聖域は何せあの通りの僻地だ。
まともな人里に行こうと思ったら、アテネなり何処へなりの市街に出向かねばならない。
それは大変に面倒な事なのだが、必要であったり、面倒なりに楽しみもある訳で。
そんな訳で、時折街へ出る事は、俺達黄金聖闘士達にとっても決して嫌いな事ではない。
だが俺は今、そうして街に出てきた事を激しく後悔していた。
「苦しーーーっ!!もうお腹一杯!」
「全く、己の担当分ぐらい、己で完食したまえ。」
「だってあのパフェ、あんなに大きいと思わなかったんだもの。半分こでも多くて・・・・。」
「しかし、所詮はアイスクリームと果物。成分の殆どは水分だ。腹の足しにはなるまいて。」
「えっ!?あれの半分以上食べてもまだ平気なの!?」
「流石にチョコレート味は飽きてしまったがな。」
シャカと二人の会話、この輪の中に俺は居ない。
では何処にいるのかというと、フルーツパーラーの角を曲がった所、二人の死角になる場所である。
店の軒先で腹を擦っているとそれを見守っているシャカを、俺は少し離れたこの場所から驚愕の目で見守っていた。
ショックだ。激しくショックだ。
こんな事なら鬱陶しがらずに、大通りを歩けば良かった。
なまじっか人込みを避けようなどと考えて、抜け道を歩いた自分が恨めしい。
というかそれ以前に、アテネ市街になど出て来なければ良かった。
『やったー♪有難うシュラ!ね、一緒に食べようよ!』
時折買出しのついでに甘いものを買って帰ってやれば、いつもは喜んでくれた。
俺自身は甘いものなどさほど欲しいと思わないのだが、はいつも一緒に食えと誘ってくる。
そんな時、俺は迷惑そうな顔をしながら、苦いブラックコーヒーでそいつを喉に流し込むのだ。
上機嫌なの笑顔が見られた事を喜びながらな。
今日もあの笑顔を望んで、の好きそうなシュークリームを山のように買ってしまったというのに。
はもう既に、パフェで腹を満たしているではないか。
いやいや、腹の中身が問題なんじゃない。
問題は、一緒に食った奴の事だ。
何故わざわざシャカとアテネくんだりまで出てきて、パフェなど突付いていたのだ!?
「ときに、私の買い物はどうなるのだ?服を見立ててくれると言っただろう。」
「あっ、分かってる分かってる!行こう!・・・・・あっつ・・・・!」
張り切って歩き出したは、二・三歩歩いて横っ腹を押さえた。
たらふく食べた直後でせかせかと歩き出したら、誰でもそうなる。
「全く・・・・・、仕方がない。少し消化するまで休憩するとしよう。」
「え?でもお洋服・・・・」
「店は逃げん。少し位時間を取ったところで問題はなかろう。」
「じゃあ・・・・・、そうしよっかな。」
「では、私が良い所へ案内してやろう。」
「うん。」
俺に気付く事もなく、二人は歩き出して行ってしまった。
おまけにシャカは、さり気なくの手などを取って歩幅を合わせてやっているではないか。
そんな気の利いた真似の出来る男だと思っていなかったが故に、ショックも殊更大きい。
おのれ、日頃は悟りの境地に達したようなすまし顔をしている癖に。
さて、ここで一つめの分岐点だ。
二人に声を掛けるか?
否か?
・・・・・・・・それはどうにもその・・・・、やりにくい。
まさか、まさかとは思うが、もし二人がその・・・・、そういう関係だったとしてみろ。
俺はまるでピエロじゃないか。
俺にだってプライドはある、どの面を下げてノコノコ声を掛けに行けというのだ。
とすると、次は二つ目の分岐点。
二人の事が気になるか?
否か?
・・・・・・なるに決まってる。笑うなら笑え。
ならば三つ目。
追うか?
否か?
・・・・・・・・追うに決まってる!
