「ねえカノン。まだ帰らなくて良いの?」
情事の余韻に浸っていると、がそう尋ねてきた。
「ああ。なんだ、俺が居ると邪魔か?」
「違うわよ。明日仕事だって言ってたでしょ?また遠くに行くんじゃないのかな、と思って。」
わざと意地の悪い受け取り方をした俺に、は苦笑を浮かべる。
俺はの顔が好きだ。
快活な瞳の、勝気そうな凛とした表情に惹かれた。
本人は気にしているが、この長いカーリーブロンドの髪も良く似合っている。
いや、もう外見だけではない。
耳にしっとりと響く低めの声が紡ぐ言葉達も、勝気な癖に寂しがりな性格も、全て。
もう全てに惹かれている。
「明日はここだ。」
「ここって・・・、アテネって事?」
「そうだ。だから明日の夜も会える。お前の25回目の誕生日、祝わせてくれるな?」
些か気障かとも思ったが、は嬉しそうに微笑んで頷いた。
「じゃあ前祝いも・・・・・して?」
「そのつもりだ。」
甘い声に誘われるようにして、俺はを再び組み敷いた。
その日も無事、何事もなく任務は終わった。
グラード財団総帥としての女神の身辺警護という、最近の俺達聖闘士のメジャーな任務だった。
女神はまだ少女にも関わらず、信じられない多忙の日々を送られている。
今日も早々に帰国するという女神を空港までお送りし、そこで俺の任務は終わった、のだが。
「おい、折角だから何処かで飲まないか?」
陽気な笑顔で誘うのは、今日俺と共に警護の任務に就いたミロ。
いつもならこの誘いに乗るのだが、生憎と今日ばかりは頷く訳にはいかなかった。
「済まんな、ミロ。この後予定が入っている。」
「ほう?」
断った俺に、ミロは興味深そうな笑みを浮かべた。
「女か?」
「まぁな。」
「なるほど。道理で今朝もやけに早いと思った。大方その女の所から出て来たのだろう?」
「まぁな。」
肯定する俺に、ミロは益々興味津々な顔をし始めた。
「その様子じゃかなり入れ込んでるな?どんな女だ?」
「なんだ、俺のプライベートにそんなに興味あるのか?」
「まぁな。」
俺の口調を真似て肯定するミロに、俺は苦笑を浮かべた。
この男の、こういう陽気な部分は決して嫌いではない。
いや、それ以上に、の事を他者に語りたがっている自分が居る。
確かにミロの言うとおり、かなり入れ込んでいるようだ。
― こんな事は初めてだな。
そう思いながら、俺は口を開いた。
結局、待ち合わせ場所にまでミロはついて来た。
の事を話しながらとはいえ、注文していたプレゼントを受け取りにまで付き合わせたのだ。
そこまで付き合えば、どんな女かその目で確かめたくなるのも無理はなかろう。
一目見て挨拶をすれば退散するというので、俺は了承した。
なので今、こうして二人でが来るのを待っている。
「それは運命だな。」
「運命?」
「そうだ。今までにない程特別な何かを感じているんだろう?だったらそれは運命だ。」
の事を聞いたミロは、自信満々にそう言った。
些か大袈裟な気はするが、俺にそれを否定する事は出来なかった。
「かもしれん。初めて出会った時、何処かで既に会った事があるような、そんな気がしたのだ。」
「ほらみろ。間違いない!大事にしろよ、その彼女。」
「・・・・ああ。」
自分のごくプライベートな部分を明かした事に少々気恥ずかしさを感じつつも、俺は頷いた。
「しかしカノン、お前ずっと聖闘士である事を隠し続ける気か?」
「・・・・まだ、時期尚早だと思うだけだ。いずれは・・・・」
「そうか・・・・」
には、俺が聖闘士である事を隠している。
さる要人のSPをしているという、満更嘘でもない嘘を、は信じている。
だがそんな嘘をつかねばならない事情を、このミロは良く承知していた。
