この殺伐とした聖域に、紅一点の一般人・がやって来て暫く経った。
きっかけはほんの些細なものであっても、環境というのは変われば変わるものである。
かつては血に濡れた戦場であったこの12宮が、今ではもはや只の12階建てアパートの如く、ほのぼのとした空気を醸し出しているのだから。
そして、そこに生きる者達の心も。
「はぁ・・・・・・・・」
書き終えた書類に判をついて、サガは曇った表情で重々しい溜息をついた。
退屈なデスクワークにほとほと嫌気がさした、という訳ではない。
地味な作業でも大事な仕事なのだ。
女神や世界各地に居る聖闘士達とのやりとりや任務の指示、一般社会の目を欺く為の架空宗教法人及びグラード財団架空支部の運営、それからその他諸々、どれ一つ欠けてもこの聖域はやっていけない。
そしてサガは、何もかもを赦してその責任者という重役を任せてくれた女神に、心から感謝していた。
つまり、とにかく執務が嫌な訳ではない。
浮かない顔の原因は、もっと個人的な理由だったのである。
「はい、サガ。コーヒーどうぞ。」
「!」
サガは、突如目の前に置かれたコーヒーカップに酷く驚いた。
どれだけ驚いたかというと、咄嗟に折角書き上げた書類を、握って丸めてグシャグシャにした程である。
「やだ、何?どうしたの?」
「い、いや、何でもないんだ!」
「でも・・・・・・、それ大事な書類じゃないの?」
「あ、ああ、良いのだ。書き損じてしまってな。」
「そう?なら良いけど・・・・・・」
「ああ。コーヒーを有難う。」
訝しそうに去っていくを愛想笑いで見送ると、サガはまた一段と深い溜息をついた。
別にこれは見られても差し支えのあるものではないのに、つい咄嗟に握り潰してしまった。
見られると困るものを書こうかと考えていたせいだろうか。
― とにかく、書類の作り直しをせねば・・・・・。
内容・サイン・判の具合まで完璧に仕上がっていた書類を泣く泣く屑篭に捨てて、サガはまた新しい紙を手に取った。
一体いつからこのような気持ちになったのだろう。
以前は何とか日本へ帰そうと、ただそればかりを考えていたのに。
ゆっくりと、だが確実に、気持ちは変わっていった。
今では、ずっとずっとここに居て欲しいと願っている。
そして、願わくばこの腕の中に。
― だが、どうしたものか・・・・・・
詰まるところ、それが一番の問題だった。
何しろこの聖域は狭すぎて、何処にでも誰かの目がある。
そんな所でうかうかとこの恋心を露にしようものなら、皆から一体何と言われる事やら。
「『手近な女に手っ取り早く惚れたか。案外お手軽な奴だな。』なんて言われてみろ。心外にも程があるというものだ。断じてそんなものではないのだぞ!」
ランチタイムで皆が出払った執務室で、サガは一人ブツブツと呟いていた。
こんな時ぐらいしか堂々と悩む暇がないのが、我ながら悲しい。
「今日こそ、今日こそと思い続けてもう何日目だ・・・・・。いい加減本当に今日こそは・・・・・」
サガとてそれなりに良い年頃の男である。
少年の恋のように淡い幻想だけでは、とてもじゃないが満足出来ない。
皆の目が気になるのは本当だが、だからといってを諦めるつもりもなかった。
「・・・・・・仕方ない。多少古典的ではあるが・・・・・・」
ぼやぼやしていると、皆が昼食を終えて戻ってきてしまう。
サガは追い立てられるようにメモ用紙を一枚千切ると、そこにペンを走らせた。
その数分後。
「は〜、お腹一杯!」
「俺もだ。帰って昼寝でもしたいぜ。おうサガ。まだ居たのかよ?」
「お昼食べないの?」
戻ってきたデスマスクとに声を掛けられて、サガは慌てて手にしていた紙切れをデスクに置いた。
「あ、ああ。今、今からそろそろ・・・・・、行こうと思っていたところだ。」
「大丈夫?何か顔赤いよ?熱でもあるんじゃない?」
「ま、まさか。私なら全くの健康体だ。心配は要らん。さてと、では私もそろそろ・・・・。後は頼んだぞ。」
「は〜い、行ってらっしゃい。」
そそくさと出ていくサガを見送って、は自分の席に着き・・・・・・、ふとあるものに目を留めた。