迷う事なく尾行を決めた俺は、小宇宙と気配を消して二人の後を付かず離れず追い始めた。
ああ、本気だとも。本気で悪いか。
に気取らせないのは簡単だが、シャカに気付かれずに追うには本気を出さねばならんのだ。
店が立ち並ぶ街を、シャカとは談笑しながらゆっくりと歩いていく。
そんな二人を真っ昼間から血眼になって追う俺。
一体俺は何をしてるんだ。
何なんだ、この無かった方がマシな休日は。
駄目だ。後ろ向きになるな。重要な事を確認する為だ。
二人の仲がそういう関係かどうか、それは俺にとってある意味何よりも何よりも気になる事じゃないか。
俺はの笑顔を、出来れば独り占めしたいと、そう思っているのだから。
だが、こいつらはそんな俺を奈落の底に叩き落してくれた。
神罰・仏罰など信じはしないが、やはりアレか?
冥界でパンドラの命を盾に取ったのがまずかったのだろうか。
それとも、過去の闘いで我らが女神の飼い犬青銅聖闘士を、ボロ雑巾のようにしてしまったのが悪かったのだろうか。
こんな風に何か違う原因のせいにしたくなる程、俺の見た光景は衝撃的だった。
「ここ?」
「うむ、そうだ。ここをもう少し行った所に良い場所がある。そこに行こう。」
「へ〜、シャカがそう言うんだから、すっごく良い所なんだね!」
のどかな会話をしていやがるが、こいつらが今入っていった細道は危険地帯だ。
道の両サイドに、ホテルが競うように建ち並んでいるのが目立つ。
といっても、大手のシティーホテルなどではないぞ。もっとこう、こじんまりとしたものだ。
ビジネスホテルやカプセルホテル、などとも少し違う。
むしろ宿泊が一番の目的でない・・・・・、ほんの数時間過ごして出て行くような・・・・
誰だ、今『ぶっちゃけラブホでしょ』と言った奴は!!
その単語を言いたくなかったから、敢えて遠回りな言い方をしたんだ俺は!!
「どんな所か楽しみ〜♪」
「広くてなかなか美しい所だ。このような場所にあるにしてはな。」
「へ〜!」
「それに、寝心地も良い。何なら少し眠っても構わんぞ。」
「あははは!それはどうだろ〜!?」
楽しそうに笑うの声が、心なしか期待に弾んでいるような気がする。
もうこれで確実だ。
広くて美しい、それはともかくとして。
寝心地が良い。
もう間違いないだろう。
安ホテルにしては割と良いベッドを置いている部屋、という事だ。
四つ目の分岐点、尚も追うか否か?
これもまた、選ぶ余地はない。
こんな場所で男が一人、コソコソとカップルの後をつけ回せるか?怪しすぎるだろう。
俺にはそこまで自分の尊厳を木っ端微塵に叩き割るような真似は出来ん。
人の目だって気になる。
それに何より、ホテルに入っていく二人を見送って平静でいられる訳がない。
帰ろう。
俺は、もと来た道をそのまま引き返した。
ふと気付けば、周りの客がもう帰らねばと騒いでいる。
そうか、電車の時間か。
もうそんな時間になったのかと、俺は時計の針を見ながら溜息をついた。
いくら飲んでも酔えない。
悲しい程に、頭の中は素面そのものだ。
冷房のブーンという音が静かに鳴り響く部屋で、シャカがそっとに口付ける。
うっとりと瞼を閉じたは、それを受け入れてシャカの背に腕を回す。
それが合図であったかのように、シャカはゆっくりとの身体をベッドに横たえて・・・・
だーーッ、止めだ止めだ!!!
そんな想像をするな!
