。
が、それも外れた。
「ルージュの12も、ノワールの35も、全部外れたんだ・・・・・!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて、ミロ!」
「これが平静でいられるかーーーッ!絶対に、絶対に、来ると信じて疑っていなかったのにーっ!」
「ちょっと待って、どれ位負けたの!?」
「・・・・・前回、前々回の勝ち分をそっくりそのまま・・・・・」
「そうなの!?」
「・・・・・・に加えて、少し足も出た。つまり、トータルするとマイナスだ・・・・・」
「うわ、最悪・・・・・・」
いや本当に、こんな悪夢があって良いのか。
俺には幸運の女神がついていた筈なのに。
ああ、ショックの余り、気が遠くなりそうだ。
「気の毒だが、ヤクザな遊びに興じた罰だな。女神の罰が当たったのだ。私の忠告に耳を貸さぬから、そういう事になったんだ。」
またまたサガが、資料から目を離さずに呟いている。
その聞こえよがしな嫌味に、俺の心は張り裂ける寸前。
「ああ、主よ、人の望みの喜びよ。時に喜びはかくも儚く泡と消える。」
「・・・・・・何が言いたい、サガ?」
「これに懲りたら真面目に仕事しろ。」
「・・・・・・・・・」
気力が湧かなくてとても声にはならないが、聞け、俺の魂の叫びを。
・・・・・・・・・・こんなオチがあるかぁぁぁ!!!!