「あれ?これ何だろう?」
「あん?どれだ?」
「これ。」
が指さしたのは、隣のデスクの上にある一枚のメモであった。
「これサガの字じゃねえか。なになに・・・・・『執務が終わったら、休憩室に来て欲しい。話したい事がある。』・・・・・・・・」
デスマスクとは、不審そうな顔を見合わせた。
「・・・・・・・・・・・シャカに?」
「シャカに・・・・・・・、だろうな。」
そう、そのデスクは、今は自宮に昼食を摂りに戻っているシャカのデスクだったのだ。
「どうせすぐ戻って来るんだから、後で直接言えば良いのにね。わざわざメモにするなんて。ふふっ。」
「笑ってる場合じゃねえよお前。こりゃ本格的にヤベェぜ・・・・・・」
「え?」
「前々からどうも臭ぇと思ってたんだが、いよいよマジっぽいなこりゃ。」
「どういう事よ?」
「いやな、大きな声じゃ言えねぇんだが・・・・・」
デスマスクはに手招きすると、その耳元に何事かを囁いた。
「えーーッ!?サガがシャカを好き!?」
「バカッ、声がでけぇ!!」
「あ、ご、ごめん・・・・!」
は口元を手で押さえると、デスマスクに改めて問いかけた。
「どういう意味よ、それ?」
「だから、危ねぇ意味でだよ。実は俺よ、前々から気付いてたんだ。サガが時々じっとこっちの方を見てるのをな。」
「嘘・・・・・・・」
「最初はお前を見てるんだと思ってた。けど、よくよく視線を辿ったらな、微妙にお前から逸れてんだよこれが。」
「・・・・・・・シャカを見てた、って事・・・・・?」
「ああ。奴の視線は、お前の隣に居るシャカに釘付けだった。まさかまさかと思ってはいたが・・・・・・」
「そんな・・・・・・・・」
「分かるぜ、俺もショックだよ。こんな狭い所でホモが一匹でも存在してみろよ。危険極まりねぇぜ。万が一迫られたりしたら、俺どうすりゃ良いんだよ。」
デスマスクの素っ頓狂な苦悩の声は、には届かなかった。
彼から聞かされた事は、それ程に強いショックを与えていたのである。
その日の夜。
「そろそろ来る頃だな・・・・・・・」
静まり返った休憩室で、サガは一人、時計を睨みつけていた。
執務室を出た時には、はまだ仕事中だったが、もうそろそろ目処がつく頃だろう。
そう思っていると、不意に休憩室の扉がノックされた。
「・・・・・・入ってくれ。」
緊張と期待で、胸が熱く激しく高鳴る。
何から伝えようか。
何と言おうか。
取り止めもなく考えながらも、サガの視線はドアに釘付けになる。
やがてゆっくりと開いたドアから顔を出したのは・・・・・
「シ、シャカ!?」
想像もしていなかった顔が室内に入って来たのを見て、サガは多いに驚いた。
「な、何故貴様がここに来た!?こんな時に一体何の用だ!!」
「何用とは心外な。私を呼び出したのは君ではないのかね。」
「何ッ!?私は知らんぞ、お前など呼んだ覚えは・・・・・」
「はて、ではこの伝言は誰からのものだ?私はてっきり君の字だと思っていたのだが。」
シャカが差し出したメモは、確かに己が書いたものだった。
己が書いて、の机に置いた筈のものだったのだ。
「・・・・・・・た、確かに私が書いた・・・・・が・・・・・・」
「が?」
「つかぬ事を訊くが、これはお前の机にあった・・・・・のか?」
「うむ。」
何の躊躇いもなく即座に頷いたシャカに、サガは再起不能なまでに打ちのめされた。
「しまった・・・・・・、私とした事が、間違えてコイツの机に置いてしまった・・・!」
「ところで、話したい事とは何かね?」
「・・・・・ああ、神よ、そんなに私が憎いか・・・・・・」
「サガよ。私もこう見えて忙しいのだ。怪しげな独り言を言う前に、とっとと用件を言いたまえ。」
「用などないわ、良いからお前はもう帰れ・・・・・・」
「ならば何故このような伝言を残した?私は道理の通らん事は好かぬ。用がないならないで、せめて理由ぐらい説明したまえ。」
「・・・・・・・チッ・・・・・・」
面倒臭い事になってきた。
理由など、説明したくはない。
それ即ち、への気持ちを暴露する事になるのだから。
― ああもう、仕方がない・・・・・!