あらぬ妄想をしては力一杯否定する、そんな虚しい事を真っ昼間の街中で何度繰り返しただろうか。
まっすぐ聖域に帰る気も起こらず、かと言ってそこらを歩いてみても一向に気は晴れない。
だから、珍しく早い時間から入ったバーで長居していたのだが、いくら飲んでも酔えない。
いくら飲んでも、今頃二人が何をしているのか、そればかりを考えてしまう。
夕焼けが染める床に、がバスタオルを巻いた格好で立っている。
入れ替わりに風呂を使っているのはシャカだ。
ドアの開く音に気付いては振り返り、にっこりと微笑む。
シャカに窓を閉めろと言われて閉め、はまたシャカの腕に抱かれる。
夕方が過ぎても、夜が来ても、二人は離れない。
『今日・・・・、帰りたくないね。』
『ならば帰らなければ良い。今宵はここで眠るとしよう。』
そして二人はまた、醒めぬ夢の中に戻っていく・・・・・・
「・・・・ん、お客さん・・・・!」
「だーーっ!!だからそれは止めろと言ってるだろうが!!」
大声で怒鳴ってから、俺ははっと気付いて顔を上げた。
ふと横をみれば、店のバーテンダーが竦み上がっている。
「あ・・・・!いや、済まん・・・!」
「い、いいえぇ・・・、あの、そろそろ閉店ですので・・・・」
「そ、そうか。分かった。済まん、つい考え事をしていて。」
「あの・・・・・、よく寝てらしたようですけど・・・・・?」
「え?あ・・・・・・・・・、そうか;」
ついつい考え事に耽ってしまっただけかと思っていたが、いつの間にかうとうとしていたようだ。
とすると、多少は酔っているのだろうか。どうでも良い事だが。
恐る恐る俺の顔色を伺っているバーテンダーに金を払って、俺はフラフラと店の外に出た。
帰りたくはないが、俺の帰る場所はここだけなのだ。
向こうに見える十二宮が月明かりに浮かび上がっているのを見て、俺は重い溜息をついた。
十二宮の麓にあるの家。
そこに灯りがついていないとしたら。
ついていても、そこからシャカの声が聞こえてきたら。
そう思うと、嫌な緊張感がやたらと胸につかえる。
それでも帰らない訳にはいかない。
こんな事で自分の守護宮を、自分の家を放り出してどうするのだ。
自分を叱責しながら、さっさと磨羯宮に戻ってしまおうと歩き始めた時だった。
「シュラ・・・・・?」
「・・・・・・・!?」
「やっぱりシュラだーー!!もう、こんな時間までどこに行ってたのよ!?」
茂みの中から何かが飛び出して来た、と思ったら、俺はに胸倉を掴まれていた。
人の顔を見るなり文句轟轟のに謝り続けて歩いていたら、いつの間にかもう十二宮に続く階段の前に来ていた。
「本当に済まなかった、というか・・・・・・、一つ訊かせてくれ。何故あんな所に居た?」
「心配だったからに決まってるじゃない!」
「心配?俺を?」
「だってシュラ、ちょっと買出しに行くって言って出たんでしょ?」
「あ、ああ。」
そうだった。出掛ける途中に出くわしたデスマスクに、何処に行くのか訊かれてそう答えたんだ。
「だったら、こんな時間まで戻って来ないのって有り得ないもの!シュラ、いつも用だけ済ませたらさっさと帰って来るし・・・・・。だから心配したのよ!」
「す、済まん・・・・・」
「よっぽどその辺りを捜しに行こうかと思ったけど、皆に危ないから止めろって言われて・・・・・、だから仕方なくあそこで待ってたの・・・・・」
しょぼくれたように俯くを見ていると、何故だか妙に申し訳なくて心苦しかった。
「・・・・・悪かった、心配をかけて。だが・・・・」
「何?」
「お前・・・・・・、お前も今日、どこかに出掛けていたんだろう?何故そんなに俺の心配をするんだ?」
ズバリとは言えないが、要するには今日、デートだった筈なのだ。
そんな日に他の男の心配をする理由が、俺にはどうにも分からなかった。
「なんだ知ってたの?うん、今日はシャカとアテネに出掛けて来たの。シャカの服を買いにね。だってシャカの服の選び方、滅茶苦茶なんだもん!趣味が悪いっていうんじゃなくて、何かちょっと変なのよね。こないだ服を買ったっていうから見せて貰ったらさ、この暑いのにわざわざ冬物買ってるのよ!『この服が一番気に入ったのだから、仕方あるまい』なんて言っちゃってさ、あはは!もう見るに見かねちゃって!それで今日一緒に出掛けたんだけどね。」
「・・・・・・・やはりそうか。」
「シュラもあの服見たの?」
「俺も今日、アテネに居たんだ。」
「え・・・・・?なんだ〜、そうだったの!?すっごい偶然・・・」
「お前達二人が、ホテル街に入って行くのを見た。」
俺は多分余程険しい顔付きになっていたのだろうな。
はそれまでの饒舌さが嘘のように、ピタッと黙り込んでしまった。
だが、丁度良い。
これ以上惚気を聞かされる位なら、黙っていてくれた方が幾らかマシだ。
「・・・・・・だから、別に俺の事など心配するな。シャカが気を悪くするぞ。それに、一人でこんな時間にこんな所に居て、後で奴に怒られるのは俺なんだ。心配してくれるのは有り難いが、無茶な真似は・・・」
「プッ・・・・・」
「プ?」
「プッ・・・・・、ククク・・・・、あはははは!!」
今俺、何か変な事を言ったか?そんなつもりは自分では全くないんだが。
なのに何故かは、あっけらかんと声を上げて笑っている。
「何がおかしい!?」
「あはは、だって・・・、あははは!ごめん!ごめんってば!!笑うつもりじゃないんだけど・・・・!」
「だったら何だ!?」
「いやだって、まさか見られてたなんて知らなかったから!なんだ〜、見かけたんなら声掛けてくれれば良かったのに!」
「そんな事出来るか!お前な、幾ら何でも俺にだってデリカシーぐらい・・・」
「だって私達、別にホテルなんか行ってないもの。」
「それに大体、俺が平気でいられる訳が、って・・・・・、何だと?」
俺はやはり酔っているのだろうか?
