源氏『夢』物語 其の八




『もの思ふと 過ぐる月日も 知らぬに 年もわが世も 今日や尽きぬる』



「はぁ・・・・、終わった・・・・。」

は、ベッドの中で満足げな溜息を洩らした。
以前から少しずつ読み進めていた『源氏物語』を読破したのだ。
といっても正確には全巻でなく、『光源氏』を主人公とした物語の最終巻である『幻』の巻までであったが。
あと少し残ってはいるものの、は既に達成感を感じていた。

「ふわぁ・・・、続きはまた今度にしよ・・・・」

本を閉じ、ベッドサイドのランプを消して、は眠りに落ちた。





もう疲れた。
待ち続けることに。
耐え続けることに。
あの人を、愛することに。


夢の中のは、疲れ果てて深い溜息を吐いていた。
実際、身体の具合も思わしくない。
は、自分の死期が近いのを直感的に悟っていた。


もう疲れた。
せめて最期の時ぐらいは安らかに迎えたい。

の望みはもはや愛する者の側に居ることではなく、出家してあらゆる苦悩から解き放たれることだけだった。



「あなた。お話があるのですが・・・・・」

は思い詰めた表情で、自分に背を向けている夫・光源氏に話し掛けた。
振り向いた彼は・・・・・

「あぁ!?なんだよ?」
・・・・はぁ〜〜〜〜〜!!
オイなんだその盛大な溜息は!?
「・・・・別に。そう、またデスなのね、そう・・・・・」
「んだよ感じ悪ぃなオイ。んで?何の話だよ?」
「ああそうそう。あのね、私出家したいんだけど。」
「あぁん!?出家だぁ!?」
「そう。いいでしょ?」
「いいわけねぇだろ。」
「どうして?」
「・・・・どうしてもだ。」

苦々しい顔で言い放ち、光源氏、もといデスマスクは、着物の袂から煙草を取り出して火を点ける。

「なんでそんな理不尽なの!?どうせ私はあなたの正妻じゃないんだし、別に私の勝手でしょ!?」
「駄目なもんは駄目だ。諦めろ。」
「嫌。」
「嫌もクソもねぇ!」
「怒鳴らなくても聞こえるわよ!!」
「とにかくその話はもう止めだ!!蒸し返しやがったら犯すぞ!!
なっ!何その言い草!!??最っ低!!
「何とでも言え。」

デスマスクは、忌々しげに煙草を灰皿に押し付けて立ち上がった。

「ちょっと!どこ行くのよ!!」
「ちょっと出て来る。」
「待ちなさいよ!ちょっと!!!」

激怒するを一人その場に残し、デスマスクは何処かへ去って行った。





もーーー!!!やってらんない!!!!何なのよ!?あの蟹!!蟹!!!
「紫の上様!そのように興奮なされてはお体に障ります!」
「これが怒らずにいられるかってのよ!!」
「落ち着いて下さい、紫の上様!」

激昂するを何とか宥めようと女房達が四苦八苦するが、怒り狂ったはまるで聞き入れない。

「さぁ、もう休まれた方が・・・・・」
「平気よ、これぐら・・・・・・」

寝室へ連れて行こうとする女房の腕を振り解いた直後、突然の視界が暗闇に包まれた。

「紫様?紫の上様!?」
「キャーー!!誰かーーー!!」

深く暗い穴の中へ落ちていくように、の意識は遠ざかっていった。





何だろう?
人の話し声がする・・・・・

「気が付いたか!心配掛けやがって・・・!」
「デス・・・・・」
「『デス』じゃねぇ!おい、お前らちょっと外せ。」

デスマスクは人払いをし、再びに向き直った。

「ったく手間掛けさせやがって。病人のくせに大人しく寝てねえからだ。」
「・・・・大人しく、寝てたって、・・・・一緒よ。」
「一緒じゃねえよ。寝てねぇと直るもんも直らねぇだろうが。」

苦々しい顔での髪の乱れを直すデスマスク。
その手の感触が心地良くて、の口元から弱々しい笑みが零れる。

「ありがと。でももう・・・・」
「でももクソもねえ。もう黙って寝ろ。」
「ううん、聞いて。・・・私、もう、駄目、・・・みたい」
「黙れって言ってんだろが。」

デスマスクはの言葉を遮った。
しかしは黙ることなく、そのまま話を続けた。

「今までデスには、・・・散々迷惑、掛けられたけど・・・・・」
「もう喋るな。」
「でもね、もういいの。」
・・・・・」
「いっぱい、悩んだり苦しんだり、したけど・・・・、嬉しいことも、楽しいことも、・・・いっぱい、あった、から・・・」
「何言ってんだコラ!?何のつもりだよ!?」
「ホント・・・、最期まで、あんたの、我侭・・・・、聞くの、癪、・・・だけど・・・」
「おい!!!目開けろ!!」
「聞いて、あげる・・・・・わ・・・・・。」
!死ぬな!!!!!」
「最期まで・・・・、どこにも・・・、行かな・・・・、ずっと、デス、の・・・・側・・・・・」
ーーーー!!!!」





ーーーー!!!居るんだろ〜〜!
はっっっ!!!なっ、何!!??」

玄関から聞こえる大声で、は一気に夢から現実へ引き戻された。
窓の外はまだ真っ暗で、時計は午前2時半を指していた。

「何なの・・・、こんな時間に全く・・・・。」

はブツブツ言いながらベッドから出て、玄関のドアを開けた。
途端になだれ込んで来たのは、泥酔したデスマスクであった。

「ちょっとぉ〜・・・、何時だと思ってんのよ・・・・。」
「冷てぇ事言うなよ!・・・ん?」
「何?・・・ちょっ!何、何なの!!??」

急に頬に触れたデスマスクの指に驚く

「お前・・・・、何泣いてんだ?」
「え?・・・・あれ?涙?」
「はは〜ん、さては俺様が恋しくて泣いてたな?」
「何バカなこと言ってんの!?私は寝てたの!あんたが安眠妨害しなきゃ朝までぐっすりね!!」
「分かった分かった。夢で俺様を想って泣いてたんだな?」
「違うってーの!!大体何の夢見てたかなんて忘れたわよ!!あんたの大声のせいで!!!」
「分かった分かった。じゃあ夢の続きでも見ようぜ、二人でな・・・・」
「なっ!!」

伊達男の色気を漂わせながら、デスマスクはの肩を抱き寄せた。


見るかーーーーーー!!!



静かな夜に、の怒号と豪快な炸裂音が響き渡った。
翌日、デスマスクの頬には見事な紅葉が咲いていたとかいなかったとか。




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後書き

源氏『夢』物語は、これにてひとまず終了です。
『若菜 上』から『幻』までの巻をベースにし、紫の上の臨終にスポットを当てました。
言うまでもなく、光源氏=デスマスク、紫の上=ヒロインです。
ラストはやはり贔屓キャラになってしまいました(笑)。
書けば書くほどワケの分からない話になってしまい、申し訳ございません!
こんなアホシリーズにお付き合い下さり、ありがとうございました!