「・・・・・分かった分かった。用ならある。」
「何かね?」
「その、何だ・・・・、アレだ、その・・・・・・」
「何かね?さっぱり分からんではないか。」
「アレだアレ、執務室のセロテープが切れたのだ。ひとっ走り行って買って来い。」
「・・・・・つまり何かね、用とは要するにパシリかね。」
「そうだ。それ位しか思いつかん。」
「何?」
「いや、何でもない。とにかく行け。」
「断る。使い走りなど、雑兵にでもやらせるが良かろう。」
みるみるうちに、シャカの顔が不機嫌そうに顰められていく。
ここで変な風にヘソを曲げられては、ますます事態がややこしくなるというもの。
普段なら放っておくが、今のサガにそれを収める気力は残っていなかった。
「いや、お前でないといかんのだ。インドは確かお前の故郷だっただろう。」
「それが何かね?」
「セロテープはインド産のものが良質だと聞いた。是非ともそれが欲しい。お前にしか頼めんのだ。行ってきてくれ。ついでに二・三日骨休めしてきても構わんぞ。」
「・・・まあ良かろう。そういう事なら引き受けてやらん事もない。一週間休暇をくれるなら。」
「分かった分かった、一週間やる。やるからとっとと消えてくれ、いや、行ってくれ。」
ぞんざいにシャカを追い払って、サガは最大級の溜息をついた。
「インド産のセロテープとは何だ・・・・・。紅茶やスパイスならともかく、セロテープなぞ聞いた事もないわ。言ってて自分でも分からん・・・・。よくあれで納得したな、奴も。はぁ・・・・・・・・」
完敗だ。勝負にすらならなかった。
リレーで言えば、スタート前にフライングで失格を喰らったような気分だ。
溜息だけは、尽きる事なく溢れてくる。
今更執務室に戻る気にもなれず、サガは砕け散った心を抱えて自宮へと戻って行った。
「なんで・・・・・・・・」
デスマスクに衝撃的な話を聞かされた日から、は言い知れぬ悲しみに暮れていた。
真っ向からぶつかって砕けるのなら、まだ本望だ。
だが、それすら出来ないというのか。
正に不戦敗、ボクシングで言えば、試合前に重量オーバーで失格になった気分だ。
最初はサガにわだかまりを感じた事もあった。
だが、彼の心を知り、人柄を知り、次第に親しくなるにつれて、いつの間にか密かに彼を慕うようになっていたのに。
「サガが・・・・・・、そんな趣味だったなんて・・・・・・・」
恋敵が同じ女なら、どれ程救われるか。
だが男となれば、もうどうにもならない。
恋愛対象に属する人間として見て貰えないのでは、勝負にすらならないではないか。
「私じゃ・・・・・・、駄目なんだよね・・・・・・」
そうと分かっているのに。
それでもまだ、サガが好きだ。
たとえ彼が自分を見てくれないと知っていても。
そんなある日の事。
「。」
いつもの如くとぼとぼと階段を下りていたに、後ろから誰かが声をかけてきた。
「サガ・・・・・・・」
「私も帰るところだ。途中まで一緒に行かないか。」
「・・・・・・・うん。」
気持ちは変わらなくても、いや、変わらないからこそ、以前のようには振舞えない。
どこかぎこちない笑顔で頷いたは、そのまま無言でサガの隣を歩いた。
「・・・・・最近、様子が変だな。何かあったか?」
「別に何も・・・・・」
「ならば、何故私を避ける?」
サガの真剣な眼差しを、どうして直視する事が出来ようか。
今まっすぐに彼の顔を見たら、その場で泣き出してしまいそうだというのに。
「・・・・・・避けてなんかないよ。」
「嘘だ。今だって私を見ようとしないではないか。私は何か君に悪い事をしたか?」
「だから別に何も・・・・・。変に勘繰らないでよ。何でもないってば。」
「待ってくれ!」
曖昧に笑って先を行こうとしたの肩を、サガは咄嗟に掴んで止めた。
「・・・・・・やめて」
「何故だ?私達は良い関係だった筈だ。それがこの数日・・・・・。ずっと気になっていたのだ。」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・丁度良い機会だ。、君に話がある。」