これは酔いが聞かせた幻聴なのだろうか?
己の耳を疑った俺は、に訊き返した。
「行っていない、だと?」
「うん、そうよ。」
「ちょ、ちょっと待て!!だがしかし、俺はこの目で確かに・・・!」
「うん、通り過ぎはしたけどね。行ったのはあの辺りを抜けた所にある公園よ。」
「はあ!?」
すっかり酔いの醒めた目を見開く俺に、は尚もクスクスと笑いながら教えてくれた。
「パフェ食べ過ぎてお腹苦しくなっちゃってさ、それで休憩しようって事になって。」
「・・・・・知っている。実はそこから見ていた。」
「そうなの!?やだもう!だったら声掛けてくれたら・・・って、まあそれは良いわ。で、とにかくシャカがそこに連れて行ってくれたのよ。静かで良い所だから、休憩するにはもってこいだって。」
「しかし・・・・!」
「私も最初は吃驚したけど、本当に結構良い所だったのよ。静かだし割と広いし、木や花壇の花も綺麗だったし、それにベンチがすっごく座りやすいの!思わず寝転びたくなっちゃった!シャカはアテネに出たら、時々そこに寄って瞑想したりお昼寝したりするんだって。」
広くて美しくて、寝心地が良い。
そんな『公園』だと!?
「そんな馬鹿な事があるか!?」
「何怒ってるの?だってあるんだから仕方ないじゃない。」
きょとんと首を傾げたに見つめられ、安堵するやら恥ずかしいやら。
だったら今日の俺は一体何だったんだ。
・・・・・・分かった、もう良い。
取り敢えず今日のところは寝かせてくれ。
もう何もかも忘れて、泥のように眠りたい気分だ。
俺はふと手に持ったままの荷物、への土産を思い出して、それをに差し出した。
「やる。良かったら食ってくれ。」
「えっ、もしかしてお土産?やったー、有難う!」
「俺は帰って寝るから、お前も早く帰れ。」
俺は脱力しながらを家の方に押しやった。
が、は何歩か歩くと急に振り返って、俺が土産を買って来た動機を投げ掛けてくれた。
「ねえ!明日これ一緒に食べよう?」
真っ暗な闇の中でも、はっきりと分かるの笑顔。
きっと明日、眩しい光の中で見ればもっと輝いて見える筈だ。
「・・・・・・ああ。分かった。」
「じゃあ決まりね!シュラの好きなコーヒー淹れて待ってるから。」
「ああ。」
「それから・・・・・・・、さっきの、何?」
「さっき?」
「俺が平気でいられる、とか何とか・・・・・」
心配と不安と、そして・・・・・、期待。
の視線には、そんなものが混ざっていたような気がする。
只の思い上がりだろうか。いや、多分違う、と思う。
の質問に答えてやろうとしたが、やはりやめた。
今日は答えない。
「・・・・・・今は秘密だ。明日話してやる。」
「うん・・・・・。」
「だからお前も、明日話してくれ。何故俺の心配をするのか。」
「・・・・・・・うん。」
「おやすみ。」
「おやすみなさい。」
互いに何かを共有した微笑みを浮かべると、俺達は暫しの別れを迎えた。
おやすみ、。
また明日・・・・・・・・・