何故なら俺達聖闘士は皆、そうしているからだ。
己の本当の姿を見せる相手は、ごく限られている。
一時の恋の相手にいちいち見せてまわるものではない。
だから俺は、今まで誰にも本当の自分を打ち明けた事がなかった。
しかしにはいずれ・・・・・
いつか来る『その時』の情景をふと想像した瞬間、俺は向こうに待ち人の姿を見た。
「来たぞ。」
「本当か!楽しみだなー!」
俺より余程浮き足立った様子のミロに苦笑して、俺はポケットの中のプレゼントに手を触れた。
はまだ俺の姿に気付かない。
もう少し・・・・
あと少し・・・・
来た。
ようやく声を掛けられる距離になった時、俺はの名を呼びかけた。
そう、呼び『かけた』のだ。
「何ぃぃーーーー!?」
「えぇぇーーーー!?」
という、ミロとの素っ頓狂な声に遮られたせいで。
予約していたレストランは、急な人数増にも寛容で丁寧な対応をしてくれた。
流石有名どころの三つ星、といったところだろうか。
だがにこやかなウェイターとは対照的に、俺達三人のムードは何とも言い難い複雑なものだった。
「・・・・・それで?何でアンタがここに居るの?」
は嫌そうな顔をして、ミロに言い放った。
だがミロも負けていない。
「それは俺の台詞だ!カノン、一体どういう事なんだ!?お前の女って、まさかコイツの事なのか!?」
「コイツ!?誰に向かって口利いてるの!?」
俺が止める暇もなく、二人は姉弟喧嘩を始めた。
そう、『姉弟』だ。
この衝撃の事実を知ってから、俺はまだ立ち直れていなかった。
だがとにもかくにも、パニックに陥っていがみ合うこの二人を止めねばならない。
俺は痛む頭を抑えて、二人を宥めた。
「・・・・・それで?お前ら一体何処で知り合ったんだ?」
「何故そんな事を知りたがる?」
「何でアンタにそんな事言わなきゃなんないのよ?」
俺とは、ほぼ同じ内容の返事をミロに返した。
何故なら俺達二人の馴れ初めは、弟である奴には余り訊かれたくない形だったからだ。
深夜のバーで偶々隣り合わせて、話が弾んで。
その日のうちに『お知り合いになった』などと、ミロにどうして言えようか。
いくら俺でも、それ位の道徳心やら羞恥心は持ち合わせている。
そしてミロはと言えば。
俺達がだんまりを通した事で大方の察しはついたのか、或いは諦めたのか、盛大な溜息をついて黙り込んだ。
同じように黙り込むと、良く似た表情だ。
そこで俺は気付いた。
初めてに出会った時に感じたデジャヴは、只単にミロの面影だったという事に。
「・・・・はぁ・・・・」
明らかに脱力する俺に、は心配そうな眼差しを向けた。
そして、向かいに座るミロを睨み据えてこう言った。
「人の事詮索する前に、自分の事を言いなさいよ。何でアンタがカノンと一緒に居たのよ?」
「今日仕事で一緒だったからだ。」
「へぇ〜〜・・・・、珍しい事もあるもんね。同じ仕事だったの。」
は一瞬驚いたようにそう呟き、ワイングラスに口をつけた。
そして・・・・
「じゃあカノンも聖闘士だったのね〜。」
と、事も無げに言ってのけた。
俺が今までひた隠しにして来た事は一体何だったのかと、項垂れずには居られない程非常に呑気な口調で。
「、何故お前がそれを・・・・!?」
「だってミロと同じ仕事なんでしょ?だったらそうなんじゃないの?」
「いやそうなんだが・・・・、ミロ、お前に・・・・」
「言うに決まってるだろ。というか、とうに知ってるに決まってるだろうが。一応これでも家族だからな。」
なるほど、確かに家族は特別な人間だからな。
だがそうと分かっているのに、何なのだろうか。
このやり場のないムカツキは。
俺の無駄に悩んだ時間を返せ。