の態度が何処かよそよそしくなりだした事を、サガは気に病んでいた。
想う相手に避けられるようになったのだ。当然だと言えよう。
だからこそ、いい加減いてもたってもいられず、こうして追いかけて来たのである。
あまり歓迎出来ない状況ではあるが、これも一つのきっかけには違いない。
サガは黙したままのを連れて、宮の裏手に回った。
人気のない静かな場所で、落ち着いて話す為に。
宮の裏手に回り、辺りに誰も居ない事を確認すると、サガは静かに口を開いた。
「以前から君に言おうと思っていた。私は・・・・・」
「私ね。」
正に今打ち明けようというところで、不意にが口を挟んだ。
まるで、その先は聞きたくないと言わんばかりに。
「・・・・・・・何だ?」
「私、サガが誰を好きになっても、サガが好きよ。」
「な・・・・・・・・」
「サガは良い人だもの。誰を好きになっても、それは変わらないものね。分かってるの。だから私は・・・・・・・・」
「・・・・・・」
「そのうち元に戻るから、気にしないで。何も変わらないわ。今までもこれからも・・・・・・・」
好きと言われた事に胸が高鳴ったのも束の間、よくよく聞けば何かが微妙にズレている。
の言わんとするところがよく理解出来ず、サガは訝しそうな顔をした。
「済まん・・・・・・、その・・・・・、話がよく読めんのだが。私が誰を好きになってもとは、一体どういう・・・・・・」
「・・・・・・・隠さなくても良いのよ。ごめんね、見ちゃったの。」
「何を?」
「シャカの机の上に、メモ・・・・、置いたでしょ。」
「あ・・・・・・・・」
「サガ、ずっとシャカの事見てたんでしょ。私、隣に居たのに全然気付かなかったよ。あのメモが無かったら、きっと今でも分かんなかった。」
「・・・・・・・何?」
「だから・・・・・・・、シャカの事好き・・・・・、なんでしょ?」
なるほど、今ようやく理解した。
冷静にそう思った次の瞬間、サガは激しく狼狽した。
「そういう事か!!ちっ、違うぞ!!!それは誤解だ、全くの誤解だ!!!」
「えっ!?でも・・・・・」
「何を言い出すかと思えば馬鹿な事を!そんな筈ないだろう!?あのメモは・・・・」
「君達、こんな所で何を騒いでいるのかね。」
「「シャカ!!」」
このややこしい時に、またややこしい奴が戻ってきた。
サガはそう表情に出して、不機嫌丸出しの声をシャカに投げつけた。
「何の用だ、シャカ!」
「それは私の台詞だ。帰って来た早々宮の周りが騒々しいから何事かと思えば・・・・。近所迷惑も甚だしいぞ、君達。」
「あ、ご、ごめんねシャカ!・・・・・・それより、暫く見なかったけど、今まで何処に行ってたの?」
の質問に、シャカはよくぞ訊いてくれたと言わんばかりの顔で頷いてみせた。
そして、手に提げていたビニール袋をサガに差し出した。
「・・・・・何だこれは?」
「セロテープに決まっているだろう。君の所望の品だ。これが意外と無いものでな、インド産のものを探し出すのには苦労した。」
「・・・・・・・・そうか。」
「この私がわざわざ骨を折ってやったのだ。大事に使うが良い。」
「・・・・・・・・そうか。」
「ああそれから、領収書はその袋の中に入っている。速やかに精算してくれたまえ。さて、私はこれから一眠りする。騒ぐなら他所でやりたまえ。」
シャカに追い払われるようにして、サガとはまた12宮の階段を下り始めた。
少し肌寒い夜風が、二人の間をすり抜けていく。
それがきっかけだったかのように、それまで無言だったがようやく口を開いた。
「・・・・・・一つ訊いても良い?」
「・・・・・・ああ。何だ?」
は一瞬沈黙した後、サガの顔を見上げて言った。
「・・・・・・インド産のセロテープって何?」
「・・・・・・・さあ。」
「え、でもそれ・・・・・・」
「口から出任せだったつもりだが、あるものだな。吃驚するのを通り越して呆れるわ。律儀に探してきたシャカにも呆れるが。」
サガは一瞬遠い目をすると、咳払いを一つした。
「とにかく、セロテープなぞどうでも良い。あれは私の咄嗟の嘘だ。」
「嘘?」
「あのメモは、本当なら君の机に置く筈だった。私とした事が、うっかり間違えて奴のデスクに置いてしまったのだ。だから、体よく奴を誤魔化す為についた嘘が・・・・」
「セロテープを・・・・・・買って来い?」
「その通り。ご明察だ。」
サガは小さく笑うと、穏やかな声で諭すように言った。
「だから誤解なのだ。私は・・・・・」
「でも!でも・・・・、じゃあ・・・・、いつもシャカの事見つめてたっていうのは・・・・・・」
「論外だ。アホらしすぎてまともに弁解する気も起きん。誰だ、君にそんな戯けた事を吹き込んだ大馬鹿は?」
「・・・・・・それは・・・・・、その・・・・・」
口を滑らせれば、デスマスクは間違いなく八つ裂きにされるだろう。
いくら何でもそれは余りに気の毒だし、大体自分も容易く信じ込んでしまったのだから、デスマスク一人のせいには出来ない。
言い難そうに口籠るを見て、サガはふっと表情を緩めた。
「・・・まあ良い。どこでどうなってそんな誤解を生んだのかは謎だが、とにかく、私がいつも見ていたのは・・・・・・・、、君の事だ。」
「え・・・・・・・?」
「確かに、つい色々考え込んでしまう余り、時々焦点が合っていなかったかもしれん。そのせいで、シャカを見ていたように思われたのかもしれんが、それは断じて誤解だ。私はいつも、君の姿を目で追っていた。」
「嘘・・・・・・・」
余りに驚きが大きいと、人は時として頭と身体が別行動を起こす事がある。
この時のも正にそうだった。
頭の中はサガの言葉で一杯になり、思考回路が完全にストップしている状態にも関わらず、身体は機械的に動いて、階段を下りようと一歩を踏み出したのだ。
従って。
「・・・・・・あっ、きゃあっ!!」
「危ないっ!」
は突然身体が動いた事に自分で驚き、バランスを崩して階段を転げ落ちた。
「いたぁ・・・・・・、あれ?」
下の踊り場まで転げ落ちてようやく止まり、ふと己の身体に神経を集中させてみると、不思議な事に大して何処も痛くない。
相当な痛みが襲って来る筈なのに、どうした事だろうか。
不思議に思ったが、ふと身体をずらして目線を下に向けると、そこには自分の下敷きになったサガが居た。
「サガ!?ちょっと大丈夫!?しっかりして!!」
「・・・・・・グフッ・・・・・、わ、私は大丈夫だ・・・・・。それよりは?大丈夫か?」
「う、うん、平気だけど・・・・・・。ごめんね、ごめんね!」
は泣きそうな顔になりながら、サガの手の上から鳩尾をゴシゴシと擦った。
大事ないとはいえ、無防備な状態で階段を転がり落ちてはそれなりに痛い。
ましてや、鳩尾に鮮やかなニードロップをキメられては尚更。
だが、それが一体何だというのだ。
肉体の痛みなど、心の昂りの前では無に等しいというのに。
「っ・・・・・、・・・・・・・・」
サガはゆっくりと上体を起こすと、両腕でを抱きすくめた。
その刹那、の身体が驚いたように小さく跳ねる。
「・・・・・・」
「サガ・・・・・・・」
「私が愛しているのは・・・・・・、君だ。この想いを、ずっと君に伝えたかった。」
「・・・・・っ・・・・、ズルいよ、今言うなんて・・・・・」
「何故?」
「だって・・・・・、今私混乱してるから・・・・・・、駄目だってば・・・・・・」
暗がりの中で、の瞳だけが次第に透明な光を帯びてくる。
その丸い光が今にも溢れて零れ落ちそうになった時、サガはそっとの頬に唇を寄せた。
「これは嬉し涙だと思っても・・・・、良いか?」
「・・・・・・・・・」
黙ったまま小さく頷いたが、その拍子に光の粒を零す。
その透明な雫はサガの唇を伝い、の唇へと運ばれて。
やがて二人の間で、淡く消えていった。