折角のディナーは、お陰でロマンチックにはほど遠い雰囲気のうちに終了した。
プレゼントもなしで突然乱入し、折角のバースデーに水を差した罰だと憤慨したが、ミロに会計を全額支払わせたのだけが、せめてもの救いというところだろうか。
「ちっくしょー、お陰でスッカラカンになっちまった・・・・・」
「文句言わない。誕生日ぐらいお姉様孝行したって罰は当たらないでしょ。」
「その年でまだ誕生日が嬉しいか?」
「う・る・さ・い。」
はミロを睨みつけて、『帰れ』というジェスチャーをした。
ミロは更に不機嫌そうな顔をしたが、それでもすんなり踵を返した。
「カノン、後で話があるからな!天蠍宮まで顔貸せよ!」
という捨て台詞を残して。
「ごめんね、カノン。折角のデートだったのに・・・・」
「いや、俺こそ悪かった・・・・・・、というか、俺が悪いのかどうか正直分からん。ただお前が謝る事はない、と思う。」
「うん、実は私もそう思ってたの・・・・。だからカノンも謝らないで。」
互いの複雑な本音を打ち明けあって、俺達はどちらからともなく笑いを零した。
そうだ。
別に誰が悪いという事もない。
たまたま、こんな事情だっただけだ。
「驚いた。世間は狭いな。」
「本当ね。」
可笑しそうに笑うに、俺はプレゼントを差し出した。
本当はあのレストランで渡すつもりだったのだが、状況が状況だけに渡しそびれていたのだ。
「・・・・誕生日おめでとう。」
「・・・・・ありがとう。開けてもいい?」
「勿論。」
頷く俺の目の前で、は嬉しそうに包みを解いた。
そして、中身を取り出して更に顔を輝かせた。
「綺麗!嬉しいわ、カノン!ありがとう!」
「つけてみろ。きっと似合う筈だ。」
「ええ!・・・・ねえ、つけてくれる?」
甘えるような表情で、はそれを差し出した。
このブロンドと同じ色の、細い金の鎖を。
俺はそれを受け取り、髪を掻き上げたの項に留めてやった。
「やはり良く似合う。見立て通り、いや、それ以上だな。」
「ふふ、ありがとう。」
照れくさそうに笑う顔が、やはりどうしようもなく愛しい。
だが、はどうだろうか。
俺はそれを確認せずにはいられなかった。
「・・・・。今まで嘘をついていて悪かった。」
「良いのよ。事情ならちゃんと理解しているつもりよ。これでも一応聖闘士の姉だからね。」
「・・・・その事だが、。もしお前が気まずいと思うのなら、俺は・・・・」
俺とて実は相当心中複雑だ。
だがやはり俺はが好きだ。ミロは関係ない。
しかし背後に弟の姿がちらつく恋愛を、もしが嫌がるのなら。
そうであれば、致し方ない。
最悪の覚悟を決めた俺に、は一瞬口を噤み、そして。
「全然!だって私、カノンが好きだもの。ミロは関係ないわ!」
「・・・・」
朗らかな笑顔で、俺と同じ答えを出してくれた。
この気持ちは、理屈などでは言い表せない。
それに突き動かされるようにしてに口付けながら、俺は心から思った。
きっとこれが、『運命』というやつなのだろうな、と。
「・・・・・ねえ、家に来ない?25歳最初の夜は、あなたと過ごしたいわ。」
「ああ、俺もだ。」
心のままに頷いた後で、俺はふと先程のミロの言葉を思い出した。
「しかし・・・・・ミロはどうする?ああ言っていたが?」
「愚弟の言う事なんか気にしないで。ガタガタ文句をつけたら私が黙らせてあげるわ。」
「ふっ、頼もしいな。」
俺は、余裕綽綽でウインクをしてみせるの腕を取った。
翌朝、朝帰りのその足で向かった天蠍宮で、俺は朝っぱらにも関わらずしこたま酒を飲まされた。
共に浴びる程飲んでいたミロの、『うちの姉貴を泣かすなよ!』という言葉だけははっきりと覚えているのだが。
その後は記憶にない。